第92話 見とれていたもの
本日、拙作『「ククク……。奴は四天王の中でも最弱」と解雇された俺、なぜか勇者と聖女の師匠になる』の単行本3巻の発売日です。書店にお立ち寄りの際に、是非お買い上げ下さい。
ロラン王子の弓が一通り固まったのを見て、僕たちは場所を移すことにした。
レティヴィア家が管理する山で、屋敷から徒歩で行けるぐらい近い場所にある。
ここも見事に紅葉が色づいていて、鮮やかに彩られていた。
秋の実りもたっぷりらしく、今にも木の実や栗の香りが漂ってきそうだ。
かなり丁寧に管理してきたことが窺える。レティヴィア家は魔獣を調査しているだけあって、他の動物の生態にも詳しい。この山にも年に何度か、父上とカリム兄さんが入って生態系の調査をしているらしい。
さながらこの山は、生態系を調べるための巨大な実験室というところなのだろう。
「ロラン王子、大丈夫ですか?」
大きな倒木に足をかけようとしたロラン王子に手を差し出す。
納涼祭では鮮やかな剣術の手並みを見せた王子だったけど、さすがに山登りは不慣れみたいだ。
時々、顔を顰めながら道なき道を進んでいる。すでに何回か転んでいて、膝には山の斜面に溜まった落ち葉が付いていた。
その他にはリーリスとクライスさん。そして王子の護衛と、案内役のレティヴィア騎士団の2人がついていた。
リーリスはすでに何度か山に登ったことがあるから慣れてるようだ。水場もきちんと把握していた。他方涼しい顔をしていたのは、クライスさんだ。随分と鍛えているらしい。
ちなみにユランはお留守番である。あれ程の騒ぎを引き起こしたのだ。普通極刑といわれてもおかしくないのに、ロラン王子の恩情で許してもらえた。
しばらく謹慎するように言って、置いてきたのだ。
本人は「何故ドラゴンの我が、人間の子どもに謙らねばならんのだ」とお冠だったが、僕も本気で怒っていることを知ると、急にしゅんとなって指示に従った。
ちょっと言い過ぎたかな。
少し反省したら、美味しい料理を作って上げよう。
「子ども扱いするな」
ロラン王子は若干目くじらを立てて、僕が差し出した手を無視し、倒木の上に自力で立つ。「どうだ!」とばかりに鼻息を荒くして、僕の方に得意げに見つめた。
「さすが――――」
ロラン王子と言いかけた瞬間、王子はバランスを崩す。
倒木した幹の上から落ちそうになったのを、僕が慌てて支えた。
腰に手を回し、偶然にもそれは創作劇に出てくるような王子と王女が出会うワンシーンみたいな体勢になる。
僕とロラン王子が見つめ合うと、リーリスが顔を真っ赤にしていた。
「おい。ルーシェル。いつまでこうして見つめ合ってるつもりだ」
「わわわわ! ごめんなさい、ロラン王子」
慌てて、僕はロラン王子を立たせる。
「お前が謝ることじゃない。余の不注意だ。あと軽々しく謝られるのは、余は好かぬ。余とそなたは友人だ。……少しは洒落たジョークでもいって、楽しませよ」
ロラン王子はニヤリと笑う。
「すみま――――。わ、わかりました。何か考えておきます」
洒落たジョークか。僕にそんなセンスがあるとは思えないけど。
でも、やっぱり気になるな。
今日のロラン王子は何かおかしい。
前の剣術勝負から王子の運動神経の高さは身に染みてわかってるつもりだ。
山登りが必ずしも運動神経に直結するとは言わないけど、それでも何かおかしい。
いつもの積極性を感じないのだ。
体調でも悪いのだろうか?
すると、突然ロラン王子は僕の頬を叩いた。
「何をぼうとしてるんだ、ルーシェル。先導役はお前だろ?」
ロラン王子は半目で睨む。
「すみま――――」
また謝りそうになった。
「紅葉に見とれていたんですよ」
僕は苦笑いで誤魔化す。
ロラン王子も不敵に笑った。
「ほう……。お前が見とれていたのは、違うものではないか?」
後ろを歩くリーリスを見つめる。
額に玉のような汗を掻き、髪を汗に掛からないようにポニーテールに結んだリーリスは「はい?」と首を傾げて、僕たちの方を見つめ返す。
「ち、ちちち、違いますよ、王子」
「なら、もうちょっとしっかりしろよ、ルーシェル先生。ジョークのセンスもな」
もう! ロラン王子は意地悪だ。
いよいよ僕は頬を膨らせると、ロラン王子は笑う。吊られてリーリスまで笑うと、場の空気が和んだ。
休憩を挟み、引き続き僕は獲物を探す。
この時期なら、猪や鹿が手頃なのだけど、なかなか痕跡が見つからない。
自分が住んでた山ならだいたいの獣の通り道は、頭の中に入っているのだけど、人の山だとそうもいかなかった。
それでも、何とか見つけた痕跡の前で、僕は膝を突く。
「ルーシェル、何を見つけた? 猪か? 鹿か?」
「いえ。魔物の痕跡ですね」
「魔物?」
僕の言葉に顔を強ばらせたのは、王子だけではない。後ろのリーリスや騎士団や護衛の人たちにも緊張が走る。
表情を変えなかったのは、クライスさんぐらいだ。
「ご心配なく、さほど難敵ではありません」
「何という魔物だ?」
「ウィングホーンです」
「「ウィングホーン??」」
ちょうどロラン王子とリーリスの声が合わさる。
魔獣生態調査機関によれば、その危険度は〝D〟。
全体的に鹿によく似た姿をしているけど、頭には角がついている。そして最大の特徴は、前肢が翼になっていることだ。
翼といっても、鳥のように自由に空を飛べることはできない。
地上を動く時は、後ろの2本足を立て、翼を猛烈に羽ばたかせて走る――とてもユニークな動きで移動する特徴をもっている魔獣だ。
そんな走り方をするので、方向転換が難しく、木に激突することもしばしばだ。
ただ厄介なのは、翼に鉤爪が付いた手があって、それと角を使って器用に木登りできることだろう。離陸はできないが、滑空は可能で木の上で待ち伏せていることもあるのは、要注意だ。
「ロラン王子、1つ提案なのですが、ウィングホーンを狙ってみませんか?」
「何? 魔獣を??」
「はい。ウィングホーンは魔獣ですが、体格は牡鹿より少し大きいぐらいです。動きは猪に似ています。それに――――」
「それに……、なんだ? ルーシェルよ」
「……なかなか美味です」
ちょっと味を思い出してしまって、僕の顔は若干いやかなり締まりのないものになっていた。
ウィングホーンを使った紅葉鍋を作ったのは、ちょうど去年の今頃だった。
あれから1年……。お腹が要求してくる気持ちはわかる。
ロラン王子は半ば諦めながら、肩を竦めた。
「最後は食い気か。まあ、お前らしいがな」
「このまま鹿や猪を探すより、ウィングホーンを探す方がいいと思います」
山を登り始めて、1時間半。
西の方を見ると、太陽が山の稜線のすぐ上にあった。
もうすぐすれば、日没が始まるだろう。
「今日はルーシェルが先生なのだ。師の意見に従おう。それに、鹿や猪を討つよりは魔獣を討った方が箔が付くというものだ。……よもや反対せぬな、クライス」
ロラン王子はずっとこれまで議論に参加してこなかったクライスさんに確認を取る。
ふさふさの耳と尻尾が実に愛らしいのに、無表情のおかげで色々と残念なことになっている執事クライスさんは、短く答えた。
「ご随意に……」
黒い髪が垂れた。








