7 無垢な目
何と答えるべきなのか。
私は答えに窮したまま表情を動かさないことに集中した。はいもいいえも、迂闊に答えれば魔王へ情報が行くだろう。
「……救う、なんて途方もなく大層だわ」
救国の聖女と聞いて思い浮かぶ人物が辿った末路を思い出しながら、私は首を傾げてみせた。聖女と担ぎ上げられた娘は最後は守るために戦ったはずの民の目の前で魔女の烙印を押されたはずだ。あぁもしかして、そういう意味の生贄だろうか。
「予言が正しくて、リナさんが聖女として目覚めればできます」
「予言が正しくない可能性があるの?」
予言とか占いとか、不確実な未来のことを言い当てる類のものを私はあまり信用していない。星座占いなんて気にもしないし、血液型占いはどの血液型を読んでも自分に当てはまりそうだと感じる。とはいえ私の場合はそんなものに左右されて一喜一憂する余裕がないとも言えた。
ラッキーカラーを取り入れても仕事は毎日激務だし、お客さんとの相性を血液型で判断することもない。
けれど裏を返せばこの国はそんな不確実なものにも縋らざるを得ないくらい追い詰められているとも考えられる。
「王都から広まった予言ですから。でも国の行く末について、王様のことにも触れられているなら無関係ではありません。王様の呪いが解けなければクリスタルから生まれる魔物を止める手立てはないんです。王様がいなくなれば魔物は知能と理性を失って、王様がいなかった頃に逆戻りです。それはきっと国の崩壊を早めます」
私は重要な情報を拾った気がして目を伏せ考え込んだ。予言の全貌をロドルフが知っているかは分からない。でもそれを訊いて王都から来たはずの私が知らないことを教える行為はリスクが大きい。それよりも魔王は呪いにかかっていて、それを解く方がよほど大切なことのようにロドルフは話した。
「……呪い」
問いに聞こえないよう、語尾に気をつけて声に出した。答えてくれれば御の字。なくても独り言として流される可能性が高い。
魔王は魔物に影響を与えるようだ、と私はロドルフの話から推測した。魔物を生み出すクリスタルとは切っても切れない関係であることも窺われる。
そしてやはり、魔王がいることで魔物は統制され人の居住区と棲み分けができるのだ。境界とやらを越えることは原則できず、知能と理性を持つ。けれど魔王がいなくなれば、それらは失われる。
……ん?
何かに引っかかったけれど確かめる前にロドルフが口を開いて意識をそちらへ戻した。
「骸の王の呪いです。リナさんは王様に会ったんですよね?」
「そうね」
私は頷いた。中学生くらいに感じた魔王の部屋から出てきたのは私が唯一らしい。ただ、コーエンは唯一の乙女、と言っていたから、唯一と言って良いのかは判らない。私は乙女ではないからだ。魔王にはそれがバレていることも考えられる。身代わりを寄越したと気付いたらあの魔王はどうするのだろう。謀られたと八つ裂きにしてもおかしくないかもしれないし、ただの娘なら用はないと追い出しただけかもしれない。
「あの仮面もご覧になりましたか?」
「……そうね」
触れて良いのかも分からなかったから私からは一度も話題にしなかったけれど、ロドルフに触れられたなら答えないわけにはいかず、私はこれにも頷いた。真っ白な、髑髏を彷彿とさせる仮面。顔全体を覆うから魔王の顔を私は知らない。
「あれは王様の呪われた姿です。今日は大人でしたか? 子どもでしたか?」
「え?」
訊かれた意味が判らなくて私は眉根を寄せる。表情を動かしてしまったことには気がついたけれど、やってしまったことは戻せない。
ロドルフは表情を変えなかった。私に尋ねた時の表情のまま、答えるのを待っている。
「……子ども、に見えたけど」
生唾を飲み込んでから意を決して答えれば、あぁ、とロドルフは何でもなさそうな声を返してきた。
「今日はその歳の日だったんですね。明日はおいくつか、明日にならないと判りませんが」
「どういう……?」
流石に理解できないことすぎて尋ねた。ロドルフは金の視線を私に向けて、呪いです、と答える。
「王様はクリスタルに自らの躰を取り込ませてます。王様が持つ誰よりも膨大な魔力を取り込ませることで、クリスタルの力と拮抗することができるんです」
更に理解の範疇を超えていくから私は膝に両肘をついて頭を抱えた。クリスタルに取り込ませるってどういうことなの。そんな状態で生きられるのか。
「リナさんがお会いになった王様は、意識だけ別の人形の体に移しているような状態ですね。あの体は人ではない。形がない。実体がない。とはいえ物には触れられるし魔法も使えるし一応腕も脚もあるにはありますが」
ロドルフは私に構わず話し続けた。
「王様はつまり、この国の人のためにご自分の時間を差し出したんです。過去も未来も、国のために。だから骸の王。だからあんな姿なんです。でも何もないところを見ては話せないだろう、とあの仮面をつけていらっしゃるんですよ。オリスさんにも帽子や服を。あ、オリスさん、ご存知ですか? リナさんを迎えに行った馬車の」
「御者をしてくれてた……?」
透明人間の、とは言わずに言葉をわざと結ばずに私は返す。顔を上げて窺えば、そうです、とロドルフは嬉しそうに頷いた。
