第4話
天原・濃上の国、出雲城――。
そこは濃上を治める雨宮家が住む城。大国らしく大きな城であり、見る者を圧倒する威圧感を放っている。その城の天守閣にて、領主である雨宮雲門信盛が戸を閉め切り蝋燭の灯りのみの空間で鎮座していた。白髪の老人ではあるが、彼から発せられる気は若い武士よりも鋭く、凄味のあるモノを宿している。彼の前には塔のような何かの図面が描かれている紙が広げられている。信盛はそれをジッと眺めながら何かを考えているようだ。
「――殿」
スッと、暗闇の中から一つの人が現れる。黒の装束に身を包み、己の姿を隠していた。
「何だ?」
「神子を追っていた六介からの知らせが途絶えました。部下に追わせたところ、三つ先の山にて死体で見つかりました」
「何? 六介が? 死因は?」
「傷と状況から見るに、戦死かと」
信盛は僅かに目を見張る。すぐに元の表情に戻すと、顎に手を当てて考え事をする。
「……ただの人間に『絶悪』の力を与えた六介がやられるとは思えん。それで? 神子はどうした?」
「姿はありませんでした。しかし、足跡が二つ。神子と、六介をやった者のものかと」
「追え。そして『絶悪』に仇なす者を始末し、神子を連れ帰るのだ。期日は近いぞ」
「御意」
影の男は瞬く間に姿を消した。再び一人になった信盛は図面へと視線を戻し、報告にあった六介を殺した謎の者について考える。『絶悪』を討ち破る者が『絶悪』の神域に潜り込んでいる。それが己の計画の綻びになるのではないかと、憂いを帯びた目を浮かべる。
「失敗するわけにはいかぬ……。天原が生き残るためには、『絶悪』と外敵に打ち勝つためには……」
★
時は少し遡り、綺咲人を濃上の外に連れ出すと約束したすぐ後の頃――。
レンヴァルトは小屋の中で短刀を手にして自分の髭に当てていた。無造作に伸びた髭を刮ぎ、ある程度スッキリさせて整った顔になる。髪も頭の上で一束ねにし、髪で隠れていた顔がより鮮明に見えるようになる。髭と髪で汚く見えていた顔だったが、整えるとたいそう凜々しい素材が出て来た。天原人よりも顔の堀が深くて鼻が高く、その美しくも男を感じさせる顔を見た綺咲人は目を丸くして見惚れてしまう。
刀を腰に差し、出立の準備ができたレンヴァルトは見惚れたまま硬直している綺咲人へと振り返る。
「……何だ? 異国人の顔を見るのは初めてか?」
「……異国の者は、皆そんな顔をしてるのか?」
「天原の外は広い。色んな人種がいるぞ」
「……」
綺咲人はマジマジとレンヴァルトの顔を見つめ続け、何かを考える素振りを見せる。しかし何を考えているのかレンヴァルトが訊くよりも先に小屋の外へと出て行く。レンヴァルトは肩をすくめ、綺咲人を追いかけて外へと出る。ずっと住んでいた小屋に未練を見せることなく、一度も振り返ることはなかった。
持ち歩く荷物は少ない。持ち出せるだけの水と食料、あるだけマシな着替えと手拭いぐらいだ。肩から提げる荷包み一つに纏め、レンヴァルトが持つ。綺咲人の着物は焚き火で乾かし、なんとか着られる程度にはなった。これから西へ向かって歩き続けるのだが、どういった経路で進むのかまだ悩み中だった。単純な徒歩だけで向かうのも良いが、無用な危険は避けたいと考えている。
レンヴァルトは頭の中で己の土地勘を頼りに道を模索する。最短を求めるのなら、直線で進むことになる。その進路上には山があり、それを越えて更に進まなければならない。
「……ま、何とかなるだろ」
レンヴァルトは肩をすくめ、綺咲人の隣を通り過ぎながら彼女の頭をポンッと撫でる。綺咲人は少し呆けた後、撫でられた頭に手をやって頭に残った温もりを感じ取るように摩る。後ろを付いて来ない綺咲人に気付いたレンヴァルトが声を掛け、綺咲人は慌てて追いかける。
二人は今いる山から一度下山する。そして越えるべき山までを一つ二つの村を経由して歩いて行く。日にして二、三日は掛かるだろう。それだけの時間があれば、雨宮家の追っ手も近くまでやって来てしまうだろう。それまでにどれだけ阿坂まで近付けられるか、レンヴァルトはそこが安全に逃避行するための要だと考える。
二人は下山した。レンヴァルトが買い出しで訪れていた町を通り過ぎ、野に出て歩き続ける。その間、二人は会話をすることなく静かな時間だけが流れていた。
