10 純粋から託された花
「アナタにこの城下町はどう見えたかしら。此処で暮らす人たちは。それから我が王は。まだ昨日会ったばかりだけどリナ、アタシ、アナタのこと好きよ。自分で見聞きした情報で判断しようとしているのが伝わってくるもの。噂に踊らされない子は貴重だわ」
そうですか、と私は返す。コーエンが私を見てにっこりと笑うのを自然に遮るため、私もカップを持ち上げてお茶を飲んだ。わざと視線を外してコーエンが今そう言った意味を考える。
素直に思ったことを口にして、素直に受け止めるだけで良いなら簡単だ。ありがとうと答えて嬉しいと笑えば良い。でもコーエンがそうする理由がない。いくら期待しているとは言っても私はいずれ、生贄になる身だ。魔王の呪いを解くために必要になる。その時のために心理的距離を縮めておこうと思っての行動かもしれない。どの段階で偽物だとバレるだろう。そんな時に裏切られたと知るコーエンの表情を、私は見たくない。
「あ、あの、コーエン、さま」
急に隣から声をかけられて私は驚いて視線を向けた。長い赤毛をおさげに結った幼稚園児くらいの女の子が道端で摘み取ってきたらしい花を一輪握ってコーエンに話しかけている。なぁに、とコーエンは穏やかに笑って答えた。私は急に女の子が現れたように感じたけれど、コーエンは驚いていない。知っていたのだろうと思った。
「このお姉さん、聖女さま? 王さま、助けてくれる?」
「……」
私は指を差されて息を呑んだ。こんな子どもまで知っているような話なのか。予言も、魔王の呪いのことも。
「カトリーナ」
コーエンは椅子から降りると女の子の前に片膝をついた。そうすると女騎士と無垢な少女を描いた一枚の絵のようだ。純粋なものの前で真摯に応えるコーエンの綺麗な姿は見惚れてしまう。
「この人は今はまだ違うけど、きっと我が王を助けてくれる方よ。カトリーナは我が王を心配してくれているのね」
コーエンが穏やかに微笑んで問えば、カトリーナと呼ばれた女の子は小さく頷いた。うつむいた表情は不安そうだ。コーエンは胸に片手を当てて、力強い瞳を真っ直ぐに向ける。その琥珀の輝きに引っ張られるようにして彼女のアーモンドのような目も上を向いた。
「大丈夫よ、カトリーナ。我が王はいつでもアタシたちを気にかけてくれているわ。我が王の強さを信じて。アナタに話してくれる時の声はいつも優しいでしょう? 我が王はアナタのことを見捨てたりしないから」
宗教みたいな言い回しだな、と思いながら私はコーエンとカトリーナのやりとりを眺めていた。抽象的で一体何を信じれば良いのか曖昧に思うけれど、私がまだ魔王のことも此処のこともよく知らないせいかもしれない。魔王は強くて、信じるに足る存在なのだろう。
カトリーナはコーエンの言葉にまたこくりと頷いた。今度は大きく。
「お姉さん、これ、王さまにあげて」
「え」
私はカトリーナがずいっと差し出した花を前に驚いて固まった。安請け合いはできない。そう思えば手を伸ばせなかった。でもコーエンが、受け取って、と声に出さず唇を動かすから私はおずおずと両手を差し出してその花を受け取る。包まれてはいないからお店で買ったものではないだろう。路傍に咲いていた花を摘んできたようにも見える。けれど白い花弁を持つその花は凛と咲き誇り、真っ直ぐに上を向いて私を見つめていた。
「ありがとう。綺麗な花」
何も言わないのも変かと思って私は花の感想をカトリーナへ伝えた。うん、とカトリーナは嬉しそうに頬を染めて笑う。可愛らしい笑顔だった。
「うちのお花なの。わたしが、育てたお花」
「え、こんなに立派なお花を育ててるの?」
まだ幼稚園児くらいにしか見えないのに、と思って私が驚けばカトリーナは益々嬉しそうに笑った。誇らしそうに胸を張る姿は、受け取った花によく似ている。
「そう。王さまも、すごいって褒めてくれたの」
随分と身近な王様なんだな、と思いながら、嬉しかったんだ、と私が返せばカトリーナは頷いた。
「うちに来たらもっとたくさん、あるから。王さまに、またきてねって、言ってね」
私はちらりとコーエンを窺う。コーエンが頷いたから、私はキラキラした目に微笑んだ。伝える、と答えればカトリーナは両手を胸の前で握り締めてその場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。やった、と口から漏れる声も嬉しそうだ。全身で喜びを表現する姿が可愛らしくて、私もつられて笑ってしまった。
