妖怪は人間と。
頭が痛い。いつもより多く呑んでた気がする。
身体を起こして周りを確認すると、自分の家のようだ。近くには咲那が寝息をたてていた。
とりあえず水を飲んでいると、ふいに咲那が寝言を言った。
「母さん・・・」
そりゃそうだよな、いくら掟があるからってこいつと、母親を引き剥がすなんて俺にはできない。もう、俺はどうなってもいい。こいつを地上に帰してやろう。俺は反逆者になるしかない。例え一生牢獄に入ることになっても、こいつを、こいつだけは守らなきゃならない。
だって俺は─────
「父ちゃんだからな・・・」
咲那の頭をそっと撫でて、自分にそう言った。
15年前。
「おい!ロウ!!!!」
「なんだよ助さん!ちょっと借りてくだけだろー?!」
「お前のちょっとは壊して返ってくるだろ!」
「今日は壊さねーよ!本だぞ?」
「破くなよ!!このクソガキィィィ!!!」
尻尾を振りながら走って逃げる生き生きとした青年がいた。人狼のロウ。それを追いかけているのはゴロゴロ骨を鳴らしている助。
「あれ、ロウ、今日は何を助から持ってきたんだ?」
「おう!ジン兄ィ!今日は本だ!地上のことが書いてあるんだってよ!!」
ジン兄と呼ばれたもう一人の人狼は優しい顔をしてロウと楽しそうに話をしている。
同じ人狼の種族の2人だが、血の繋がりは無い。ロウには親がいなく、ジンの親が引き取ってきたのだが、ジンの親も間も無く死んでしまった。2人はこの地下世界の門番をする役目を担っていて元々ジンの一族は代々門番を勤めていた。
「おいジン、そいつが本を破かないようにちゃんと見ててくれよ?」
「助、落ち着けよ、こいつ最近は少し大人になってきたんだからそんなことしないよ」
「ほんとかよ、前なんてよぉ、壺に興味あるからって壺借りてって返ってきたときには破片になって返ってきたんだぞ?」
「もう25歳だぞ、そんなことしないって」
「まだ25歳の間違いだろ、ジンなんて100歳いってるだろ」
「まだ98歳だね。まぁ妖怪と人間のハーフだし、人間より少しだけ長生きできる程度だ、僕の寿命だってそう長くはないだろう。人間は20越えていれば大人さ。完全な妖怪は1000歳超えないと大人じゃないんだっけ?」
「大体な。お前の精神年齢は1000歳超えだと思ってるからお前は別にいいんだが、あいつはただのガキだ」
「はぁぁぁ???助さん俺は立派な妖怪だぞ?精神年齢だって高いに決まってるだろ?」
「その発言がもう低い気がする」
「な、なんだとぉぉぉぉぉ?!?!」
「まぁまぁ、ロウ落ち着きなって。本読むんだろ?静かに読んでおいで。」
「おっとそうだった、じゃあなぁぁぁ!!!」
無邪気な子供っぽい笑顔を浮かべて家の中へ入っていった。
「はぁ、まぁ頼んだぞ」
「あはは、ちゃんと注意しておくよ」
ジンが夕飯の支度をしていると突然ロウが言った。
「なぁジン兄、地上の世界ってどんなんだろうな。昆虫とかここに無い植物とか」
ジンが手を止めてロウに向き直った。
「・・・そうだな、父さんが言うには妖怪には住みにくい場所だよ。人間が僕たちを危険な生き物だからって殺したりするらしいよ。助さんの本って何が書いてあったんだい?」
「湖に住んでる魚や昆虫や動物とかだよ」
「ロウ、まさかとは思わないけど地上に出るとか思ってないよね?」
ロウは動揺を隠せなく、少し間が空いた。
「・・・な、なに言ってるんだよ、地底で生きる者は地上に出たらダメな決まりだろ?」
「まぁいいや、ご飯炊けたと思うからお茶碗出して?」
これ以上地上の世界の話をしてはいけないと察したロウは黙って夕飯の手伝いをした。
