16 レッスン
「そう、見下すような感じで!」
「み、見下す?」
「いませんか? 地団駄を踏みたくなるくらい腹が立つ相手とか! 胸倉掴んで前後に揺すってやりたくなるようなやつとか! そういう相手を心底軽蔑するような目を向けて欲しいんです」
偉そうな態度を身につけてもらうべく、私はエルガーをソファに座らせあれこれと口を出していた。角度、姿勢、話し方、間の持たせ方。視線や表情は見えないからどうしようもないけれど、大切なのは相手に抱かせる印象だ。相手が自分を格下と感じること、相手自身よりもこちらの方がこの場において有利な状況にあると思わせること、それによって流れというものは変わる。心理的な圧力を感じ、勝手に焦って自滅してくれれば結構。諸刃の剣ではあるものの、これまでと雰囲気が変わるギャップによって焦燥感は更に募ることだろう。私は彼にそれを身につけてほしかった。
「い、いない……きみにはいるのか?」
「いますよ。私がもう少し真面でなければ、頭のネジが外れている人間だったなら、無事ではない人のひとりや二人や三人や四人」
理性と分別ある大人だったから我慢したけれど、そうでなければお互い無事ではいまいと思う人物に私は心当たりがある。それはお客さんとして来店した人であったり、現場に足を運んだこともない本部のお偉いさんだったりする。最初のうちは引っ掛かっていたことも、理不尽を経験すれば些細なことになっていく。大抵のことは過ぎ去れば後を引かず、どうでも良いことに入るのだけどそうはならないことだってあった。向こうもやりすぎたと思ったのか後から謝ってくることもあるけれど、大人だから気にしてませんよと言うものの心の中では絶対に許さないと決めた数人がいる。地獄に堕ちると言われても、私はその人たちが助けを求めてきたとしても一才助けないと誓っていた。
「そうか……苦労したんだな」
「他の人と比べるものでもないので正直に言いますけれど、苦労しました」
エルガーの振る舞い指導を始めて熱が入ったことを指摘され、私は冷静さを取り戻す。だから高みを目指しました、と言葉を続ければ、へぇ、とエルガーとロドルフは興味を持ったように私を向いた。
「下っ端の私の言葉なんて誰も聞いてくれません。だから偉くなることにしました。地位と権力があれば煙たがられても無視されることはありません。高いところにいる人には聞こえない声を届けるために。最初は降って湧いた幸運あるいは不幸だったのかもしれません。でも、入口に立つ権利であることにも気づいて、私は私の意志でその先を登ることを決めたんです」
心と体を病んで休み、来られなくなった上司の代理として立った白羽の矢は、人によっては不幸だったのだろう。私も他に選択肢がない中、選びようもなく受け入れるしかなかった。でもその役目に付随してきた権利に気づいてからは積極的に声をあげた。改善されたところもあれば未だに握りつぶされる声もあるけれど、それでも後進を育てることもできていたし、優秀な人材だったことも相まってギリギリ何とかなっていた。私がいないまま始まっただろう繁忙期もきっと乗り越えられるはずだと思う。
「勿論、回しているのは私の力もありますけど実際に動いてくれる人がいるからだということを肝に銘じています。そうしないと私はすぐ忌み嫌っていた相手と同じ存在になってしまいますから。偉いのは働き蜂であって、女王蜂ではありません。そしてその働き蜂が動きやすい環境作りこそが、上に立つものに求められる役割です。
ですからね、エルガー様。あなたには非情な領主を“演じ”られるようになって頂きたいんです。心までそうあれとは言いませんし思いません。けれどそういう振る舞いができることは、交渉の場において状況を有利に傾ける力になります。手札になるんです。使えるものは多いほど良いでしょう?」
私が微笑んでみせれば、エルガーは迷った末に頷いた。其処で迷うな、とは思うけれど今は本番じゃないから別に良い。経験を積み、試行錯誤を重ね、考え方の中に生まれてくれれば。幸いにも彼は領民のために動こうという最も必要な要素は既に持ち得ているし、今は戸惑っているだけで有用性を理解すれば身につくタイプだろうとも思う。焦らなければ、いずれ。
「生き物が集まれば必ずリーダーとなるものが台頭します。そうでなければ集団は機能しなくなるからです。
