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盲目令嬢と野獣伯

作者: お姉さんと翔太くん

ヒースクリフ・フォン・ミズドリュクは生まれつき(いかめ)しい顔をしていた。


辺境伯家は国防を担う、ある意味での武家。

そこに生まれた者らしく、ヒースクリフの体躯は大きく屈強で、見るものを自然と威圧する。


本人にそのつもりがなくとも、相対した者が勝手に怯むのである。

幼少のみぎりよりその傾向は見られ、特に女子には顕著に怖がられた。



ヒースクリフが十五で成人したその年、彼の父であり先代辺境伯であったラーゼン・フォン・ミズドリュクが戦死した。


ラーゼンは豪気な男であった。

戦において率先して兵を率いることを好む。

セルマン帝国との小競り合いにおいても血気盛んに先陣で指揮を取ることが多かった彼は、ある時、運悪く敵兵の流れ矢を胸に受けて呆気なく死んでしまったのだ。


そしてミズドリュク辺境伯家は、唯一の跡取りであったヒースクリフが継ぐことになった。



こうしてヒースクリフは辺境伯家の当主になった。

しかし領地の運営も、国防の為の戦も、何もかも分からないことだらけだ。

頼れる者も少ない。


成人したてのヒースクリフは、まだ社交界への本格的なお披露目が済んでおらず、親交を深めた貴族がいなかったのだ。


もちろん先代ラーゼンが築いた縁故もあるにはあろう。

だがそれはあくまでラーゼンが存命な場合に意味を成す伝手(つて)であって、その先代が死んだ今となっては有効に働くこともない。


ラーゼンが死んだ後、どこから湧いて出たのかヒースクリフを利用しようと群がってくる親類縁者もいたが、若いヒースクリフはただ血族というだけで見覚えもない親類との繋がりなど信じることは出来ない。