寝静まった家から1人の青年が、こっそりと出た。小さな耳がピクピクと動き、周囲に生き物がいないことを確認し、門がある道へ走っていく。
「ごめん、ジン兄。すぐに戻ってくるから、少しだけ外の世界を見てくるだけだからさ」
そう独り言をぶつぶつと言っていると後ろに何かがいる気配がした。そしてその何かがゆっくりと口を開いた。
「ロウ?どこにいくつもりなのかな?」
背筋が凍りつく。振り向かなくても彼がどんな顔をしているのかがわかる。笑っている。目は笑っていないけれど笑っている。そんな気がした。
「・・・ッ」
声が出ない。なんと言えばいいのかを必死に考えても恐怖に打ち勝てない。
「地上世界と地下世界は行き来してはいけない。共に生きると争いが絶えないから。わかってる?」
「・・・わ、わかってるけど」
声が出たがその声は震えているのが自分でもわかる。
「じゃあなんで行こうとしてるの?僕の父さんが昔人間に傷つけられたの知ってるよね?」
「・・・わかってる」
それでも地上世界に行きたい。空の大きさを知りたい、木の匂いを知りたい、雨の匂いを知りたい、動物を知りたい。残酷な世界なのはわかっている。それでも俺は行ってみたい。自分の目で確かめたい。残酷な世界の中で光輝く宝石のような幻想的なモノを見たい。
「見たいんだ、知りたいんだ、残酷なのもわかってるけど綺麗なモノを見たいんだ。見つけたいんだ。大きさも匂いも生き物も。」
「ロウが捨てられたのは地上世界だよ?子供を捨てるような腐ったやつらがいる場所なんだよ?
「それもわかってる。でも行きたいって思っちまったんだ」
背中からはぁと溜め息が聞こえた。
「ロウ、これを持っていけ。お守りだ。何か力が必要になったら使え。気が済むまで行っておいで」
ロウはジンから石を受け取り、礼をした。
そして、門へと向かった。
1人取り残されたジンは元気な背中を見守ってぽつりとロウには聞こえない声で呟いた。
「ロウ、お前の罪は僕がちゃんと背負っておくからね。僕がいなくても今のロウなら大丈夫だから」
「これが、太陽か」
地上に出てきた初めの感想は太陽が熱いということ。日の光がこんなにも眩しいとは思っていなかった。
「そんでこれが木か!」
地下世界にあるのはせいぜい木の根っこくらいなので緑色の葉がくっついているのを見たことがなかった。
「す、すげぇ!!」
少し歩いた先には大きな水溜まりができている。
「えっとこれが湖?って言うんだっけ」
キラキラと目を輝かせて地上を走り回り、見たことないものを次々と発見していく。
そしてかなり走り回っていたその時だった。
急に身体が宙に舞い上がったかと思うと身体が逆さまで足に縄がかかっていた。動物用の罠にかかってしまったのだ。
「や、やばい!くっそ、逆さまになってるから縄に手が届かない」
踠き苦しみ、もうダメなのかと諦めてしまいそうになる。せっかく地上に出たのに2時間もしないうちに捕まってしまって焦る。
「もう、だめだ、力がでない」
頭に血が上りふらふらとしとくる。
ロウはそのまま気絶してしまっていた。
目を覚まして最初に映ったのは女性の顔だった。
「?!」
慌てて身体を起こし、フードを深く被った。
まずい、見られた。
腰に巻いたベルトについているナイフへと相手に気づかれないように手を添えた。
「大丈夫だから、落ち着いて。私は人間だけど、みんなみたいに殺しはしないから」
優しい声で怯えることなく女性は人狼へと手を差し伸べた。
「元気なら安心したわ。さぁ、着いてきて、もうじきこの近くに人間がくるから」
