死んだ悪役令嬢からの手紙
新作の短編小説になります。
ちょっと変わった書き出しになりますが、どうぞよろしくお願いします。
親愛なる国王陛下
突然、このような手紙をお送りしたことを先ずは謝罪させていただきます。
伯爵家の人間とはいえ一介の令嬢でしかない私が、どうして立場もわきまえずに陛下に手紙を出したかというと、ある男の罪を告発するためです。
告発したい人物は私、アイリーン・シンドラーが父であるグラッド・シンドラーです。
ご存知かもしれませんが、我が父グラッドはシンドラー伯爵家への婿養子であり、本来であれば伯爵家の当主になれる人間ではありません。
そんな父が現在『伯爵』を名乗っているのは、10年前にシンドラー伯爵家の正当な後継者である母が亡くなり、私が成人するまでの代理として地位を引き継いだからです。
しかし、そんな父は母が亡くなってすぐに愛人と再婚して、その連れ子の娘を伯爵家へと迎え入れました。
連れ子とは言いましたものの、髪や瞳の色から子供が父の血を引いているのは明らか。父は母が存命中から不貞をしており、平民の女との間に子供を作っていたのです。
愛人と娘が屋敷にやってきてからというもの、私の生活は一変しました。
父は愛人との娘――つまり私の妹をまるで唯一の娘であるかのように甘やかし、私が持っていたドレスやアクセサリーを奪って与えるようになったのです。奪われた物の中には、亡き母の形見の品も含まれています。
それは思い出の品だからと抵抗すると、「お前は妹が可哀想だと思わないのか」「妹を可愛がることができないなんて性格の悪い娘だ」と罵り、時には殴りつけることもありました。
無論、愛人との間に生まれた娘には罪はありません。
ですが……私から奪ったドレスやアクセサリーを身につけ、自慢するような言動をとる彼女には、ついつい怒りの感情がわいてしまいます。
このような醜い感情を抱いてはいけないと、必死に己に言い聞かせてはいるのですが……どうしても心の底から妬みの感情が湧いてくるのを抑えられません。
おお、神よどうか醜く愚かな私をお許しください!
……話が脱線してしまいましたね。申し訳ありません。
ここまでの話で聡明な陛下は察しておられることでしょうが、私が告発したい罪とは『伯爵家の簒奪』の罪です。父はどうやら、私を廃して妹を後継者にしようとしているようなのです。
ご存知の通り、貴族家の当主継承は血統を重んじています。シンドラー伯爵家の血を引いていない妹や、父にだって継承権はありません。
仮に私が命を落としたとしても、従兄弟などの親戚の継承順位が繰り上がるだけ。父や妹にその権利はないはずです。
ですが……父は本気で妹を後継者にしようと企んでいるらしく、私の婚約者であるサムエル・バードン侯爵子息を説得して、婚約者を交代する約束まで取り付けました。いずれ、妹がバードン侯爵子息と婚姻して伯爵家を継ぐことになるでしょう。
そして、遠からず私は命を落とします。
私の身体は不治の病である『黒滅病』に冒されているのです。
どうして、予防薬さえ飲めば発症を回避することができる病に貴族である私が罹患しているのか――陛下は疑問に思っておられることでしょう。
『黒滅病』は治療方法こそ確立されていないものの、幼少時に予防薬を飲んでいればまず発症することはありません。薬を買うことができない平民ならばまだしも、貴族が罹ることは皆無なはずです。
私も間違いなく予防薬は飲んだはずなのですが……おそらく、私が父に渡されて飲んだ薬は偽物だったのでしょう。
あの頃には、将来的に私を亡き者にすることを考えていたに違いありません。そのための手段の一つとして、病死に見せかけようと予防薬を偽物にすり替えたのでしょう。
思えば、母の死だってただの病ではなかったのかもしれません。
父が精神安定の効果があると他国から輸入していたお香……あるいは、アレが毒物だったのではないでしょうか?
