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神域:アポカリプス  作者: 八魔刀
第一章 絶悪の神子
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第5話

 静かな夜。村の住人も全員眠っており、虫の鳴き声しか聞こえない。月明かりだけが村を照らし、平穏な夜が世界を支配していた。

 しかし、その世界を土足で乱す輩が現れる。馬に跨がり、矢筒を背負った美丈夫が村の前で止まる。己の長い黒髪を慈しむように指で弄りながら、まるで花の香りを楽しむように鼻先に近付ける。上品に香りを嗅ぎ、その美丈夫は村を視界に収める。


「此処ね……」


 美丈夫は左手を上に掲げ、そして前に下ろす。すると美丈夫の背後の闇の中から幾人もの黒装束の人間が現れ、地を這うように村へと駆け出す。彼等の手には反りが無い刀や鎖鎌、鉤爪などの武器が握られている。

 そう――彼等は襲撃者だ。雨宮家によって放たれ、綺咲人を追いかけてきた敵である。

 襲撃者達は音を立てずに村へと接近し、最初の数人が村の敷地へと足を一歩踏み入れた。

 その直後である――。最初の一歩を踏み込んだ襲撃者が縦に斬り裂かれ大きく弾け飛んだ。鮮血が飛び散り、他の襲撃者達は驚愕で脚を止める。その一瞬の合間に銀閃が走り、数人の襲撃者達を斬り裂いていった。

 彼等を斬り裂いた主は刃を鞘に収め、ただ静かに襲撃者達へと殺気を撒き散らして威嚇する。これ以上来れば問答無用で更に命を奪うぞと、慈悲という名の脅しと警告を示す。

 黒装束の襲撃者達は得物を構えながらその主を――異国の強者であるレンヴァルトを取り囲む。襲撃者達を仕向けた美丈夫も馬を歩かせ、レンヴァルトの前に姿を晒す。


「へぇ? アタシ達の動きに気が付いてたの?」

「もう少し手下を鍛えておくことだな。お前からでなくとも、コイツらからの殺気が遠くからだだ漏れだ」


 眠りについていたレンヴァルトだったが、離れた場所から僅かな殺気を感じ取るという離れ技で目を覚まし、眠っている綺咲人を起こさないように出て彼等を迎え撃ったのだ。眠りを妨げられた故か、綺咲人をいいように使う雨宮への憤り故か、六介と対峙した時とは打って変わって明確な敵意を美丈夫に向けている。常人ならその気迫に息を呑んで動けなくなるか泣きながら逃げるところだが、美丈夫は己に向けられる敵意に酔いしれるような笑みを浮かべる。


「イイわねぇ……六人衆になってからというもの、誰からもそんな目を向けられたことはないわ。貴方ね? 六介をやったのは……」


 美丈夫は興味深げにレンヴァルトを爪先から頭の天辺まで舐め回すように見る。


「だったら?」


 美丈夫の笑みが鋭くなる。


「その力、アタシに見せてごらん!」


 どこから取り出したのか、美丈夫は左手に弓を握り、矢筒から矢を抜き取ってつがえる。そして轟音と共に矢が放たれ、レンヴァルトに真っ直ぐ襲い掛かる。


「――ッ!」


 レンヴァルトは抜刀し、矢を刀で斬り落としながら横へと動く。矢は斬れたが、矢に纏わり付いていた神域エネルギーが衝撃となってレンヴァルトが立っていた地面を抉る。矢を放つ音ではなかった理由はこれだ。美丈夫は弓と矢に神域エネルギーを浸透させ、矢をエネルギーの砲弾に変えて射っていたのだ。

