第2話 研究開始
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WEB版未収録のユランのお話など、美味しい料理が満載です。
「公爵家の料理番様」第2巻をよろしくお願いします。
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そこにいたのは、スライムだった。
まだ小さい、子どものスライムだ。そのスライムにはえぐれたような痕があった。たぶん、僕の手に掻かれた痕だろう。
必死になってもがいているうちに、たまたま僕を狙ってやってきた子スライムの身体を抉ってしまったらしい。
哀れな雑魚魔獣に呆然としてしまった僕だが、改めて自分が何を食べたのか確かめる。
恐る恐る指先に残っていたスライムのベトベトした部分を舐めてみた。
「あま~~い!!」
甘い、甘い。
おいしい。めちゃくちゃおいしい。
発作にもがいている時には、ただ甘いとしか思えなかったけど、落ち着いて咀嚼するととんでもなくうまい。
「スライムって食べられるんだ」
僕は『剣聖』になるために、様々な書物を読んだ。
けれど、どの本にも魔獣が食べられるという記載はなかった。魔獣を食べることは禁忌だと考える人の話はあったけど、食べた時の味を知るものは誰もいない。
そもそもだ。
僕は棒きれを再び握る。身体の大半を僕に食われてしまい、動けなくなっているスライムの前に立ちはだかった。
僕はスライムのベトベトの中にある白い核に向かって、棒きれを振り下ろす。
その衝撃で核にビビが入ると、ついにスライムは夜の闇に溶け込むように消えてしまった。
残ったのは、割れた宝石のような核だけだ。
魔獣を動かしているのは、この核だ。その周りを覆う肉体は『外殻』と呼ばれ、人間、あるいは豚や牛でいうところの『肉体』とは少し異なるらしい。
核や外殻にある程度のダメージを与えると、跡形もなく消滅してしまうからだ。
けれど、その肉体をまともに精査した人は今のところいないはず。
「もしかして、核や外殻をある一定以上、傷付けなければ、魔獣も食べられたりするのかな」
仮に今後山の中で暮らすなら、食糧が必要になる。
鹿や猪、あるいは木の実や食草を取って、生活することも可能だろう。
けど、そこに魔獣という選択肢が入っても別に困ることじゃない。
そのためには僕の仮説が正しいかどうかを確認する必要がある。
僕は早速行動に移すことにした。
狙うはブラックロウだ。
鴉より一回り大きい魔獣だけど、装備さえあれば捕獲することもできるはず。サバイバル術も、それなりに履修済みだ。
まずはブラックロウを仕留めるのに有効な弓矢の作製だ。
石を砕いて手斧を作り、細い若木を切る。
それを縦に裂き、石で徐々に成形して弓の原形を作り上げた。
弓弦は木の皮を剥ぎ、繊維を撚って作り上げ、矢は細木を加工し、落ちていた鳥の羽根で矢羽を付け、完成だ。
そこにシルコギ草の葉を磨りつぶしたものを矢尻の先に付ける。これは魔獣にだけ効く毒草で、人体に無害。摂取すると、魔獣が動かなくなるという優れた毒草だった。
魔獣を狩るハンターの皆さんの必携のアイテムになってるらしい。
剣ほどじゃないけど、弓もトリスタン家に仕える騎士達から教えてもらい、一通り使える。
魔獣とはいえ、ブラックロウを地上に叩き落とすぐらいならできるはずだ。
「いた……」
僕はなるべく足音を出さずに、ゆっくりと枝に止まったブラックロウとの距離を詰めていく。
すでに陽が傾こうとしていた。
深夜にスライムを食べてから、もう次の夜を迎えようとしている。
あれから発作のようなものは起きていない。
むしろ、体調はすこぶる良かった。
さてブラックロウは夜行性だ。
陽が降りてからだと、活発になって逆にこっちに襲いかかってくる可能性がある。
仕留めるなら昼間のうちにしなければならない。
必ず殺せる距離まで詰めて、僕は弦を引く。
名工が作った弓よりは遥かに頼りないけど、距離は十分だ。
僕は弦から手を離す。
矢尻は風を切り、真っ直ぐブラックロウに向かった。
見事お腹の辺りに命中する。
『ガア! ガア! ガア! ガア!』
ブラックロウは翼を広げて、暴れ回る。そのまま飛び上がった。
まずい! 逃げられる!
