9 城下町散策とコーエンの話
不思議な光景だった。
月明かりの下、人々が笑顔で出歩いている。買い物かごを腕から下げた女性が野菜をいくつも並べた屋台を覗き、お店のおじさんがにこやかに接客をしていた。石畳の上を子どもたちが走り回り、馬車に気づくと物珍しそうな目を向ける。手を振って、とコーエンが言うから私は言われた通りに小さく手を振った。子どもたちが嬉しそうに大きく手を振って答えてくれる。
「降りましょうか」
コーエンに言われ、城下町の出入り口で馬車が止まる。私はコーエンに支えてもらいながら外へ降りた。
「細い路地も多いから、自分の足で歩いた方が楽しいわよ」
ならず者もいるからひとりだと怖いだろうけど大丈夫、とコーエンは笑った。今はアタシが一緒だからと。
「此処は人の居住区の中でも中心地だから賑やかな方ね。境に行けばまたそっちはそっちの賑やかさがあるけど、アタシはこの光景も結構好き」
魔王の城は山の上に建っているらしく、馬車ではあまり気にならなかったけれど歩けば結構な距離を行かなければならないようだ。その麓に城下町は作られている。赤い石畳が目立つのは、人が住む場所だと区別されているからかもしれない。城下町の中心部は広場のようで、石畳と同じ赤い石で造られた大きな噴水がシンボルのように置かれている。綺麗な水だ。月の光に反射して虹ができているのが見えた。
周囲は一階建ての建物が並び、服屋や靴屋、雑貨屋など色々なお店をしているようだ。屋台もあちこちに出ていて活気があった。太陽の下なら間違いなく朝の市場といった雰囲気なのだけど、生憎と空は夜空で灯りも月明かりが主だ。けれど道行く人はランタンを持ち歩いている。その中身が不思議に揺らめいて私は目を細めた。
「みんなが持ってる灯りって」
「あれは鉱物光よ。外を歩く時に使うの。月明かりを反射させて周囲を照らすのね。軒先でも吊るしてるでしょう? ああやって外を歩く時に躓かないように。月明かりでも大分明るいことは明るいんだけど、影になった部分は本当に見えないから」
暗いところでも見える種族なら問題ないんだけど人間はそうもいかないから、とコーエンは苦笑した。だから背の高い建物が少ないのだと思う。背を高くすればそれだけ影になる場所が増える。あれ、と私は思い出して首を傾げた。
「お城の中は蝋燭も使っていたと思ったけど」
「蝋燭は高級品。まぁ獣脂蝋燭も使わないことはないんでしょうけど、匂いがね。篝火を焚いたり暖炉で灯りを取ったりしても良いけど、燃え移るのは怖いし持ち歩くのも難しいわ。それに屑石でも鉱物光は何度も使えるし、最近は石そのものが発光するものも見つかっているのよ。それも高価だけど、何度も使える方がありがたいものじゃない?」
「石そのものが光るならそれは確かに」
私は頷いた。エコだと思う。夜ばかりのこの国で明かりは必需品だろう。でも電気などなさそうな様子だし、家の中から漏れ出る灯りもない。冷たい月の光だけが唯一の光源のように見えた。火もあるにはあるけれど、燃料が限られているらしいことが窺われた。
私にも多少の馴染みがあるキャンドルよりも、石。この場所では鉱物が反射したり発光したりすることで光を得ているようだ。
「此処は石がよく採れるから。人の手先はその加工に向いている。ヴェステンでは此処ほど石が採れないから、加工品は宝飾品として人気があるのよ。まぁ、アーベントから仕入れたものを辺境の人たちが王都に高く売ってるんでしょうけど、良いの。価格は適性だから。王都の人たちもアーベントのものだとは思わずにヴェステンの端で採れたものだと信じてるでしょうし」
難儀だな、と思って私はお店の看板をぐるりと眺めた。文字らしきものは私には読めない。けれど靴の形や服の形は此処でも共通なのか、アイコンで何のお店か把握する。宝飾品のお店はよく分からないけれど、キラキラと輝く星のような看板はいくつも認めた。もしかしたら鉱物光を扱うお店かもしれない。この暗い中で加工するなら大変なことだろう。目を悪くするかもしれない。でも、揺れる炎で作業するよりどのくらい明るいかは分からないものの発光する石の方が作業はしやすいだろうか。
月明かりが惜しみなく投げかけられる城下町の其処彼処には人々が手にしたランタン、建物の軒先に吊り下げられたランタンがある。月の光を浴びてちかちかと反射し、石畳の地面を照らす様は星が瞬いているようで綺麗だった。この光景が好きと言ったコーエンの気持ちも分かる気がする。
「夜空が落ちてきたみたい。綺麗」
「あら。随分と綺麗に表現してくれるじゃない。嬉しいわ」
「星屑の街って感じがします。絵本みたい」
幻想的でさえあって私はコーエンを振り返る。優しい微笑を浮かべてコーエンは嬉しそうだった。
「ありがと。さて、それじゃあその星屑の街を案内してあげなきゃね、まずはこっちよ」
コーエンに連れ回されながら私は城下町を歩いた。城下町の人とは顔見知りがほとんどらしく、誰もがコーエンを見れば声をかけていく。コーエンもにこやかに返事をし、相手の名前さえ呼んでいた。そんなに覚えているのかと驚けば、我が王が覚えているのにアタシが覚えないわけにいかないでしょ、と小声で教えてくれた。