 六人衆になってからと口にしていたことから、美丈夫も天ノ六人衆なのだろう。神域エネルギーの扱い方も六介と似通っているのをレンヴァルトは見抜き、舌打ちを一つ鳴らす。

 美丈夫からの矢を避けると、レンヴァルトを取り囲んでいた黒装束の者達がレンヴァルトに攻撃を仕掛ける。彼等は美丈夫と違って神域エネルギーを攻撃に転用してはいないが、体内でエネルギーを活性化させているようだ。強化された肉体でレンヴァルトに牙を向けるが、レンヴァルトは至って冷静に対処していく。刀と鞘で振り払われる刃をいなし、刃と刃の叩く音が鳴り響く。相手の意識が刀身と鞘に向けられている隙を突いて蹴りを放ち、顎の骨を砕く。


「……?」


 その際、レンヴァルトは違和感を抱く。しかし今は戦いを終わらすのが先だと頭を切り替える。一番近い相手の動きを見切り、瞬時に腕や脚を斬り落とす。鮮血が舞い、それに汚れる前に移動し、次の相手へと迫る。

 その光景を美丈夫は馬上からジッと見つめていた。面白い演舞を見るように、まるでレンヴァルトの舞台演技を見る観客のように、興奮した様子を隠さず観覧していた。手に握っている弓矢でいつでも援護できるが、レンヴァルトの動きを見極めるためなのか射る気配は無い。ジックリと舐め回すように、彼の全てを見透かすかのように目をしっかりと開けて離さない。

 黒装束達は確かに強い。並大抵の武士では手も足も出ないだろう。闇夜に瞬時に溶け込み、素早い動きで一撃必殺を狙う技は容易に止められない。その技で数々の修羅場を乗り越えてきたのだろう。

 だが今回ばかりは相手が悪かった。異国の強者であるレンヴァルトは彼等よりも更に数歩、いや越えられない壁のその先に立っている。大勢いた仲間は殆どがやられ、残った者達は己ではレンヴァルトに勝てないと悟り始めて攻撃の手を止めてしまう。恐ろしい化け物と対峙するかのように、緊張と恐怖で震える四肢を押さえ付けながらレンヴァルトから距離を取って睨み合いの状態になる。


「……」


 レンヴァルトは彼等を威圧し、お前達では勝てないと力の差を見せつける。

 その時、漸く美丈夫が動きを見せた。馬を歩かせ先頭に立ち、レンヴァルトと対峙する。黒装束らと違って余裕の態度を見せ、それでいて楽しそうな笑みを浮かべている。


「やるじゃない。期待以上よ」

「……次はお前だ。此処で帰るってんなら、見逃してやる」


 刀の切っ先を美丈夫に向け、彼に慈悲の言葉を掛ける。しかしそれが何の意味も持たないことを、投げ掛けたレンヴァルト自身がよく理解している。

 彼等は絶対に退かない。この天原において、敵前逃亡は敗北よりも屈辱であり、決して許されない行為だからだ。レンヴァルトはそれをこの国に来て知った。どれだけの力差があろうとも、到底勝てない相手だろうとも、例え必ず命を落とすとわかっていても、それを承知で挑んで散ってこそ武士だと、それこそが本懐なのだと魂に教え込まれているからだ。レンヴァルトがそれでも慈悲の言葉を投げ掛けているのは、自分と武士は違うのだと示すためである。

 案の定、美丈夫はレンヴァルトの言葉に耳を貸さず、矢筒から矢を一本抜き取る。


「貴方とは二人だけで戦いたいわ」

「お望みなら」

「あら、嬉しい。でもやるべき事があるの。先ずはそれを片付けさせてもらうわ!」


 美丈夫は矢をつがえた。狙いはレンヴァルト――ではない。鏃はレンヴァルトの頭上、より正確に言うなら彼の背後を狙っている。それを察知したレンヴァルトは美丈夫を止めようとしたが、彼よりも早く美丈夫が矢を射るのが早い。

 美丈夫が矢を夜空へ放つと、神域エネルギーが爆ぜる。一本の矢が爆散したかと思えば、その破片が新たな矢となり、火の雨となって村に降り注いだ。火矢は村の家々に突き刺さり、瞬く間に業火となって火の海を作り出す。