国王陛下。
このようなことをお頼みできる立場では御座いませんが、どうか私と母の仇をとって下さいませ。
権力のために妻子の命を奪う慮外者が栄えあるシンドラー伯爵家を継ぐことがなきよう、心を砕いて頂ければ幸いでございます。
私はこれより、最後の旅に出ようと思います。
母を殺した男、その愛人と子がいる家で人生の終わりを迎えるつもりはありません。
最期の時は、家族で行ったあの思い出の地で過ごすつもりです。
辺境の地より祖国の平和を願って。
アイリーン・シンドラー
〇 〇 〇
親愛なるカラット・マーズ様
突然の手紙、驚きのことかと思います。
シンドラー伯爵家が長女、アイリーン・シンドラーと申します。
今日、貴女様に手紙を送らせて頂いたのは死ぬ前に最後の挨拶がしたかったからです。
私は遠からず、陰謀により患ってしまった病によって、この世を去ることでしょう。
友人である貴女様にはどうか私のことを覚えておいてもらいたいと思い、勝手なことながら筆をとらせていただきました。
カラット様は『友人』という呼び方にさぞや驚かれていることでしょう。
それもそのはず。私とカラット様は10年前、母が命を奪われる前に一緒に参加したお茶会で会ったきり。手紙のやりとりなどもしておらず、『友人』などと呼べる関係ではないでしょうから。
それでも、どうか理解いただきたいのです。私にとって、たった一度きりのお茶会がいかに楽しく、大切な思い出として残っているのかを。
貴女との思い出が、いかに継母と義妹に虐げられていた私の心を支えていたのか、知っておいて欲しいのです。
御存じかもしれませんが、シンドラー伯爵家では母の死後、父が後妻を迎え入れてその娘であるミーナが養女となりました。
以来、私はお茶会や社交界に参加することなく、私に招待状が送られてきた場合にもミーナが名代として参加しております。
社交界では、私が人嫌いであるとか出不精であるとか噂が流れていることでしょうが……事実は異なります。
私は招待状を義妹であるミーナに奪われ、屋敷の中に押し込められていたのです。
おかげでカラット様をはじめとした御友人と再会することが出来ず、監禁されるようにして毎日を過ごしていました。
叶うならば、貴女とまた会って一緒にお茶とお菓子を楽しみたかったものですが……その願いが叶わないことが残念でなりません。
私はこれから家を逃げ出して母との思い出の地に旅立つつもりです。
そして、そこで残りわずかとなった生を謳歌したいと思っております。
この国にも貴族社会にも良い記憶はありませんが……カラット様と過ごしたわずかばかりの時間は、数少ない大切な思い出でございます。
どうかお身体に気をつけご息災でありますように。
追伸
それから、これから語るのはただの愚痴。みじめな女の泣き言と思っていただいて構いません。
どうやら、私の婚約者であるサムエル・バードンは義妹のミーナと不貞を働いていたようです。どこまで関係が進んでいるのかはわかりませんが……何度も逢い引きをしている光景を目撃しております。
最近になって妹のお腹が大きくなっているような気がしますし、ひょっとしたら語るのも汚らわしいような関係に至っているのかもしれません。
ミーナは他の殿方、特に婚約者がいる方にばかり接触しているようですし……もしもカラット様にもご迷惑をおかけするようなことがありましたら、遠慮なく叱ってやって下さいませ。
良き友人の幸福を祈って。
アイリーン・シンドラー
〇 〇 〇
親愛なるベルウッド新聞社様
初めてお手紙を送らせていただきます。
王国東部に領地を持っておりますシンドラー伯爵家が娘、アイリーン・シンドラーと申します。
御社が出版しております新聞記事をいつも楽しく読んでおります。
権力による迫害を恐れることなく、果敢に真実を追い求める姿勢にはいつもながら感服しております。
本日、私が手紙を送らせていただいたのは、この愚かな娘の半生について記事にしてもらいたく思ったからです。
同封していた診断書からもわかるとおり、私は不治の病に侵されて余命半年の命でございます。