ロウにはこの人間が嘘をついているようには見えなかった。貧しいのか服はボロボロだが綺麗な黒髪。仏のような優しい声。
「お前、俺が怖くないのか」
「怖くないといったら嘘になるけど、貴方は優しい妖怪な気がしたの。ほら、早く着いてきて」
遠くでカサカサと生き物がやってくる音がする。ぐずぐずしている場合じゃない。しょうがない、ここは着いていってみるか。
「案内しろ」
そうぶっきらぼうに言うと女性はロウの手を握って森の奥深くへと駆け出した。
「ここまで来れば大丈夫かな」
ようやく手を離されたロウは即座に距離をとった。
「・・・なぜ妖怪を見ても怖がらない?」
「まぁ私、妖怪慣れしてるからね」
「どういうことだ?地上にも妖怪がいるのか?」
「え?貴方、地底から来たの?!」
まずい、自分から言ってどうする。あー、これは逃げなきゃいけないやつか。
ロウが逃げようとしたときだった、湖からポチャッと音がして、何かが出てきた。
「お、お前・・・人狼族だな」
緑色の髪、紅い目、深緑の服を身に纏い、背中には甲羅がついている。水から出てきたのに一切濡れていない。人のようにも見える妖怪。
「・・・お前は?」
「おいどん?おいどんは河童の瑞吉だ。おい人狼族、お前なんでこっちの世界にいるんだ?」
「河童?本にはバケモンで描写されていたのだが」
「それは昔の話だ。進化して人間に近い姿になってんだ。いいから答えろ」
「瑞吉さん、この妖怪知ってるの?」
「知ってるも何も、こいつは人狼族だ。人狼族は地下世界と地上世界を繋ぐ門の番人だ」
「俺は、地上世界がどんな世界なのか気になって地下世界から出てきたんだ。まさか地上にまだ妖怪がいたなんて・・・」
ん?待てよ?何も不思議なことじゃないよな。だって俺が捨てられたのって地上世界な訳で・・・。地上世界で捨てられたってことは父親か母親が妖怪だってことだよな・・・。地上と地底を直下で水が流れている場所に捨てられてた訳だしな。もしかしたらまだ俺の親は生きているのかもしれないな・・・。別に会っても会わなくてもどっちでもいいが。
「まぁおいどんら地上の妖怪は地下では暮らせないような奴らだからな。あそこは永遠の夜みたいなもんだから河童の好物であるきゅうりが育てられない。でも人間は妖怪が大嫌いだからこうして進化して少しでも人間の姿に近づいてるんだ」
「そ、そうなのか・・・」
「というか人狼族なんだからそのくらい知ってて当然だと思うんだけどなぁ」
俺は人狼族でも、捨てられた人狼族であって全部を聞かされた訳じゃないからそこら辺の事情はあまり知らなかった。昔妖怪と人間が争って負けた妖怪が地底で暮らす決まりを設けられて平和の為に見張りとして人間と妖怪のハーフ、人狼族が門番となるとしか話を聞いていない。
「お前さん本当に人狼族か?」
「じ、人狼族だよ、ほらちゃんと代々受け継がれてるナイフだって持ってるさ」
「ただのナイフじゃないんだ?」
黙って話を聞いていた女性が俺のナイフを見つめている。
「・・・ああ、ただのナイフに見えて殺傷力は鬼の皮膚さえ貫通する力があるな。これは俺が産まれるよりもずっと前に正体不明の妖怪が妖力と人間の憎みの魂を打って作ったらしい。これを使えるのは人狼族の血を持つものだけだ。ただの妖怪や人間が使うと魚さえまともに捌けないぜ」
「へー、なんか凄いね」
「てか人間、なんでお前妖怪のこと嫌わないんだ?」
「え?だって同じ生き物でしょ、助けて当たり前じゃないの?」
「おいどんも昔腹ペコなところを助けてもらったぞ」
人間のくせに、妖怪を助ける?
