12 描いた行き先
じゃ、じゃぁ、どうすれば良かったんだ、と返され私は魔王から顔を背けた。こっそりと息を吐いて、自分の頭に血が昇っていたことを自覚する。冷静になるための時間を設け、魔王の仮面を真正面から見据えた。
「あの夫婦の生活が上手くいくように支援することです。あなたというラベルやパッケージがなくても商品を継続して買ってもらえるよう模索させること。最終的にはあなたの手を離れても回る仕組みを作ること。今はあなたが手動で回すから回る仕組みを、今後は自動で回るようにすることです。極論、あなたがいなくなった後も」
「──」
魔王が息を呑む音が聞こえた気がした。けれどそれには構わず、あの夫婦をあなたはどうしたいですか、と私は問う。すぐの返答は当然ない。範囲が広すぎて答えの方向性を狭められないだろうと思いながら問いかけたから私にも分かる。私が話し続けるための、波紋を広げるための最初の小石だ。
「依存させたいならこのままにすれば良いでしょう。城下町で売れる分よりあなたが買う量の方が遥かに多いでしょうから。急に手を放して、狼狽えるあの夫婦を生かすも殺すもあなた次第。あなた好みの花ができるかもしれませんね。大口の顧客が気に入る商品を手掛けようと思うのは当たり前のことですから。あなたの意思を尊重して、優先して、一生足元でゴマを擦り続けてくれるでしょう。彼らを弱者としてあなたが扱い、そう在れと望むなら」
「そんなことは──っ」
魔王の表情は判らない。仮面の下にあるはずの顔は果たしてどんな様子だろう。けれど声からでも判ることはある。咄嗟に否定しようとしたその言動は、まるで子どもだった。
「思わないと、言ってくださるなら。それならあなたは考えなくてはなりません。どうすれば彼らを弱者にしないで済むか。他者から搾取する強者にしないで済むか。誰かに優しくできる、本当の強者にできるかを」
帰りましょう、と私は魔王に促した。女性がいつまでも立ち止まって帰らない私たちを不審がる前に。
私の圧に、魔王は屈したらしい。何も言わずに鏡の道を通り、私もその後に続いた。腹いせに通れなくされたらどうしようかと一瞬考えたけれど、魔王はそんなことはしなかった。
薄暗い魔王の部屋に戻ると、白い仮面は私が戻るのを待っていた。着いてきて、とぼそりと呟くように口にすると、私が出てきたばかりの鏡に向かってまた何やら聞き取れない言葉を零し──呪文というものかもしれないと私はその時ようやく思った──通り抜ける。もうその感触嫌なんだけどな、と思いながらも私は再び鏡の扉を通った。
また、外にいた。けれど今度はあの花畑とは違う。月の光が随分と近いように感じて見上げれば、城の尖塔がいくつか見えた。視線を下ろせば遥か下の方で松明の灯りが燃えるのが見え、もっと遥か遠くにはちかちかと星灯りが瞬く場所がある。城下町だ、と直感のように私は自分の情報が結びつくのを感じた。どうやら城の屋上と思しき場所に出たらしい。
「きみ、偉そうに僕へ説教するんだね」
鏡の扉から出て数歩先、石造の塀にもたれるようにしながら魔王が城下町を見下ろしていた。屋上にしては低いその塀は後ろから近づいて、えいやっと持ち上げれば下に落とせそうだ。まぁ魔王が大人しく落ちるものなのかも判らなければ私にそんな度胸もないわけで、魔王もそれは見抜いているからそんな風に無防備なんだろうと思うけれど。
「お説教に聞こえましたか」
「……聞こえた。此処にはそんなことをする者はいない」
そうでしょうね、と私は思う。コーエンを始めとする人々の魔王への忠誠心というか信奉は一種の宗教みたいだし、アイドルのようでもあった。そんな対象へわざわざ説教じみたことを言う人なんていないものだろう。ましてや、王様、なわけで。
「僕はあの花が好きだ。あの花を慈しむように育てる彼らが好きだ。ただそれを他の人にも知って欲しくて、あんなに綺麗な花があるんだと、知って欲しかっただけなんだ。此処に住む皆にも、き、君にも」
魔王が口を開いて言葉を続けた。却ってタチの悪い純粋な善意だと聞かされて、私はまた溜息が出そうになる。魔王と呼ばれる存在のくせに、どうしてそんな子どものようなことを言うのだろう。どうしてそんなに、この場所はどうかと頻りに確認してくるのだろう。
正味、数十分。たったそれだけしかいなかったヴェステンでは魔王を倒すために精霊を召喚し、予言の乙女の身代わりをして差し出すための準備をしていた。乙女がポンコツで精霊でも何でもない私を喚び出してしまった挙句に身代わりを頼んでくる愚策を犯したわけだけれど、はいとも言っていないのに私は身代わりのような立場で此処にいる。