それというのも、謀略によって黒滅病の予防薬を飲むことができず、生まれた家を乗っ取られようとしているからです。
私はシンドラー伯爵家の嫡女として生を受け、次期当主となるべく教育を受けてきました。
その道は決して楽なものではありませんでしたが、領地と領民のためを思い、必死になって耐えてきました。
そんな私の生涯に影が差したのは10年前。伯爵家の正統な後継者である母が命を落とし、入り婿だった父が愛人と義妹を連れて来てからです。
その日から私の生活は一変しました。
ドレスやアクセサリーなどはほとんど奪われ、継母からはまるで使用人のように扱われるようになりました。
お茶会や社交場などに出て友人を作ることを禁じられ、屋敷に閉じ込められるようになってしまったのです。
昔から伯爵家に仕えている使用人は私を助けようとしてくれましたが、彼らは次々と暇を出され、父と継母の言うことを聞く新しい使用人が入れ替わりに入ってきました。
私は伯爵家の後継者でありながら物置部屋に押し込められ、食事もカビの生えたパンや腐ったスープを与えられるようになったのです。
それでも、いずれ婚約者と結婚すればこんな現状も変わるだろうと信じていました。
しかし、私はすぐに絶望することになりました。婚約者であったサムエル・バードンは義妹との間で関係を持っていたのです。
婚約者を義妹に代えてほしいと父と話しているのを目撃いたしました。
これは推測になりますが……すべては父の計算だったのでしょう。
母が肺を患って命を落としたことも、私が罹るはずのない不治の病にかかってしまったことも。愛人との子である義妹を新しい当主に仕立て上げ、伯爵家を乗っ取るための陰謀だったに違いありません。
本来であれば家を取り戻すために戦わねばなりませんが……私には命も時間も残ってはおりません。
私は悪魔の住処となった屋敷から逃げ出し、残りの生涯を穏やかに過ごせる場所に向かうつもりです。
最期の時は、いつか訪れた海が見える街で過ごしたいと思います。
どうか、哀れな娘の生涯を一人でも多くの人に知ってもらえるようにお力添えくださいませ。
ただ一人で死を迎える私の最期に、少しでも祈りの花が添えられるように。
御社の正義が貫かれることを信じて。
アイリーン・シンドラー
〇 〇 〇
親愛なる婚約者 サムエル・バードン様
貴方がこの手紙を読む頃には、きっと私がいなくなったことで小さくない騒ぎが起こっていることでしょう。
覚えていますか?
幼い私に「自分は味方だから」と言ってくれたことを。
覚えていますか?
婚約者になったあの日、「私だけを愛する」と抱きしめてくれたことを。
覚えていますか?
母を喪って泣いている私に「何があっても守るから」と誓ってくれたことを。
それなのに……貴方はどうして、私よりもミーナを選んだのでしょうか。
サムエル様は気付かれていないと思っているかもしれませんが、私は知っているのです。
貴方が休日にミーナと会っていたことを。私に贈るからと御父上からお金をもらって、それでミーナにプレゼントを買っていたことを。私のデビュタントのために作らせたドレスを仕立て直して、ミーナに贈っていたことを。
全部全部、知っていたのですよ。
それでも……私は貴方を責めるつもりはありません。
貴方が婚約者のある身でありながら不貞を働いてしまったのは、全て私に魅力がなかったから。貴方を繋ぎとめることができなかったからです。
どうせ私は半年もしないうちに死ぬ人間です。
ミーナを愛している貴方は、私が命を落としたとしても心を痛めることはないでしょう。それだけが唯一の救いです。
どうぞミーナとお幸せに。
ああ、それと一つ謝らなければいけないのですが、この手紙と同じ内容のものを住所を誤って貴方が所属している騎士団の団長様のところに送ってしまいました。
どうか貴方のほうから謝罪していただけると助かります。
愛する人の幸福を祈って。
元・婚約者 アイリーン・シンドラー
〇 〇 〇
「何が『幸福を祈って』だよ。ハハッ、ここからどうやって幸せになればいいんだ」
