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2 意図しない身代わり


 視界の隅でガタガタ震えるフィオナを差し出す気には、とてもじゃないけどなれなかった。だからといって女湯に壁を破壊して入ってくるようなオネエさんについていく気も起きない。


 この衝撃と音は建物全体に響いたはずだ。すぐに護衛の人とかが飛び込んでくるだろう。すっぽんぽんだけど、なんかもう全身見られちゃってるし、私より綺麗なオネエさんの前では隠す価値のあるものとも思えない。今更隠す方が何だか恥ずかしかった。


「アタシを前にしても動じない素敵なアナタ、アナタが乙女? アタシと一緒に来てくれるかしら」


「え」


 嫌です、と言いたかったけど言ったらどうなるか分からない。護衛の人は全然来てくれないし、フィオナは相変わらずガタガタに震えている。そうこうしている間にオネエさんがこちらへ近づいて、軍服らしい上着を脱いだ。


「こちらにいらっしゃい。風邪を引くわ。其処の侍女は残念だけど置いていきなさいね。乙女しか連れてきちゃいけないって言われてるから」


 本物の水晶の乙女であるフィオナは湯浴みを手伝う侍女だと思われたらしい。にっこり綺麗に微笑まれて手招きされて、優しそうに見えた。でもこの人、壁を破壊した人なんだよな……と私は思う。まだ全然受け入れられないけど魔王の生贄にされるとかいう予言のために行動しているらしいことも言動からは窺われたし。


「ほら、良い子だから。早くいらっしゃい。あんまり言うこと聞かないと、其処の侍女、殺すわよ」


「ヒッ」


 こら、水晶の乙女。よく分かんないけど期待されてるんでしょう。悲鳴なんかあげてる場合じゃない。本来なら一般人の私を守るべきでしょ、と思ったけどまた顔面蒼白になって震えているフィオナに助けを期待するのは無謀に思えた。


 私は意を決してお湯から足を出す。そう、良い子ね、とオネエさんが満足そうにまたにっこり笑う。こんなに綺麗な顔をして、でも殺すなんて物騒な言葉を使う人なのだ。私だって殺されない保証はない。だってそもそも、予言の乙女じゃないし。乙女って柄でもないし。


「我が王の前に上がるために綺麗にしていたの? 良い心がけね。気に入ってくださると良いけど」


 お湯で濡れている私の体を躊躇いもせずに自分の上着で包んでくれて、オネエさんは私にそんな言葉をかける。何やら盛大な勘違いをされてしまっているけれど、肯定も否定もできそうにない。声を出そうとすると喉がカラカラになっていた。現実感がなくて受け止めきれていない心とは裏腹に体は緊張しているようだ。私もフィオナと同じでもしかしたら顔面蒼白なのかもしれない。


「そう、こっち。水晶宮から落ちないように気をつけて。さぁ乗って」


 馬車の乗り口に誘導されて、私はギリギリまで寄せられた馬車に乗り込んだ。黒くて四角い形をした馬車で、大きな棺桶みたいだ、と思う。棺桶ほど細長いものではないけど、その色と形に何となく不吉さを覚えた。


 乗り込む時に見えた足元には随分と先に空と同じ色の湖が広がっていて、崖の上にでもある建物なのだろうと思った。羽織らせてもらった上着以外に何も身につけていないから、開放感もヒュッとなる恐怖感も凄い。だから足の裏がふかふかの絨毯を敷いた馬車の内装を踏んだ時には安心してしまった。


「それじゃ、お邪魔しました〜」


 オネエさんが明るい声でフィオナに手を振り、馬車に乗り込むと扉を閉めた。そのまま馬車が間髪入れずに動き出すからバランスを崩した私は後ろに倒れ込む。


「わっ」


「あらぁ、大丈夫? ほら、座って」


 オネエさんに肩を掴まれて支えられ、あまつさえ心配されて私は目を白黒させた。意図せず身代わりとして馬車に乗り込んでしまったけど、どうするつもりなんだ、私。


 見た目にそぐわないくらい強い力に押されるようにして裸のお尻が座席に座った。ふかふか素材のクッションは私のお尻を包んでくれる。どのくらい乗るか分からないけど快適な旅ができそうだった。


