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11 花畑


「綺麗だと思いました」


「……へぇ」


 魔王の表情は仮面だけでは判らない。それでも声に興味が乗ったのは感じ取れたから私は言葉を続ける。


「人は笑っていましたし、多くの人がコーエンに声をかけました。コーエンは、あなたがそうするからだ、と言っていました。軒先で下がるランタン、出歩く人が持つランタン、月の光が反射して夜空が落ちてきたのかと思いました。まるで星屑の街です。ランタンの中は石、なんですね。此処は石がよく採れると聞きました」


 それから、と私は持っていた花を一輪、魔王にも見えるように差し出した。月明かりの部屋で白い花弁はぼんやりと輝いているように見える。これも発光するのだろうか、と私は不思議に思った。けれどそれを表面には出さず、カトリーナからです、と言う。それだけで分かったのか、あぁ、と魔王が答えた。


「カトリーナから、また来てほしいと(ことづ)けを預かりました」


 そう、と魔王が返してくるのが意外で私は窺うように首を傾ける。魔王はソファから立ち上がると私の前までやってきた。足音もするのに、その体は呪いに蝕まれているらしい。あんなに幼い子が助けてほしいと願うくらい。此処では誰もが知っている。


 私からカトリーナの花を受け取って魔王は口を開いた。


月花(げっか)を栽培している家なんだ。月の光を浴びて育つからアーベントの外では上手く育たない。きみは見たことないよね」


「そうですね」


 言葉に含まれる範囲を判断しながら私は肯定した。そんな花の存在なんて知るはずもない。月の光を浴びて育つなんて、一日中夜である此処くらいでしか条件が揃わないだろう。


「カトリーナが。そうか。最近行っていなかったからな。……きみも行く?」


「え、私ですか」


 そんなお誘いがあるとは思わなくて私は目を丸くした。そう、と魔王は頷く。


「あ、花が好きなら、だけど」


「まぁ……この花は綺麗だと思います」


 花を愛でる生活なんてしていなかったから好きかどうかは判らない。でもカトリーナから受け取った月花というらしい花は儚いのに力強くて美しい。素直にそう思ったから答えれば、じゃあ行こう、と魔王が言った。


「きみはアーベントを知らないんだろう。きみにはどう見える」


 コーエンと同じことを訊くんだな、と思ったけれど私は答えなかった。魔王のそれは今すぐの答えを期待したものではないと判断したからだ。


 魔王はまた姿見へ向かった。私は一瞬躊躇って、その後に続く。また聞き取れない言葉を魔王が口にし、私を振り返ることもなく鏡の中へ足を踏み入れた。黒いローブが消え、姿見には私が映る。まるで最初からひとりだったかのように。昨日と同じだ。


 私は恐る恐る手を伸ばして鏡面に触れた。ひんやりとした感触はするけど相変わらず隔てるものはない。その感覚には一度や二度では慣れないけれど、私はぎゅっと目を瞑ると思い切ってまた鏡へ飛び込んだ。


「まぁ、まぁまぁ、王様! 主人もカトリーナもまだ町から戻っていないんですよ」


 さぁ、と頬を撫でていく風に乗って女性の声がした。問題ないよ、と答える魔王の声を少しばかり遠くに聞きながら私はそろそろと目を開け、飛び込んできた光景に声をあげた。


「わぁ……」


 一面の白。透き通るように汚れない白が月の光を浴びて輝いている。いずれもカトリーナが渡してくれたのと同じ品種の花に見えた。月花と魔王が呼んでいたからそういう名前なのだろう。深い藍色の空と冷たく白い月の光。それらを浴びて開く花は鏡の魔法を抜けて訪れた先にある丘陵を埋め尽くし、圧巻の一言に尽きた。


「カトリーナから花をもらってね。一輪見るだけで判る。今回も良い出来だ。きみたちは本当に腕が良い」


 優しい声がして私は視線を魔王の方へ向けた。園芸に相応しい作業着に首からタオルをかけた赤毛の女性へ魔王が話しかけている。額に汗を浮かべた女性は三十代の半ばに見えた。魔王に話しかけられているとは思えないほど穏やかで、嬉しそうに顔を綻ばせて答えている。


「また僕の城でも買わせてもらおう」


「ありがとうございます。おかげさまで評判で、城下町での売れ行きも良いって主人が。最近ではモーア村やヴルカーン村からも声がかかるようになってきたんですよ」


「そう、それは、良かった。此処の花が知られないのは勿体ない」


 魔王が心から安心したような声を出すから私は驚いてしまった。けれど女性はそうは思っていないようで、はい、とにこにこ喜んでいる。ところであのお連れ様は、と私の視線に気付いたのか私へ話の矛先を向けた。あぁ、と魔王は答える。なんて言うんだろう、と思って私は少し身構えた。