私はまた考え込む。魔王とフィオナは言っていたけれど、その魔王は此処では王様とだけ呼ばれ、話に聞く限りは自己犠牲で国に尽している。
そんな人を倒してしまったら、この国はどうなってしまうのだろう。
先程引っかかった矛盾に戻りながら私はロドルフをじっと見た。
「王都の王様とは仲が悪いのに王様はどうして其処までしてくれるの?」
ロドルフは微笑んだ。小学校の高学年くらいの歳にしか見えない割に大人びた表情で。
「アーベントはヴェステン王国からあぶれた者たちの集まりだ、と王様は言います。ならず者、はみ出し者、魔物。およそ綺麗な外では生きられない者たちが集った宵の国だと。でも悪いものではないんです。“災い”の時でもなければ」
そう話すロドルフ自身も、そう、なのだろうか。あぶれ、あるいははみだし、もしかすると魔物で。
そしてロドルフの回答が明確な答えではないことにも私は気付いていた。それは理由ではない。魔王ももし、ならず者で、はみ出し者で、魔物なら解るけれど。およそ綺麗な外では生きられない自分のような者たちのための場所を作ろうと思うかもしれない。でもロドルフはそうは言わなかったし、こんなところにいたいわけがないといったことも言っていた。それなのに自己犠牲の上に成り立つこの場所で、王様として在る理由は。
「……私、此処のことも王様のことも、何も知らないのね。ロドルフ、あなたから話が聞けて良かった。
まだまだ知らないことが沢山あると思うけど、頭がいっぱいなの。少し考えるわ。そしてまた知りたいことができたら、あなたに訊いても良い?」
ぼくに、とロドルフは目を丸くした。あなたに、と私は頷く。少しだけロドルフの目が泳ぎ、王様が許してくれれば、と僅かに唇を動かして答えた。
「あなたの話し振りだと、王様はとても優しい人のようだからきっと許してくださるわ」
営業スマイルで私はロドルフに微笑んだ。ロドルフがそう報告するかは判らない。けれどこの部屋で交わされる言葉を持ち帰るのがロドルフだけとも限らない。何処かに隠しカメラや盗聴器のようなものがあってもおかしくはないんじゃないかと私は疑っていた。
乙女を魔物から守るため、とコーエンは説明したけれど、その真偽を確かめる術は私にはない。見知らぬ場所で、敵地と呼ばれるようなところから来た誰かを無防備に城内へ置いておくとは思えない。最初から裸の状態でコーエンには連れてこられたから身体検査がなかっただけで、本来なら城内へ、あるいは領地内へ入る前に調べられるものなのではないだろうか。
争うって、そういうことだと思うし、セキュリティ面からもそれくらいするだろうと思う。
魔王の体がいくら人形だろうと。実体がなかろうと。此処に魔王が住む限り。
「でもこの部屋は外から鍵がかかってるの。コーエンが迎えに来てくれるまで、あなたのことを教えてもらえたらと思うのだけど訊いても良い?」
次があるかなど判らない。この部屋を見張られていることを前提として考えて、ロドルフ自身の情報を収集しようとする私を好ましく思わなければすぐ迎えが来るだろうと思った。タイミングによっては本当に見張られていることの裏付けにもなるかもしれない。まぁそうとは判らずに止められることも考えられるけど、その時はその時だ。
「ぼくの?」
ロドルフは意外そうにまた目を丸くした。そうすると子どもらしさが強調されて可愛らしい。見た目の割に大人びた話し方や表情をするから此処でどんなことをしているのか気になった。相手の動向を探る下心もあるのは申し訳なさも覚えるけれど、単純にこの場所でどんな生活を送っているのか関心もあった。
「あなたの。もし違っていたらごめんなさい。あなたも王様も、同じくらいの歳の頃に見えたものだから。あ、でも王様は今日は子どもの歳の日、だったんだっけ」
まだ時間を差し出したという意味だとか、過去も未来も行き来しているような表現には感覚が追いつかなくて実感を伴っては言えない。でも話を聞いていたことは示す必要があると思って私は言い加えた。ロドルフは意外そうに目を丸くした表情からきょとんとした表情に変わっていて、それから首を傾げた。
「ぼくはオリスさんの弟子です。厩で仕事をしています。物覚えが良いってオリスさんがコーエンさんに報告してくれて、時々こうして覚えの良さを活かした別の仕事をさせてもらうことがあります。えっと、十二歳です。王様も今日はそのくらいでしたか?」
「もうちょっと生意……じゃなくて歳上そうな印象は受けたけど、そんなに大きくは離れないと思うわ」
そわ、とロドルフが指先を絡ませて、月明かりでも判るくらい頬が上気したように見えた。ただでさえ金色の綺麗な目がより輝きを増したようでもある。その反応が分かりやすくて私は苦笑した。
「……嬉しい?」
指摘されたと思ったのかロドルフの頬に朱が走ったのが見えた。視線が逸れる。憧れの存在のようなものだろうか、と私は思う。そんな人が呪いのせいとはいえ年齢が近くなっただけで、距離が何となく近づいたような気でもするのかもしれない。
「あなたにとって王様は本当に凄い人なのね」
純粋な思いを魔王がどう捉えて受け止めているのかは判らないけれど、どうかこの無垢な気持ちを裏切るような統治はしていませんように、と私は願う。
ロドルフの目は新人さんが先輩から仕事を教わって色々と覚えている最中の目に、よく似ていたから。