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第九話 深古の都 2

「じゃあ、エンリ以外は初めまして、だね。私はセランゼール。有翼種でリアンカタスに住んでるの。セラって呼んで」


 リアンカタスに到着した一行は、ちょうど昼時ということでセランゼールの家で食事をとりながら、自己紹介を兼ねた食事会を開いていた。


「セラは一人で住んでおるのか?」


 テーブルにはこの付近で栽培しているサボネ山麦を材料に作った山麦パンと、薬草と山羊のミルクをふんだんに使ったスープが湯気を立てている。


リアンカタス(ここ)の住人は、若いうちから自立させるために、結構早く一人暮らしをするの。私もエンリがここを発ったあたりからここで生活してるわ」


「へぇ、ってことはもう四十年以上一人で?」


 エンリはパンをちぎって、山岳桃のジャムを乗せてはちびちび食べている。


「その間に結婚して、子供ができて、夫に先立たれて、子供たちも独立して、……また一人になったわ。でも、貴方にまた会えるとは思ってなかった。まるで昔に戻ったみたい」


 セランゼールの声は確かにエンリとの再会を喜んでいるようで、響きに嘘は感じられない。


「一言に、ぱっと五十年。……なんていうのは簡単だけど、いろんなことがありすぎた」


 ふと、セランゼールは昔を思い出したのか、エンリを見て、さらにその先にある何かを見つめる。まるでエンリの背後に自分の見たい何かがあるかのように。


「私は色々忙しかったわ。今回の旅行のためにあれこれ計画も立ててたし」


 エンリはそう言うと、急に席を立つ。


「そう! フィファルナに挨拶に行かないと!」


「フィファルナ? 以前言っていた友人か?」


 ログレスはスープの残りを飲み干しながら、聞き覚えのある名前を確認する。


「あ、そうか。確かにあれから五十年、経ったからね。 ……ってことは、その子?」


 セランゼールはチャイクロを指さす。


「詳しく言うと、ちょっと違うんだけど…… 結論から言うと、もう、ダメだった」


 エンリは座りなおし、チャイクロの方を向く。


「チャイクロ?」


「なーに?」


 チャイクロは、ようやく熱さが失われつつあるスープを少しずつ飲み始めていた。彼には冷め始めがちょうどよいのだ。


「実はね、この里はあなたの遠い故郷でもあるの」


「こきょう? ぼくは湿り森で生まれたんじゃあないの?」


「でも、ここは基本的に有翼種の方々の里では? 有鱗種であるチャイクロ殿の故郷と言うならふもとのケルメードの方が自然ですけど……」


 クリエラはもうパンを食べるのを諦めたのか、先にスープの方が綺麗に無くなっている。


「五十年前、私はとある理由で世界を周っていたとき、ここに何日かお世話になったのよ。その時、フィファルナと知り合いになったわけ」


 エンリは当時を振り返る。


「先に麓のケルメードで宿をとった私たちは、そこの領主に晩餐会に誘われたんだけど、その時にある依頼を受けたの。『山に狂暴な獣がいる。里の者も襲われ、不安がっている。ぜひ退治してほしい』と。その獣は銀色の鱗を持ちながら人を見ると襲ってくる恐ろしい獣だ、っていうことなんだけど」エンリは手ぶりを加えながら、話をつづけた。「銀色の鱗は神の使いとも言われていたから、そんな獣が本当に存在して、しかも人を襲うなんて考えられなかったから、私たちは翌日の朝、早速山奥へ行ったの。だけどほとんど探すことなく見つかったわ。 ……というより、私たちが見つかった、の方が正しいかもしれない。出会ってすぐ、その銀鱗の獣は私たちに話しかけてきたから」


「お、その話は知っ、いや聞いたことがあるぞ! 確か『私の子供を見てはおらぬか』と問いかけてきたのであろう? それを爺さ…… そなたの連れが『知らぬ』と返し、逆に『里の人々を襲っているのはお主か?』と問いただしたのち、少しおいて『それには心当たりがある、今晩は間を置いて再び会おう』と、森の霞に紛れて消えていった、という。どうだ?」