ヒースクリフは日々孤立していった。



辺境伯といえば国境(くにざかい)を守護する王国にとっての重要ポストである。

その地位は王に次ぎ、公爵に並ぶほどだ。

故に、取り入ろうとする貴族も多くいた。


なにせまだ家督を継いで間がなく右往左往するばかりの青二才である。

そのような者らにとって、ヒースクリフは非常に与し易い相手にみえた。

それに上手い具合に婚約者もいない。


伯爵、子爵、あらゆる爵位の、幾人もの貴族が、こぞってヒースクリフに己が娘を嫁がせようとした。

完全な政略結婚である。

それ自体は貴族社会において珍しいことではない。

しかしヒースクリフはこれら全ての縁談を断った。


まだ青く潔癖だったヒースクリフは、結婚に、()いては女性にある種の幻想を抱いていたのだ。

女性とは淑やかで優しく、性根は素直なもの。

そういう理想を持っていた。


いやヒースクリフとて全ての女性が理想通りとは思ってはいなかった。

だがしかし、少なくとも先代ラーゼンの妻であり、自分の母であったオリーブは、そのような女性だった。

父と同じく、母のような貞淑な女性を娶りたい。

早くに母を亡くしたヒースクリフは、無意識のうちに女性への理想像を優しかった母オリーブに重ねていたのである。


ヒースクリフは貴族たちから代わる代わる何人もの娘を紹介された。

けれどもその女どもはどうだ。

美しいのは着飾った見た目だけ。

内面は親から託されたドロドロとした政略と打算に塗れている。

欲の皮が張っていて貞淑さなど微塵もない。

それだけならまだしも、娘らはヒースクリフの(いわお)のような外見を怖がるのだ。

誰もが野獣でも蔑むような目を向ける。


貴族の令嬢たちは誰もヒースクリフの心に寄り添おうとはしなかった。



ヒースクリフは疲れ始めていた。

父の死からいきなり辺境伯家当主の重責を背負わされ、また、ただ一人きりで孤独に耐える毎日。

しかし転機が訪れる。


その日、王都から娘を連れてやってきた貴族は、これまで縁談を申し出てきた他の貴族とは様子が違っていた。

具体的には貴族当人も、連れてきた娘も、身分に比して身なりが貧しかったのだ。


これは仮にも貴族の縁談である。

娶らせようとする娘に、財を投じて華美なドレスを着せるのは当たり前だ。


しかしその日連れられてきた娘の着るドレスは、使い古されているのか生地がヘタっていて貧相なものだった。

所々に何かのシミまである。


おかしな点は他にもあった。

それは親である貴族が直接娘を同伴して現れたことだ。

これは珍しい。

通常であれば娘に幾人もの従者をつけて送り出すものだし、それ以前に先触れとしての連絡も何も寄越さなかった。


いわゆるアポなし訪問である。

本当にその貴族は、突然フラッと現れて「自分は王都の由緒ある伯爵家の当主だから、我が娘を娶ってくれ」と申し出てきたのだ。


男は自らをヨゼフ・ツー・レンブラント伯爵と名乗った。

娘の名はオリビアだと言う。

貧しい身なりに似合わず、美しい響きの名前だ。

ヒースクリフは娘の名前から、母オリーブを連想した。

少し興味をそそられて、薄汚れたその娘オリビアを観察する。

顔を覗き込んだ。

しかし視線が交わらない。

オリビアはヒースクリフと目を合わせようともしなかった。

ヒースクリフは落胆した。

この娘もまた、自分の外見を恐れるのか。

そんな風に思った。


けれども事実は違っていた。

よくよく観察を続けてみると、オリビアの視線は(かし)いでいた。

目を合わせようとしていないのではなく、本当に合わないのだ。


ヒースクリフは気付いた。

彼女の目は光を失っていた。

オリビアは盲目の娘だったのである。



ヒースクリフはレンブラント伯爵から受けた縁談の申し出を素気無く断った。

盲目の娘オリビアともども追い払う。


しかし翌日、ヒースクリフは執事から妙な報告を受けた。

領都の路地に、領民の誰でもない変な女がいるというのだ。

女は街娘にしては不釣り合いなドレスを着ており、何をするでもなくただ突っ立っているのだという。


ヒースクリフは前日に追い払った娘、オリビアを思い出した。

確認しにいくと、やはり報告にあった変な女とはオリビアであった。

ヒースクリフは尋ねる。


「このような所で何をしている。王都に帰ったのではなかったのか」


盲目のオリビアはまぶたを閉じたまま応える。


「……その声は、昨日の殿方ですね。その節は突然の訪問など無礼を働き、まことに申し訳ございませんでした」


美しい声だ。

オリビアの口調は控えめで抑揚も柔らかく、凪いだ海のようである。

穏やかで好ましい話し方。

ヒースクリフはそんな風に思いながら、続けて尋ねる。


「その方一人か。こんな薄汚れた路地で何をしている。レンブラント伯爵は如何なされたのだ」

「父は私を置いて王都に戻りました」

「置いて? それはどういう――」


言ってからヒースクリフは気付いた。

オリビアの身なりが、昨日に比べて随分と汚れている。

ドレスは所々が破れており、見れば白い手足や美しい顔立ちの頬にいくつもの痛々しいあざが出来ている。

これは殴られた跡だ。

ヒースクリフは察した。


「……捨てられたのか」


恐らくその際にでも、伯爵から暴行を受けたのだろう。

オリビアは応えない。

ただまぶたを閉じ、口を噤んで立ち尽くしている。


ヒースクリフはため息を吐いた。

面倒なことになった。

だが仮にも中央貴族の娘を名乗る者を、放置しておく訳にもいくまい。

仕方がないのでヒースクリフはオリビアを屋敷に連れ帰った。



ヒースクリフとオリビアの生活が始まった。

オリビアは不思議な女性だった。


貴族の娘としての教養などまるでない。

物腰は穏やかで丁寧ではあるものの、食事時の礼儀作法などはなっていないし、メイドから世話を焼かれるのも嫌がる。


かと思うと朝は早くから起き出して、盲目にも関わらず慣れた手つきであてがわれた部屋の掃除などを始める。

これではまるで使用人だ。


ところでヒースクリフは執事からとある報告を受けていた。

それはレンブラント伯爵家についての調査報告だ。

かの伯爵家はすでに存在していなかった。

十数年ほど前に王の不興を買い、お家取り潰しの憂き目にあっていたのだ。

不興を買った原因は何ということはない。

政敵との政争に敗れて様々な罪を被せられたことが原因だという。

つまりオリビアはもはや貴族の娘でも何でもない、ただの市井(しせい)の娘だったのだ。


ヒースクリフはようやくオリビアの行動が腑に落ちた。

オリビアは自分を伯爵令嬢と思っていない。

使用人のような振る舞いも、それが彼女に取っては自然なことなのだ。

ヒースクリフはひとまずオリビアを客人として預かることにした。

のんびり過ごせと伝える。

しかしオリビアは働きたがる。

結局、ヒースクリフはオリビアの好きなようにさせることにした。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


――いくらかの月日がすぎた。


オリビアは働き者だった。

目が不自由だというのに、屋敷の使用人の誰よりもよく働く。

褒めると控えめに、でも嬉しそうに微笑む。

そして言うのだ。


「ここでの暮らしは夢のようです。飢えることもなく、誰かに罵倒され、叩かれることもない。平穏がございます。それにただ働いているだけでこうしてお褒め頂けます。旦那様、私のような出来損ないに、この様な過分な幸せを与えて下さり、ありがとうございます」