「テメッ――!? 無関係の人達だぞ!?」

「貴方達と関わったのが運の尽きよ」

「綺咲人を連れ帰るのが目的じゃないのか!?」

「神子なら大丈夫よ。神に愛されてる子ならこの程度じゃ死なないわ」

「くそっ!」


 レンヴァルトは美丈夫に背を向け村へと走り出す。背後から美丈夫の矢が飛来するも、それを無視して村へと戻る。

 村に放たれた火は殆どの民家に広がっており、火事に気が付いた村人達が起きて悲鳴を上げ始めていた。民家からは住人が飛び出し、逃げ惑う者もいれば火を消そうと躍起になる者もおり、自身の全てが燃やされる光景を見て絶望に打ち拉がれている者もいる。彼等に手を貸すことも頭に過ったが、それより優先すべき事がある。

 レンヴァルトは舌打ち一つし、綺咲人がいる納屋へと急ぐ。偶然か奇跡か、納屋に火の手は回っておらず無事なままだった。戸を開いて中に入り、綺咲人を捜す。


「綺咲人ッ!」

「お、おじさん!」


 綺咲人は物陰に身を潜めていた。無事を確かめたレンヴァルトは胸を撫で下ろし、綺咲人に駆け寄る。綺咲人はレンヴァルトの脚に抱き着くように縋り付き、その身体を震わせる。


「そ、外が燃えて……!」

「ああ、追っ手だ。村に火を放ちやがった」

「そんな……!?」


 綺咲人は驚く。そしてハッとしたように顔を青くする。それは追っ手が怖いからではない。己がこの村に来てしまったから、村の人達を巻き込んでしまったことに対する後悔からだ。この納屋と握り飯をくれた人を死の危険に晒してしまった。それが綺咲人の心を苦しめる。

 その自責はレンヴァルトも同じだ。まさか追っ手の速度がここまで速いとは思ってもみなかったのだ。相手も夜は野営して脚を止めてくれればと思っていた。だが相手は休むことなく闇夜の中を走り続けて追い付いた。考えが甘かったと、レンヴァルトは唇を噛み締める。


「綺咲人、お前を村の外まで連れて行く。出たら走って逃げて隠れてろ」

「おじさんはっ……?」


 その目は怯えていた。怖がっていた。レンヴァルトは綺咲人が今の状況に恐怖を感じているのだと考えた。しかしすぐにそうではないと気が付く。村の外へ逃げた後、また独りになるのではないか――それを怖がっているのだと。

 レンヴァルトは屈んで膝を突き、綺咲人と目線を合わせる。目尻に浮かんでいる涙を親指に拭ってやり、しっかりと目を見つめる。


「――大丈夫だ。お前を独りにはしない。俺にピタリとくっ付いて来い」

「……っ」


 綺咲人は頷く。レンヴァルトは立ち上がり、刀を右手に、綺咲人の右手を左手に握り外へと飛び出す。

 外の火は更に大きく広がっていた。黒装束らも村に侵入しており、目に付いた民家に押し入っては中を確認し、次に民家へ移る。おそらくそれは綺咲人を捜しての行動だ。驚くことではない。相手は綺咲人を捜しに来たのだから。

 しかし、レンヴァルトと綺咲人は目を疑う惨状を目の当たりにする。


「いやああっ!?」

「ぎゃああっ!?」

「や、やめっ!? あああっ!?」


 村人達が黒装束らの手によって殺されていた。逃げる者、命乞いをする者、男、女、子供、老人関係なく、この村に住む人全員を手当たり次第に殺し回っていた。

 何故? どうして? そんな言葉が綺咲人の頭を過る。狙いは自分だけのはずなのに、どうして関係無い人を殺してしまうのか。


「チッ、あの野郎……!」


 レンヴァルトは美丈夫に対して激しい怒りと嫌悪感を抱き、ギリッと歯を鳴らす。


 ――お前らの民達だろ……! どうしてそんな簡単に殺せる!?