 話に割って入ったログレスの内容は、確かにエンリが言おうとしていた話そのものだった。


「よく爺様が『ログレス英雄譚』として語っておったものの一つだ!」


「……まあ、変に脚色してないだけマシかな」


 まさか身内とはいえ、その話を他人にしていたことに驚いたエンリだったが、その続きを話し始めた。


「その日の夜、その銀鱗の獣は領主の館を襲ってしまうの。私たちが館に駆けつけたころにはもう遅く、建物はほぼ全壊、領主も殺害されていた。何故そんなことをしたのかと問いただすと『探していた子供は、この館の主人が攫ったと分かった。そして既に売り払い、ここにもういないと答えた。なら、この館も主人も必要ない。だから壊した』と、弱々しく答えた。私たちは、彼女を責めることはできなかった。獣は、血まみれの腕を広げ、羽をたたみ、服従の姿勢で私たちに向き直った。『さあ、件の獣はここにいる。好きに裁くがよい』って」


「……あの、フィファルナ様の話、なんですよね? さっきから獣、とおっしゃってますけど」


「いいところに気が付いたね」


 セランゼールはしたり顔で、クリエラの指摘を褒める。


「その時、私は気が付いたの。この獣は、銀鱗の者が『先祖返り』した姿じゃあないか、って」


「先祖返り? 体が獣のように大きくなるようなことなのか?」


「近い! 有鱗種のなかでも特に銀鱗が重宝される理由は知ってる?」


 セランゼールがログレスの疑問について解説を始める。


「いや、そもそも銀鱗の人々をよくよく見たことがないのでのう」


「実は、銀色の鱗には素成式が細かく細かく刻まれているんだ。周囲の魔霊素を吸収し、肉体や見た目を一時的に変化させ、獣のように見せることができる。 ……あ、今は素成式とは言わなかったっけ、確か」


「錬成式、ね。錬金術のもとになった技術で、始まりはまさに銀鱗のウロコからだったと言われているわ」


 そこで、改めてログレスはチャイクロを見る。


「つまり、チャイクロ殿が猫の姿をしているのは、生来の錬金術の錬成式がその鱗に刻まれているからということか?」


「!」


「……へぇ、新しいログレスは飲み込みが早いな」


 ログレスの発想から来た指摘があまりに的を射ていたため、エンリは思わず声を失った。


「結論から言うと、子供を攫われて我を失ったフィファルナは、獣の姿になって探し回っていたところを私たちに見つかった。その時、私たちが里からの使いであることを伝えたことで、里の人間が怪しいと思ったのかもね。で、それが的中して情報を引きだす前に殺してしまった。そこに私たちが駆けつけてしまった」