ふと、レンヴァルトの耳に小さくて荒い息づかいが届く。後ろを振り返ると、綺咲人が額に汗を流してしんどそうにしていた。足取りも覚束なくなっており、疲れているのが見てわかる。いくら使徒で神域エネルギーを持っているとしても、綺咲人はあくまで幼い子供。普通の子供より身体の作りはできているのだろうが、それでも子供だ。大人のレンヴァルトとは違い、限界はすぐに訪れる。
ちょうど小川が隣を流れているので、その側で休息を取ることにした。綺咲人は小川の水を手で掬って飲み、息を落ち着かせる。
その様子を眺めながら、徒歩では厳しいかと考える。子供の脚では途中で何度も休む必要が出てくる。それでは雨宮の追っ手に追い付かれてしまう。やはり馬が必要かと考えを改め、手に入れる方法を考え始める。とは言っても、馬を銭で買えるわけがなく、他に手に入れる伝手も無い。ならば裏の手を使うしかないのだが、そう都合よくそれと遭遇するものでもない。
――俺が背負って歩くか? いや、ずっとそうしているわけにもいかないか。
「ふむ……」
「ハァ……すまない、もう大丈夫だ」
綺咲人が呼吸を整え、レンヴァルトを横切って先を歩き出す。気丈に振る舞っているが、ほんの少し休息しただけでそこまで体力が回復するはずもない。だからと言って休息の時間を延ばすというのもあまり良いとは言えない。先に徒歩以外の移動手段を手に入れるのが優先かと、頭を悩ませる。
「おーい、れんばるとー! 何をしているー?」
離れた場所で綺咲人がレンヴァルトに手を振る。此方の気苦労も知らないで――そう思いもしたが、綺咲人は綺咲人で大変な苦労をしてきている。幼子が背負うべきではない苦労をだ。一度協力すると申し出たからには、綺咲人を安全且つ確実に目的地へと連れて行ってやらなければならない。それが大人というものであり、レンヴァルトの責任だ。
「ったく……この国で俺の名前を発音できる奴はいないのか?」
綺咲人を追いかけ、頭の中で馬を手に入れる手段を考える。
兎も角、可能な限り早く山越えを果たしておきたい。レンヴァルトはそれを念頭に置いた。
最初の村に着いた。それなりに人が多いようで、いくつかの店もある。しかし銭の持ち合わせが無いので店には立ち寄れないのだが。
レンヴァルトは空を見上げる。日は傾き始めており、もう少しで夕暮れになってしまう。綺咲人の体力を気にして進んできたため、思いの外時間が掛かってしまった。綺咲人を見ると、だいぶ歩き疲れておりこれ以上は無理をさせられそうになかった。
まだ最初の場所から一つ目の村だというのに、あと一つは村を越えて山に入らなければならない。やはりどうにかして馬を手に入れなければ、追っ手から逃れつつ濃上の外にでることは叶わない。
しかし馬など、武士じゃなければまず手に入らない。庶民でも馬を利用することはあるが、それでも珍しい部類ではある上に貸し馬となると更に数は少ない。それこそ、大きな都に行って一件あるかないかだ。この村で馬など見つかるはずもない。
「……やはり背負うか」
「そ、それは……」
レンヴァルトの呟きが聞こえたのか、綺咲人は顔を引き攣らせる。
「だがなぁ……この調子じゃ追っ手に追い付かれるのもすぐだ。少なくとも今日中にはもう一つの村に到着しておきたかった」
「……それは申し訳ないと、思ってる」
レンヴァルトは別に綺咲人を責めているわけではない。綺咲人を安全に連れて行くにはそれぐらいが適切だと考えているからだ。しかし綺咲人は幼い子供であり、体力が無いのは至極当然でそこを責めるのはどう考えても理不尽である。言ってしまえば高望みだ。綺咲人には何の非も無い。
だが危険が身に迫っているというのもまた事実。今日はもうこの村か近くで夜を過ごすことになるが、その間に追っ手が近付いてくるだろう。追っ手も夜は脚を止めてくれていれば助かるのだが、そう都合よくはないだろう。
「綺咲人、この村で夜を明かそう。空き家か納屋に泊まれないか訊いて回ろう」
「だ、だが……」
「お前は悪くない。もし奴らが来ても、俺が守ってやる」
心配そうに顔を伏せる綺咲人の頭を撫で、レンヴァルトは歩き出す。その後ろを綺咲人が早歩きで追いかけ、レンヴァルトのすぐ後ろをピタリと引っ付くように歩く。
寝床はすぐに見つかった。村の親切な人が今は殆ど使っていない納屋を貸してくれた。おまけに握り飯も用意してくれた。納屋に入ると綺咲人は疲れた様子で座り込み、握り飯を食べる。すぐに手の中にあった握り飯は無くなり、チロチロと手に付いた米粒を舐め取る。その様子を眺めていたレンヴァルトは自分の握り飯を綺咲人に差し出す。綺咲人は一瞬呆けるが、すぐに礼を言って握り飯を受け取って食べる。