 怒りで刀を握る手に力が籠もる。今すぐにでもアレらを殺してやりたいという衝動に駆られるが、今自分の左手には守らなければならない幼い子がいる。そしてその幼子は、目の前で行われている惨状が己の所為で起きてしまっていると考え、恐怖と絶望で表情が染まってしまっている。

 レンヴァルトは綺咲人にこの光景を見せないように手を引っ張り、村の外へと向かう。

 だが二人の前に黒装束らが立ち塞がる。


「見付けたぞ!」

「神子は生きていれば良い!」


 レンヴァルトは綺咲人の手を引いた。側から離れるなと伝え、綺咲人はその通りにする。黒装束の一人が綺咲人を狙って飛び掛かるが、レンヴァルトの蹴りがそれを止める。その隙を突いてもう一人が影から飛び出す。綺咲人に手を伸ばして指先が触れる直前、レンヴァルトが庇う。黒装束二人は得物を振ってレンヴァルトに斬りかかり、レンヴァルトは右手で握る刀で防いでいく。

 黒装束らはレンヴァルトの実力を知ったばかりのはずだ。それでも果敢に挑むのは使命だからか、それとも今は綺咲人という『枷』がいるからなのか。どちらにせよ、彼等には躊躇いも恐怖も無い。更に戦いの音を聞き付けて残りの黒装束らも集まり始める。


「綺咲人! 目と口を閉じてろ!」

「ッ!」


 レンヴァルトの言葉に従い、綺咲人はギュッと目と口を閉じる。次の瞬間、レンヴァルトは綺咲人を小脇に抱え、刀を握る手に力を込める。そして綺咲人を抱えているとは思えない速度で動く。可能な限り綺咲人に配慮しながら反撃を行い、向かってくる黒装束らを斬り捨てていく。一人、二人、三人、また一人と刀の錆へとしていく。

 その光景を、背後からひっそりと眺めている男がいる。その男は馬上でゆったりとした動きで矢筒から矢を抜き取る。そして弓を持ち上げて矢を番え、レンヴァルトへと狙いを定める。


「ンフ……」


 神域エネルギーを矢に纏わせ、そして矢と同時に解き放つ。神速とも言える速度で瞬きする間の無くレンヴァルトに迫る。そんな矢を目で捉えることは不可能だ。射られたことも知覚できないだろう。


「ッ――!」


 だがレンヴァルトはそれを目で捉えた。捉えた――というのは正確ではないかもしれない。本能というか、経験に基づく勘というべきか、レンヴァルトは感覚でそれを捉えていた。

 しかし、だからといってその矢に対して完璧に対応できるわけではない。最後の黒装束を斬り伏せたレンヴァルトは綺咲人を自分から離し、矢へと身体を向けた。避けるつもりだったのか、防ぐつもりだったのか、レンヴァルトは矢を正面から迎えた。


「うぐっ――!?」


 矢はレンヴァルトの胸、それも心臓の位置に命中する。肉と骨を砕く音が綺咲人の耳に届き、小さく悲鳴を上げる。レンヴァルトに突き刺さった矢を見て更に顔を青くしてしまう。


「……あら?」


 矢を放った美丈夫は首を傾げる。

 矢は命中した。それも人体の肉体に。神域エネルギーを込めて放ち、確かにそれも炸裂した。普通なら肉体は形を保てない。砕かれ、破裂し、木っ端微塵になって小さな肉片になるはずだ。なのにレンヴァルトの身体は綺麗に残っている。矢が突き刺さった部分もただ刺さっただけだ。血は流れ出ているが、それだけだ。

 おかしい――何かがおかしい。美丈夫はレンヴァルトを怪訝な表情で見つめる。


「――――ゥゥ……!」


 レンヴァルトは唸り声を漏らす。獣が静かに上げるような、聞いた者の恐怖感を煽るような音だ。現に、その唸り声を向けられた美丈夫は心臓を掴まれたような感覚に陥った。弓を握る手がカタカタと震え出し、呼吸が速くなる。