「それで、フィファルナ殿はどうなったのだ! 子供はどうなったのだ!」


「まあまあ」エンリは間を置いて「結果として、フィファルナはそのこと自体を罪に問われることはなかったけど、子供を探すために里を出たの」


「で、見つかったのか?」


 エンリは、黙って首を振った。


「子供は既に殺されていて、体の一部分だけが見つかった。しかも、それはフィファルナが王魔戦争がらみで死亡してから、ずっと後の事だった。それから、私は」


 エンリは、チャイクロを目を見ながら、チャイクロのさらに奥になる何かに向かって呟いた。


「ちゃんとフィファルナに報告をするために、ここに来たのよ」




     *   *   *




「綺麗になったんじゃあないの? ここ」


 リアンカタスから少し離れた、開けた墓地。


 いくつもの墓標が並ぶ中、エンリ達は奥の方にある一段高い場所へ案内される。


 石造りの簡素な墓標が立ち並ぶ中、それは意外にも美しい剣が突き立てられていた。


「この矛を見ると、フィファルナを思い出すわ」


 エンリは、いまだに美しい光沢を発するその金属の塊を、愛おしそうに見つめている。


「やけに新しいもののようですけど、いつごろ亡くなられたのですか?」


「そりゃあ戦争中に亡くなったなら、五十年は経っておるのではないか?」


「その割には、この剣が綺麗すぎる気がするんですけど」


 セランゼールは、その矛を撫でながらクリエラ達の疑問に答える。


「この矛は、『四天の武具』がひとつ、『天穿ちの矛』さ。不滅金属とも言われる『エレメステン』っていう、精霊がもたらした素材を使って作られたものでね。こっちの界域とは異なる理で存在しているから、絶対に朽ちることはない、らしいよ」


「四天の武具と言えば、我もあるぞ!」


 ログレスは、足元に付けている自身の装備を見せる。


「はは。その天駆けの具足を見ると、ログレスって感じがするな」


「そう言えば、この具足も特に傷んだことはないような気がするが、もしかしてこれもそういう金属で作られておるのか?」


 セランゼールは笑顔をログレスに向ける。


「それは、私の知る限り『ラグニウム』っていう永久金属でできてるはずさ。神々が直接人間に授けたもので、界域をも渡ることができるとか、ってね」


 そんな会話を横に、エンリはフィファルナが眠る矛の前で跪く。


「久しぶり、ファル。遅くなったね」


 エンリは、パルティナとチャイクロを傍に呼び、まるでフィファルナに紹介するように続けた。


「こっちがパルティナで、あの時の杖。大きくなったでしょう? 頑張って世界中探して回って、やっとここまでの大きさになった。けど、残りはやっぱりあの時になくなってしまったみたい。本人は結構満足してるみたいだけど」


 次に、チャイクロを抱き寄せつつ、続けた。


「ルミッカは、結局助からなかった。見つかったうち、まともな形を成していたのは左腕だけだった。……約束、守れなくてごめんね」


「やくそく?」


 チャイクロが上目遣いでエンリを見上げる。


「絶対探し出して、会わせてほしい、って約束。代わりに、もう一つの約束はこうして『連れて』来たから、それで許して」


 エンリは、チャイクロを抱き上げて、墓標となった矛に見せつけるようにする。


「僕がやくそく?」


「当時私は錬金術、特に無生物錬成を研究しててね。もし何らかの形で銀鱗の種をつなぐことができるなら、迷わずその技術を使って残してほしい、って言われていたの」


「無生物錬成とはなんだ? 人工生命体《ゴーレム技術》とはまた別のものか?」


「それも含むし、生命として成り立たない部品から、生命を作り出す技術も指すわ。簡単に言うと、髪の毛や爪、皮などから、それのもととなる生命体を増幅・復元する技術ね。つまり、チャイクロは……」