即席の矢筒から矢を抜き、2射目を用意する。狙いを付けた。けれど、当然枝に止まっている時より、飛んでいる方が狙いをつけにくい。
加えて、ここは森だ。遮蔽物が多すぎる。
黒いブラックロウの姿が森の闇の中に紛れていく。
「逃げられる」
と思ったが、僕の杞憂に終わった。
突如、ブラックロウは体勢を崩して地面に落下する。僕は慌てて矢を矢筒に戻して、落下地点へと走った。
そこには痙攣し動かなくなったブラックロウの姿があった。
シルコギ草の毒が効いたらしい。慌てて飛び上がったせいで、毒が早く回ったんだろう。
さてここからが本題だ。
ブラックロウを消滅させないように外殻のダメージを抑え、肉をそぎ落とせるかどうか。
魔獣の経験はないけど、鶏の解体はトリスタン家にいた料理番に教えてもらっていて、熟知している。
まずはお腹の毛引きを始める。
さすが魔獣だ。体力がある。毒のせいで身体を動かせないはずなのに、バタバタと悶えた。ブラックロウの翼が、時々僕の頬を打つ。
毛引きが済むと、先ほどパチパチと僕の頬を叩いた翼を切り落とした。
この時点で魔石化するかと思ったけど、まだブラックロウは消滅していない。
「さすがに頭を切り落とすと死んじゃうよね」
仕方ないので、頭は残し、足だけ切り落としておく。なんかこっちを見られるのが嫌だったので、あらかじめ作製しておいた縄で、嘴と両目をグルグル巻きにしておいた。
いよいよお腹を割く。
「できた」
気が付けば、僕の手にはブラックロウの胸肉があった。
夢中で作業をしていたらしい。夕陽が山の稜線に隠れる寸前だ。
瞬間、ブラックロウの体力が尽きたらしく、ついに魔石化してしまった。
そぎ落とした胸肉や、翼や足も消えるかと思ったけど、スライムと同じく消滅することはなかった。
「きれい……」
思わず目を輝かせてしまうほど、ブラックロウの胸肉は綺麗だった。
鶏よりもやや紫がかって見えるけど、特別グロテスクというわけじゃない。
どちらかといえば、水晶や宝石に近かった。
早速、食べてみる。
ちょうどお皿状になった石に沢で組んできた水を入れて、湯を沸かす。
ボックリンという樹脂を多く含んだ実を使って、火を起こした。
だいたいのサバイバル術も父上が率いていた騎士団の人間に叩き込まれていて、お手の物だ。
軽く胸肉を湯に通して、煮沸消毒した。
人体に無害とはいえ、シルコギ草の毒が回った肉なので、用心することに越したことはない。
そもそもブラックロウそのものに毒がないとも限らないからね。
そうだ。前に襲ってきた野犬で実験してみよう。
僕は野犬に向かって、肉を投げる。
野犬は大喜びで平らげ、満足そうな顔をして帰っていった。
どうやら問題ないようだ。
残ったブラックロウの胸肉を、焚き火で炙り食べてみる。
「おおおおおお――――おいしい!」
思わず叫んでしまった。
程よく脂が乗っていて、むちっとした歯応えも悪くない。ややクセのある味だけど、咀嚼を繰り返すことによって、じんわりと口の中に旨みが広がっていく。
何よりも久しぶりの肉だ。
僕は夢中でがっつく。魔獣の肉なんて、1、2回咀嚼しただけで忘れてしまった。
たくさんあったけど、全然飽きがこない。
気が付けば、全部平らげていた。
目に見えてわかるほど、お腹がぽっこりと膨らんでいる。
さすがに食べ過ぎた。今野犬に襲われたら、別の意味で動けない。
「はあ……」
ごろりと落ち葉の上に寝転がった。
満足だ。
こんなに満たされた気持ちになったのは、いつぶりだろうか。
ついに陽が落ちた、山での生活2日目の夜が始まろうとしている。だが、僕はその前にある変化に気付いた。
「あれ? 昨日よりもはっきりと森が見える」
井戸の底のように暗かった森が、昨日よりも明るく見えた。焚き火のせいかと思って離れてみたけど、違う――やはり視界がクリアに見える。
目がよくなった。いや、夜目が利くようになったのだろう。
夜の闇に目が慣れてきたから?
首を傾げる。やはり判然としない。
不思議なことがまだある。
スライムを食べたら、明らかに僕の身体の調子がよくなったことだ。
今日は全く発作がでていない。体調がすこぶるいい。
「もしかして魔獣を食べると、身体の調子がよくなったり、身体能力が上がったりするとか」
魔草や、その種の中には、能力を増幅させる効果のあるものが存在していると聞く。
魔獣の外殻部分にもそういう効果があるのかもしれない。
「なら、僕の身体を治すこともできるのかな?」
ふと思い立つ。
身体が治って、もう1度父上に再戦を挑み勝てば、家に帰ることを許してくれるかもしれない。
やってみよう。僕は即断した。
そのためにはまず魔獣の肉の効力、さらに魔獣が魔晶化しない方法を研究する必要がある。
本に書かれていない事象の探求は、きっと困難を極めるだろう。
でも、一方で僕はワクワクしていた。生きる希望を見出すことができたからだろう。
そして早速、僕の魔獣食の研究は始まった。
同時に、それは魔獣がひしめく山で生き残りをかけたサバイバルの日々の始まりでもあった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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