「急にごめんなさいね。でも予言は聞いていたでしょう? アタシはコーエン。お嬢さん、アナタのお名前は?」


「リ、リナ、です」


 苗字を省いて名前だけを答える。王子に耳慣れない名前だと言われたのを密かに気にしていたからだ。


「その辺の村娘と変わらない名前。異邦の乙女と聞いてたけど、案外普通ね」


 コーエンと名乗ったオネエさんは私の隣に座った。剥き出しの脚を触られて、ビクッとなってしまう。ふぅん、とコーエンが意味深に笑う声が耳元でした。


「着いたら綺麗なドレスを着せてあげるわね。アナタに似合いそうなものが何着か思い浮かんでるから。それから髪を纏めて、我が王の前に出してあげる。アナタを気に入ってくれると良いんだけど」


「え、あの」


 どういう意味、と問おうとして急に暗くなったから驚いて窓の外に視線を向けた。さっきまであんなに綺麗な青空が広がっていたのに、今は急に夜が近づいている黄昏時だ。一気にそんなに時間が進んだとも思えなくて唖然としている私の両肩に、コーエンが手を置いた。ふ、と耳元で艶のある声が教えてくれる。


「アーベント領に入ったの。我が王の領域。お城に近づくにつれて暗くなるわ。骸の王の領域に入るのは初めて? そんなに緊張しないで。予言に従ってアナタを迎えに来たんだもの。敵意はないわ。今は、ね」


 含みのある言い方に予言に書かれた人物ではない私が安心できるはずもなく、体を震わせないようにするだけで精一杯だった。全然知らない場所の更に知らない場所へ来てしまったらしい。しかも敵地。まぁさっきのフィオナたちの場所が味方かというと、そうとも言えないけど。何せ私を身代わりに仕立てようとした人たちだ。誰も味方じゃない。


 私が予言の人じゃないとバレたら、どうなってしまうのだろう。間違えたこの人だって無事では済まないかもしれない。


「そろそろ着くわよぉ」


 馬車が旋回しながら下降するのが分かった。バランスを崩す私は何かに掴まろうと手を伸ばすけど、何も掴むものがない。はいはいこっち、とコーエンが私を支えるために腕を伸ばし、私に掴まらせてくれる。コーエンの見た目からは想像もつかない筋肉質な腕にしがみつきながら、私は馬車の揺れに耐えた。


 馬車の車輪が宙以外のものを踏んだ感覚がして、衝撃が続いた。跳ねた体をコーエンが押さえ込むようにして支えてくれる。馬車という乗り物に慣れている人だと思った。


「はい、お疲れ様。早速で悪いけど、休んでる暇はないわよ。さぁ降りて。アナタをドレスアップするのがアタシの次の仕事」


 コーエンに手を引かれながら馬車から降りる。ブルル、と背後でいななく声がして振り返れば黒い馬が二頭、頭と尻尾を振っていた。その馬を撫でている手袋がある。けれどその先はなく、私は目を丸くした。いや、正確には服はある。コートを着て帽子をかぶっているし、首元は風を吹けて冷えるのか襟巻きまでしている。でも、顔がない。腕がない。透明人間、という単語が頭に浮かんだ。


「あの子がアナタがいる場所を教えてくれたのよ。運転は時々乱暴だけど、探査力であの子の右に出る者はいないわね。本人は(うまや)の世話をしてる方が好きみたいだけど。

 送迎ご苦労様。馬たちも労ってあげてね。王には報告しておくわ。アナタたちにご褒美がありますように」


 コーエンは私の視線の先を追ったのか説明してくれた。透明人間はかぶっていた帽子を紳士のように上げてみせる。表情は全く分からないものの、私は何となくぺこりとお辞儀をしてコーエンの後に続いた。