「ぼくの体に、ルミッカの血があるってこと?」


「……そうよ。あなたには、銀鱗の少女の血が半分流れているの」


 エンリは、チャイクロを地面へと下ろす。そして立ち上がり、改めてフィファルナの墓標へ、チャイクロへ向き直る。


「チャイクロ。ここはあなたの故郷。そして、そこに眠っているのは、あなたの母親でもあるわ」


「……よくわからないけど、うん」


「ここには、銀鱗あなたをよく知る人がたくさんいる。あなたと血の繋がりがある人がいる」


「……うん」


「この里は、あなたを受け入れてくれるわ」


「エンリ。その子にはまだ早いんじゃあないの?」


 エンリがチャイクロに何を言いたいのか察したセランゼールが、二人の間に割って入る。


「……この子にとって、重要で、必要なことよ」


「それは、フィファルナとの約束か?」


 セランゼールは、心配そうな、あるいはエンリの行いに不満があるような気持ちがないまぜになった眼差しで二人を交互に見つめる。


「半分は、そう。残りは、私のエゴ」


「なら、もっと大きくなって、判断力がつくようになってからでも……」


「ごめん、それじゃあ間に合わない」


 唐突にエンリから表情が消える。その意味を、セランゼールはなんとなく察した。


「……だから、ここに来たってわけか」


「そうだ、墓地ここに来たのならフレクタ姉さまにも挨拶していかないと」


 エンリは、場の空気を切り替えるために、わざと少し大きな声を出した。


「フレクタ? 姉さまというくらいだから、魔女なのだな? とはいえ『ここ』ということは……」


「ええ。亡くなってはいないけど、もう生きていない。ちょっと変な言い方だけどね」


 エンリとセランゼールは、そのまま墓地のさらに奥へと向かっていく。ログレス達はそれに付いていく形で進んでいくと、いつの間に墓地から少し離れ、石でできた小さな小屋のような建物の前に着いた。


「これは、墓なのか? にしては大きいが、建物にしては小さすぎる」


 ログレスは、その建物の周りをぐるりと歩いて回る。すぐ正面に戻れるほどの小さなものだった。


「墓堂っていうの。大丈夫よ。中に入れば意味が分かるわ」


 エンリは、そう言いながら先に入る。続いてセランゼール、ログレス、クリエラと続いてチャイクロ、最後にパルティナが入っていった。


 中に入ると、何かが描かれた小さな紙のようなものが正面に貼られ、それ以外は何もない部屋だけがあった。


 その紙には、よく見ると女性が一人描かれている、見事な絵姿で今にも動きだしそうな躍動感がある。


「これが、静界せいかいの魔女と言われたフレクタ姉さま」


 エンリは、目の前の紙を指さして紹介する。


「……ここのどこかに眠っているのか?」


 紹介の仕方が他と違う、というか、明らかに紙が本人であるかのように振る舞うエンリに、ログレスは思わずあたりを見回す。


「ここよ。この現紙身うつしみが姉さま」


「エンリ、静界守の最後を知らないものには、何のことか分からないと思うぞ」


 ようやくログレス達に助け船が入る。エンリもようやくそれを察したようで、フレクタについて解説を始める。


「静界の魔女フレクタ姉さまは、界域の干渉にどの魔女よりも詳しくて、その中でも『干渉静め』が得意技だった魔女よ。あらゆる界域を経た魔法を封じて、自分の特異な状況を作り出すことで、自己の有利な状況を作り出すことができたの」


「しかし、遺体…… というか、その紙が何故その魔女殿ということになるのだ?」


「フレクタ姉さまは昔、この地域に生き残っていた深古の獣と戦った時、深い傷を負ったの。でも、魔女はそのまま死ねば守り子が暴走し、周囲に被害が出る。それを防ぐために、姉さまは自身を現界域の下の界域である『地界域じかいいき』に封じたの」


「地界域? 聞いたことはないが、それがこの紙と関係があるのか?」


「紙、というか平面界域を総じて地界域、と呼ぶのよ。ほら、地面って、平たいでしょ?」


 確かに、というクリエラと、眉間にしわを寄せたままのログレスを見て、セランゼールが少し補足をした。


「つまり、静界守は自分を紙の世界へ自分を封印したんだよ。地界域には時間の概念がないから、事実上時間経過からも解放されて暴走を起こすことはないし、仮に暴走を起こすようなことがあっても現界域に影響を及ぼすこともないからな」


