第56話 スキル【支配】
訓練場を沼地と決めたのには、理由がある。
スライムは川、泉、あるいは今僕たちがいるような沼を好む性質がある。ともかくじめじめしているところが好きなのだ。
「闇雲にスライムを探すと、逆にスライムに文字通り足をすくわれる可能性があります。だからこっちからおびき寄せましょう」
「何かいい方法があるのかい?」
フレッティさんに質問されて、僕は袋の中から瓶を取り出す。
中には赤黒い血のような液体が入っていた。
「それは?」
「豚の血です。これでスライムを集めます」
「好物で釣る作戦かな?」
フレッティさんの言葉に、横で聞いていたクラヴィスさんは首を傾げた。
「スライムに好物なんてあっただろうか? やつらは雑食のはずだが……」
「いえ。好物というわけではありません。豚の血も食べますが、ここで重要なのは匂いですよ」
「匂い……?」
僕はコルク栓を開ける。
その瞬間、猛烈な刺激臭が僕を含めて騎士団やクラヴィスさんの鼻腔を衝いた。
「くっさ!!」
フレッティさんも溜まらず、鼻を摘まむ。
僕はケロッとしていた。もう何度も使ってるので慣れてしまったのだ。
「ちょっと腐らせてます。スライムはどうやらこの臭いが好みらしくって」
「へ、へぇ~~……」
フレッティさんは苦笑いを浮かべる。
口を開けた時に、口内に悪臭が入ってきたのか。激しく咳き込む。
「素朴な疑問なのですが、スライムに鼻ってあるんですか?」
リチルさんが首を傾げる。
ちなみに相方のミルディさんの姿が消えていた。首を巡らして探すと、随分遠くの方まで退避している。
獣人族だから匂いに敏感なのだろう。
かなり後ろまで下がってるのに、鼻を摘まんで涙目になっていた。
「スライムには鼻がない。しかし、どうやらスライムは自分の外殻部分――つまりぬめぬめしてる部分だな――そこに付着した物質に反応してるらしい」
リチルさんの質問に答えたのは、クラヴィスさんだ。
「臭気のように微細なものでも反応できるみたいだよ。これほど強烈だとさぞかし敏感だろうね」
カリムさんも説明を付け加える。
リチルさん以下、騎士団の人たちも感心していた。
さすがは魔獣学者の一族。スライムの外殻が微細なものにまで反応してるなんて僕も知らなかった。
「すごいです、クラヴィスさん」
「何……。これぐらいは基礎の基礎だよ。君の未晶化の発見の方がよっぽど学術的に価値がある」
そう言いながら、クラヴィスさんは少し誇らしげに髭を撫でた。
養父の反応に僕は目を細めながら、早速瓶の中の豚の血を沼地の周りに垂らす。
瓶の中にある時より、さらにひどい臭気が立ちこめた。
「一旦隠れましょう」
僕とクラヴィスさん以下騎士団は、1度退避し、距離を取る。
スライムが集まってくるのを待った。
「集まってくるでしょうか?」
リーリスはちょっと心配げに尋ねる。
「大丈夫。僕を信じて」
「はい!」
しばらくして沼が動いた。
沼の中で自生する草木が揺れる。1つや2つだけじゃない。茎が勝手に震えるのだ。まるで目に見えない幽霊か何かが動いているかのようだった。
滴が垂れる音が聞こえる。同時に地面を雑巾掛けしているような音も聞こえた。
「現れましたね」
「おいおい」
「これは――」
みんなが息を飲む。
沼の中からスライムが続々と現れる。
その数、おそらく100……200匹以上はいるかも。
「あんなに沼地に棲息しておったのか?」
「普通のスライムが多いようですが、マジックスライムやケアスライムも交じってますね」
カリムさんはわざわざ遠眼鏡を使って、確認する。
「宝の山ということでよろしいですね」
フレッティさんは魔剣【フレイムタン】の柄を握った。
「みなさんはここで待っててくれませんか?」
「ルーシェル君?」
「心配しなくても大丈夫です。スライムを大人しくさせるだけですから」
いくら雑魚魔獣といえども、スライムが危険だということに変わりはない。
折角、騎士団の人たちと遠出をしたのだ。
トラブルなく、笑顔で帰りたい。
僕は手を掲げる。
【支配】
地面に垂らしていた豚の血に群がっていたスライムが、ぐっと押しつぶされる。
それはまるで僕に対して、頭を垂れているように見えた。