ヒースクリフは何とも言えぬ複雑な気分になった。

別に厚遇しているつもりはない。

なのにオリビアはとても幸せだと言う。

これはオリビアがそれまで身を置いていた環境が、よほど劣悪だった為だろう。

レンブラント伯爵を名乗った男は、オリビアを虐待していたのだ。

全身にあった打撲の痕も、それを裏打ちしている。


ヒースクリフはオリビアの過ごし尽きた過酷な生活を察して、居た堪れない気持ちになる。

何かしてやりたくなった。


「なあ、オリビア」

「はい。旦那様」

「旦那様はよせ。お前はうちの客人であって召使いじゃないんだ。それよりオリビア。お前は使用人でもないのによく働いてくれている。礼をしたいんだが、欲しいものはあるか? ……ああ、そうだ。新品のドレスはどうだ? 前に着ていたものは破けてしまっただろう」


オリビアは驚いた。

恐縮し、次に遠慮しようとし、けれども思い止まって、望みを口にする。


「ドレスはいりません。ですがヒースクリフ様、でしたらひとつお願いしてもよろしいでしょうか」

「なんだ? 言ってみろ」

「はい、それでは……」


オリビアは少し頬を赤らめていた。

指を突き合わせてモジモジとする。

その可憐な仕草に、ヒースクリフの胸はドキリと高鳴った。

オリビアが言う。


「それではヒースクリフ様。貴方様のお顔を触っても良いでしょうか。不躾かとは存じますが、このように優しくして下さる殿方が、どのようなお顔をされているのか、どうしても知りたくなってしまって……」


ヒースクリフは一瞬身体が強張った。

ヒースクリフの顔は厳しい。

体躯も立派でこれまで様々な女性に怖がられてきたし、縁談にきた貴族の令嬢たちなど、野獣でも見るような目を向けてきた。


オリビアは俺の顔をどう思うだろう。

オリビアなら怖がらないでくれるだろうか。

そんな期待が胸を過ぎる。

しかしヒースクリフはすぐに思い直す。

自分が他者より大きく、怖い顔をしているのは純然たる事実だ。

ならオリビアとて怖がって当然だろう。

ヒースクリフは少し自重めいたことを考えながら応える。


「……好きにしろ。ただし期待に応えられるような顔ではない。それでも良いならな」



ヒースクリフが近くにあった椅子に座った。

オリビアは音と気配を頼りに歩み寄っていく。


「失礼します」


一言断ってから、ヒースクリフの顔に触れた。

細い指先が鼻筋をなぞる。

額に手のひらを置き、次に両手を広げて頬を包む。

指の腹で唇を押し、あごに手の甲を伝わせる。


ヒースクリフの顔はごつごつしていた。

オリビアが微笑む。


「……ふふふ。やっぱり……」


ヒースクリフはいつの間にか緊張していた。

ごくりと生唾を飲んでから尋ねる。


「な、何だ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え。……どうだ、俺の顔は怖いだろう」

「怖い? ふふふ、まさか」


オリビアは再び微笑んだ。

そして幸せそうに話す。


「……やっぱり、想像していた通りでした。これがヒースクリフ様のお顔なのですね。とても優しい……優しいお顔……」


触れた手の温もりから、その柔らかな触り方から、オリビアが本心を述べていると伝わる。

嘘じゃない。

初めて女性に怖がられなかった。

それどころかオリビアはこの野獣のような顔を優しいとまで……。


ヒースクリフは胸の奥にむず痒いものを感じた。

暖かいものだ。

次第に感極まる。

澱みが溶けていく。

のどの奥から熱い塊が迫り上がってきて、目の奥がジンジンと熱くなった。

涙が溢れる。

これに驚いたのはオリビアだ。


「……これは、涙? ヒ、ヒースクリフ様⁉︎ も、申し訳ございません! 私、何か粗相を――」

「良いんだ」


慌てて離れようとするオリビアを、ヒースクリフが抱き止める。

さめざめと涙をこぼしながら言う。


「……良いんだ。だからオリビア、もう少し俺の顔を触っていてくれないか」


オリビアは頷き、遠慮がちに、けれども柔らかな手つきで再び顔に触れる。

先と変わらぬ心のこもった触れ方だ。


こうしてヒースクリフは恋に落ちたのだった。


◆ ◇ お願い ◇ ◆


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[気になる点] もしかしたら、目が治ることもあるのかな? [一言] どうなるはのかな?
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