妹は姉を思う
私の母は父の再婚相手だったらしい。九つ年上の姉、アルブスとは異母姉妹ということだ。父は私も姉のことも分け隔てなく愛してくれた。姉のアルブスも優しく、よく私の面倒を見てくれた。庭園を散歩したり、本を読み聞かせてくれたり、厨房からこっそりお菓子を盗んだりするいたずらも二人でした。父の寝室にあった槍を振り回して遊んでいるところを見つかって二人で父にこっぴどく怒られたこともあった。祖母の部屋では色々なおとぎ話を聞かせてもらいながら甘酸っぱいクランベリージュースを飲んだ。
でもそんな幸せは長く続かなかった。私が三歳から四歳になったその年、父と祖母がこの世を去った。姉を守ってくれる人がいなくなってしまったのだ。私はすぐさま臣下たちの手により姉から離れさせられた。「あなたの姉は悪魔の子なのです」と何度も古臭い童話をまことしやかに聞かされた。それでもあの事が起きるまでは姉も私の部屋に忍び込んできたし、前と同じようにとはいかないもののそれでもちょくちょく二人で遊んでいた。
毒殺されそうになることも暗殺者を仕向けられることもあったが、それでも姉はあっけらかんと笑っていた。私に会うといつも遊んでくれ、武術を教えてくれた。
それが起きたのは姉が十五歳、私が六歳の時だった。ある日姉は森から迷い込んできたのであろう一匹の狼の子供を拾ってきた。少し弱っているその狼の子供にご飯を食べさせ、面倒を見た。姉の優しさをその狼の子供も感じていたのだろう、姉に本当によく懐いていた。頭を撫でると気持ちよさそうに目を細め、寝るときは姉の隣で眠った。その仲良し具合は幼い私が嫉妬してしまうほどであった。そうして数か月がたったある日、姉がその日どうしてして城を出かけていたのかは思い出せないが、とにかくその日姉は城にいなかった。臣下たちは庭園で眠っていた狼の子供を捕まえた。(その狼の子供は人を恐れるということを知らなかった)私は部屋から飛び出すと何をするのと臣下たちにしがみつき、何とか狼の子供を取り返そうとしたが何せ六歳の女の子、すぐに取り押さえられてしまった。狼の子供は臣下たちにつれられてどんどん遠くへ行ってしまう。臣下の腕から抜け出そうと叫びながら何度も身をよじった。一瞬、そう一瞬、ふいに静けさが世界を包んだ。今となってはそれは気のせいだったのかもしれないがとにかく一瞬静寂が訪れたような気がする。次の瞬間狼の子供の鋭い悲鳴が響き渡った。私は臣下の腕に嚙みつくが離してくれずそのまま部屋に閉じ込められた。その時、幼心に嫌な予感に襲われて私は泣いていた。
帰ってきた姉を待っていたもの、それは愛していた狼の子供の亡骸だった。狼の子供は悪魔の使い魔だとして恐れられ殺されたのだ。この国において神聖化される狼でさえ姉が可愛がったというだけで殺された。私は姉も泣いているだろうと窓から木に飛び移って城門で立ちすくむ姉に駆け寄った。姉は泣いていなかった。真っ赤な目がただ狼の子供の亡骸を呆然と映し出していた。姉は私に気が付くとそれを見せないように背中で隠すと私にいつも通りの優しい笑顔をむけた。「部屋に戻ってて、ユウォー。」私が城の中に戻るのを見ると姉はそっと狼の子供の亡骸をその腕に抱いて立ち上がった。私は姉にばれないようにこそっと後をつけた。姉は姉のお気に入りの場所である勿忘草の花畑へ着くとその手で土を掘った。姉の肩が震え、嗚咽が聞こえた。
私はその時姉が弱いことを知った。
私はその時姉が縛られていることに気が付いてしまった。
戻ってきた姉に泣いた様子はなかった。でもあの時から姉は確かに変わってしまった。何かを愛することを深く恐れてしまった。神聖視される狼でさえ自分に関われば殺されてしまう。そのことは深く姉を傷つけた。姉は私とかかわるのも極力避けるようになった。それでも姉の目はいつも前を向いているようだった。
私はその時心に誓った。姉を縛り付けるものから姉を救おうと。姉を縛り付けるもの、父の存在、この国の王座。こんな国姉にはふさわしくない。姉は美しい、心も理不尽に恐れられるその見た目も。だからこんな国は捨ててもっと大きな世界に旅立つべきだ。
十歳のころから宰相が私にすり寄ってくるようになった。あなた様の方が王位にふさわしいとすり寄ってくるゴミくずを観察していて私は気が付いてしまった。こいつは私たちの父を殺している、と。その欲望に染まった目、およそ父に暴かれそうになって慌てて毒殺しようとしたのだろう。同じ手で姉を殺そうとする話を私に聞かせるなど愚かとしか言いようがない。しかし私はこの宰相を利用することにした。
そして十三歳の年、満を期してクーデターを起こした。姉が充分逃げられるように警備兵の配置は完璧だった。しかし姉は帰ってきた。三光鳥と他の仲間たちを連れて。姉が城門前に降り立った時私はその姿に感動した。まるで神話の女神のようだ。神々しく凛々しい。何より驚いたのは姉が狼を連れていたことだ。あの時以来イヌ科の動物をひたすら避けていた姉が犬を抱いて三光鳥から降り立ち、さらにその犬が狼に姿を変えたとき私は思わず泣きそうだった。
しばらくすると兵が私をとらえに来た。姉の命令で自室に監禁らしい。とことん甘くて純粋な人だ。その次の日私にしばらく王位の座を任せたいといったときは思わず声をあげて笑いたくなった。どうやらすべて宰相がたくらんだことで私は操られただけだと思っているらしい。ここまでくるともはやおめでたい。私に三光鳥のことと、それから貧民街の人々の救済をくれぐれも頼むと言うと部屋を出ていった。
姉は本当に馬鹿な人だ。姉も父も王としては純粋で優しすぎるのだ。王位に継ぐのは私のように狡猾で猜疑心にあふれる人間の方がふさわしい。それでもこの国を守りたいというのならば、それでもこんな国の王位を継ぎたいというならば私が汚れ役を買おう。姉が帰ってくるまでにこの国のすべてのごみのような臣下たちを一掃して見せる。私は姉が乗った馬車の背中を見守った。
もし姉がレクターとの旅で世界の広さを知り、この国を重荷に思う時が来たならば、その時はこの国の王座、私がもう一度もらってあげる。