「いけない、パパのお仕事についてきただけなの。わたし、帰らないと。コーエンさま、お姉さん、王さまによろしく言ってください」
ぺこり、と頭を下げて大人みたいなことを言うから私は咄嗟に片手で口を押さえて声を抑える。可愛い、と思った。父親が仕事でそう言っているのを聞いて覚えたのだろう。そう言って商品である花を渡して父親は仕事をしているから、カトリーナもそういうものだと捉え覚えた。それが目に浮かぶようだった。
売り場で大人の真似をする子どもは何度も見てきた。家族で買い物にくるなら仲が良いことが前提にあるから、関係がギスギスしている親子はあまりいない。売り場が楽しすぎて帰りたくないとひっくり返って駄々を捏ねる子もいたのを思い出した。カトリーナは大人びているからそんな風な駄々を捏ねることはないだろうけれど。
「気をつけて。走らないのよ」
「はーい!」
コーエンがカトリーナに注意を促して見送った。カトリーナは早速走り出してカフェの出入り口へ向かう。其処に立っていた男性へ後ろから飛びつきよろめかせ、お転婆ぶりを発揮していた。父親らしき男性は面食らいながらもカトリーナを優しい表情で振り向き、コーエンに気づいた様子で慌ててお辞儀をする。コーエンも立ち上がると胸に片手を当てて会釈を返す。それがコーエンの挨拶らしい。
「リナ、アナタあの子と約束したわね」
「約束?」
「我が王へ、あの子がまたきて欲しがっていたって伝える役目をよ」
「え、そ、それはあなたが」
慌ててコーエンが頷いたことを指摘すればコーエンは、やぁねぇとくすくす笑って答えた。
「アタシが頷いたのは花を受け取ることだけ。その後のお願いはアナタが引き受けたじゃない」
「……」
そんなの屁理屈だ、陰謀だ、と思ったけれどそうは言えず私は眉尻を下げた。正直に言って困ってしまう。
「私、勝手なことを……」
「大丈夫よ。我が王は城下町を見たアナタの感想を聞きたがるでしょうから。その時にお花を渡してカトリーナの話をすれば良いわ」
「え」
そんなこと聞いていない、と思ったけれどコーエンは悪巧みをするような表情で笑った。絶対にわざとだ、と私は確信する。わざと言わなかったに違いない。
「あらかた見て回ったし、お花がダメになってしまう前に帰りましょうか。綺麗ね」
コーエンが目を細めて慈しむような表情を見せるから私も受け取った花に視線を落とす。白く透き通るような花弁は花芯を囲って同心円状に開いていた。月の光を一身に浴びる様は寵愛を求めているようでもある。堂々として、凛々しさもあり、それでいてとても美しい。コーエンの言葉に私も頷いたのだった。
* * *
「城下町はどうだった」
来た時と同じオリスの操る馬車に乗ってお城へ戻り、コーエンに連れられるまま真っ直ぐに魔王の部屋へ向かった。一息ついたりしないのかと思ったけれどカフェで一息ついたばかりなのだから休憩しすぎになる。私は内心で緊張しながらコーエンが扉をノックするのを見つめ、魔王の外出を願った。入れ、と許可が出てその願いは聞き届けられなかったことを知る。
コーエンは中まで一緒にきてはくれなかった。私だけ入室することを求められ、薄情な、という目を向けたけれどコーエンはにこにこして片手をひらひら振っただけだった。相変わらず月明かりだけの部屋は薄暗く、そういえば此処にはランタンの類はないのだなと私は気づく。
私が昨日寝落ちかけたソファに魔王は座っていた。今日も頭からすっぽりとフードのようにローブを被っていて、白い髑髏のような仮面が浮いている。其処に顔があるからだと思うのに薄暗さと闇色のローブのせいで文字通り仮面が浮いているように見えて不気味だ。でもそれもロドルフに言わせれば呪いのせいで、そうなったのは此処を守るため、なのだろう。
魔王は昨日よりも低く深い声をしていた。年齢が毎日変わるような話をロドルフはしていたから、昨日とは違う年齢なのかもしれない。中学生くらいの印象を受けた昨日に比べれば、今日はそれより十年は歳を重ねているように聞こえた。
けれどそれには触れず、表情にも出さないように意識して私は口を開いた。