17 新戦力
「良いでしょう、今日は此処までにします」
私が終了を告げると、はぁ、と大きな溜息がエルガーから漏れた。肩の荷が降りたかのような様子に、私も内心で息を吐く。こんな様子で私の思い描く領主になるのは果たしていつになるだろうか。期限の設定が必要かもしれない。
「エルガー様、つかぬことをお伺いしますが、ヴェステンとの会合ですとか、そういったものはどのくらいの頻度で開かれますか?」
「……どうだった、ロドルフ」
エルガーがロドルフを見る。そうですね、とロドルフは真面目な表情でエルガーと私を見た。
「王様から以前は数ヶ月に一度と聞いていましたが、今は半年に一度、といったところかと。こちらからの報告書は毎月のように上げているという話だったはずです」
うん、とエルガーは頷いた。だそうだ、とそのまま私を向くから、ははぁ、と私も膝を打つ。ロドルフの記憶力をそういう風に活用しているわけね、と。
「その報告書についての返答はあります?」
「ない。見ているのかも怪しい」
「ん? ではその会合はヴェステン側の都合で開かれるということですか?」
そう、とエルガーは頷く。あまりこちらの都合で開催を要求することはないと。ふむ、と私は考えた。
「色々と準備を進めるものが他にもあるので今すぐに、というわけにはいきませんが、その会合でエルガー様、今身につけて頂いているその姿を披露しましょう」
「は?」
何を言っているのか、とエルガーが思っているのは凄くよく伝わってきた。表情など見なくても手に取るように判る。私はにっこりと笑って、やりましょう、と押す。
「折角身につけても披露しなくては意味がありませんからね。エルガー様もそう思いません?」
「え、い、いや、僕は……」
否定しようとするのを遮って私はロドルフを向いた。驚いた様子で目を丸くするロドルフの目ににっこりと笑う私が映る。怯えられているのはよく解っていた。私が怯えられる程度で回せるようになるなら安いものだ。
「あなたにも活躍してもらうわ、ロドルフ。次に報告書を出すのはいつ? その中に会合を開きたい旨を記しましょう。次の報告書を出す前に返事がなければこちらから赴くつもりがあることも書き添えておくわ。返事があれば読んでいる証拠。そうでなくても赴いて行動に移します。つまりそれまでに、お二人には身につけて頂きますよ」
「ほ、本気ですか」
「本気も本気。こういうのは早ければ早いほど良いの。こちらの準備は進めておきます。エルガー様は振る舞いに注力してください」
そのタイムリミットは私にも降りかかるものだ。そして今回の、つまりは次に出す報告書はヴェステン側だって気になっているはずのものだ。私を身代わりに寄越してアーベントが何を言ってくるのか、気が気でないはずなのだから。
「それじゃロドルフは自分の仕事に戻ってちょうだい。エルガー様も明日の同じ時間まではご自由に。報告書はコーエンでしょうか。私から話をしておきます」
次の段取りを色々と考え、私は部屋を後にする。出たところでコーエンが私を待っていたから時間通りねと笑えば、アナタこそ、とコーエンには微笑まれた。
すぐに報告書のことを話せば、コーエンは考えるように片手を顎に持っていく。握り込んだ手の内側を顎に当てれば肘が体の内側に入って華奢な印象になる。綺麗なコーエンには似合う仕草だ。自分の魅せ方を解っている人の行動だと思った。
「まぁ、我が王が良いなら良いけど。向こう側がこちらの報告書に目を通しているかは確かに不明ね。返事がないもの。でもまぁ、読んではいると思うのよ。クリスタルの動きは向こうも気になってはいるはずだから。それを踏まえて我が王とアーベントを中枢に関わらせないようにどう臣下たちに伝えるか、を考えているんじゃないかしら」
「ということはある程度の権力者が相手、ってことね」
コーエンの言葉に返せば、あら、とコーエンは面白いものでも見るような視線を投げた。琥珀の目が綺麗に細められる。手の内を全て見透かされている気分になった。
「そんなの当然じゃない。国を動かすのはいつだって少数の権力者よ。実力者じゃないのが痛いところね」