聞いてたことと違う。人間はもっと怖い生き物だって聞いてた。こいつは俺を騙そうとしているのか、本当に心が優しいのか・・・。
「おっと、そろそろ地底に魚を送り込む時間だっぺ」
「え?地底に魚を運んでたのって河童だったのか?」
「ん?そうだぞ、おいどんら河童が地底に繋がる小さな穴から魚を入れて送り込んでたんだぞ」
「瑞吉さんが穴に魚を入れてたのってそういう意味だったのね」
「初耳・・・」
いつも水が流れてくる壁から時々魚が大量に入ってくるのが河童のお陰だったなんて知らなかった。地上ってやっぱ思ってた通り面白いところだ。
───それから俺は地上の妖怪達と暮らしを共に過ごした。女性の名は「月華」ということがわかった。そして俺はいつしか月華に心引かれるようになった。月華は美人の方だと思う。別に面食いな訳ではないが顔が綺麗だなとかそう思うようになってきていた。
「んぎゃぁぁぁぁぁぁ」
産声が上がった。自分の子だからなのか、この世で一番可愛いと思えた。
この日は俺が地上に出てきて2年目だった。
「女の子だね」
「で、名前は何にするんだ?」
「うん。そうね、前からずっと考えてたんだけど、咲那にする」
「咲那?いい名前だな。」
「ほんと?ありがとう」
それから俺たち3人は幸せに暮らしていくはずだったんだ。
「咲那、ほら、お前の好きなフキノトウだぞ~」
そう言ってドアを開けると、咲那がパタパタと駆けてきて出迎えてくれた。
「おとう、おかえり。」
「咲那、母さんはどうした?」
「おかあ、水汲み行った」
「そうか、じゃあフキノトウのおひたしでも作って待ってようか」
呑気に俺は台所へ行って咲那を料理を披露していた。
「ほら、こうやって作るんだぞ~」
「おとう、すごーい」
そんなときだった、外から息を切らした月華が帰ってきた。顔は真っ青で、何やら慌てた様子だ。
「あれ、月華、おかえりって・・・どうしたんだ?!」
「おかあ?」
「・・・ロウ、逃げて。」
「え?」
「人間たちが、村の人達が貴方を捜してるの!」
「な、なんで今になって?!」
「村の1人が貴方がフキノトウが生えたところを荒らしてるって言ってて、フキノトウ取りに行って帰ってきた足跡を辿ってこっちに辿り着いちゃう!早く逃げて!!」
「で、でも咲那とお前は?!」
「私も咲那も大丈夫だから、とりあえず地上はもう危険よ、一旦地底に帰ったほうがいいと思うの!」
地底に帰れば安全。地上が落ち着けばまたこっちに来て2人に会えばいいだろう。
「・・・わかった、一旦俺は帰る。咲那、また帰ってくるから、父さん行ってくるな」
「おとう、行ってらっしゃい!!早く帰ってきてね!」
「おう、わかったよ。咲那、いつ戻れるかわかんねぇけど、また会おう。そのときはもっと幸せで平和に暮らそう」
「ええ、そうね。そろそろ村の人達が来るわ、早く行って!!!!!」
俺は地上と地底を繋ぐ場所まで全力で駆け出した。
ああ、咲那、ごめんよ、フキノトウそのまんまにしちまったな。今度会ったらフキノトウ食べさせてやるからな。月華、出会ったときから助けてくれてありがとうな、絶対戻ってくるからな。
そうして俺は地上から帰ってきた、のだが。
「・・・は?」
家に帰ると、置き手紙が置かれていた。
ロウへ
お前が帰ってくるときには、僕はもういないだろう。地上へ行きたいというロウの想いは本気だったみたいだし。楽しんできた?
ごめんよ、ロウ。僕はね、掟を破ったロウを助けたかっただけなんだ。地底の掟「地上に出てはならない。地上に出ていった者は直ちに罰を与えよ。」ロウはね、掟を破っちゃったんだ。それはロウだってわかってるだろうけど。でも、罰を与えることは知らなかっただろう?嫌だったんだ。いつかロウが地上に出ていきたいと思ったときに、罰のせいで行けなくなるの。四天王が地上に連絡して捕らえるようになってるから、ロウが行っちゃうとすぐに捕らえられちゃう。だから、僕が罪を背負うことにしたんだ。ほんと、ごめんな、帰ってきたのに。僕もういないんだ。ロウの地上の話聞きたかったなぁ。
ジン兄さんはいなくなっていた。俺がいなくなったあの日、ジン兄さんは四天王のところに行ったんだ。
その後、ジン兄さんの代わりに俺が門番になった。