「あれは?」
「【使役】系のスキルの中でも最上位の【支配】ですね。複数の魔獣を同時に使役できるとともに、種族・種類を問わないと言われています」
カリムさんは説明しながら、戦慄した。
「使えることは聞いていましたが、相変わらず凄いですね、ルーシェル君。スキルを複数所持することすら難しいのに」
リチルさんも感心する。
魔法は呪唱や魔法理解、素養があれば身につくけど、スキルはそうじゃない。
長い鍛錬を経て会得するものもあれば、生まれながらにして持っている人もいる。
僕のように魔獣を食べて会得する人はさすがにいないけど、魔獣の動きを見てスキルを会得する人もいるようだ。
つまり習得は容易ではないということ。
僕のようにスキルをたくさん持っている人は、なかなかいないらしい。
みんなが僕のスキルに驚いている間に、【支配】は完了した。
「みんな、横に整列!」
スライムはポンポンと動き出し、見事横列に並ぶ。
【支配】の凄いところは、支配した魔獣の知能が支配者側と同等になることだ。
知能の低い魔獣でも、この通り動くことができる。
例えば――――。
「じゃあ、今度は縦に20ずつ並べ」
命令すると、スライムは粛々と動き出した。
見事、縦に20ずつ並ぶ。横に15列できたということは、300匹近くいるようだ。
「全員、右向け、右!」 すると、スライムは右を向く。
「ほう。スライムにも正面という認識があるのか」
クラヴィスさんが感心したように髭を撫でる。
「回れ右。右向け、右! 前へならえ!」
スライムは僕の指示を理解し、クルクルと回り、動く。
完璧に統率されたスライムを見て、フレッティさんは感心した様子だった。
「わぁ! なんだかかわいいです」
リーリスはパチパチと手を叩く。
クルクルと動くスライムを見て、喜んでいた。
このように難しい命令も理解できる。【支配】はかなりの万能なスキルなのだ。
「リーリス、触ってみる?」
「え? いいんですか?」
「うん。今なら大丈夫だよ」
「じゃあ、ちょっと……」
リーリスは微動だにしないスライムに恐る恐る手を伸ばす。
その指先がスライムに触れた。
「ひゃっ!」
悲鳴を上げる。
「お嬢様!」
「リーリス、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。驚かせてしまってすみません、皆さん。あの……思ったより冷たくて」
そう。スライムの体表は思ったよりも冷たく、べちゃべちゃしてるけど思いの外水っぽい。僕も初めて触った時は、驚いたものだ。
リーリスは再チャレンジする。
今度は思い切って、スライムの中にまで手を伸ばしていった。
「うわ~。ちょっと気持ちいいかも」
リーリスはスライムの中でわさわさと手を動かした。最初眉間に皺を寄せていることもあったけど、危険ではないとわかると、スライムの中をかき回し始める。
本来、手を付けた時点でゆっくりと外殻が溶解液に変化して異物を溶かし始めるのだけど、僕の【支配】に入ったスライムは、その兆候すら見せなかった。
完璧に【支配】できている証拠だ。
「ほう……。面白い! 私もやってみるか!」
手を挙げたのは、クラヴィスさんだ。
「僕も……。学術的に興味があるね」
カリムさんも前に進み出てくる。
「どうぞ。多少刺激しても大丈夫ですから」
僕が言うと、次々と手が挙がった。
騎士団の人たちだ。
リチルさんも最初は怖がっていたけど、スライムの中に手を入れると、その冷たさに驚いていた。
「ふふふ……。どう、ルーシェル君!」
ミルディさんの元気な声が聞こえる。どうやら戻ってきたようだ。
僕が振り返ると、両拳にスライムを付けたミルディさんがドヤ顔で立っていた。
「スライム二刀流!!」
と、最後にポーズまで決める。
僕は苦笑いで返すのが精一杯だった。
一応これは訓練で、今からそのスライムを殺すことになるんだけど、みんなわかってるのかな?
書籍化についてたくさんのお祝いの言葉をいただきありがとうございます。
引き続き書籍化作業などで多忙な日々が続いておりまして、
WEBの更新が遅れることをご理解いただければ幸いです
(なので他の作品も同様に遅れてます。申し訳ない!)








