第9話 寝顔
真夜中になって近所の奥さんは帰って行った。残ったのはダイと酔いつぶれた沙羅だけ・・・。
「酒癖の悪い女だな」
ダイはそうつぶやきつつ、沙羅の寝顔を眺めた。あんなに絡んで来たのに、今は幸せそうな顔をしてすやすやと寝ている。
(勤務で遅くなった時、ユリもリビングでこんな顔でうたた寝をしていたな・・・)
ダイは思い出してため息をついた。あの頃の幸せな日々を・・・そして戻ってこないその時を・・・。ダイはしばらくその思い出に浸っていた。すると沙羅がいきなり言葉を発した。
「もう飲めないわよ! でももう一杯・・・」
大きな寝言だった。そしてまた寝息を立てて寝ている。ダイは苦笑してつぶやいた。
「あきれた奴だ」
だが憎めないとも思った。出会ってから振り回されているが、なぜか嫌な気はしない。ユリとは違うが沙羅にはなぜか人を引き付けるものがある・・・ダイはそう思った。
とにかくこのまま寝ていたら風邪でも引きそうだが、よく寝ていて起こしても起きそうにもない。
「仕方がない奴だ」
ダイは沙羅を抱き上げて彼女の部屋のベッドに寝かせた。沙羅はそのまま気持ちよく寝ている。ダイはその寝顔をじっと見つめていた。あの頃のように・・・。
「ユリ・・・」
ダイは優しくつぶやいた。このままあの時と同じ思いに引き込まれそうになっていた。すると沙羅がまた寝言した。
「沙羅よ。私は沙羅よ!」
ダイはそれを聞いて現実に引き戻された。
(そうだ。この人は沙羅。ユリじゃない。別の世界から来た人だ・・・)
ダイは沙羅に布団をかけて、その部屋をそっと出て行った。
◇
翌朝目覚めると、沙羅はベッドの上で寝ていた。酔っぱらっていたのをダイが運んでくれたのだと思った。
「頭がガンガンする。二日酔いだわ」
沙羅はベッドから起き上がってキッチンに行った。そこではダイが朝食の準備をしていた。
「やっと起きたか。朝食にしよう」
「私はパス。二日酔いで食べられそうにないわ」
沙羅がそう言うとダイがそばに来た。そしていきなり左腕で沙羅の肩を抱いた。
(えっ! 朝からいきなり? でもユリさんじゃないのよ・・・)
沙羅はそう思ってドキドキして身を固くしていると、ダイは右手を沙羅の頭に乗せた。
「ヒーリング!」
(なに?)
すると沙羅の頭痛は嘘のように消えた。ダイはそれだけすると沙羅から離れてテーブルに皿を並べていた。
「頭痛が消えたわ」
「ヒーリング魔法だ。二日酔いぐらいならすぐに治せる」
「ふーん。便利ね」
「じゃあ、食事にしよう。昨日のように生で野菜をかじらないように」
ダイの言い方が気に食わなかったが、とにかくお腹を満たさねばならない。沙羅は食べ始めた。食事の間、ダイは何も話さない。昨日は酔っていたのもあるが、彼と少しは打ち解けて話したはずだが・・・。今日は初日の時のようになにかよそよそしい。沙羅が「ねえ」と話かけるが、「余計なことはもう言うな」という目で返してくる。
(昨日、酔っぱらったことを怒っているのかしら?)
さらにはそう思わざるを得ない。やがて食事が終わってダイが立ち上がった。
「出勤する。君はここでじっとしているんだ」
「でもこの家にいても何もできないのよ。食事の支度も掃除も。すべての道具が使えないし。それにシャワーを浴びたいけど私ではお湯は出ないし・・・」
沙羅がそう言うと、ダイは手のひら大のメダルを渡した。それはキラキラと光っている。
「これは?」
「魔法メダルだ。僕が魔法を込めておいた。これを当てて念じれば魔法が発動して道具が使えるようになる」
「えっ! そうなの?」
沙羅はすぐに水道のそばに行って、メダルをかざして(お湯になれ!)と念じた。すると蛇口をひねるとお湯が出た。
「おもしろい!」
次に沙羅はかまどのそばに行き、メダルをかざして(火をつけろ!)念じた。するとかまどに火がついて燃え始めた。
「すごいわ!」
「あんまり使いすぎると魔法がなくなるぞ。必要な時に使うんだ」
ダイはかまどの火を消しながらそう言った。
「これで私も魔法使いの仲間入りね!」
沙羅は胸を張って「えっへん!」と得意げに咳払いした。その様子にダイは「ブッ」と吹きだした。
「面白いことを言うね」
「そう? でもいかしているでしょ」
沙羅はいろんなポーズをつけた。それを見てダイは笑っていた。それで2人の間の重苦しい空気が吹き飛んだ。
「じゃあ。留守を頼むぞ」
「わかったわ。任せておいて!」
沙羅は胸をドンと叩いた。
◇
―現実世界―
宗吾と祥子は今日も三下山に来ていた。捜索は続けているがもう72時間が過ぎようとしていた。これを過ぎれば遭難者の生存率が著しく低下する。そんな大きな山でもないのに全くその痕跡すらも見つからないのだ。
2人は捜索本部に行って状況を聞いてみた。
「何か見つかったのですか?」
「それが何も・・・。今は捜索範囲を広げています」
返ってくる言葉は同じだった。だがここにきて本部にいた人がぽつりと漏らした。
「もしかしたら何か犯罪に巻き込まれたのかも。以前にもここで失踪している人は少なくないのです」
「えっ! それはどういうことですか?」
「これだけ探しても手がかりすら見つからない。もしかしたら誰かに連れ去られたとか・・・」
「沙羅が・・・沙羅が誘拐?」
「いえ、そうだとは言えません。その可能性も考えなくてはという話です」
宗吾と祥子は顔を見合わせた。確かに沙羅を誘拐して身代金を取ろうとするか、またはSARAブランドを妨害しようする者がいるかもしれない。
「一体、どうしたら・・・」
「警察にご相談されてはどうですか? 山の捜索はずっと行うわけにはいきませんから」
「いつまで捜索していただけるのですか?」
「1週間というところでしょうか。もう探す場所もなくなっていますから」
「そうですか・・・」
宗吾と祥子は気落ちして本部を出てきた。捜索が打ち切られたら、もう沙羅が無事に戻ってくることはないように思われた。祥子は目の前の三下山を見上げた。
(沙羅! 一体、どこにいるの? お願い! 出て来て!)
祥子は心の中で叫んでいた。
そこに黒メガネの男が近づいてきた。年は40過ぎというとこであろうか、暗い色のジャケットにノーネクタイ、足には登山靴をはいていた。
「斎藤宗吾さんと奥さんですね。ちょっとお話が・・・」
「あなたは? 私たちに何の話があるのです?」
「娘の沙羅さんがこの山で消えてしまったと聞きました。その件で・・・」
その男は何かを知っているような口ぶりだった。