第62話 婦長の正体
『「ククク……。奴は四天王の中でも最弱」と解雇された俺、なぜか勇者と聖女の師匠になる』のコミックスが10月7日に発売されます。よろしくお願いします。
「ありがとうございました、ルーシェル様」
落ち着いた様子でカンナさんは頭を下げた。
鋭く尖った眼鏡には、こめかみに大きなキスマークを付けた僕の顔が映っている。
我ながら少し疲れた様子だ。
アシッドスライムとソーダスライムを掛け合わせ、中性スライムを作った僕はコリンヌさんを初め多くの女給の皆さんから盛大な称賛を受けた。
こめかみのキスマークはコリンヌさんだ。
カンナさんが無理やり離してくれなかったら、きっと今頃胴上げされていたかもしれない。
「いえ。こちらこそ助けていただきありがとうございました」
「お礼を言われるようなことはしていません。ですが、驚きました。報告は聞いていましたが、スライムの性質を利用して汚れを落とすとは……」
「報告を聞いていた?」
「お皿の件でソンホーさんから」
「ああ……!」
僕は思わず手を打つ。
「実は皿の綺麗さに気付いたのは、最初私でして……。ソンホーさんに報告を」
「そうだったんですか!?」
初めて聞いた。
なら炊事場でのソンホーさんの反応は、小芝居だったのか。
多分、僕に気を遣って、炊事場の中でのことと収めようとしたのだろう。
「ソンホーさんに質問したところ、あなたのスライムのおかげだと聞きました」
「もしかして、皿洗いの技術が服を洗う技術にも使えると」
「多少期待していました。ですが、ルーシェル様は私の想像以上のことをしてくださいました。あんなに喜んでいるコリンヌたちを見たのは久しぶりです」
「お役に立てて何よりです」
「改めてお礼を申し上げます。ありがとうございます」
またカンナさんは頭を下げる。
「いえいえ。こちらこそ!」
また僕は頭を下げる。
意外だな。
何だか最初の時とは、もっとおっかないイメージだったけど……。あの態度も仕事に対する真摯な姿勢の表れだったのかもしれない。
ここの屋敷にいる人たちは、真面目な人が多いからね。
僕が頭を上げると、ちょうどカンナさんと目が合った。
「どうしました?」
「あ。いえ。その……最初会った時と違うっていうか……」
「それはどういう?」
「あわわわ……。怒らないで下さい」
「別に怒ってませんよ……」
「いや、そういう訳じゃなくて、えっと……。今のカンナさんはとても優しい顔をしてるなって」
「優しい……」
あれ? 気のせいかもしれないけど、カンナさんの様子が変だぞ。
どんどん、声のトーンが小さくなっていく。雰囲気も暗くなっているのに、顔の血色はドンドンよくなっていっているような気がした。
どういうこと?
「ルーシェル様もお優しいと思いますよ」
「そ、そんなことないですよ」
「いえ。とてもお優しいと思います。振る舞いはとても紳士的ですし、女性の気配りもできている。女給たちの肌のために、優しい洗剤を作るなんて……。ド真ん中です」
「は? どまんなか??」
「ルーシェル様、私が何故最初怒っていたかお教えしましょう」
「は、はい……」
すると、カンナさんの瞳がギラリと光る。
思わず僕は「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
そこにいたのは、黒髪に真っ白な肌をした――赤い瞳と牙を生やしたカンナさんが立っていた。
「はあああああああ! もう我慢できないぃぃぃいいぃいいいいいいい!!」
「え……。えええええええええ!!!」
スパン!!