「でもだからこそひっくり返せる可能性があるわ。向こうはこちらを舐めてかかっている。ねぇコーエン、ヴェステン側の情報を知るには境の村に行くのが一番良いと思うの。こんなことあなたに訊くのはどうかと思うけど、村にはどう行けば良い? 地図でも書いてもらえれば自力で行くから」
あらどうして、とコーエンは本気で驚いた表情を浮かべる。それに面食らったのは私の方だ。どうしてって、嫌いなんでしょう、と答えればコーエンはカラカラと何でもないことのように笑い飛ばした。
「あぁそう、アナタ、アタシを気遣ってくれたのね。ヴェステンのことは嫌いだし、アタシは確かに境の村出身。でもね、これはお仕事。アナタの護衛も我が王には任じられているの。個人的な感情で仕事を疎かにしたりしないわ」
信頼できる、と私は思った。逆にエルガーの命令が絶対だから情に絆されることはない。不審な様子を見せたら殺して良い、みたいな形式の命令だったらコーエンに裁量がある。コーエンの主観で、不審に見えたから、という理由ひとつで殺されることもあるだろう。
下手を打たないようにしなければ。私は改めて自分に言い聞かせ、それじゃぁとコーエンを真っ直ぐに見上げた。
「近々行ってみたいわ。あなたの都合もあるでしょうからすぐにとは言わない。何処かで時間を取ってもらえないかしら」
良いわよ、とすぐにコーエンの返事がある。良かった、と私が胸を撫で下ろすと同時に、でも、とコーエンは思い出すように視線を逸らした。
「アタシよりオリスの方がそういう情報収集には向いてるわよ。何たって彼、服を脱げば何処にいるか判らないもの」
「は……え……?」
私は予想外の言葉に目を丸くした。オリスといえば何度か御者を務めてくれた透明人間のはずだ。確かに透明人間なら隠密行動に向いているし、情報収集などお手のものだろう。
「え、あの人、喋れるの?」
でも私は何となく彼は話せないのだと思っていた。いつも身振り手振りだったし、声なんて一度も聞いたことがない。
「当然よぉ。見えないだけであるはあるのよ。そもそもアナタがいる場所を教えてくれたのは口頭だし、ロドルフに教える仕事だって口で説明してるわ」
「え、で、でも、私、まだ声を聞いたことがない……」
動揺する私にコーエンはまた目を細めた。揶揄われて遊ばれているかのようだ。
「彼、恥ずかしがり屋なの。それから疑り深くて用心深い。アナタのこと、まだよく知らないからなんでしょうね」
「ど、どうして今教えてくれたの? まさかいるの……?」
私は疑心暗鬼になって周囲を見渡した。でも服を脱いでしまった透明人間がいるならその所在を知る術はない。触れるか、何か可視化できる術でもなければ。
「さぁ。でもロドルフが仕事に戻ってアナタと我が王との時間をオリスに話さないはずがないじゃない? 口止めはしていないようだし」
口止めなどするはずがない。ロドルフの重要性を周囲にも認めてもらう必要があるし、エルガーの変化を他の人にも感じてほしいからだ。それに人手も少ないお城だ。私は今のところ名前を知っている彼ら以外を見かけていない。料理を作ってくれる料理長がいることは分かるけれど、実はまだ姿も見てはいないのだ。だから漏れるとしても限定的だと思っていた。
下手を打つことはしていないと思うけれど、コーエンもいない時に何か口走っていないかというと判らない。ひとりだと思って気が抜けたりしていた時間はある。其処で自分がどうしているかまでは流石に覚えていなかった。透明人間なりのモラルがあることを願うしかない。
「……そう、でも、オリスさん、確かに素晴らしい能力の持ち主だわ。エルガー様のために動いてくれるかしら」
気を取り直して私が考え始めたのを見て、コーエンが笑った。
「アナタってホント。行ってみる? ロドルフが戻って厩の仕事を一緒にしているはずだから」
「行ってみる。情報は多いほど良いもの。オリスさんが賛同してくれなくても私が行けば良い話だし、無駄にはならないわ」
はいはい、とコーエンは息を零し、足を止めると向きを変えた。私もそれについて厩舎へと向かう。疑り深く、用心深い人相手に何から話そうか、と考えながら。
2022/06/14
あまりに誤字らの召喚が多すぎたのでちょこちょこと直しました…失礼しました…