重なっちゃって
どうしよう。
まだ、いる。
いるし、その、場所がよくない。
だってそこ、本棚置いちゃってるし。
重なっちゃってるよ。
どうしよう。
発端、と言うか、発見したのは、5年前。
実家暮らしをしながら、毎日なんとなく仕事を続け、なんとなく生活していた。
ある夏の、蒸し暑い夜。
家族でお酒を飲み、リビングで酔いに任せて寝そべって、なんとなく気分が赴くままに、右に左にごろごろ転がっていた。
そんな最中、視界に白い塊が写った。
あんなところに、照明なんか置いたっけか。そう思い、何かが見えた方へ、ごろりと体ごと向けた。
いる。
誰か、いる。
そう思った。いや、普通に考えたら、色々焦るべきなんだと思う。
誰も招いていないのに、見知らぬ人間が家の中に居るということは、不法侵入してきた悪人か、幽霊の二つしか、私は知らない。
だが、その時の私は酔っていた。それも、人前に出せるギリギリといったレベルで。
そんな私は何を思ったか、体を起こし、それと正面に向き合うように胡座をかき、腕を組んだ。そしてその白く発光する誰かを、アルコールで揺れる視界を凝らして観察した。
年齢は五十代といったところ。白い半袖シャツに、多分黒っぽいパンツを履いている。ぽっこり出たビール腹に、膨らんだ頬。シャツの袖から生えている腕も、なんだかもちもちしてる。頭も薄くなってきているようで、いかにも”お酒好き中年おじさん”の典型だ。多分、漫画とかアニメで、探そうと思えば通行人の中に一人は見つけられる感じの。
そんな、所謂”おじさん”が、何故我が家の隅っこで、うすーく白い光を放っているのか。意味がわからなかった。
しかも、相手からのアクションは全くなし。うら若き乙女があられもない形相で目の前で転がり続けていたと言うのに、手を出すどころか、声のひとつもかけてこない。せめて「大丈夫ですか」ぐらい言えばいいのに。失礼なやつだ。
だが、そうなると、一層困ってしまう。いっそ何か一悶着起こしてくれれば、おじさんを排除する口実ができるというのに。
そんなことを考えていると、酔いが回ってきたのか、眠たくなってきた。
迂闊にも、私は胡座をかいたまま、私は睡魔に負けて意識を失ってしまった。
目が覚めると、白い天井が見える。
どうやら、あのままリビングで寝そべって、朝を迎えたらしい。
体には薄いタオルケットがかけられていた。これでくらいしておけば風邪もひかないだろうと、家族に捨て置かれたようだ。
二日酔いの気持ち悪さを喉の奥に感じながら、体を起こす。
目の前に、おじさんが、いた。
思わず声が出た。
「うぉっ」と。
全ては酔っ払いの幻覚の筈だったのに、そのおじさんは昨晩と寸分違わぬ有様でそこに居た。
強いて言うなら、朝日のせいで、自らも光を発するおじさんが白飛びしてしまっている。
夜に比べ、ただなんとなく、見づらくなった。それだけだった。
その日以来、おじさんは身じろぎどころか視線すら動かさず、ただじっと、来る日も来る日も光っていた。
何日立とうが、おじさんの話題が一切出てこないので、どうやら家族には見えていないようだ。
何度か、母が掃除機でおじさんの居る部屋の隅をつつくのを見たが、お互い何の反応もないので、おじさんは私にしか見えていないし、どうやら幽霊らしい、と確認できた。
だからと言って、何もない。
一度、家族がみんな外出している時に、おじさんに声をかけたことがある。
もちろん、反応は全くなかったし、側から見れば、私は何もない部屋の角に話しかけているのかと思った途端、寒気がした。自分に。
そして、おじさんが見えるようになってから半月が経った頃、私は実家を出ると決めた。
何故なら、居心地が悪いから。