 そして、顔を上げたレンヴァルトと目が合う。紫の瞳がギラギラと光っており、瞳孔が縦に伸びていた。人間がして良い目ではなかったのだ。


「な、何よ貴方!?」


 美丈夫は今までの様子から打って変わり、血相を変えて矢を番える。一射目と同じく神域エネルギーを込めて放ち、レンヴァルトの右胸に命中する。それも一射目と同じように突き刺さるだけに終わり、レンヴァルトの痛みに堪えるような声が漏れるだけに留まる。

 美丈夫は再び矢を放つ。腹に命中する。再び放つ。肩に命中する。再び放つ。左腕に命中する。更に矢を放つ。今度は額に当たるが、滑るようにして逸れていきレンヴァルトの頭を揺らすだけに終わる。

 レンヴァルトの額からは血が飛び散るが、彼は倒れることなく顔を正面に戻す。


「なぁっ……!?」

「っ……!?」


 美丈夫と綺咲人は驚愕で息を呑む。

 矢で抉られた額の傷が、瞬く間に癒えていくのだ。時が遡るように傷が塞がっていき、後に残ったのは血痕だけ。次いで身体に突き刺さっていた矢も次々に抜け落ちていき、その傷口もすぐに塞がったのだ。痛みは感じていたのか、唸り声はそれを堪えるものだったらしい。


「何なのよ貴方!? ただの人間じゃなかったの!?」

「――私と同じ……?」


 綺咲人はレンヴァルトから己とは違うが似たような気配を感じ取った。それは綺咲人に宿る力と似たようなものであり、己が力を発揮する時と同じ感覚を肌で味わう。そしてその力が、美丈夫ら天ノ六人衆とも明確に違うモノであることも感じていた。


「まさか貴方も神気を持ってるの!? 聞いてないわよ!?」

「そりゃあ……誰にも言ってないからな」


 レンヴァルトは刀を鞘に収め、抜刀の構えに入った。美丈夫が扱う神域エネルギーよりも濃く強く、そして黒色の光が刀に集まっていく。


「とりあえず――馬から降りろクソッタレ」


 閃――。鞘から刀が抜き放たれると同時に神域エネルギーが爆ぜる。黒いエネルギーが二つの斬撃となり地面を滑り、馬を挟んで駆け抜ける。その衝撃に驚いた馬が暴れ出し、乗っていた美丈夫を振り落として走り出してしまう。美丈夫は地面に転がり落ち、斬撃が通り過ぎた跡を見て言葉を失う。

 地面は大きく抉られ、斬撃が伸びた先では燃え落ちた民家が斬り裂かれていた。先程の衝撃といい、肉眼で捉えられるエネルギーの質量といい、美丈夫は有り得ないモノを見るような目でレンヴォルトを睨み付ける。


「何なのよ貴方……!? その神気、信盛様に匹敵するほどじゃない!」

「……」


 身体から黒色の神域エネルギーをユラユラと発しながら、威圧を込めながら身体を左側に向け刀を眼の高さに持ち上げて切っ先を美丈夫に向ける。腰を落とし、臨戦態勢に入る。

 美丈夫は動揺から何とか抜け出し、胸の内で己を落ち着かせるように言葉を発する。


 ――落ち着きなさい……アタシは天ノ六人衆よ。信盛様に認められ、『絶悪』の神気を頂戴した選ばれし武士なのよ。そのアタシが異国の男に腰が引けてどうするってのよ?


