1 紛いもの召喚
クリスタル・リートが聞こえます。あなたの力が必要です。
ブラック企業で働く私の後継として育てている後輩が後生だから、と簡単に使ってきた頼みは新作スマホゲームの事前登録だった。遊ばなくても良いなら、とその頼みを聞いてあげたことを思い出した私は、配信時間の一分前、事前通知のお知らせに触れる。スマホが震えたから何事かと思って見たけど、今時のゲームはリリース直前にこんなお知らせを出してくれるんだなぁ、なんて思っていたら。
「えっと……」
瞬きひとつの間に景色はがらりと変わっていた。私を見る知らない顔、顔、顔。口々に異世界召喚だ、成功だ、流石は水晶の乙女、聖女として目覚める日も近い、とかそれぞれが好き勝手話す言葉を聞きながら私は助けを求めて目の前に立つ少女を見上げた。ふわふわの長いキャラメル色の髪が柔らかい雰囲気を出して可愛らしい顔をしている、高校生くらいの少女だ。今は顔面蒼白で私を信じられないものでも見るみたいな目を向けているけど。
「フィオナ」
その隣で彼女を支えるように目の覚めるようなイケメンが進み出た。金の髪に碧い目をした物語の王子様のような風貌。いや、王子様かもしれない。アプリのアイコンにこの顔があったような気がする。
「君は召喚に成功した。彼女は、精霊、だろう?」
「オズワルド王子……えっと、あの人は……」
キラキラと頭上から光が降り注ぐ。仕事を終えてくたくたになりながら家に帰り着いたのは夜だった筈なのだけど、此処、何処。海外? 一瞬で? 一瞬で海外旅行にきたの私? 夢? 疲れすぎてもう夢を見てるの?
意味が分からなくて光の入る先へ視線を向けた。青い空が見える。でも外ではない。どうやら全面が透明な、ガラス張りの建物の中にいるらしい。所々で虹色に反射していて、眩しいけれど綺麗だった。太陽の光が差し込む中で目の前には美少女とイケメン。一体どんなファンタジー映画の中に紛れ込んでいるのだろう。
「お前、名は」
イケメンに碧い視線を向けられて、私は口を開いた。
「加賀美、璃奈です」
「耳慣れない名だ。見慣れない服も纏っているし、やはり精霊で間違いないだろう。
よく聞け、精霊。お前は身代わりだ」
は? 目を丸くした私の疑問は驚きすぎて声にならず、誰にも拾ってもらえなかった。イケメンは部下らしい人を呼びつけると美少女と私を連れていくように命じる。
「同じ湯に。フィオナの魔力を精霊に少しでも移せ。服も似たものを」
じろじろと見ていた人たちの中から何人かが進み出て、私を立たせる。そうして私は自分が大きな円の中に座り込んでいたことを知った。複雑な模様や文字のようなものが書き込まれた円をじっくり見る暇もなく、私は引っ張られるようにして連れられ、部屋を移動した。
「ちょっと、わっ」
どういうこと、とか何なんですか、とか抵抗したけど誰も聞いてくれない。大きなお風呂場に移動させられて仕事帰りでそのままだったスーツをひん剥かれ、すっぽんぽんにされた。ちょっと。
「ご、ごめんなさい、悪い人たちではないんです」
同じくすっぽんぽんになった美少女が後から入ってくる。見知らぬ美少女といきなり裸の付き合いは気まずい。
「説明しますから、お湯に入りませんか」
丁寧にそう言われて私は仕方なく湯船に移動した。お湯は温かくて湯煙が立ち込めている。美少女の姿も煙ってあまり見えないけれど、それはつまり私もよく見えていないということで。だからといって気まずさがなくなるわけではないけど。
「此処のお湯、神聖な水を使ってるので気持ち良いですよ」
美少女が先に湯船に入った。そうすることで危険はないと示しているみたいで、六つくらい下に見える子にそんなことをさせている自分が大人気なく思えて私は息を吐くとざぶりとお湯に入った。体も洗ってないけど、まぁ誘われたわけだし大目に見て欲しい。長い私たちの髪が海藻のようにお湯に揺れた。
「わたし、フィオナと言います。このヴェステン王国で、水晶の乙女と、呼ばれています」
気恥ずかしそうに美少女がそう切り出した。まぁ私でも自分をそんな風に紹介しなくてはならないと思えば恥ずかしい思いをするだろうから気持ちは分かる気がした。
「いずれ聖女として目覚めると期待してもらってますが、わたし自身はダメダメで……今回の召喚は精霊を呼び出すためのものでした。骸の王──魔王──と、戦うために。でも、その、あなたは精霊じゃ……ないですよね……?」
「はぁ、まぁ……人間だと思ってますけど……」
やっぱり、と困ったような表情をするフィオナに、困った顔をしたいのは私なんですけど、と心の中で思う。乙女とか魔王とか精霊とか召喚とか、何、それ。後輩に頼まれたスマホゲームの設定がそんなだった気がする。よくあるファンタジーゲームなんだな、と思ってあんまり覚えてないけど。
もしかして此処、あのスマホゲームの中なの? そんなことあるの?
