第11話
城内では案内役の武士が出迎え、領主と謁見する広間まで案内される。広間には既に配下の武士達が列を成して座っており、入って来たレンヴァルトとレクターを厳しい目で見る。その視線からは少なくとも友好なものは感じられず、レンヴァルトは此処でも嫌な予感を抱く。
おそらく領主が座る場所である上座の正面に座るよう案内され、そこに腰を下ろす。
ふと、広間の端に異質な光景があるのが目に入る。この広間に居るむさ苦しい武士達の中に、一際美しい人が居る。綺麗な着物に身を包み、長く美しい黒髪を持つ女性だ。明らかに高貴な身分であり、武士達よりも上の立場にいる人なのだろう。
そして、その女性は綺咲人の顔立ちによく似ている気もする――。
その女性は顔を伏せがちにはしれいるが、その目はしっかりとレンヴァルトに向けられているのがわかる。まるで何かを見極めようとしているのか、視線を一瞬たりとも外さない。
居心地の悪さを感じながら、レンヴァルトはレクターに合わせて正座をして待つ。
少しすると、殿の到着という号令と共に大柄の男が広間に入ってきた。武士達は頭を下げ、レクターもまた頭を下げる。此処ではそういう仕来りなのだと知っているレンヴァルトも、渋々ではあるがレクターに習って頭を下げる。
「面を上げい」
低く籠もった声が聞こえ、レンヴァルトは頭を上げる。
上座に偉そうに座るこの男が、阿坂の領主である九条雅之だ。雅之はレンヴァルトを下から上まで見たあと、脇息に肘を掛けて次の言葉を発する。
「貴殿が『絶悪』の神子を連れて来た男か?」
「そうだ」
「無礼者!」
「殿に向かってその物言いは何じゃ!?」
レンヴァルトの口調に激昂する武士達。今にも詰め寄ってきそうな勢いだが、レンヴァルトはどこ吹く風という顔で聞き流す。
雅之は武士達を手で制し、冷静に殿としての風格を保ったまま話を続ける。
「相も変わらず異国の人間は礼儀というものを知らん。それはまぁよい。儂とて余計な話などしとうない。儂が聞きたいのは他にある。貴様、天ノ六人衆を討ち取ったというのは真か?」
「ああ」
「何と……!? 何人だ!?」
「二人だ」
「二人とな!? うぅむ……それならば当初よりも奴等の戦力は下がっておるか……」
雅之は驚き、興奮したように考え込む。
その反応にレンヴァルトは訝しむ。
あれではまるで戦争する前に敵が弱まったことを喜んでいるようだと。
それを確かめるために隣に座るレクターへと視線をやる。彼は何も言わず、反応せず、ただ澄ました表情で黙している。
面倒な予感がする――レンヴァルトは胃が重たくなるのを感じ取る。
雅之はバシッと膝を叩き、次の問いに移る。
「よぉし! 良くやったぞ、異国の男! これで我らの勝利に一歩近付いた! して、他の四人については!? 何か情報は無いのか!?」
「……青い火を扱う徒手空拳使いに、黒衣の鎧を纏った剣士だが」
レンヴァルトは一瞬考えるも、簡潔に答えた。ここで黙っていても何の意味も無い。不穏な気配はするが、それを確かめるためにも会話を続けることにした。
「神気か……。何故、我が国には神気使いがおらんのだ……」
「……アンタ達は戦を仕掛ける気か?」
レンヴァルトはついに問うた。広間の空気が一気にピリつき、武士達の視線がレンヴァルトへと集まる。
雅之はさも当たり前に答える。
「左様。奴等は天原に仇なす狼藉者だ。奴を討ち取り、我が九条家の力を世に知らしめる。そして奴に取って代わり、儂が将軍様の懐刀としてこの国を統治するのよ!」
拳を上に突き出し、雅之は豪語する。
彼の目は野望に眩んでいた。天原のためにと口にしているが、最後は己の欲に熱が入っていた。
レンヴァルトの予感は的中していた。この阿坂という国、平和とは程遠い状態だ。阿坂だけではない。この天原という国が火薬庫だ。それも導火線周りで火花が散っているような危うい状態だ。技術力が発展し、今まで到達できなかった未開の地への欲求が天原を見つけ出した。それが天原を特大の火薬庫へと変えてしまった。