たとえ人畜無害で、存在しないに等しいとはいえ、見えてしまっていると、意識しないわけにはいかない。
ただおじさんが見えるというだけで、風呂上がりに部屋の中を裸で動き回ることもできないし、小腹がすいた夜中にこっそり冷蔵庫の中を漁ることもできなくなった。
私は、おじさんから逃れるために、一人暮らしを始めた。
まぁ、おじさんはそこに居るだけなんだけど。
家族に転勤だと嘘を吐いて部屋探しを始めた途端、折よく辞令が降りたお陰で、難なく遠方に独り住むことができた。
それ以来、年に一・二回の頻度で実家に帰るのが、おじさんは何も変わらず、いつもそこに居た。
どの季節に帰ろうと半袖だし、いつだって光ってる。光量も増えも減りもせず、いつだって一定だ。多分。
控えめなのか、ある種主張が激しいのか、よくわからない。
そして、おじさんが見えるようになって5年目の正月、私は2年前に結婚した夫と、生まれたばかりの娘を抱いて実家に帰った。
玄関先で年明けの挨拶をし、みんなでわいわいリビングに入った。
そして私は、いつものごとく、こっそり部屋の隅を見た。
おじさんは、相変わらず、いた。
しかし、今までにない大きな違いがある。
おじさんがいる部屋の隅に、天井に届くほどの背の高い、大きな本棚が置かれていた。
「あれ、どうしたの?」
私は、周りから見れば大袈裟なほどに驚きながら、本棚を指さした。
「あぁ、あれね。お父さんが読書にハマっちゃって、置く場所がなくなっちゃって仕方なくよ」と母はうんざりしたような顔でそう言った。
去年は影も形もなかった本棚には、既に本がびっしりと納められており、おじさんの存在はあのぽっこりお腹と、薄い光でしか確認できなくなってしまった。
というか、おじさん、いいのか。
何か主張があってそこに居続けているんじゃないのか。これでは、唯一見える私にすら、それがおじさんかどうかすら、よくわからなくなってしまう。それに、今後ふとおじさんが勇気を振り絞って顔を動かしたとても、びっしり詰められた本に顔が隠されているので全く見えない。
光り続けている場合ではなく、いざ本棚を置くといった瞬間に何かモノを壊してみたり、家のよくわからないところから音を鳴らしてみたりして、抵抗した方が良かったんじゃないのか。
「読みたい本でもあったか」と呆然と本棚の前に立つ私の横に立つ。
「これなんか面白いぞ」と適当に父が目の前の本を一冊抜き取る。抜き取られた本の隙間から、おじさんの左目辺りが見えた。
父も、孫ができたので一応”おじいさん”なのだが、まだ五十代半ばだ。
見えていないとはいえ、毎日こんな風に父と幽霊が顔を突き合わせていると思うと、ゾッとする。
私がモゴモゴ言葉にならない音を発していると、「なんだ、違うか」と父は本を戻してしまった。おじさんの左目も隠れてしまった。
「早くこっちに来なさい」と母がお節をずらりと並べた食卓へ急き立てる声が聞こえる。私は娘を抱え直し、おじさん、と言うか本棚に背を向けようとた。
振り返りざまにふと、娘の顔を見る。
私の体で本棚が隠れるまで、ずっと、本棚の方を、見ている。
もしかして、おじさんのこと、見えてる?
いや、まだ分からない。ただ、色とりどりの本の表紙が気になっただけかも、しれない。
でも、もし、見えていたら?
私は、困った。
万が一、見えていたら、どう説明しようか。
あの、飛び出た丸いお腹と、薄ーい白い光を。
本棚と重なって、体のほとんどが見えなくなってしまったせいで、あのおじさんは幽霊なんだよ、とすら言えなくなってしまった。
そもそも、幽霊って、子供にどう説明すればいいんだろう?
おじさんが見えていない夫にも相談できないし。
どうしよう。
ただでさえ、ややこしいのに。
重なっちゃってるせいで、余計にややこしくなっちゃったよ。