「一度の召喚で多くのクリスタルを消費するんです。その中にクリスタルじゃないものが混ざっていたのかも……でもやり直しはきかないし、わたしの腕が未熟なのも事実です。だからあの、お願いです、精霊として振る舞ってもらえませんか!」
「……え」
言われている意味が分からなくて私は文字通りに頭を抱えた。
「人間って言いましたよね、私」
「あ、う、でもあの、今回の召喚は予言を回避するためのもので……人間でも……」
「あぁなんか、身代わりとか言ってましたっけ」
綺麗な顔をしたイケメンの言葉を思い出す。いくらイケメンだからって人を身代わりにするのは如何なものか。でも私を精霊とやらだと思って人だと認識していないなら、そういう態度になるのかもしれない。
「予言、って何ですか」
回避しなければならないという予言が気になって私から尋ねる。フィオナは言いづらそうにした。まぁ身代わりを立てるようなものなんだから、張本人に聞かせるのは気が引けるのかもしれない。でも頼んできたんだから私にだってその中身を知る権利があるはずだ。
「の、呪いを解くんです。乙女が、魔王の生贄に捧げられるといった内容で……」
「お断りします」
「え、そ、それは困りますっ。わたしがいないとこの国は……っ」
ざぶりとお湯から立ち上がる私に追い縋るようにフィオナが悲痛な声を出した。そんな声出されても、と思う。いくら従業員を使い捨てのコマとしか思っていないようなブラック企業で働いているからといって、ゲームでまで生贄なんていくらなんでもあんまりだ。
「私だって困ります、そもそも関係ないし。その上、生贄とか聞いてはい分かりましたって頷かないでしょう。それに私、明日も仕事だし。帰してほしいんですけど」
ブラック企業には残してきた後輩たちがいる。明日からの地獄の繁忙期を乗り切るために色々準備してきた。繁忙期を前にドロップアウトする人間はいくらでもいるだろうけど、まさか全員こうしてゲームの世界に飛ばされてきたなんてことはないだろう。単純に無理したことで体調を崩して働けなくなって辞めたはずだ。確かに私も胃の調子が悪いとか寝不足が続いてるとか色々あるけど、生贄にされて良い人生を歩んできたとは思っていない。いつ会社の生贄にされてもおかしくないかもしれないけど、こんな得体のしれないところじゃなくて、ちゃんと辞められる場所で生贄に選ばれたい。今は退職手続きも代行でやってくれるサービスがある時代だし、この繁忙期を乗り越えたら辞めるつもりでいた。自分がいなくなっても良いように、そのために後輩を育ててきたのだから。
でもまだ最後の仕事が残っている。だから困惑した表情を浮かべてフィオナを見下ろせば、フィオナは、う、と俯いた。いや、え、嘘でしょ。
「まさか」
「わ、わたしの腕前では元の世界に帰すのは、その、難しくて……」
「ぇえ……」
脱力して私はお湯の中に戻る。ごめんなさい、とフィオナは頭を下げた。謝られても帰れないなら意味がない。
ぶくぶく、と吐き出した溜息はお湯を泡立てた。口元まで浸かって、どうしたものか、と考える。女子高生くらいの歳の子に怒っても仕方がない。彼女は謝ることしかできず、帰してもらうのは難しそうだ。でも生贄って。生贄にはなりたくない。でもよく知らない場所でどうするのか。そんなことを考えていたら。
ドン! と大きな衝撃が全身を襲った。遅れて轟音がついてくる。お湯が跳ねて私は頭からお湯をかぶった。
「わぷっ、なに、なになになに」
常々、お風呂に入っている時に地震にあったらどうしよう、とは思っていた。思っていただけで具体的な対応を考えていたわけではないから私はひとまずかぶったお湯から立ち上がって辺りを見回す。こんなすっぽんぽんで無防備も良いところな状態で非常事態に見舞われるなんて避けたい。でも。
浴場を囲んでいた壁の一部が、壊れて外が見えていた。涼しい風が吹いてくる。その風は湯気をたちまちのうちに吹き飛ばし、私たちはあられもない格好で襲撃者を前になす術なく晒された。
「はぁ〜いこんにちは! 予言の通り、乙女を迎えにきたわよぉ〜! 探査能力のある子が此処の壁って言うからとりあえず壊してみたけどぉ……お風呂場だったの、ごめんなさいね」
青い空に白い湯煙という背景が抜群に似合わない痩身の青年が、コツ、とヒールの音をさせて浴場へ足を下ろした。その外には馬車が停まっている。でも地面がない。空飛ぶ馬車? と呆然とするのと、青年の前にすっぽんぽんでいる自分たちと、何から順に対処すれば良いのか分からなくて情報処理が渋滞を起こした。
「きゃあっ」
フィオナが女の子らしい悲鳴をあげて腕で体を隠そうとするのを見て、そうするのが正解だったか、とハッとした。危機管理能力とか、物事への対応力という面で見ればどうかとは思うけど、高校生くらいの子にそんなものを求めるのもどうかと思う。
「それで、どっちが乙女? すぐに応えてくれたらアタシもすぐに此処を去るわ。普段アーベントにいるから久々のお日様の下なんて、目が眩んじゃう」
褐色の肌の、濃いメイクがよく似合う綺麗な顔の女性のような青年だった。二十二歳の私とそう変わらなさそうな歳の頃に見える。バサバサの長い睫毛が羨ましいくらい艶やかだ。濃い紫のショートボブが緩やかにカーブを描いている。軍帽のようなものを斜めにかぶったオシャレなオネエさんは、琥珀色の目を細めて笑った。
この設定、一万字くらいの短編で!と思ってたのに纏める能力を母のお腹に置き去りにしてきたらしく欠如してるため、いっそのこと連載にしたろ!と思って書き始めました!
まだ3話くらいまでしか書けてないのにちょっと書けるとすぐ見て見てしたくなるので公開します!
ニセモノ乙女(タイトルでお察しの通り後に聖女になります。たぶん)と魔王の異世界恋愛、どうか読んでくださるあなたに愛され、かつお楽しみ頂けますように!
応援してくださると書いてる人は単純なので張り切ります!
応援なくても書きたいもの書くつもりなんでがんばりますけど!
どうぞよろしくお願い致します!