気持ち良い音が響く。
僕に飛びかかったカンナさんは、大きな蠅叩きで撃墜され、地面に叩きつけられた。
「げふっ!」
あの楚々としていたカンナさんの口から漏れたとは思えない叫び声が聞こえる。
そのまま目を回し、カンナさんは屋敷の廊下の真ん中で突っ伏した。
「やれやれ。こんなことだろうと思ったわ」
その側に立っていたのは、リチルさんだ。手には先ほどの大きな蠅叩きが握られていて、今はトントンと自分の肩を叩いている。
「見張ってて正解ね。ダメでしょ、カンナ。ルーシェル君はまだあなたの正体を知らないんだから」
「うううううう……」
うめき声とともに、頭に瘤を作ったカンナさんはさめざめと泣き始めた。
「驚かせてごめんね、ルーシェル君」
「いえ。……えっと。どういうことでしょうか?」
「ああ。これね。……カンナって、吸血鬼族なのよ」
「う゛ぁ、ヴァンパイア!!」
会うのは初めてだけど、そういう亜人族がいることは知っている。
名前の通り動物や人間の血を摂取することによって生きながらえる種族で、エルフと同じぐらい長命。
「その代わり、陽の光に弱くて、昼間は行動できないって」
「それは創作物の中でのことよ」
「はい。ちなみに蝙蝠に化けることもできません。血を摂取するといっても、普通に料理から摂取しますし。ただ他の人族や獣族と比べて、血を直接摂取するということに忌避感がないぐらいです」
カンナさんが床に突っ伏しながら、説明した。
「そうなんですか?」
「他の種族とは違って、吸血鬼の味覚は独特なんです」
初めて聞いた。
僕が知っているのは、5歳の時に詰め込むだけ詰め込んだ図鑑の中での知識だけど、こうして本物の吸血鬼族の人に会ってみると、全然違うんだな。
「じゃあ、僕の血を吸おうとしたわけでは……」
「とととと、とんでもない! ルーシェル様にそんなことは誓ってしません。信じて下さい。あと、最初ツンツンしてたのは、普通にしてたら襲いかかってしまいそうでして……」
「襲い――――……」
僕は口を開けたまま固まった。
一方、カンナさんは立ち上がり、床の上で正座をして「おお。神よ」とばかりに胸の前で両手を組む。
それを見て、リチルさんが息を吐いた。
「結局飛びかかったヤツが何を言ってるのよ」
「だってだって! ルーシェル様、とっても可愛いんだもん!!」
「え…………。可愛い……、僕が……」
「そうです。ルーシェル様は可愛い! 可愛いは正義!! それに性格もいいし、女性に対しても優しい。完璧です! 私の理想です」
「あははは……。なんかプロポーズされてるみたいだね」
「ええ! ええ! もう結婚していただきたいぐらいですよ」
カンナさんのテンションはさらに上がっていく。
最初会った時の眼鏡のクールビューティー的なイメージは、僕の中でガラガラと崩れ去っていく。
しかもカンナさんの興奮状態は留まることを知らず、ぐいっと僕の前に顔を出して「どうですか?」と期待の眼差しを向けた。
「こ、光栄だけど……。でも、僕はこの通り5歳で……」
「いえ! むしろちょうどいいですよ!!」
「ちょ、ちょうどいい!!」
「失礼ながら300年生きておられると伺いました。ということは、別に結婚しても大丈夫ということでは? つまり合法!」
合法なの???
いや、僕はそう思わないけど。
僕は側のリチルさんに助けを求める。
そのリチルさんはこういうカンナさんの姿には慣れてるらしく、やれやれと首を振った。
「あのね。ルーシェル君。君にはちょっとわかんない世界かも知れないけど、世の中には年端もいかない君のような人が好きなお姉様もいるのよ」
な、な、なんだってぇぇえぇえぇえ!!
「え? でも、その…………僕、300年も生きてるから今の時代のこととかは……」
「大丈夫です。私も実年齢は197歳ですから……」
ひゃ、197歳ぃぃいいいいいい!!
満足そうに胸を張るカンナさんの顔を見ながら、僕は屋敷の中で絶叫するのだった。
ちなみに後で知ったことだけど、カンナさんはレティヴィア家の当主3代に渡って、仕えてきたらしい。
なるほど。
僕が300年といっても、みんなが簡単に受け入れてくれたのは、カンナさんの存在が大きかったんだな。
…………。
ちょっと納得いかないけど……。