「客人だよ。カトリーナから花を受け取った張本人だ。この景色を見たことがないようだから」


「あらあらあら、まぁまぁまぁ」


 それはそれはようこそ、と人の良い笑みを浮かべて女性が私に向けて会釈するから私も綺麗なお辞儀を返しておいた。


「凄いですね。とても綺麗です」


 何も言わないのも変かと思って私は魔王と女性のところまで歩いて行ってそう伝えた。ありがとうございます、と女性は嬉しそうに笑う。


「主人と二人でやってるんですよ。最近はカトリーナも手伝ってくれるようになって」


「え、こんなに広いのにですか」


 目を丸くすれば女性は笑った。魔法を使えば何てことないのかもしれないと思い直したけれど、それでも凄いことだと思う。


「王様が視察でアーベントを回っている時に見つけてくださって。それまではひっそりやっていて、ヒンメルから来た人相手に細々と売ったりする程度だったんですけどね。当時は私もカトリーナがお腹にいる頃だったし、主人も城下町まで行って帰ってくるには時間がかかるし心配してましたから。でも王様がね、畑全部の花を買ってくださって。お城で飾って、城下町へ降りる時には服に花を飾ってくださったから、話題になるじゃないですか。それでうちの花が有名になって」


 へぇ、と私は魔王の顔をちらりと盗み見た。仮面のせいでどんな表情をしているかまるで判らない。慌てる様子もなく、狙って行動した結果が出たのだろうと判断する。だから安心した声なんて出したんだろうと。


「ひと区画、あの子に任せているんです。主人に聞きながら王様のためにって育てていたから、喜びます」


「そう。二人が帰ってくるまではいられないから、よろしく言っておいて。きみの育てた花もとても綺麗だって」


 伝えます、と女性は笑った。邪魔したね、と魔王は言って踵を返す。私もそれに続いた。此処に置き去りにされても困る。何のお構いもできず、と女性は言ったけれど魔王は首を振って否定した。


「この景色がこれからもあること。きみたちが家族で仲良くいること。僕にはそれで充分だ」


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げる女性に、お邪魔しました、と私も挨拶をした。女性は顔を上げて、はい、と笑う。


 土の道を通って私たちは鏡の扉へと戻る。女性は私たちを見送ってくれているようだ。戻る前に魔王が足を止めて私を向くから、私も魔王を見上げた。昨日は私の胸くらいまでしかなかった背丈が今日は見上げるほどだ。ロドルフの言っていた呪いというのは本当に彼の時間に関わるものなのだろう。


「きみにこの景色はどう見えた」


 此処を訪れる前に問われたことの答えを求められて、私は口を開く。


「幻想的でとても綺麗です。この景色を作ってくれているのは、あの家族なんですね。そしてあなたは、それを支援した」


「……そんな大層なことじゃない」


「誰にも知られていなかった此処を城下町の人に知らせて、商品を自ら宣伝しておきながらですか?」


「……知られることが良いことばかりとは限らない。あの家族に苦難が訪れるとしたら此処からだよ」


「でも、助けてあげるのではありませんか? 途中で手を離すなんて中途半端なこと、しませんよね」


「するつもりだと言ったら?」


「怒ります」


「は?」


 予想外の返答だったらしく、魔王は驚いた声を出した。その反応に私の方が驚いてしまう。眉根を寄せて、まさか本当にそのつもりなんですか、と問い返した。


「知られるきっかけを作ったのはあなたなんですよね。あなたが城下町の人に知らせたから有名になった。“あなたが”動いたからです。町の人やコーエン、ロドルフの話を聞いていても思います。此処でのあなたは人気者です」


「に、人気者、って」


 我ながら子どもみたいな表現になってしまったなと思ったけれど、言い直す必要性も感じず私は頷いた。伝われば良い。意味合いは同じだ。


「あなたは言いましたよね。またお城でも買うって。それは支援の継続の表明です。もちろん、こんなに綺麗なお花を育て上げられるのはあの夫婦の手腕でしょう。他の村からも買い手がつきそうな話も出ていました。商品が認められたからです。あなたもこの商品に価値を見出したから人々に知らせた。元々の商品の良さと、人気者が紹介することによる相乗効果で思ったよりも早く人に知られて人気も出ているんじゃありませんか?」


 僕じゃない、と魔王は小声で否定した。私は黙って続きを待つ。話しやすいように首も傾げてみせた。


「花を飾って歩いたのは、コーエンだ。似合うだろ」


「広告塔がどなたであっても構いませんが、コーエンだってそれがあなたの指示だから実行したのでしょう? あなたは、まぁ、良いです、コーエンの魅力と花の魅力で人々に知られて人気が出ることを期待した。勝算もあった。そして思惑通りに人気が出て、販売先が拡大しようとしています。此処までは良いです。狙った通りでしょう。でも、それ以外にあなたは何をしましたか?」


 え、と魔王はたじろいだ。半歩後ろに下がった気さえする。何も、と答える声も小さい。そうでしょう、と私は腰に手を当てて頷いた。


「何もしていません。此処で私が問題点として挙げているのは、あの夫婦に今後は自力で何とかするように試行錯誤させてこなかったことです。あの夫婦がしてきたことといえば、最高の商品を作ること、それを町に売りに行くこと。今までだってしてきたことです。カトリーナが大きくなればいずれご主人は町へ売りに出た。特別なことは何もしていません。振って湧いた幸運で、商売繁盛することはままありますが……それが継続させられなければ元に戻ってしまいます。今はその分かれ道なんです。此処であなたが手を引いたらあの夫婦の力量だけでこの幸運を維持しなくてはなりません。其処まで考えていなかったなら、あなたに手を引く権利はないんじゃないですか? そんな無責任なこと、この領地を治める“王様”として許されると思います?」


 私の剣幕に押された魔王が、うぐ、と喉の奥で苦しい声をあげた。




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