19 頼み事と調べ事
「境の村に行きたいんです」
「……足になれって話か?」
怪訝そうなオリスの声に、私はかぶりを振る。
「違います。その村で、ヴェステンの今の状況を探りたいんです」
私はコーエンへ話したのと同じ内容をオリスにも喋った。発端がエルガーの望みを叶えるためであることから始めて、ロドルフを巻き込む理由、今の特訓成果のお披露目のためにあらかじめヴェステン側の情報を得ておきたい故であることまで全て。隠し立てをする理由もないし隠したところで逆効果しかないなら全て話した方が良い。彼もエルガーを好意的に捉えているだろうことはロドルフの様子からも窺える。これがエルガーのためである、果ては領民である自分へ返ってくるものである、と理解してくれれば期待はあった。
はぁ、とオリスは溜息を吐く。
「それで境の村に行きたいって? なぁ、コーエン、お前はそれで良いのか?」
オリスから話の矛先を向けられたコーエンはにこにこして、ええ、と答える。
「支障ないわ」
そうかい、とオリスはまた息を吐いた。困惑した様子であることは声から窺われるものの、その表情までは推測できない。何を考えているかも読み取れはしない。それでも即答しないなら余地はある。
「エルガー様に許可を頂ければという話にはなりますけど、まずはお願いするあなたの意向を聞いておきたいと思いまして。でも個人的には『能力があるなら活かした方が良い』、と思います」
それはオリスがロドルフを評した時の言葉だ。つい先ほど自分で言ったことなのだから覚えているだろう。それを返されて、おいおい、とオリスは参ったような声を出した。
「恐ろしい娘だな。だが、まぁ、考えは分かった。いつまでに必要だ?」
「今週中には」
「分かった。明日まで時間をくれ。ゆっくり考えたい」
どうぞ、と私は頷いた。焦らないのが肝心だ。
「それではお暇します。実は馬のお世話って興味があるので見学してみたいんですけど、やることがあるので。落ち着いたら見学させて頂いても?」
オリスとロドルフに視線をやって尋ねれば、ロドルフはオリスを向いた。あぁ、まぁ、とオリスが答えてくれる。ありがとうございます、と私はまたお礼を言った。
コーエンと一緒に厩舎を後にして、また談話室へ戻る。暖炉の火を頼りに読書の続きをするためだ。情報は多いほど良い。本当はもう少しこの国の成り立ちだとか魔法が何なのかとか、クリスタルがいつからあるのかとか、魔物はどんな存在として扱われているのかとか山ほどある知りたいことについて書かれたものがあれば良いのだけど。予言の乙女と思われている私が迂闊なことを質問すれば疑念を抱かせることになるだろうから、本から得られる情報がもっと欲しい。
幸いにも城の蔵書は多い。後は時間だ。私の理解力と、時間との戦い。ひとまずタイトルと目次を見て今すぐ必要な情報が載っていそうか判断して読む。コーエンの目も誤魔化さなくてはいけないからそんな根本的なところを確認する必要がある理由についても考えておかなくてはならないだろう。
「リナ、アタシ何か飲み物を持ってくるわね。アナタ休憩を取らないから」
コーエンが談話室の鍵を開けて私を入れた後にそう言う。ありがとう、と私は微笑んだ。朝からノンストップで動き続ける生活を毎日していたせいで休憩という概念が私には薄い。一週間程度ではその感覚を得るには難しく、コーエンに声をかけられてようやく無理矢理にでも休む有様だ。
「アタシも此処で報告書について纏めることにするわ。何かあれば声かけてね」
うん、と頷く私が飲み物がなくなったくらいで声をかけないことはコーエンも既に知っている。それでもこうして言ってくれるのはありがたいことだ。親しみやすく、声をかけるハードルも下がる。その本質は監視だとしてもコーエンの心遣いは本物だと信じたい。私の口調が砕けたのも早かった。それはひとえにコーエンの親しみやすさにある。
それじゃ準備してくるから、とコーエンは私を談話室に残し、鍵をガチャガチャとかけてから歩いていく。部屋にひとりでいることを好機と捉え、私はコーエンの目を盗んで読もうと思っていた本に手を伸ばした。
* * *
曰く、クリスタルは人が住む前からこの土地にあった。遥か昔、此処は魔物の土地であり人は後からやってきた。
クリスタルは魔物を生む。ずっと宵が降りるこの場所で、クリスタルは魔物を生み続けた。
やがて人がやってくる。西の光が差す場所で、人は営みを始めた。最初はそれで良かった。必然的に距離が離れていて人と魔物が邂逅することはなかったし、被害もなかった。けれど人が領土を拡大するのは人の目から見れば自然なことで、魔物と相対することも増えた。当然、人は武装する。抵抗し、生き残ろうとする。ヴェステン王国が出来上がり、人は統率され魔物は討伐されるものとなった。
それでも魔物は減らない。人も増え続ける。住む場所を求め、豊かに暮らせる土地を求め、魔物のいる土地にも足を踏み入れた。時には勇猛さの現れとして。魔物も宵の場所を好むとはいえ陽の下に出られないわけではないから、獲物を求めて彷徨ううちに陽の下で人と出会うことも多かった。大きさと力の前に人が手に入れたのは数と武器だ。人の側にも犠牲は出るものの、魔物を討ち倒すことはできる。人は傲慢にも侵略を続け、油断なく戦術で魔物を追い詰め住む場所を広げた。
木を切り倒し家を建て、土地を耕し農作物を育て、我が物顔で練り歩いた。だがそれで魔物が怯むものではない。変わらず陽の下で人と相対してはお互いに牙を剥いた。
クリスタルは魔物を生み続ける。人が減らしたとしても変わらずに。そうでなくても魔物同士も獲物になるから自然淘汰されるものもいる。
「……ということは」
私は本を閉じて頬杖をついた。コーエンは何度目かの飲み物補充で部屋を離れている。常に夜のせいか此処は全体的に冷える。温かいものが飲みたいじゃない? とコーエンは暖炉の火で温めたお茶を多く飲んだ。意外に寒がりなんだろうかと私は思う。暖炉の傍は暖かいし、乾燥して喉が乾くことはあっても飲み物で体温調節が必要になるほどではなかったからだ。コーエンがそうして頻繁に飲むからお茶はすぐになくなった。私はコーエンが補充に出る度に後で読もうと思っていた本を広げて読み進めていた。それを丁度読み終わったところだ。
ということは、人と魔物は密接に暮らしていたことになる。いつからアーベントは魔物が出られないよう境界を作り、人と魔物とを隔てるようになったのだろう。本にはそれが書いていない。エルガーがいつ魔王になったのかも。いつから此処にいるのかも。
──けれど骸の王の力で魔物がアーベントを出ることは原則ありません。
──力が強いものが人の領域へ出て行かないよう、王様が区分けしているんです。人の住む場所と、魔物の住む場所を。
ロドルフが教えてくれたことを思い出す。エルガーが此処で魔王として在るようになるまで、もしかしたら魔物はずっと人の近くにいたのかもしれない。そうであるなら。
そろそろコーエンが戻る時間だろうと思って私は本を別の本と取り替える。ガチャガチャと解錠させるための音が聞こえてコーエンが往復にかかる時間を把握し始めた自分に苦笑した。
そうであるなら、と鍵が開くまでの時間に私は思考を纏めた。
果たしてエルガーはどんな思いで此処に魔王として在ることを決めたのだろうか。そしてその期間は一体、どのくらいのものなのか。
まだまだ知らないことがあると実感して、私は溜息を吐いた。