第40話 兄妹
お待たせしました。第35話の続きになります。
◆◇◆◇ ルーシェル side ◇◆◇◆
「お嬢様は僕のことが嫌いですか?」
ズバリ僕は尋ねた。
薬草の匂いが香る地下室で、リーリスお嬢様は胸の前でキュッと拳を握りしめる。
不安そうな青い瞳が、風の薙いだ湖面のように揺れた。
地下室にいるからだろうか。
とても静かな夜だった。
月並みな言い方だけど、世界にお嬢様と僕しかいない――そんな風に思えた。
「…………」
リーリスお嬢様は答えなかった。
何度か試みている努力はわかる。必死になって言葉を話そうとする赤子のように口が動いていたからだ。
こんな質問をしてなんだけど、そもそも僕自身は、お嬢様に好かれる理由はないと思っている。
300年生きてきたと証言する子どもが、突然レティヴィア家の養子となろうとしているのだ。
それを面白くないと思う人間がいることを、僕は知っている。
かつて僕がいた屋敷でもいたからだ。
『何故、あのような病弱な子どもが【剣聖】の息子として生まれてきたのか』
人から蔑まれることには慣れている。
その悪意に満ちた瞳も……。
でも、レティヴィア家の人たちは違う。
僕を人間として、温かく見守ってくれている。
目が合うと笑いかけてくれる。
リーリスお嬢様もそうだ。
決して僕を見下しているわけではない。同じ子どもとして、敵愾心をもっているわけでもない。
ただ僕から目を背ける。
そして申し訳なさそうに俯くのだ。
ずっとわからなかった。
その態度の意味が……。
多分初めてだったから、僕が戸惑っているのだ。
今目の前にいる少女以上に……。
「ごめんなさい」
リーリスお嬢様はぽろりと言葉を吐き出す。
ぽろりと吐いたのは、鈴が鳴るような声だけではない。
青い瞳から涙も落ちていた。
松明の明かりに照らされた白い頬に、涙が次々と半透明の線を引く。
僕は慌ててハンカチを出して、そっとリーリスお嬢様の涙を拭った。
「ご、ごめんなさい! 別に……その…………お嬢様を悪いと…………言いたいわけじゃなく………………僕はお嬢様の本音を…………」
ああ。一体何をやっているんだろう。
リーリスお嬢様は、とても傷付きやすい人間であることはわかっていたのに……。
無神経すぎたかもしれない、でも――――。
僕は慌てふためいていると、リーリスお嬢様は激しく頭を振った。
「そうではないんです。ずっと、ずっと……あなたに謝りたかった……」
「僕に……。謝る……??」
リーリスお嬢様が僕に謝ることなんて何もないはず。
一体……。
「ごめんなさい」
「な、何を僕に謝るんですか?」
「だって、300年間……ルーシェルさんはずっと苦しんできたのに。……ずっと、ずっと助けることができなかった。だから――――」
ごめんなさい……。
「へっ?」
思わず変な声が出てしまった。
300年間、僕を助けられなかった?
一体、お嬢様が何を言っているのか、僕にはしばらくわからなかった。
でも、次第にリーリスお嬢様の気持ちが理解できるようになってくる。
リーリスお嬢様はこう言いたいのだ。
300年間、僕が山で過ごす間、僕に何もできなかったこと。
ずっと手を差し伸べることもできず、自分は平々凡々と家族と一緒に暮らしてきたこと。
普通の人間なら、そんなことは気にしない。
300年という月日は、どうしようもないからだ。
それを取り返すことは、誰にもできない。
【剣聖】と言われた父上が生きていても無理だろう。
しかし、リーリスお嬢様はそれができない自分を悔いておられるのだ。
クラヴィスさんは言っていた。
リーリスお嬢様はとても感受性の高い子どもだと……。
今、僕はその言葉を身に染みるほど理解した。
同時にお嬢様のとても優しい気持ちに、心が温かくなった。
「リーリスお嬢様、髪を触ることをお許し下さい」
「え? あ、はい。かまいません」
「じゃあ……」
僕はお嬢様の髪に触れた。
「はふ……」
「ご、ごめんなさい」
「だ、大丈夫、で、す……。そ、その……家族以外の人に触れるのは、その……」
「イヤですか?」
すると、リーリスお嬢様はさっきよりも大きく頭を振る。
「イヤじゃ、ない……です。むしろ触ってほ――――」
そこまで言いかけて、リーリスお嬢様はキュ~と音を立てて顔を赤らめた。
泣いたり、顔を赤らめたり……。
お嬢様はとてもせわしない人だった。
「ぷっ……」
なんだかちょっと面白くて、思わず吹き出してしまう。
「じゃあ、今度こそ」
「はい……」
僕はもう1度、お嬢様の髪に触れる。
艶もよく、指通りもいい。
薄く湿っているのに、サラサラとしている白砂のようだ。
僕はリーリスお嬢様の髪に触れながら、頭を撫でる。
「ありがとうございます」
「え?」
「お嬢様は僕のために泣いてくださりました。そのお気持ちだけで十分です」
「そんな――――」