「ふむう…… つまり、地界域という場所へ自身を隔離した、と思ってよいのか?」


「まあまあ、正解かな?」


「しかし、界域干渉は難しい概念だな! もしかして、地界域より下もあるのか?」


「鋭いわね。あるわよ。その下は『生界域しょうかいいき』っていうの。界域の生まれる場所って言われているのよ」


「聞いておいてますます分からぬ……」


「そのうち分かるようになるわよ。錬金術の基礎知識として、界域の理解は必須だから」


 エンリは、そう言って墓堂の外に出る。


「まだこんなところでうろうろしていたのか」


 すると、ちょうど墓地へ行く道の中ほどに、あのローブの男が立っていた。


「誰だ、あんた」


 墓堂から出てきたセランゼールが、言葉で軽く牽制する。エンリの態度から、男が友好的な存在ではないことを悟ったようだ。


「気を付けて、今他の地域でもちょっとやりあった相手よ」


 エンリは、腰の鞄から杖を取り出す。セランゼールも、左腕に取り付けてある狩猟用のナイフに手を伸ばす。


「ただ待ってるのもつまらんのでな。様子を見に来たのだが、まさかまだカレンヴァーザにすら来ていないとは」


 ローブの男は、ゆっくりと右手をエンリ達にかざす。瞬間、青白い光がエンリ達に向かって放たれた。


「危ない!」


 墓堂から出てきたばかりで反応が遅れたログレス達を、セランゼールが突き飛ばす。が、男の手から放たれた謎の光は、そのまま墓堂の奥へと抜けていく。


「大丈夫?」


「う、うむ! 助かった。ありがとう!」


 立ち上がろうと正面を見たログレスは、その先の見覚えのある人物に気が付き、戦闘態勢に入る。


「気を付けて、なんか変な奴よ」


「大丈夫、顔見知りだ!」


「私は神坐殿で初めてしっかり拝見したので、まだ二回目ですけど」


 二人がローブの男へ構えた瞬間、墓堂の入口から唐突に、青い光がほとばしった。


「な、何事?」


 セランゼールが立ち上がりざまに墓堂に振り返る。と、石造りの墓堂から何かが崩れる音が聞こえて来た。


 次いで、勢いよく内部から何かが上部へ向かって飛び出してきた。それよにって墓堂は内部から崩れ、壁や天井だった石材があたりに飛び散った。


「クリエラ!」


 とっさにログレスは落石からクリエラを守るために覆いかぶさる。


 音と声にエンリは振り向く。


「何、あれは……」


 そこには、絶滅したはずの深古の獣『ロンガリッダ』が、まるで墓堂から生まれてきたかのように飛翔しようとしていた。


 二対ある長い触覚の下にある鋭い双眸はエンリ達を見下ろし、小さいが鋭い牙をいくつも並べた口からは低いうなり声がかすかに漏れ聞こえている。背中には大きく広げられた薄く透明な羽根が三対。鱗に守られた胴は体の半分以上を占める長さを持ち、腰から下は植物の根のようなものがいくつも枝分かれして生えており、それらが巨大な体を支えている。


 魔女「だった」部分は虫食いのようにあちこちが侵されており、右胸上部にあった〝シルシ〟は、もう完全に消えてしまっていた。


「ハハハッ! 彼女の守り子はロンガリッダだったか? せいぜい楽しませてくれよ」


 ローブの男は魔法の力なのか、体が等速で空へと舞い上がり、そのまま消えてしまった。


「くっ、これが狙いか!」


 エンリは杖を繰り、周囲の魔霊素を集め始める。しかし、ロンガリッダの影響か、うまく魔霊素が練れない。


「参ったわね、私じゃあ……」


「エンリ! 離れて!」


 セランゼールが大声でエンリに回避を促す。セランゼールが見ていたであろう方向へ視線を向けると、空間が歪んで見えた。高速で打ち出された空気の刃だ。


「っ!」


 回避行動に移ったものの、完全に回避できてなかったようで、左腕に痛みが走る。


「……折れては、いないか」


 エンリは、ゆっくりと深呼吸する。


「気を付けて。静界守は界域の干渉を阻害する。私たちの素の力だけで、アレを対処するしかないから」


「ちなみに、暴走を止めることはできるのか?」


 ログレスが、獲物を構えながら大声で質問する。


「いいえ。シルシが失われ、暴走しきった魔女はもう元に戻ることはない。すべて等しく塵へ還すことが唯一の救い」


「……そうか」


 言うや、ログレスは駆けだした。あれから具足の熟練度が増し、無理なく使いこなすことができたと話していたが、奇しくもこの状況が初披露になるとは、誰も思っていなかったに違いない。


