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神域:アポカリプス  作者: 八魔刀
第一章 絶悪の神子
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第10話

 阿坂の領主が住まう城、蒼雲城――。

 その城下町をレンヴァルトらが乗る馬車の一群が通っていた。天原では駕籠(かご)と呼ばれる二人の人間で運ぶ人力の乗り物があるが、馬を用いた乗り物はまだ存在しない。そもそも馬は貴重な動物であり、天原では戦で活用されるか位の高い人物が乗るのに限る。稀に馬を貸し出している所もあるが、それは本当に稀だ。

 それはそれとして、馬車がどうして天原の阿坂にあるかというと、レンヴァルトの隣に座る佳人が取り入れたからだ。外の世界ではもう既に普及している代物であり、天原でも再現可能だったから利便性のためにこの地で再現したのだ。

 馬車に揺すられながら、レンヴァルトは正面の座席に寝かされている綺咲人の様子を見守る。今はもう完全に落ち着き、静かに寝息を立てて眠っている。髪色は薄桜のままなのが気懸かりではあるが、体内の神域エネルギーを見る限り問題は無いだろう。何か異常があれば隣にいる佳人が何かしらの手を打つはずだろうと、レンヴァルトは知っていた。

 馬車の中は比較的静かだ。最初こそは佳人がレンヴァルトに話しかけていたが、レンヴァルトの反応が薄くてその内話すのを止めた。二人は徒ならぬ関係のようだが、レンヴァルトが一方的に苦手意識を持っているように見られる。

 やがて馬車は大きな城の前まで辿り着く。そこで再び佳人が口を開く。


「さ、到着したよ。此処が阿坂の領主・九条雅之殿が住まう城だ」

「……お前はいつから阿坂の人間になったんだ?」


 ぶっきら棒に、レンヴァルトは佳人へと訊ねる。

 佳人はクスリと笑い、「違うよ」と答える。


「僕は阿坂を拠点に天原の神域を調査しに来たんだよ。出島じゃ、何かと不便でね。九条殿に僕達『天星』の力を担保に拠点を提供して貰っているのさ」

「神域、ね……。本当にそれだけか?」

「それだけだよ。まぁ尤も、天原に入った時点で君の気配は感じていたけれど。見付けられたのは本当に偶然さ」

「……俺を連れ戻しに来たわけじゃないのか?」


 レンヴァルトがそう訊くと、佳人は目を丸くする。何かを考える素振りを見せ、何かに納得いったのか、うんうんと頷く。


「そうか、気にしてのはそれか。 驚いたなぁ……まさか【200年】以上もずっと引き摺ってたのかい? だとしたら僕は気にしてないよ。いつでも帰ってきていいんだよ」


 佳人の言葉に、レンヴァルトは呆気に取られる。今度はレンヴァルトが目を丸くし、佳人が本当は何を思っているのかと探ろうとする。佳人の様子はどこまでいっても真摯で、口から出る言葉に嘘は見当たらない。

 しかし、レンヴァルトは知っている。それが彼の武器であり、誰にも本心を明かさず巧みに人を騙すのが常套句なのだと。騙すという言い方は不適切かもしれない。嘘は吐かず、真実を隠して思惑通りに事を運ばせるのだ。

 だがそれと同時に彼がどこまでも善人であることを、レンヴァルトは知っている。それもまた真実だと確信を持って言えるのだ。


「だいたい、僕が君に対して何を怒ると言うんだい?」

「……お前との約束を破った」

「なんだ、素直に認めるんだね。でも僕達にとって【200年】ぐらいは最早2年くらいじゃないかな? それくらい、ちょっとした休暇にしか思ってないよ」

「……」


 佳人は慈悲に満ちた笑みを浮かべてレンヴァルトを見つめる。その顔を見ていると、レンヴァルトは今までの自分がただの馬鹿みたいに思えてきてしまい、目頭を指で押さえて頭上を仰ぐ。

