第61話 中性スライム
「【合成】魔法!!」
カンナさんが素っ頓狂な声を上げる。
髪と同じ色した黒い瞳は、今は真っ白に染まっていた。
「とても高度な魔法だと聞いているけど……。それを――――」
と息を呑む。
何が何だかわからないコリンヌさん以下、洗濯場にいた女給さんたちは、屋敷の影に隠れて事態を見守っていた。
【合成】の魔法を受けた2つの瓶がお互い引かれるようにくっつく。
さらにぐにゃりと曲がると、糸を撚るみたいに混ざり合っていった。
やがて形は元の瓶へと戻っていくけど、現れたのは1つだけだった。
「中性スライムの完成です」
「ちゅーせー……スライム…………?」
僕は瓶の蓋を開ける。
赤紫のアシッドスライムと、水色のソーダスライム。
混ざり合ったことによって、濃紺っぽい色に変化した。
僕は先ほどと同様に、ぬるま湯に中性スライムを希釈していく。
「ソーダスライムの性質は、アシッドスライムの性質を弱めるものです」
「ん? 性質が弱くなったら、汚れが落ちないんじゃ?」
大きな身体を井戸のポンプの横に隠したコリンヌさんが、恐る恐る尋ねる。
「コリンヌさんの言う通りです。ですが、ちょっとだけです。そして中性スライムが凄いところは、鉄を洗っても錆びさせないところなんですよ」
「鉄を洗っても錆びない??」
「はい。ただ実はソーダスライムを使っても同じように錆びにくくなりますが、こっちはアシッドスライムと違って汚れが落ちにくいんです。けれど、アシッドスライムは鉄を緩やかにですが溶かしてしまう性質があります」
「なるほど。その2つのスライムを掛け合わせれば」
「はい。錆びにくく、汚れも落ちる洗剤ができるということです」
「そんなうまい話があるのかねぇ」
僕の説明を聞いても、コリンヌさんたちは半信半疑のままだ。
「じゃあ、試しにやってみます?」
僕は鎧を差し出す。
代表してコリンヌさんが試すことになった。
盥の中でいつも通り磨き始める。
「あら? あらあらあらあら……」
表情の変化はすぐにあった。
盥の中で頑固なスライムの滓や、古い血の痕、他にも油などがいとも簡単に取れていく。
10人近くで半日かかって7着がやっとだったのに、コリンヌさんはあっという間に1着洗い終えてしまった。
「まるで魔法を使ってるみたいだわ。まさに驚きの洗浄力さね」
コリンヌさんは目を丸くする。
その仕上がりを見て、「私も」と次々と手を上げて、鎧を洗い出した。
いずれも洗い終わった鎧を見て、「ほう」と口を開けて驚いている。中には泣き出す人まで現れた。
みんな、洗剤がスライムだということも忘れて、没頭する。
さっきまでの意気消沈した雰囲気は吹き飛び、洗濯場では賑やかなおばさんたちの声が響き渡った。
「カンナさん、1つ気になっていたのですが、どうして洗濯場は年配の人が多いんですか?」
「それは――――」
カンナさんは少し気まずそうな顔で、僕から目を背ける。
代わりに答えた――というよりは、一笑したのはコリンヌさんだった。
「わはははは! そりゃあ、坊ちゃん。あたいたちが年を食ってるからさ」
「え? それが理由?」
「見てみな……」
コリンヌさんは手を見せた。
節くれだっていて、ところどころ皮が剥けたような痕もある。木皮のように皺が寄り、シミも多い。爪もボロボロだった。
「こんな手をお客様に見せるわけにはいかないだろう? だから若くて肌の綺麗な女給は中の仕事を、うちら見たいな年寄りはお客様と極力接触することがない、裏方の仕事をしてるのさ」
「そんな……」
「勘違いしないでほしいのですが、貴族ならどこも同じようにやっていることです。お客様を迎えるマナーのようなものですから」
ということは、僕が屋敷に住んでいた頃にもあったのだろうか。いや、多分あったのだろう。
僕が気が付いていなかっただけだ。
知らなかった。貴族の家臣にこんな暗黙の了解があるなんて。
それでも――――。
「可哀想と思うかい、坊ちゃま」
「え?」
「でもね。あたいたちは嬉しいんだ。こんなになってもご当主様はうちらを雇い続けてくれる。この手を働き者の手だと言って、褒めてくださるんだ。その言葉を聞けるだけでも、あたいたちは果報者さね」
「んだんだ」
「うんうん」
「接客するより、こっちの方が気が楽だしねぇ」
「ああ。客に尻さ触られることもないし」
「あはははははは!」
他の女給たちも頷いた。
初めに聞いた時、理不尽だと思った。多分この人たちの中には辛い洗濯場の仕事よりも、屋敷の中で仕事したいと思う人もいるだろう。
でも、それはあくまで僕の思い込みなんだ。
この人たちはこの人たちできっちり幸せなんだと思う。
僕の300年もそうだった。
確かに人里から離れて暮らすことは、少しずつ僕の中に寂しさを募らせていった。
けれど、その年月が全部不幸だったかといえばそうでもない。楽しいことも、嬉しいこともあった。
300年すべて不幸だったとは思われたくない。
今思えば、クラヴィスさんやフレッティさんは、僕の心の中で積もりに積もっていた寂寥とした気持ちに気付きはしたものの、僕を「可哀想」だとは一言も言っていない。
たぶん、僕の300年をすべて受け止めた上で、僕をこの家に呼んでくれたのだろう。
やはり凄いや。
クラヴィスさんも、フレッティさんも……。
「でも、あたいたちも女だからねぇ。少しは肌荒れが緩和できるといいんだがね」
「このままじゃ。手がなくなっちまうよ」
冗談めかして女給さんたちは笑う。
それを聞いて、僕は答えた。
「あ。それは大丈夫だと思います」
「どういうことだい、坊ちゃん?」
「中性スライムはとてもお肌に優しいんです。ソーダスライムは手を保護する効果もあるので。だから、これ以上肌荒れは心配ないかと」
「ホントかい?」
「そりゃ嬉しいね!」
「これでバリバリ働けるね」
「あはははは。あんた、いつまで働く気だい」
女給さんたちは、また賑やかに笑った。
どうやら気に入ってくれたようだ。
楽しそうに洗濯するコリンヌさんたちを見て、僕は自然と微笑んでいた。








