第65話 審査開始
賄い料理を出す朝。
僕はその日だけ、家族との朝食を断った。
炊事場で自分の賄い料理を、ソンホーさんたちと食べるからだ。
賄い料理は基本的に全員揃って、炊事場で食べる。テーブルはなく、それまで料理を作っていた作業台をテーブル代わりにするようだ。
3人が席に着く。
「さて、早速いただこうじゃねぇか」
ソンホーさんは作業台に手をかけながら言った。
僕は緊張した面持ちでトレーを持ち上げ、それぞれの前に料理をお出しした。
「ふむ……」
「ほう」
「これって……」
ヤンソンさんが息を飲むと、僕は料理名を告げた。
「はい。今日の賄い料理は親子丼です」
親子丼は東の方でよく食べられる大衆料理だ。
一般的に魚醤や出汁などで煮た鶏胸肉を溶き卵でとじ、米の上に載せた料理で、ところによってはそこに葱や玉葱などを加えることもある。
親子という由来も、鶏卵と鶏肉を使うところから来ているそうだ。
レティヴィア家は基本的にパン食が中心だが、ライスも食べることがある。
その場合、麦飯が使われることもあるのだけど、昨日ソンホーさんが作ったリゾットには、銀米が使われていた。
銀米は東の方の米で、かなり粘り気がある。昨日食べたのも普通のリゾットではなかったけど、もっちりとした食感がクセになる味だった。
料理のメニューはあらかじめわかっていたので、そこから逆算して僕も銀米を使う事に決めたのだ。
「なるほど。悪くない考えだな」
僕の説明に、ソンホーさんは頷く。
「丼物に仕上げた理由は?」
ビディックさんは親子丼の匂いを嗅ぎながら、僕に質問した。
「えっと……。ビディックさんのためです」
「私の?」
「いつもお忙しそうにしているので……。活力を生み、栄養価も高く、手早く食べることができる料理というなら、丼がいいかと考えました」
「あはははは。それは嬉しいね。今日もこれから市場に買い出しだから助かるよ」
ビディックさんは笑った。
「坊主……。この銀米はどうした?」
ソンホーさんはスプーンで丼を掻き上げると、色つやの良い銀米を指差す。
ホカホカでまるで炊きたてのようだった。
「俺もそれが気になってた。昨日の残りを使ったなら、もっと銀米も固くなってるはず。ルーシェル、もしかしてお前、賄いのために銀米を炊いたんじゃないだろうな」
ヤンソンさんから厳しい指摘が飛ぶ。
だけど、僕は怯まなかった。
「はい。確かに炊きました」
「やっぱり」
「ルーシェル君、賄い料理は――!」
ヤンソンさんに続き、ビディックさんも思わず立ち上がる。
ヤンソンさんからあらかじめ聞いているけど、この賄い料理のルールは絶対だ。
もしルールを破れば、料理長であるソンホーさんにこっぴどく叱られる。仮に僕がルールを破れば、炊事場への出禁に合うこともあるそうだ。
「待て待て、お前たち。ビディックまで何故そこまで慌ててるんだ?」
そう言って諫めたのは、当のソンホーさんだ。
「いや、しかし……師匠」
「坊主はルールを破っておらんよ。この銀米は昨日の残りを炊き直したものだ。ほれ……。見ろ」
ソンホーさんが見せたのは、銀米についたお焦げの痕だ。
レティヴィア家の家族に出す銀米は絶対に釜の縁側の米を使わない。
その部分が焦げているからだ。
だから、必然的に残っていた銀米は焦げていた。
「で、でも、ここまでふっくらとは……」
「坊主は酒を使ったんだ。しかも、銀米酒だろ……」
「銀米酒なんてどこ? あ?」
声を上げたのはビディックさんだ。
「昨日の食前酒だ。珍しいと思って、市場から買い付けて、ご当主様にお出ししたんだった」
「クラヴィスさん、とても喜んでましたよ」
「そうか。それは良かった――――って、それを拝借したのかい?」
「調味料は大量に使わない限り、ルールに抵触しないと伺っていたので」
「銀米酒が調味料か。確かにお酒も調味料だけど」
「ぐはははは! いいじゃねぇか。そういうルールすれすれのところを利用するのは嫌いじゃないぜ」
「ルールを作った張本人が何を言っているんですか?」
豪快に笑うソンホーさんを見て、ビディックさんは肩を竦めた。
「酒を少量垂らすだけで、カチカチの米がここまで柔らかくなるなんて」
ヤンソンさんは息を飲む。
まだ食べていないが、銀米の柔らかさは見た目でわかる。
焦げはついているものもあるが、その白さには艶があり、唾を呑むほど美味しそうに見えた。
「ルーシェル君、この野菜は?」
「玉葱は捨てられていた1番外側の皮をじっくり煮込みました。人参も同じで、外側の皮を細切りにして使っています」
「卵は昨日の余った分だな」
教育係のヤンソンさんは目を光らせる。
「はい」
僕は返事する。
「そろそろ寄ってたかって、新人をいじめるのはなしにしようや。わし、めちゃくちゃくお腹が空いてきた」
「同じくです。審査はこれぐらいにして、食べてみましょう」
「ですね」
僕も入って、手を合わせる。
いただきます、と4人の声が響き渡った。
一応自分の料理を食べようとしたけど、緊張する。ついつい人の口元を見てしまって、やはりそれどころではない。
お腹は空くどころか、キュッと音を鳴らして収縮し、僕の胃袋を絞め上げる。
みんなが最初の一口を食べ終えるのが、300年よりも長く感じた。
「こりゃぁああ!!」
「うぅぅぅうううううんん!!」
「…………!」
「「「うまい!!」」」
3人の声が重なった。