火薬は天原、火花は異国――。異国の介入が原因で天原にも不相応な欲が生まれてしまった。その欲が平穏をかき乱し、闘争と不幸を齎してしまう。
この阿坂は正しくそれだ。阿坂はそう遠くない日に――。
「……綺咲人の母が阿坂に居ると聞いた。綺咲人は濃上に狙われている。理由はわかっているだろうから敢えて言わないが、綺咲人は母を頼って此処に辿り着いた」
「母ぁ? あぁ……それはそこに居る女よ」
雅之は広間の端に鎮座する、今もずっとレンヴァルトから目を離さない高貴な女性を顎で示す。
――なるほど……まぁ、そんな気はしていた。
レンヴァルトは驚きはしなかった。それどころか、どこかで予想していたのか納得している。
綺咲人は濃上の城の地下に幽閉されていた。神子として化生を退治する時にしか外に出してもらえないような子に、母親と言えどただの平民ならそう軽々しく接触できるはずがない。できるとすれば、雨宮家の中でも位の高い人物に限られる。
そしてそんな人物が阿坂に【嫁いだ】と綺咲人は言った。位の高い人物が嫁ぐとなれば、それは政治的要因が強い。つまりは政略結婚。
そこに居る女性は九条雅之の奥方なのだろう。おそらくは、いやきっと間違いなく、彼女は雨宮家の血縁者に違いない。
「そこな女は雨宮の娘だ。以前、雨宮が我らと戦を行わぬよう、盟約を交わした証として側室にしたのよ。名は菖蒲よ」
菖蒲と紹介された女性は恭しく頭を下げる。
「菖蒲と申します」
菖蒲は儚げでありながら、一本心の通った声で名乗る。
レンヴァルトも頭を下げ、綺咲人のことを伝える。
「綺咲人はあんたを一番頼りにしている。命辛々で逃げ出し、あんたの助けを求めて此処まで来た。勿論、助けになってくれるな?」
レンヴァルトは菖蒲と、領主である雅之に向かって確認を取る。菖蒲は立場故か頷くこともできないが、雅之は顎髭を摩ってから頷く。
「雨宮が何度も取り返そうとした神子なのだ。丁重に扱おう」
「……」
――嘘だ。
レンヴァルトは一目でそう確信した。
この雅之という男、己の欲に取り憑かれている。野望のためならどんな代償を払っても良いと考えている目をしている。菖蒲に視線を移すも、顔を伏せたまま口を開かない。
レンヴァルトは綺咲人にとってこの場所は安住の地ではないことを悟り、憤りから拳を強く握り締める。
その様子を隣で眺めていたレクターは軽く息を吐き、横から口を挟む。
「九条殿、神子殿はご自身の神気が急激に高まったことで不安定なものとなっております。くれぐれも、慎重に接してください。天原の外でも神子と同等の存在がおりますが、力の扱いを少しでも間違えれば、国一つが容易に滅びることもあります」
「ふん、言われんでもわかっておる。して、異国の。まだ名を聞いておらんかったな。何と申す?」
「……レンヴァルト・シン」
「れんばると? 変な名じゃ。まぁ、良い。れんばるとよ、その腕を儂の下で活かせ。貴様にはこの先の戦で大いに働いてもらわんとな。ガッハッハッハ!」
雅之は上機嫌に笑い出す。まるでレンヴァルトが配下の武士になることが決まっているかのようだ。
レンヴァルトは雅之の申し出に対して鼻で笑い、蔑むような目で睨み付ける。
「断る」
「な、何!?」
雅之は驚愕し、武士達は主の誘いを無碍にしたレンヴァルトに殺意を抱く。
レンヴァルトは彼らの殺気など意に介さず、強い意志を持って再度拒絶する。
「断る、と言ったんだ」
「何故だ? 金か? それならたんまりとやろう」
「そんなもので動かされるのなら、最初から綺咲人を雨宮家に売っている」
「……貴様がこの話を受けぬのなら、神子の件は無かったことになるぞ?」
「勝手にすればいい。俺の目的は綺咲人を母の下へ連れてくることだ。既にそれは達せられた。これ以上は俺に関係ない」
「ちっ……なら疾くと失せよ。役立たずは阿坂に要らぬ」
雅之は苛立ちを隠さずそう吐き捨て、ガバッと立ち上がり大きな足音を立てながら広間から出て行った。もう少しごねるのかと思っていたレンヴァルトは肩透かしを喰らい、軽く溜息を吐く。レクターは困ったように苦笑し、やれやれと頭を振る。