 美丈夫はニタリと口端を吊り上げる。その顔を見てレンヴァルトは眉を顰める。


「アタシとしたことが、みっともない姿を見せたわね。良いわ、元々貴方は強いと思ってたし、その貴方と戦いたいと口にしたのはアタシよ。ちょっと予定外だけれど、アタシも本気を出させてもらうわ!」


 そう言い終わらない内に、美丈夫から一気に神域エネルギーが放出される。それは六介の時と同じで、見る見る内に身体を変貌させていく。艶やかだった長い髪は更に伸びて広がり、腕が二本新たに生え、四肢の筋肉が肥大して長くなる。口も大きく割け、上下から長い牙が飛び出る。

 その様は正に鬼――六介よりも悪鬼と言える風体に、綺咲人は目をそらす。今まで化生と戦って来たが、その化生以上に悍ましい姿を見たくなかったのだ。

 美丈夫は握っていた弓をへし折り、自身の肉体から精製した新たな巨大な弓を握り締める。


「そう言えばまだ名乗ってなかったわねェ……。天ノ六人衆が一人、四明(しめい)よ」

「覚える気はない」

「ええ、そうね。死んだら覚えられないものねェ!」


 四明が二本の腕で掴んだ弓を持ち上げ、二つの右手から二本の矢を生み出して番える。神域エネルギーの流れからその矢の一撃が強力なものだと察することができる。


「綺咲人、しっかりと見ていろ……神域エネルギーを持つ者の戦いを」

「ッ……ああ!」


 レンヴァルトは己の神域エネルギーを更に高めて洗練する。揺らめきを見せていたエネルギーが鋭くなり、より一層存在感を見せつける。


「避けられるものなら避けてみなさいな! アタシの神速の矢を! 穿(せん)(ごう)ッ!」


 四明が引き絞った弓から二本の矢が放たれる。矢――というよりは、最早それは槍に等しい。綺咲人の目には何も捉えることはできなかった。僅かに知覚できたのは遅れて聞こえてきた、矢が大気を穿つ衝撃音だけだろう。

 だがレンヴァルトの目にはしっかりと見えていた。大気を渦巻いて穿ちながら迫ってくる矢の鏃が何処に向かってきているのか、どのように神域エネルギーが矢に流れているのか、全て見切っていた。刀に神域エネルギーを浸透させ、無呼吸の内に二閃――神域エネルギーと神域エネルギーが衝突し合い激しい火花を散らし、まるで鉄を打っているかのような音を鳴り響かせた。


「ナッ――!?」


 四明の息を呑む声が出る。避けるのならまだ理解できる――いやそれも無理があるが――まさか刀で矢を両断、それも二本とも綺麗に対処されるとは考えもしなかったのだ。『絶悪』の神域エネルギーを取り込んだ細胞を矢とし、絶対に折られることのない矢のはずなのに。それをどうやって斬れたのか、そもそも神速の矢をどうして見切れるというのか。四明は理解できないとレンヴァルトを否定したがる。


「何が神速だ……神の矢がこの程度のものか」

「くッ……!? 巫山戯るなァ!」


 四明は再び矢を精製して弓を構えようとする。だがそれよりも早くレンヴァルトが地を蹴り、四明の懐に潜り込んでいた。同時に四明の弓と四本の腕を両断しており、四明から赤い血がドバドバと流れ落ちる。


「我は刃で殺さぬ――」

「キエェェッ!」


 四明は絶叫しながらも裂けた口を大きく開いてレンヴァルトに向ける。喉の奥から鏃が飛び出し、レンヴァルトの額に狙いを定めている。それが放たれる直前、レンヴァルトの刀が口を貫き、そのまま頭を貫く。


「カパ――!?」

「――魂で殺す。終わりを楽しめ、外道」


 刀を抜き取り、血を振り払って鞘に収める。脳天を貫かれた人形のように動かなくなったが、レンヴァルトが背を向けた瞬間、突如として動き出す。


「マダ終わってないわヨォ!」

「いいや、もう終わりだ」


 四明は鋭い牙でレンヴァルトの後ろから首に噛み付こうとしたが、ビタリと動きを止める。それから小刻みに身体が震え始め、嗚咽をするように悶え苦しみ始める。


「ア、アガアァァァァ!?」


 レンヴァルトに斬られた箇所、腕と口から黒い神域エネルギーが溢れ出し、それが四明の身体を貪るようにして広がっていく。やがて全身に行き渡ると、四明は白目を剥いて崩れ落ち、肉体は塵となって消えた。