「我が王は人も魔物も等しくこの領地に住まわせる。その理想にアタシは痺れたし、叶えたいと思った。此処を追い出されたら行くところのない者ばかりなの。だから我が王は此処で全てを受け容れる」
歩き回って脚が痛くなった頃、コーエンにタイミング良くカフェに誘われて二つ返事で頷いた。石畳の高低差がある道を歩く疲労をコーエンには見抜かれていたのかもしれない。嗅いだことのない香りのお茶を飲みながら、私はコーエンの話を聞いた。
「どうして王様は其処までするんですか?」
「どうしてだと思う?」
質問に質問で返されて私は困惑した。こういうお客さんはいる。何かお探しですか、と声をかけたら何を探してると思う、と逆に訊いてくる人だ。困っていそうだから声をかけたのに、とあの頃は思っていたけれど今は人手不足でお客さんの方から探し物があるか訊いてくるようになってしまった。この手の返しにどうして良いのか、売り場に出なくなって数年経ってしまった私は困惑する。クレームになってから呼ばれることが多くなったせいだ。
「分からないから訊いてるんです」
困った私が正直にそう返せば、コーエンはくすくすと笑った。優雅にお茶を飲んで、ごめんなさいね、と笑いながら続ける。
「我が王がどうして其処までするのか、アタシも知らないの。ただこれが我が王の願いであることは感じ取れるからアタシはそれを疑わないだけ。その願いを叶えるために動くだけ。
アタシ、元々はヴェステン出身なのよ」
「え」
急に身の上話が始まって私は目を丸くする。コーエンは何でもないことのように言ったけれど、境界を超えてきた人を近衛隊長にまでするのか、と少なからず驚いた。いつから魔王と争いが続いているか知らないけれど、他所から来た人を近衛隊長にするなんて相当の信頼が必要だろうと思う。いくら制限はしていないとはいえ、私のように誰かの身代わりとか、目的があって送り込むこともあるだろうに。
自分の意思でやってくる人があぶれた者なのかどうかなんて、審査があるのだろうか。受け入れてから調べるなんて面倒なこと、手間のかかること、通常ならしないだろう。それが何処でどう住み着いて暮らそうが、騒ぎを起こさないなら見咎められることはない。でもお城に招き入れるとなれば話は別だ。
「とは言ってもアタシ、太陽なんて拝んだこともなかった。この見た目はヴェステンでは嫌われるのよ。魔物と交わって生まれた子だろうと言われた。父も母も、同じ肌や目をしていなかったから。アタシを産んだ母はお産のショックで死んだ、ことになっているけど実際はどうかしらね。アタシは家の深くに隠されたわ。誰の目にも触れさせなかった。生まれなかったことにされた。死産として扱われたの」
「……」
私は何と言って良いのか分からず言葉を失った。相変わらずコーエンは何でもないことのように話す。それは私の住んでいた場所や時代からするととてつもなくかけ離れた感覚で、福祉や行政が動くレベルの話だと思うけれど此処はそうではないのだ。少なくとも私が召喚された、ヴェステンでは。
「家は異母弟が継ぐわ。後妻に迎えられた人が産んだ弟は両親に似ているようだから。弟が生まれ、健康に育ち、アタシは不要になった。こんなのでも一応は子どもとして見てもらえていたのかしらね。でも家督を継ぐ者がいるならただの穀潰しなんて要らないわ。アタシの体の大きさに合わせた棺が用意され、アタシは眠っている間に納められた。そのまま境を超えてアーベントの森に放り込まれたの」
それが何歳くらいのことだったのか、其処まで突っ込んで訊く勇気はなかった。訊いて良いことかも判らなかった。コーエンは琥珀の視線をカップの中へ落として、肘をついて頬を支え、もう片方の手でスプーンを取るとカップの中身をぐるぐるとかき混ぜる。視線はまだ、円を描くカップの中身を見つめたまま。
「目が覚めた時、怖かったわ。自分以外の息吹を感じることなんてなかったもの。暗い部屋で日がな一日、ただ座るだけ。食事は一度。世話をしてくれた人がアタシに言葉を教えてくれた。ほらアタシ、可愛いから。こんなに可愛いのに可哀想にって憐れんでくれたの。アタシが暴れても大丈夫なようにって屈強な人だったけど、可愛がってくれたわ。いつからか変わってしまったけど。
人と話さなくなって、ある夜に森へ放り込まれて、いつ棺を食い破って何が現れるか分からなかった。アナタ、想像できる? 棺が開けられて我が王のあの仮面が覗き込んできた時のアタシの衝撃が。きゃーって悲鳴をあげたわ。我が王も驚いて腰を抜かしちゃって。第一声で悲鳴をあげられる度胸を買われたの」
コーエンの辿ってきた人生は過酷だけど魔王との出会いはちょっと間が抜けている。腰を抜かす魔王なんて聞いたことがない。ファンタジーは映画くらいでしか知らないけど、魔王って強くて怖い存在じゃないのか。コーエンの悲鳴に驚いて腰を抜かすなんて。そしてそれを度胸があると捉えるなんて。
「聞いたことがなさすぎて全然想像するの難しいですけど、その出会いがあなたにとって大切なものだというのは伝わりました」
そう返せば、あら、とコーエンは目を丸くして私を見つめ、それからまた嬉しそうに笑ったのだった。