 そんな滑稽な様子のレンヴァルトを見て佳人は上品に笑う。


「ふふふ、やはり君との会話は嬉しいな。ところで、僕はまだ君からの挨拶を聞いていないんだけれど? 久しぶりの【親友】との再会なんだ。せめて君の口から名前くらい聞きたいな」


 まるで女性を口説くかのような声色と口調でレンヴァルトにそう迫り、レンヴァルトは少々気色悪そうな表情を浮かべて佳人から身体を離す。

 だが、何処となくレンヴァルトの雰囲気は和らいだように感じ、嬉しそうな気配も漂わしている。照れくさいのか、レンヴァルトは外の景色へと視線をやりながら口を開く。


「……久しぶり、レクター」


 レクター――そう呼ばれた佳人はこれまた嬉しそうに笑う。その笑みを見た万人は口を揃えてこう言うだろう。


――魅惑の天使のようだ


「さて、九条殿との顔合わせの前にやらなければいけないことがある」

「あぁ、綺咲人の処置だろ?」

「いやいや。それもあるけれど――」

「……?」

「君をそんな格好で九条殿の前に出すわけにはいかないよ。髪はベタついててボサボサだし、着物も血だらけ。臭いも酷い。それにその髭……大昔の君も生やしてたけど、僕はやっぱり無い方が好きだ」

「……」

「ってことで、先ずは君を徹底に洗浄させてもらうよ」


 シルヴェスはこれまでとは打って変わって、あくどい笑みを浮かべるのであった。




「おい待て! 自分で洗える! 腰布から手を離せ!」

「何でお前らも布一枚なんだ!? ち、違う! 脱ぐな!」

「俺が手を出せないと思って勝手するな! 止せ! 前は止めろ!」

「くそっ! レクタァァァァア! やっぱり怒ってんだろォ!」




 シルヴェスが率いる『天星』と呼ばれる組織――。

 彼らが間借りしているのは城壁内にある屋敷、それと彼らが建設した幾つもの天幕である。

 天星の比率は多くが女性であり男性は少ない。武装をしているのは女性が殆どで、一部の男性以外は剣の代わりに書き物を携えている。

 その様子が物珍しいのか、それとも別の目的があるのか、九条家に仕える武士達が屋敷や天幕を覗き見ている。おそらく後者の理由が殆どだろう。何故ならば天星の女性達は皆、見目麗しい乙女だからだ。天原人には見られない体格と顔の造形は、それだけで目を惹くものだ。加えて彼女達全員が美人であり、男共が鼻の下を伸ばして寄ってくるのも無理はないだろう。

 そんな彼女達に恥辱を味わわされた、否――全身を隈なく屋敷の風呂で洗われたレンヴァルトが不貞腐れた様子で脱衣所から出て来た。洗髪され綺麗になった黒髪はベタつきが無くなり、髭も剃刀できちんと剃られてより凜々しい顔になっている。その顔に見惚れた天星の女性達は頬を赤らめて彼をチラチラと見ている。特に、レンヴァルトの身体を洗った者達は――。

 レンヴァルトはボロボロの着物姿から異国の服に着替えていた。黒のYシャツに黒の長ズボンという格好で、異国人であるレンヴァルトにピッタリと似合っている。

 彼女達に案内され、屋敷の部屋で待っているレクターの前に出る。綺麗な格好になったレンヴァルトを見て満足げに頷き、座卓の上に置かれているケースを指す。レンヴァルトは訝しげにしながらもケースに近付き開いて中を覗く。


「これは……」


 中身を見たレンヴァルトは驚嘆の声を漏らす。


「昔のはちょっと古すぎるからね。デザインを今風に仕立てたのを用意したよ」

「……」

「大丈夫。今すぐに戻れとは言わないよ」


 レンヴァルトから漂う重苦しい雰囲気を察したレクターは、朗らかに笑ってそう言う。ケースの蓋を閉め、改めて屋敷の中を見渡す。

 阿坂の領主の屋敷なだけに立派な物であり、家財も高価な物ばかり。縁側に出て庭先にある天幕に目をやると、天原には絶対に無い【機材】が沢山見えた。その機材をレンヴァルトは知っており、不思議な懐かしさを感じるまである。