今朝、届けられたばかりの手紙をテーブルの上に投げ出し、僕――サムエル・バードンは力なく笑った。
婚約者であるアイリーン・シンドラーが突如として行方をくらませたのは1ヵ月程前のこと。
ろくに屋敷から出ることのなかった出不精な令嬢の失踪に、彼女と顔見知りの人間はこぞって首を傾げたものである。
しかし、本当に混乱させられるのはそれからだった。
国王陛下と何人かの貴族令嬢、さらにいくつかの新聞社にアイリーンからの手紙が届いたのである。
手紙には彼女がシンドラー伯爵家でいかに虐げられていたかが記されており、その話は瞬く間に世間に広まっていった。
その中には父親であるグラッド・シンドラーが前妻を殺害し、愛人との娘に伯爵家を継がせて伯爵家を乗っ取ろうとしていたことまで書かれている。
「そして、僕がミーナと浮気をしていたことまで……終わりだよ。もう何もかも終わりだ」
僕はガックリと椅子に崩れ落ち、力なく項垂れる。
先日、勤めていた騎士団をクビになってしまった。
アイリーンからの手紙が騎士団長の下に届けられ、僕が義妹のミーナと姦通していたことが知られてしまったのである。
騎士団長は高潔な愛妻家として知られており、不実な行為を何よりも嫌う人格者だった。「婚約者を裏切り、その妹と浮気をするような男は騎士にふさわしくない」とこちらの言い分はほとんど聞いてもらえなかった。
おまけに、社交界にも僕とミーナ、シンドラー伯爵の悪評は広まっている。
アイリーンから手紙を受け取った『友人』が無駄に正義感を発揮して、まるで制裁であるかのように悪評をバラまいたのだ。
新聞社が出版した記事によって世間からもバッシングを受けている。
貴族であるか平民であるかに関わりなく、僕達はアイリーンを不幸に追いやった悪党として名を知られることになってしまった。
噂では、国王陛下もまたアイリーンの母殺害とシンドラー伯爵家の乗っ取りという犯罪行為について調査しているらしく、いずれは僕にも捜査の手がおよぶことだろう。
僕は侯爵である父から謹慎を命じられて部屋に軟禁されていた。
「用意周到で容赦がない……完璧だよ。完璧な復讐だ」
力なく天井を見上げながら、僕はポツリとつぶやいた。
信じてもらえないかもしれない。いや、実際に両親ですら信じてくれなかったのだが……僕はアイリーンと婚約破棄してミーナに乗り換えようというつもりはなかった。
ミーナと浮気をしていたことは事実だが、それはあくまでも遊びである。シンドラー伯爵家の血を引かないミーナと結婚しても家を継げないことくらいわかっており、いずれはアイリーンと結婚するつもりだったのだ。
ミーナとの婚約者交換はシンドラー伯爵から提案されたことであり、決して僕から頼み込んだことではなかった。
そんな提案をするあたり、伯爵は本気で家を乗っ取ろうとしていたようだが……誓って、僕はそれに関わってはいない。
「だけど……君はそれでも許してくれなかったんだな? たとえ遊びであっても義妹と浮気をしていた僕を、憎んでいたんだな?」
彼女の復讐は成功した。
シンドラー伯爵は殺人と虐待、伯爵家乗っ取りの容疑で逮捕された。
伯爵家はアイリーンの従兄弟が継ぐことになり、伯爵夫人と娘のミーナは邸を追い出されて平民落ち。彼女達がアイリーンを虐げていたことは新聞記事によって平民にも知れ渡っているため、仕事も見つからず、さぞ身の置き所のない思いをしているだろう。
浮気男の僕は騎士団をクビになり、貴族として社交界での立場もない。伯爵家への婿入りも当然のようになくなった。
風評被害を受けた実家の侯爵家からは謹慎処分を言い渡されているだけだが……破滅するのは時間の問題。遠からず家を追い出されるだろう。
本来であれば、アイリーンが書いた手紙だけでここまで世間が動かされることはなかった。
この国にだって司法というものがある。被害者の証言だけで証拠もないのに犯罪は成立しない。
アイリーンがいくら言い募ったところで、国王陛下までもが動かされるようなことはあり得なかったはず。