彼らの後ろで今も尚、武士達は殺気立った気配を隠さずに二人の背中を睨み付けている。今すぐにでもこの場から退散しなければ斬りかかられてしまうかもしれない。二人は立ち上がり、睨まれながら広間を出て行く。
ただ一人――菖蒲だけは何か思い詰めた様子でレンヴァルトを見つめていた。
二人は門から出るまで居心地の悪い視線に晒された。その視線からやっと解放されたレンヴァルトは大きく伸びをして身体を解す。
「やれやれ……あまり九条殿の機嫌を損ねないでほしいんだけれど?」
「無理だ。反りが合わなさすぎる。わかってただろ?」
「まぁね。それでも会わせておかないと――どう思う?」
レクターが声を潜めるようにしてレンヴァルトに尋ねる。その顔は美しくもあり、恐ろしくも見える真剣な表情だ。その顔を見てレンヴァルトはやはりな、と納得がいった。
レンヴァルトを雅之に会わせたのには何か企みがあったからだ。でなければ、そんな顔で「どう思う?」とは尋ねたりしない。綺咲人のことは建前で、他に目的があった。
レクターという男はこういう男だ。尤もらしい建前で人を動かし、真の狙いは決して明かさずに物事を掌握する。しかも質の悪いことに、レクターの建前は建前であっても心の底からの本心であり、更には本当に必要なことであるから狙いに気が付くことが難しい。
レンヴァルトは呆れた様子を見せながら、思ったことを口にする。
「アレが上じゃ、此処も短い」
「言ってくれるね。僕も同意見だ。でも、天原のどの国も同じようなものさ。今この国は不安定だ。この地が見付けられて数年、世界中の数多の国が此処に眠る様々な資源を狙っている。その中には神域もある。九条殿のように荒っぽくなるのも無理はない」
「だとしても、だ。荒事で全て解決できるにしても、あんな小物じゃ無理だ」
「これまたハッキリと……」
レンヴァルトの断言ぶりにレクターは肩を落とす。
しかし彼もまた同じ事を考えているようであり、面白可笑しく笑みを作る。
ふと、レンヴァルトが立ち止まる。頭を片手で抱え、溜息を吐く。
どうしたのかとレクターが尋ねると、心配そうな様子で呟く。
「綺咲人が心配だ。母が居るからと連れて来たものの、頭がアレじゃ碌な未来は無い」
「仮に九条殿がああでなくとも、僕にはあの子の未来が碌でもないものだと思ってるよ」
「何……?」
レンヴァルトはレクターに振り返る。レクターは笑みを浮かべているようだが、その顔は笑っていないように見える。冷たく、残酷で、現実を突き付けるような目でレンヴァルトを見つめる。
「あの子は使徒だ。概神が神域を介することなく直接力を授けた特別な存在。神に見初められし者達が、今まで非道な運命以外を歩んだことがあるかい? 少なくとも、僕は知らないな」
「……何が言いたい?」
「助けたのなら、最後まで責任を取るのが大人じゃないのかい? 最低でも、あの子が自分で運命を受け入れられるようになるまでは」
二人の間に不穏な空気が流れる。周囲の空気が凍り付いていくような、誰かが近くにいればその者の肌をピリつかせて刺激するような、喧嘩の前の静かさが場を支配する。レクターは薄ら笑いを浮かべ、レンヴァルとはそんな彼の真意を探ろうと鋭い視線を向ける。
そんな二人の間に割り込む者が、突如として現れた。その者はこの城の女中であり、二人に対して礼儀正しくお辞儀する。彼女に免じて二人は頭を切り替え、不穏な気配を消す。
「お話中、失礼します。れんばると様、どうぞ此方へいらしてください。菖蒲様がお呼びです」
「……?」
菖蒲、それは雅之の側室であり雨宮家の娘であり、綺咲人の母だ。この女中はおそらく彼女のお付き人なのだろう。
側室である彼女がレンヴァルトにいったい何の用なのか? 十中八九、綺咲人のことなのだろう。それ以外に考えられず、断る理由も無かったのでレンヴァルトは素直に付いていくことにした。レクターは仕事があるからとその場で別れ、レンヴァルトだけが女中に案内される。