 異国の技術力は高い。今の天原の数百年先は先を行っている。もしレクターが天原に異国の技術を提供すれば、天原の文明はその数百年分を一気に進ませるだろう。


「……まさか天原を『耕す』気か?」

「面白い言い方だね。だけど言っただろう? この地の神域を調べに来ただけだと」

「口実は何でも良いさ。耕したい奴等は世界に五万といる」

「……さて、早速九条殿にお会いしよう」

「待て、綺咲人は何処だ?」


 レンヴァルトは綺咲人の安否を確認したかった。屋敷にはレンヴァルトとレクターしか立ち入らず、綺咲人は別の場所へと運ばれていった。治療のための場所へと運ばれたのだろうが、凡その見当は付く。

 それは当たっていたようで、レクターは庭から見える城を指す。


「蒼雲城だよ。そう言えばまだ聞いてなかったね。君とあの子はどうして一緒に居たんだい?」

「……川であの子を拾った。そっから成り行きで。あの子に此処へ連れて行ってくれと頼まれていた」

「ふ~ん……。やっぱり君は優しい人だよ。何処へ行っても人助けをする」

「……それはどうでもいい。俺を領主に会わせてどうする気だ?」


 レンヴァルトの目的は達せられた。綺咲人を阿坂へ送り届ける。阿坂には綺咲人の母が居るらしい。その母を頼りに濃上から遙々逃げて着たのだ。国境を越えれば、雨宮家は手出しできないと聞いたからだ。

 正直、天ノ六人衆の言動から考えて、国境を越えただけで手を出さなくなるとは思えないところではあるが、何にせよレンヴァルトの目的は達成したのだ。彼自身は最後に綺咲人を一目見るぐらいして天原を出ようかと考えているのだが、レクターは彼を九条雅之に会わせようとしている。その目的を知っておきたいのだ。

 レクターは何でもなさげに笑みを浮かべ、雑談をするようにその理由を話す。


「どうもしないさ。ただあの子を此処へ連れてきたのだから、顔合わせぐらいはしていくのが筋ってものじゃないのかい? 『絶悪』の使徒、なんだろう? あの子は。そんな大物を抱え込むのだから、九条殿も君に会っておきたいだろう」

「使徒……この国じゃ神子と呼ぶらしいな」

「ふむ……。雨宮家が概神を利用して天原を手中に収めようとしているとは聞いているが、神子を狙っているとなると真実味が増すね」


 レクターの口から溢れた言葉に、レンヴァルトは強く反応する。何とも言い得ぬ悪寒が首筋を撫で、いくつもの悪い考えが頭を過ってしまう。


「奴ら、戦のためだとか天原を守るだとか口走っていたが……。だが、いくら神域エネルギーを使えるからといって、概神を利用するなど人間には不可能だ」

「使徒ですら、それは難しい。それは知っているけれど、人間というのは時に不可能を可能に変えてしまう。それも僕達はよく知っている」

「……」


 ――本当に此処で終わりにして良いのだろうか?


 レンヴァルトの心の中に迷いが生まれる。

 おそらくだが、今の天原は大きな分岐点に立っている。『絶悪』の使徒、概神、異国、戦――。これらの要素が混ざり合って混沌とした状況を生み出した時、それを乗り越えるべきなのは天原に生きる者達であるべきだという考えがレンヴァルトにはある。

 しかし同時に、己の力が助けになるのならば助けたいという思いも少なからずある。そういった思いが心に生まれるほどに長く居続けてしまった。

 だが、レンヴァルトはもう長くは天原に居続けることはできないと考えている。

 今はまだ大丈夫だが、それも時間の問題であると感じている。

 不安げに空を眺めるレンヴァルトに、レクターは肩を軽く叩いて同情するような顔を見せる。


「今は考えても仕方が無いよ。さ、そろそろ行こう。詳しい話もそこで聞けるかもね」


 レクターは壁に立て掛けていた銀の杖を手に取り部屋を出る。それに続いてレンヴァルトも出て、彼の後ろを歩く。屋敷を出て城の中へと入る。

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