「生物の弱点は、首と決まっておる!」


 左右に体を翻し、視線がこちらから離れる一瞬で、正面へ飛翔。剣を上段から一気に首めがけて振り下ろした。


「でぃあーっ!」


 しかし、首にあたる瞬間、金属音でもなく肉が切れる音でもない、まるで穴の開いた棒を木の枝で殴ったような、湿った軽い音が響き、ログレスの剣が途中で静止する。


「な、なんだ!」


 さらに、手に走った衝撃が消えると、わずかな間を置いて同じだけの衝撃が再び剣へ跳ね返る。その勢いに、ログレスは具足の制御を忘れて吹っ飛んでしまった。


「うぉぉぉーー!」


「ログレス!」


 吹っ飛んだログレスを、クリエラが追いかける。二人はそのまま、墓地のほうまで下がる形になった。


「くそぅ、なんだあれは!」


 地面に突っ込む直前、空中で姿勢を立て直したログレスは、周囲を確認しながら悪態をつく。かなり吹っ飛ばされたことに気が付くと、いったんそのまま地面へ着地する。


「気を付けて。物理的な攻撃は『断界』の魔法障壁によって届かないし、普通の魔法は界域の干渉が阻害されるから唱えられなくなってるはず」


「そ、それを先に言わぬか!」


「では、どの方法なら攻撃になるのですか? このままでは、誰もあの獣と戦えませんけど!」


 クリエラが大声で質問を飛ばす。距離が離れているからではあるが、幾分か怒号に似た声色に聞こえる。


「魔女の使う魔法か、既に召喚されている精霊による魔法くらいね」


 その言葉が終わるか否かの刹那、杖がまとう魔霊素が、一つの魔法を紡ぎ出した。


わざわいはぞればいかづちなりてならびつらなり穿うがたらん(サバルゥガ)!」


 急激に熱せられた大気が震え、同時に圧縮された魔霊素が炎へ変換される。魔女の唱えた圧縮言語によって指向性を追加されたいくつもの魔法の業火球は、一つも外れることなく眼前の獣へと打ち込まれる。


 しかし、そのどれもが直前で見えない壁に遮られる。


「くそっ、やっぱり出力が足りないか……」


「な、なんだあの魔法は! あれが、魔女の放つ本気の魔法なのか!」


 同じ圧縮言語ではあったが、ログレスがゼーオ・ナラルで、鏡人形ドッペルゲンガーが放ったそれを遥かに上回る火力をその目で見て、思わず動きが止まる。


「でも、相手は火傷ひとつ負ってない…… となると、やっぱり」


 セランゼールは大急ぎで墓地近くへ向かう。ログレス達がそれを目で追うと、彼女はフィファルナの墓標へ向かっていた。


「これを!」


 そして、墓標である天穿ちの矛を引き抜かんと、力を込めて引き絞る。


 ……が、抜けなかった。


「やっぱり、界域超えの力がいるのか……」


「界域超え? それは何だ?」


「この矛もだけど、四天の武具がその力を十分に発揮するには、それぞれに対応した界域への干渉が必要なのよ」


「なら、それを扱うには精霊の力がいるってことか!」


 そこまで言うと、二人の視線が一人に集まる。クリエラだ。


 クリエラは一瞬焦ったが、すぐそこでは激しい魔法戦が繰り広げられている。迷っている暇はない。


「我がある程度足止めを手伝う!」


 暴走する獣に向き直るログレスは、一拍おいてもう一度クリエラを見る。


「任せる」


 天駆けの具足が青白い光を微かに放つ。瞬間、光の軌跡が戦いの渦中へと飛び込んでいった。


「……どうすれば、抜けるんでしょうか」


 クリエラの声には、もう迷いはなかった。


「あなた、精霊は傍に居る?」


 クリエラは無言でうなずく。


「なら、あなたの体、もしくは体の一部がその精霊と一体化していく想像をして。精霊持ちが心身ともに現界域と素界域との共通の存在になれば、おのずとこの矛が抜けるはず」


 簡単に言ってくれる、とクリエラは思った。


 それは、精霊使いにとって最も難しいとされる精人しょうじん一体という極意の一つだ。


(でも、それができないとあの獣にみんなが……)


