人魚を食べる人魚
いちばんうえの姉さまは、僕がおかしいという。
にばんめの姉さまは、僕をみにくいという。
さんばんめの姉さまは、僕がとつぜんへんいだという。
僕は人魚なのに「男」だから「とつぜんへんい」というらしい。
稚魚だったころは、姉さまたちといっしょに、キラキラひかる水面まで鳥をみにいった。姉さまの大きな背びれにのって、くじらたちと泳いだ。息がくるしくなるのを我慢して、オットセイたちと島にいった。僕の性別が「男」とわかったら、一緒にあそべないんだって。
ねぇ、深海の魚たち。僕は暗くて寒い海の底で、たったひとりなんだ。いつか「男」は「女」に食べられてしまう。それが「とつぜんへんい」に産まれた人魚の「運命」なんだって。
成魚になったら死ぬ運命だというなら、僕はいちど「人間」と話がしてみたい。だって、僕のみにくい顔は人間みたいだと言われたから。本当なのか確かめてみたいんだ。だから、僕は息苦しさを我慢してうえをめざした。
途中でなんども、もう帰ろうかと思ったけど、水面に滲んだ薄明るい空を見たら、心が弾んだ。いまから太陽がのぼるんだ。あの空という場所が熱帯魚たちのドレスみたいに色をかえて、一面真っ青になるんだ。
僕は、たとえ息が苦しくても、あの空の色が好きだ。もし、また生まれるなら空の生き物になってみたい。水がなくても呼吸ができる生き物になってみたい。
頭と目を水面から出して、僕は空をながめた。すると、遠くから大きな水の振動が響いてきた。クジラでもない。マグロの群れとも違う。ああ、これは船だ。人間の作った大きな船が近くにあるんだ。僕は当初の目的を思い出して、振動の方角まで泳いだ。
たくさんの鳴き声が聞こえる。ウミネコの群れやイルカの群れとも違う、鳴き声。人間が鳴いている。たくさんの人間が大きな船の上で。あれはなにをしているのだろう?
バチャーンと水に飛び込む人間たち。船の上に、雨降りの日みたいな雲がいっぱいむらがっている。雲は船がつくっているのだろうか?
あ、また人間が落ちた。
今度はふたり。
人間は泳げるのかな。泳げないから船を作ったのではないのかな?
僕は人間たちがなぜ海に飛び込むのか。じっと水の中から眺めた。
水に落ちた人間は、最初は二本の尾で水を蹴って、水面に浮かんでいた。でも、ひとり、またひとりと海の中に沈んでいく。
ああ、やっぱり人間は水の中では長く生きられないんだ。
鮫が新鮮で珍しい肉をとりにきた。僕はもっと観察していたいから、沈んだ人間しか食べないでねとお願いした。
最後に水を蹴っていた人間も、動きが鈍くなる。そして、とうとう沈んできた。僕はなんとなく、沈む人間に近づきその姿をじっくりと眺めた。
ワカメみたいに揺れる長い髪の毛。水の中に白く浮かぶ肌の色。体にはビラビラしたヒレがたっぷり巻かれている。水かきできないヒレが、なぜ人間にあるのだろう?
黄色いヒレは、ふわふわ、ゆらゆら、繁殖期のクラゲみたいにふくらんでいる。小さな顔には、みにくい僕に似たつくり。
目があった。人間がまばたきした。口から泡がいっぱい出てきた。空気がないと沈んでしまうのに。僕はワカメをつけた黄色いクラゲみたいな人間の手をつかんだ。そして、水面にひっぱっていく。
バシャッと勢いよく水から飛び出て、近くの鮫にお願いした。僕と人間を大地がある場所まで送ってと。鮫はたくさん新鮮な肉を食べたあとで、機嫌がよいみたい。ふたつ返事で背びれを貸してくれた。
水から出た人間は、しおれていた。片手でしっかり抱きしめると、胸にふたつ、柔らかい肉がある。この人間は「女」なのか。……人間の「女」は「男」を食べないのだろうか?
もし僕がこの人間を助けたら、人間も僕を助けてくれるだろうか?
肉の奥で、ドクドク鼓動が伝わる。体の中を流れる水の音だ。僕の体に流れる水も、勢いよく流れだした。
息が苦しい。胸がドキドキするんだ。
おわり