「んぐっ……ん……ご馳走様でした」
「一先ず、寝床が見つかって良かった。飯もくれるとは良い人だ」
「……おじさんは良いのか?」
「子供の腹を満たすのが大人の役目だ。出発は日の出だ、もう寝ろ」
レンヴァルトは荷袋を綺咲人の枕代わりにし、着替えを床に敷いて寝床を作ってあげる。自分は柱にもたれかかり、目を閉じて眠り始める。綺咲人もそれに従い、荷袋に頭を乗せて横になる。
「おじさん」
「ん……?」
「おじさんはどうして天原に来たんだ?」
唐突に、綺咲人はレンヴァルトに訊ねた。もう寝ろと言われたのに、眠る前の話をしてほしいと言わんばかりに目をレンヴァルトに向けている。これは何か話をしてやらないと絶対に眠らないな、と確信したレンヴァルトは少々呆れたように頭を抱える。
どう話したものかと少し考え、鼻頭を指でかく。その顔は全部を話つもりはないようで、慎重に言葉を選んでいる。綺咲人はまだかまだかと待ち続け耳を傾けている。
「……色々あってな。沢山の戦の果てに仲間と家族を失った。そんな場所に居たくなくて逃げ出してきた」
「天原の外では戦が起きているのか?」
綺咲人は驚いた声を上げる。天原でも戦の歴史はあり、現在でも小競り合いや燻りはある。天原の外について綺咲人は殆ど何も知らないが、多くの人間がいて国があるのは流石に知っている。どんな暮らしをしているのかは知らないが、まさか戦をしているとは思ってもみなかったようだ。
レンヴァルトは苦笑しながら首を軽く横に振る。
「今はそうでもないさ。もう随分昔の話だ」
「そうか……。それじゃ、おじさんは独りぼっちなのか?」
何気ない問いに、レンヴァルトは呆気に取られる。返答が無いことを不思議に思った綺咲人はレンヴァルトの顔を見て、拙いことを訊いてしまったかと不安になる。レンヴァルトの表情は固まっており、少しばかり何処か悲しげに見えた。
やがてレンヴァルトは正気を取り戻し、「うーん」と唸る。
「そう……だな。独りぼっち……かな」
「……私と同じだ。私も母上が居なくなってからずっと独りだ。鬼を退治する時以外、誰も口を利いてくれない」
綺咲人は目を伏せて悲しげな声を漏らす。綺咲人に対しての扱いは神聖視故のものか、それとも迫害故のものか、兵器としてのものか。何れにせよ、綺咲人にとってそれは人としての扱いではなく、とても人道的に反するものだ。使徒故に精神が早熟しているとしても、心が壊れてもおかしくはない残酷な処遇。よく保っていられたものだと、レンヴァルトは綺咲人に同情する。
幼い子供になんて運命を背負わせるんだ――レンヴァルトは綺咲人を使徒に選んだ概神と、綺咲人を良いように使う雨宮家の人間に悪感情を抱く。同時に綺咲人の母上という人物に興味を抱く。綺咲人の話では、その母上だけは綺咲人に人として接していたようだ。
「お前さんの母は優しい奴だったのか?」
「ああ。私に言葉を教えてくれたのも、人らしい知識を教えてくれたのも母上だ」
「へぇ……その話し方は母の教えか?」
「いいや、これは武士達を真似た。彼奴等に甘く見られないようにと」
「良い根性だ。その歳で――って、お前何歳だ?」
「五つ」
綺咲人の答えにレンヴァルトは少しばかり驚く。幼いとは思っていたが、低く見積もって八つそこらだと思っていたからだ。確かに改めて見てみれば、それくらいの背丈にも思える。五つで此処まで聡明で早熟しているとは、レンヴァルトも初めてのことに言葉を失ってしまう。
そしてたった五つの幼女に対しての非道な行いに益々憤りを覚える。いったい雨宮家は綺咲人をどうしようというのか、まさか永遠に道具として扱うつもりではないだろうか、いや後々に態度を変えたとしても幼女にしてきた非道が消えるわけでもない。この先、綺咲人がどういう生き方をしていくかはわからなくとも、雨宮の手に渡してはいけないということだけは確かだ。
「おやすみなさい、おじさん……」
「……あぁ、おやすみ」
綺咲人はすぐに小さな寝息を立てる。やはり余程の疲労が蓄積されていたのだろう。幼子の身での旅はやはりすぐに限界が訪れる。この村で小さな荷車か何かを借りてそれに綺咲人を乗せて自分が引いた方が良いかもしれない。そんなことを考えながら、レンヴァルトも瞼を閉じて眠りにつくのだった。