コーエンの盛大な勘違いで連れてこられて会った魔王はどうだ。私を魔物から結果的に助け、クリスタルを見せ、城下町を見せ、花畑を見せた。この場所はどう見えたと気にし、人々に慕われ、呪いに自分自身を差し出し蝕まれながら魔物が生まれる場所から人の住む場所へ出て行かないようにと動いている。ヴェステンと良い関係を築けているわけでもないけれど、争っているようにも見えない。
ヴェステン側が、一方的に魔王を恐れているようにさえ見える。魔王を討ち倒してしまったならクリスタルを制御する機能は失われ、魔物と人の住む境は取り払われるだろう。ヴェステンは正しく現状を認識しているだろうか。この人のことを、知っているのか。
私だって魔王のことはよく知らない。呪いや施策も人伝に聞いた話で何処まで本当か判らない。現状を正しく認識している保証は私にもない。
それでも。
「……あなたは、此処をどうしたいですか。あの夫婦と同じです。あの夫婦も此処に住む領民。彼らにこうなってほしいと願うあなたの気持ちが、描く未来が、このアーベントの行く先だと私は思います」
「……」
魔王の仮面が私を見た。私も視線を逸らさずに真っ直ぐに見つめ返す。暗闇が広がる仮面の向こう、本来なら目玉のひとつでも反射で煌めいて見えそうなものなのに、何もない。何も見えない。それが呪いのせいだと言うならきっとそうなのだろう。
「──幸福、を。人も魔物も、等しく、幸福であって欲しいと、僕は思うよ」
ファンタジーのことはよく知らないけれど、魔王って、そんな願いを持つものなのだろうか。もっとこう、世界征服とか、混沌で満たすとか、魔物を解き放って人々を蹂躙するとか、強大な悪というものとして位置づけられているのだと思っていた。そうしないと勇者が生まれたり魔王討伐を目指したりする理由にならないと。
「それは」
もしかして。
「途方もなく、聞こえますね」
私がいた場所と同じで。
「だけど」
物事の一側面でしかないのかもしれない。ひとつの視点だけで見た悪は、他の視点でみれば善で。他国から見た悪は、自国から見た善のように、立場で見え方が変わるものなのだとしたら。
「あたたかな、願い、です」
私の言葉に魔王は自嘲するように笑った。甘いって言うんだろ、と卑屈な言葉が続く。分かってるんだ、と言いながら仮面が俯いた。
「夢や理想ばかり描いていたって現実を塗り替えることはできない。ヴェステンとのこともあるし、限界はある。幸福の定義なんて人それぞれだし、魔物に至っては幸福なんて考えていない個体だっている。本能を満たすことだけが大切で、本能が満たされていればある意味では幸福で、そんなことを考えていたら……」
「俯かないっ」
「は、はいっ」
魔王らしからぬ弱音がうじうじぐだぐだと出てくるから、私はまた腰に手を当てて魔王を見る。魔王は反射で返事をして顔を上げたようで、仮面が再び私を向いていた。
「確かに途方もなさすぎて大風呂敷を広げすぎだとは思います。あなたの願いは大きすぎて、幸福だなんて抽象的すぎて、何から取り掛かれば良いのかひとつも具体案がありません」
私の指摘に、う、と魔王は喉の奥で呻いた。風に乗ってその声が私のところまで聞こえてくる。仮面をしているなら表情なんて判らないのだから堂々としていれば良いのに。そんなに分かりやすい声を出さずに。
「でも、人が思い描くことができるのは、実現可能なことです。こうなったら良いのに、ああなったら良いのに、と願うところから実現は始まります。
途方もない願いに向けて進む一歩はひどく小さく見えるでしょう。何も塗り変わっていないように見えるでしょう。でも、月花をまずは城下町に広めたんですから。そうして得られたあのご家族の笑顔を、あなたへの感謝を、そして叶った皆にも知って欲しかったという“あなたの願い”を、繰り返すだけです。
あなたにはあります。夢を描いてその夢が少しでも叶うようにと行動する力も、人の上に立ち組織を回していくのに必要な理想も。それが全て此処に住む命のためならば、そしてそれに賛同してくれる者が多ければ多いほど、その願いは叶うんですよ。具体的に何ができるのか、ひとつずつ考えていけばきっと」
呪いがどうとか、予言がどうとか、判らないことはまだまだ沢山あるけれど。組織の回し方とか運営の仕方とかなら多少は覚えがあるから、役に立てることもあるだろう。
どうか、そうして時間を稼ぐ私の思惑に魔王が気付きませんように。
帰れる方法なんてあるかも判らない。帰れないままかもしれない。それでも此処で予言の通り生贄になるなんてまっぴらごめんだと思う。全然知らない場所のことに巻き込まれるのも本当は嫌だ。でもそうしないとすぐ生贄にされてしまうかもしれない。多少は利用価値があると思わせた方が首の皮が一枚くらい繋がるかもしれないなら。
まずは生き延びること。私は胸にそう目標を掲げ、営業スマイルで魔王に微笑みかけたのだった。