 クリエラは目をつぶり、意識を右腕に込める。


「シャロザ…… おいで」


 右手に、ぞわぞわとした感覚が走る。霊主の眼を通して見ると、シャロザがほおずりしているのが見えた。


「いい子…… さあ、その矛をとるわよ」


 クリエラは右腕を矛の束へと伸ばす。その動きを、素界域のシャロザが追う。手の届く範囲に矛が収まると、クリエラの霊主の眼が見える世界にも矛が現れる。そして、それを現界域でクリエラが手にし、素界域でシャロザが口に咥える。


 矛は、難なく抜けた。


「やった、うまくいった!」


 喜んだのもつかの間、クリエラには、剣技を修めた覚えはない。


「けど、これ、どうすれば……」


(大丈夫)


 すると、矛から優しい女性の声が聞こえて来た。


(あなたと、あなたの精霊を少し借りるわ)


「え、誰? 今のは……」


 その声の後、口が動き、肺が息を吸い込み、体がシャロザと共に動き、いつの間にか、大声を出していた。


「リーーーーー! ファーーーーー! ゼーーーーーア!」


 この声に一番驚いたのは、大きく肩で息をしていたエンリだった。


「ファル?」


「リーーーーー! ファーーーーー! ゼーーーーーア!」


 再び、同じ掛け声がクリエラから放たれる。


「……ライ! トラゥ! ナ・ディーーーーール!」


 エンリも、それに答えるかのように掛け声を渡す。


「な、何事か!」


 既に何度か切り結ぶも、もう相手にされなくなり始めていたログレスは、突然の二人の大声に一歩下がる。


「パルティナ! フルックリス《陣を張って》!」


「了解です」


 パルティナは、自身の両腕の構成物質であるパルトナードを用いて、限りなく細い紐へと変化させる。それは目の前の獣をぐるりと囲い、大きな輪が出来上がる。


「さすがにこれは、効いてよね!」


 エンリはもう一度大きく息を吸い込むと、手のひらを空へと掲げ、ありったけの魔霊素を込めて魔法を紡ぐ。


ながらくとよのわたらいをきんじとどめよ!(エィンセートキル)!」


 パルティナが作りだした輪が青白く光ったかと思うと、その範囲内ですさまじい光の柱が立ち上る。その中の獣は、その光に驚いたのか、それとも魔法の効果からか、微動だにしていない。


「フェーーーーーン!」


 再度、大きく息を吐きながらエンリが叫ぶ。


「ウゥアアアァァァ!」


 同時に、クリエラが、シャロザが、深古の獣目がけて走り出した。それも、普段の彼女の脚力のそれとは大きく違い、まさに一瞬で光の柱の前まで飛び込む。


 その速度を乗せた天穿ちの矛が、大きな光の弧を描き、思い耳鳴りのするような高音と共に、獣を左上と右下とに、界域を超えて分断した。


「これが…… 四天の武具の力か!」


 わずかな間を置いて展開された光の柱は、獣が分断されたのを確認したかのように、すぐに光の粒へと姿を変え、消えてしまった。


 光が消えた後も、獣はまるでその空間に打ちつけられたように静止していたが、ほどなくして徐々に体が微かな塵になり、世界の魔霊素のかけらへと融解していった。


 その場にいた全員が、その光景をずっと見ていた。


 魔女が死ぬ、魔女を喰った守り子が死ぬ、その瞬間が終わるまで。


 そして、最後の塵が魔霊素へと還ったとき。


 エンリは、大地に倒れ伏した。

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