リーダーに求められる役割は様々です。先導するもの、殿を務め自分より下は出さないと最終ラインとなるもの、寄り添い共に歩くもの。姿はひとつではありません。けれどその集団が求める姿はあります。それに合致したものが集団の意思決定をする。でもそれ、リーダーは何を基準に判断すると思いますか? 自分がやりたいようにやるものもあるでしょう。それが集団の求めるものに一致していれば良し、不一致ならば引き摺り下ろされるだけ」
エルガーが頷く。そうだな、と言うから想像できているのだろう。これが解っているなら話は早い。
「つまるところ、リーダーというものは集団の総意を代表して口にするんです。リーダーのやりたいことについてくる集団もあるでしょう。でもリーダーは集団の意見を無視できません。実際に動くのは集団を構成する個人だからです。だから働き蜂の方が重要なんです。彼女らがいなければ蜜の収集はおろか、巣さえできないのですから。
集団の動きをリーダーは見ています。何を求め、実際には何をしているか。反対に集団もリーダーを見ています。何を行い、集団に何を還元するか。相互的に作用しあうのですから当然です。そしてエルガー様、あなたはこれまでこのアーベントの中では非常に良い関係を領民と築いてこられたんでしょう。でもアーベントの外では別です。今後はそれを良くしていきましょう、ということです。
ヴェステンにはいませんか? あなたが苛立って仕方がない相手、理不尽な要求をしてくる相手、ともすればアーベントに住むものたちを蔑ろにし、無碍にしそうな相手」
私にはあの王子の顔が思い浮かんでいるけれど、彼も同じかは判らない。黙り込んでしまったエルガーが何を考えているかまでは、流石に表情なしでは推測不可能だった。
「アーベントを優遇しろとは私だって言うつもりはありません。ただ対等でさえあればエルガー様は良いと仰るでしょうから。
でもそれを訴えるにはあなたの振る舞いが重要です。相手を思惑通りに動かすまではいかなくても、アーベントに住む皆がより良く生きられるように。あなただって望んでいることです。
見下すような雰囲気は恐ろしいものです。相手に威圧感を与え、友好的とはとても言えません。けれど怒りや拒絶を伝える有効な手段でもあります。有利な状況にある時、追い風にもなります。多少のはったりや演技力は必要ですが不利な状況においてもあえて拒絶を見せることで有利な条件を引き出せることもあります。普段は使わないあなただからこそ、この手札を見せる時の効果は大きい」
信じてください、と私は落ち着いた声を意識して出す。重要なことほど、ゆっくりと。こういったところからも彼が学び取ってくれれば良いのだけど。
「あなたが話すことがアーベントの総意になります。あなたの振る舞いがアーベントの印象になります。恐らく今見せているアーベントの姿は、ヴェステンに都合の良い場所、です」
ロドルフもエルガーも何も言わない。反論しないということは自分でもそう思っているということだ。そんなつもりはない、という言い訳も出てこない。とするならば彼らは現状を正しく認識しているということになる。
「魔物が生まれるクリスタルを擁した、ヴェステンにとっては恐ろしい場所がアーベントです。目の上のたんこぶと言っても差し支えないでしょう。けれどアーベントにはエルガー様がいて、ご自身で呪いを受け止めながら魔物がアーベントの外へ出ないようにしていらっしゃる」
呪いの全ては知らないけれど、と心の中で思いながら私は表情には出さずに言葉を続けた。
「本来なら有利な状況です。今は手札を上手く使えずにいますけど、それはつまり此処からひっくり返せるものがあるということ。色々と準備を進めて改善しましょう。きっと、今よりもっと素敵になります」
「……分かった。やってみよう。ロドルフ、きみも気づいたことがあれば言ってほしい。す、すぐには無理でも、頑張るから」
「王様……。分かりました」
エルガーの頼みとなればロドルフが頷かないはずはない。エルガーは少し開き直ったのか、それとも振り切ったのか、こうか、ああか、と自分から考えて私に尋ねる。はい、ええ、と私は応えながら呪いの全貌について訊ねる必要があると頭の中で次の手を考えたのだった。