だが……実際に国王陛下は動いた。シンドラー伯爵家を詳細に調査し、伯爵を逮捕して厳しく尋問している。
多くの貴族令嬢が僕達の悪評を社交界に広め、新聞社は我こそが正義とばかりに僕達を悪人として書いた記事をバラまいた。
その理由は……アイリーンが不治の病に侵されていたからである。
国王陛下にあてた告発状にも、貴族令嬢や新聞社にあてた手紙にも、アイリーンが間違いなく『黒滅病』に侵されていて余命半年であるという診断書が添えられていた。周到なことに、複数の医師から診断書をもらって偽装でないことまで念押しして。
死にゆく令嬢の最後の願い……心ある者であれば、それを叶えてあげたいと思うのは自然なことである。
具体的な証拠など何ひとつないというのに、世間はアイリーンの言葉を丸呑みにし、僕達が悪であると一片の疑いもなく断じた。
アイリーンが今も健康に生きていたとしたら、こうまであっさり彼女の言い分が受け入れられることはなかったはず。
自分の死すらも利用したアイリーンの復讐の念の深さには、もはや恐れを通り越して呆れ、感心すらしてしまう。
実際に浮気をしていたのは事実だが……正直、それで全てを失うのは納得がいかないことだったが。
「サムエル、入るぞ」
「父上……」
扉をノックすることすらなく、父親であるバードン侯爵が部屋に入ってきた。
父の顔には軽蔑しきった表情が浮かんでおり、その後ろには数人の男が続いている。
「憲兵の方々が貴様の話を聞きたいそうだ。シンドラー伯爵家の乗っ取りについて」
「サムエル・バードン様ですね? お手数ですが、詰め所まで来ていただいてよろしいでしょうか?」
父の後に続いて部屋に入ってきた大柄な男が抑揚のない声で言う。
「…………」
僕は全てを諦めて肩を落とし、無言で椅子から立ち上がったのである。
〇 〇 〇
「フーッ! 無事に退院、シャバの空気って美味しーい!」
数ヵ月間を暮らしていた療養所から外に足を踏み出し、私は頭上に向かって大きく腕を伸ばした。
私の名前はアイリーン。少し前まで『シンドラー』という姓を名乗っていたが、現在はただのアイリーンである。
半年ほど前、私は自分を虐げていた家族から逃げ出し、生まれ故郷を出奔して隣国にやってきた。
目的は私の身体を蝕んでいた不治の病――『黒滅病』の治療をするためである。
隣国は我が国よりもずっと医療が発達していた。
我が国では決して治ることのない死の病として知られている『黒滅病』でさえ、完全ではないものの治療薬の臨床実験が始められている。
私は隣国の王都にある療養施設に身を寄せて、開発中の新薬の被験者となることと引き換えにして治療を受けていた。
いわゆる『治験』と呼ばれるこの行為は、我が国では人道を無視した人体実験であるかのように言われており、それが医療の発達を妨げている。
私にしてみれば、どうせ助からない病気なのだから、多少のリスクは飲んでも積極的な治療を望むのは自然なことだと思うのだけど。
実際、私は開発中の薬によって黒滅病が完全に治癒され、こうして死を乗り越えて外を歩くことができている。
「おめでとさん。それでアイリーン、これからどうするつもりなんだ?」
訊ねてきたのは、私の後に療養所から出てきた青年である。
彼の名前はリック。平民のため姓はない。
私と同じく黒滅病に侵されており、一緒に臨床実験を受けていた被験者だった。
リックと私は同じ療養所でお互いに励まし合いながら治療を受けており、本日、一緒に退院することになったのである。
「治療も終わってるし……故郷に帰るのか?」
「帰れるわけないじゃない。アッチは私が書いた手紙で大騒ぎになってるみたいだし」
私は後ろのリックを振り返り、肩をすくめた。
出奔してからの故郷については、新聞などから得た伝聞以上の情報はない。
だが……私が書いた手紙によって大きな騒動が起こっていることは間違いなく、とてもではないが帰れる状況とは思えなかった。
故郷を出る際、私は自分を虐げていた人間に対する意趣返しとして手紙を書いてきた。