 レンヴァルトは発していた神域エネルギーを収め、静かに深く呼吸をして脱力する。もう敵は全員以内と気配で確認しており、この場での戦いが終わりを迎えたことを示す。


「れんばると!」


 レンヴァルトが天を仰ぐと、綺咲人が名前を呼んで駆け寄った。レンヴァルトの脚にしがみ付き、涙を流しているのか顔を擦り付けて拭っている。綺咲人の頭を撫で、もう終わったのだと安心させてやる。


「レンヴァルトだって……。綺咲人、怪我は?」

「無い! おじさんは?」

「無いさ」

「……だが、村が……」


 綺咲人は燃え落ちる村を見渡す。もうこの村に生きている者はレンヴァルトと綺咲人の二人だけしか存在しない。納屋と握り飯をくれた人も死体となって地に伏している。この惨状を直接引き起こしたのは四明とその手下ではあるが、その切欠となったのはレンヴァルトと綺咲人だ。二人がこの村で夜を明かそうとしなければ、村の人達は誰一人犠牲にならなかったはずだ。

 綺咲人はその事実にまた泣きそうになるが、レンヴァルトが膝を突いて綺咲人の顔を自分の顔に向けさせる。


「綺咲人、お前は賢い。だからこの状況について色々と悟ってるだろう。だが背負い込むな。それができるほど、お前の心はまだ育っちゃいない」

「だ、だが……私が逃げたから……」

「違う。俺が此処に留まると決めたからだ。お前はそれに従っただけだ。だからこれは俺の責任だ。いいな? わかったら頷け」


 レンヴァルトの有無を言わせない気迫に、綺咲人は頷くしかなった。しかし、頷いたら不思議と心が少しだけ軽くなったように綺咲人は感じた。頷くという行為がそう錯覚させたのか、本心が本当に救われたのか、何れにせよ押し潰されそうになっていた心が緩んだ気がしたのだ。

 レンヴァルトはもう一度だけ綺咲人の頭を撫で、立ち上がって綺咲人と手を繋ぐ。燃え落ちていく村を見渡しても、もうどうすることもできない。このまま捨て置く他、二人にできることは無い。四明を討ったからにはいずれすぐに次の追っ手が来る。村人達を弔う時間も無く、レンヴァルトは黙祷だけを捧げる。

 村を出ると、馬の嘶きが耳に入る。聞こえてきた方を見ると、四明が乗っていた馬が佇んでいた。落ち着きを取り戻しているのか、二人の姿を見ても逃げ出そうとしなかった。

 丁度、馬が欲しいと考えていたところだ。六介や四明のように神域エネルギーを持っていない普通の馬のようなので、この馬を貰うことにした。綺咲人を先に乗せ、その後ろにレンヴァルトが跨がると、慣れた手付きで馬を走らせる。蹄が道を鳴らす音と走る震動を身に受けながら、二人は日が昇り始めた空の下をただ黙って駆け抜けていく。

 レンヴァルトは雨宮家がどういう一族なのかを思い知った。奴等は己の為ならば自国の民だろうと容赦なく殺す。守るべき、育むべき民の命を軽んじる奴等こそ真の鬼だ。

 否、鬼にも劣る外道畜生だ。そんな奴等が幼い綺咲人を狙っている。『絶悪』の使徒、この国では神子と呼ぶらしいが、その力を欲している。その理由に義があるとは到底思えない。

 この子の未来は自分に懸かっている――レンヴァルトは正面に感じる小さな温もりを必ず守り通すと一人心に誓うのであった。


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