 降り立ったのは石造のお城の門前だった。尖塔がいくつもある、大きなお城だ。映画とかでしか見たことがない。それか夢のテーマパーク。何形式とか、そういう難しいことはわからないけど、コーエンの話からこのお城に魔王とやらが住んでいるらしいことは分かった。振り返った空の遠くは明るくて、お城の上は月が浮かんでいるものの宵闇が降りている。真夜中みたいな雰囲気を出しているけど夕方から夜になるまでだって早すぎる。


「リナ、早く」


 コーエンに呼ばれて私は足を出した。着いていって良いのか分からないけど、こんなところで立ち尽くしていても仕方がない。


 お城の中は静かだった。何処をどう歩いたか分からなくなった頃、私は衣装部屋かと思うくらい布に溢れた部屋でコーエンにあれでもないこれでもないと服を当てられていた。そのままでは何だからと下着を渡されたけど、こんなレースの可憐な下着を誰が用意したのかと思う。まさかコーエン、これを身に付けているの……?


 思い浮かんだ想像を慌てて振り払いながら、とりあえずすっぽんぽんから下着姿にはフォームチェンジする。いつまでもコーエンの上着を羽織らせてもらうわけにもいかないし、私も服があった方が良い。着慣れていないからあんまり広がらないのにしてほしいけど、私の希望は聞いてもらえそうにないくらいコーエンは夢中で真剣になっていた。


「アナタの顔立ちを活かすとするなら……これね。我が王はこんな細かい拘りに気づいてくれるかしら。でも良いの。アタシがリナを着飾りたいわけだし」


 心の声が漏れているようだけど私は黙ってコーエンがドレスを選び終わるのを待った。どうしよう。どんどん否定しづらくなる。でも否定したら本当にどうなるか分からない。というか夢。夢ではないのだろうか。まだスマホを握ったまま部屋で寝落ちしている可能性に思いを馳せてみたけど、色んなものの感触が現実味を帯びすぎていてそれこそ懐疑的にならずにはいられない。


「あ、あの、私」


「なぁに、リナ。こっちの色の方が良い? まぁ確かに着る人の好みは大事よねぇ」


「そういうことじゃなくて、私、仕事が」


 こんなところまで来て明日の仕事のことを心配している自分に驚いたけど、でも心にひっかかっている。ブラック企業で働く私は明日からの地獄の繁忙期を休むわけにはいかない。この繁忙期に向けて色々と準備してきた。明日で入社五年目を迎える私は既に店を回す側の人間で、休みなんて許されない。職場の人間関係を調整して働きやすい環境作りに努めてきた。後輩の後生という頼みを聞いてスマホゲームに事前登録したのだってそのひとつだ。


「まぁ、もう働くつもりでいるなんて偉いわ。ドレス選びに時間をかけちゃってごめんなさいね。さぁこれに着替えましょう。髪の毛も任せて。とびっきり綺麗にしちゃう」


「え、え?」


 どういうこと、と思っているうちにコーエンにひとりでは着られないだろう構造のドレスを着せられ、髪を手早く纏められた。あれよあれよという間にまたコーエンに連れられてお城の中を歩き回り、物々しい大きな扉の前に立っている。


「此処が我が王のお部屋よ。アナタが来ることは予言で知ってるわ。でも王は気にしがちな人だから、ご機嫌を損ねないように気をつけて。でもこれは、アナタにしかできない仕事。アナタが気に入られますように。頑張ってね」


「え、だから、あの」


 どういうことなの。訊きたいのに訊くタイミングを悉く逃す。コーエンが人の良い笑顔を浮かべながら人の話を聞かないタイプだからかもしれない。扉を開けられ、背中を押された。押し込まれて数歩足を出せば、無情にも扉は閉められてしまう。私はひとり、魔王の部屋に取り残された。



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