国王陛下や騎士団長、噂好きで知られる会ったこともない『友人』、新聞社などに自分がこれまで受けていた苦境を書いた手紙を送りつけたのである。
手紙には父親であるグラッド・シンドラーが前妻を殺害し、私のこともあえて病気になるように仕向けたとまで書いたが……実際にどうだったかはわからない。
実の娘である私を虐げていたことは事実だし、予防薬を飲んだはずの黒滅病に罹ってしまったことも事実。サムエルにミーナと婚約者を入れ替えないかと持ちかけていたあたり、あながち見当違いでもなかったと思うのだが。
伯爵家の正当な後継者である私が召使いのように扱われていたことも、ドレスやアクセサリーを義妹に奪われていたことも実際にあったこと。
ならば、他のことも事実であるかのように見えてしまうのは自然なことである。
「正直……ここまで大事になるとは思わなかったのよね。国王陛下のもとまで私の手紙が届いたことも驚いてるし、カラット様が会ったこともない私のためにここまで噂を広めてくれたことも予想外。新聞社に送り付けた記事だって、新聞の隅の方に小さく掲載されたらラッキーくらいの気持ちだったんだけどねー」
どうやら、手紙に同封していた診断書に思いのほか効果があったようである。
国王陛下はただの令嬢でしかない私のためにキチンと捜査をしてくれて、カラットをはじめとする自称・友人も私のために父達の悪評を広めてくれた。
新聞社が大々的に広めた記事により、故郷では『アイリーン・シンドラー』の名前は悲劇のヒロインとして全国民に知られている。
「ちょっとした嫌がらせになればいいかなー、くらいのつもりだったんだけどね。父も逮捕されて婚約者も共犯の疑いがかけられてるみたいで……いやー、人の噂って怖いわー」
「まるで他人事だな……まあ、故郷に未練がないのならよかったけど」
「これからのことだけど……そうね。内職でやっていた刺繍を本業にしようかしら? 療養中の暇つぶしで始めたことだけど、思いのほかに評判が良かったみたいだし」
私は療養所で生活していた間、趣味で始めた刺繍を外に売りに出していた。
医師を通じて外部の商人に売り出されたそれは病人が作ったものだからと最初は偏見の目で見られたものの、今では作ったものが残らず完売するほどの人気商品となっている。
商人からはこれからも取引を続けたいと話を持ちかけられており、生活に困ることはなさそうである。
「とりあえず、まずは宿から探さないとね。安く借りられる場所があると良いんだけど……」
「だったら、良いところがあるぜ。王都の中央通りに面した家賃タダの物件が」
「家賃タダって……事故物件? ゴーストでも出るのかしら?」
「違うって。俺の家だよ」
「へ……?」
リックの言葉に私は目を白黒させた。
一つ年上の友人は私から視線を逸らし、顔を耳まで赤くして焦ったように言う。
「だからさ! 俺の家で暮らせって言ってんだよ! 俺は長男坊で、お袋は健在だから生活は心配いらないし、細工仕事は病気が治ったらすぐに再開させてもらえるように親方に頼んでるし……貴族みたいに贅沢はできないかもしれないけど、絶対に食うには困らせねえから…………その、嫁に来いよ」
「…………」
突然の告白に、私はポカンとして固まってしまった。
もっとムードのある雰囲気は作れなかったのかとか、人目の多い通りでそんなことを言うなよとか、言ってやりたいことは山ほどある。
それ以上に、家族にも婚約者にも裏切られ、他人の好意に慣れていない私には、どう返せばいいのかわからずに言葉が出てこなかった。
「ええっと……その……」
けれど……焦ってしゃべる必要なんてない。
私はもう不治の病になんて侵されていないから。時間はたっぷりあるのだから。
私は時間をかけて自分の感情を整理して、リックの思いに応えるために精いっぱいに言葉を振り絞ったのであった。
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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