「これからはどうか謝るのではなく、笑顔を見せていただけませんか?」
「笑、が……お……」
「無理にとは言いません。けれど、僕はリーリスお嬢様の笑顔をまだ見ていません」
ずっとそうだった。
リーリスお嬢様は僕を前にするといつも辛そうな顔をする。
その理由がわかったとしても、そんなお顔を毎日に見るのは、忍びない。
折角、1つ屋根の下にいるのに。
出来れば笑顔が溢れる姿を見たい。
それとも僕が言っていることは、少しわがままなんだろうか。
リーリスお嬢様は僕から離れていく。
嫌われたのかと思ったけど、そうじゃない。
地下室に流れる水の上に、自分の顔を映す。暗がりだったけど、かろうじてリーリスお嬢様の顔は映っていた。
何をするかと思いきや、お嬢様は口の両端に指をかけて、左右に引っ張る。
イーッと無理やり笑顔を作ってみるが、やっぱり何かぎこちない
「わたくしごとながら、冴えない顔をしてますね」
「お嬢様?」
どうやら本当に笑顔を作ろうとしているらしい。
「ルーシェルさん……」
「は、はい」
「歌を一節、聞いていただけますか?」
「う、歌?」
「楽しい歌を歌いながらなら、笑顔を見せられると思うのです」
「…………喜んで」
リーリスお嬢様は自分の胸に手を置いた。
1つ大きく息を吸うと、歌い始める。
暗い地下室。
松明の火が爆ぜ、火粉が星々のように散る中で、少女の声が響き渡った。
「――――!」
歌を聴いて驚く。
お嬢様の美声もそうだが、その歌は僕も知っている歌だったからだ。
それは陽気な祭り歌。
僕が住んでいた街でも、年に1度風に乗って聞こえてきていた。
僕はそれを剣の稽古をしながら、耳をそばだて聞くだけだった。
300年の間、何もかも僕はなくしたと思っていた。
でも、違った。この歌のようにまだ残っているものがあることに気付かされた。
リーリスお嬢様のおかげだ。
「――――――♪」
気付けば、僕はお嬢様と歌っていた。
地下室に声を響かせる。
リーリスお嬢様は僕が歌っていることにとても驚いた様子だったけど、柔和な笑みを浮かべて歌い続けた。
そう。お嬢様は笑ったのだ。
やっと僕の前で嬉しそうに、自然と笑みを浮かべていた。
綺麗で、そして最高の笑顔だった。
見ているこっちの心が温かくなるような……。
そんな笑顔だった。
良かった。見ることができて……。
一生、この顔を見ることができなかったのなら、きっと僕は強く後悔していただろう。
「――――…………♪」
歌が終わる。
僕とリーリスお嬢様は、いつの間にか息が弾むぐらい声を上げて歌っていた。
自然と見つめ合う。
そこにあったのはやはり辛そうな表情を浮かべるお嬢様ではなくて、とても楽しそうなリーリスお嬢様だった。
「やっと……。お嬢様の顔を目にしたような気がします」
その意味を察したお嬢様は、すぐに俯く。
「ごめ――――」
また謝ろうとしたところで、僕は指で口をついて止めた。
「もうその言葉は僕の前では禁止です。いいですね、お嬢様」
「……ふふ。まるでうちの側付きみたいですね」
「すみません」
と僕もまた自然と謝っていた。
「お嬢様は歌がお好きなのですね」
「はい。植物を育てることと同じぐらい、歌うのが大好きです」
お嬢様はまた笑った。
そっか。ルララ草が花を咲かせたのも……。
「ルーシェル……」
「え? はい!」
気付けば、リーリスお嬢様が猫のように首を伸ばして、僕に近づく。
うっとりするような笑みを浮かべた。
そして、その時になってリーリスお嬢様が僕のことを呼び捨てにしたことに気付いた。
「わたくしからも1つ禁止事項を言っていいですか?」
「は、はい。なんでしょうか?」
「その『お嬢様』というよそよそしい言い方はやめませんか?」
「え? でも、僕は――――」
食客と言おうとして、僕は唇を結ぶ。
そんな僕にリーリスお嬢様は少し戒めるように説いた。
「手続き上はまだですけど、わたくしたちはいずれ兄妹になるんですから。それなら今から慣れておくのもいいかと思いますわ」
「というと……」
「だから、お互い呼び捨てで呼びましょう。わたくしはルーシェルと……」
「じゃあ、僕はえっと……」
なんか改まると照れるな。
「リーリス……」
「はい。よろしくお願いします、ルーシェル」
「こちらこそ」
僕はホッとする。
その時になって、僕はようやくクラヴィス家の人間に、リーリスと兄妹になったことを実感することができたのだった。
ようやく「リーリス」って呼べるようになりました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
大変な労力を以て、ここまで読んでくれた方はきっとこの作品が好きなのだと思います。
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