第268話 ヨミオクリの胞子とお粥
しばらくして土鍋を開いた。
白く濁った湯の中に、米粒――じゃなくてヨミオクリの胞子が現れる。
最後に命の実を塩漬けにしたものをのせた。
「できました」
ヨミオクリの胞子を使ったお粥です。
できあがったお粥を見て、フレッティさんたちはごくりと息を飲んだ。
「見た目は完全にお粥だが……。これが魔獣料理なんて」
「知らなかったら、普通に食べちゃいますよね」
「…………」
おいしそう! 食べたい! という声はない。
何故か別の意味で緊張感が、ロフルの家に漂っていた。
「ねぇ」とロフルは僕の袖を引っ張る。
「魔獣の胞子なんて食べて大丈夫なの?」
そうだ。
ロフルのママは、ブレウランとの胞子毒に冒されていたんだった。
心配するのも当然か。そもそも魔獣料理はこれが初めてだしね。
僕はできるだけロフルを安心させるように穏やかに微笑む。
「大丈夫。ロフルのママは必ず元気にしてみせるから」
今のロフルにマリースさんの呪いに、ヨミオクリの胞子の効能について説明しても難しくて理解は難しいだろう。
僕は作ったお粥を、ロフルの前で食べてみせた。
「ほら。なんともないでしょ」
それでもロフルは納得しない。
頑固というより、それだけ母親のことが心配なのだろう。
もう一押しなんだけどな、と思っていると、リーリスがお粥に口を付けた。
「おいしい。普通の銀米よりも甘みが強いんですね」
「うん。これが銀米と違うところだよ。穀物というより、乾燥させて硬くなった果物みたいな食べ物なんだ」
「なるほど。だから、お湯で」
「この甘みと、命の実の塩漬けの塩っぱさが絶妙だな」
「普通のお粥にも使いたいですね」
「はふはふ……!」
いつの間にかフレッティさんとリチルさん、リーリスまで試食していた。
「ちょっ! マリースさんのぶんまでなくなってしまいますよ」
慌てて3人から皿を取り返す。
僕は改めてロフルのほうに向き直る。
すると、先にロフルが口を開く。
「ぼくが先にたべていい?」
恐る恐る尋ねる。
僕の答えは決まっていた。
「もちろん」
ロフルは恐る恐る木のスプーンを皿に近づけていく。
湯気を吐くヨミオクリの胞子の粒を救うと、一気に口に入れた。
「おいしい」
チカチカと大きな瞳が輝く。
それでもロフルは油断しなかった。
身体に何もないことをきちんと確認した後、自らの手でマリースさんのもとに戻っていった。
息で熱いお粥を冷ますと、マリースさんに近づける。
「はい。ママ。大丈夫だよ」
その言葉を聞いて、マリースさんの瞳は少し湿っぽくなる。
きっとロフルの気遣いに感動したのだろう。
差し出されたお粥を、マリースさんは口を付ける。
ゆっくりと咀嚼すると、ハッと驚いたように声を上げた。
「おいしい!」
「ね。おいしいね、ママ」
ロフルは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、ロフル」
とお礼を言うと、直後マリースさんの身体に変化が起こる。
あれほど青かった肌に赤みが増し、正常な人間の肌に戻っていった。
「体温も平温に戻ってますね」
「はい。ポカポカしてます。今まで、自分の身体に雪でも詰まってるんじゃないかって思うぐらい冷たかったのに……」
「すごい! どういう効果なんだ?」
「【四旬の戒め】は死の神様の力を呪いです」
「神様と聞くと、恐ろしい呪いに聞こえるが」
「はい。ですが、死の神様というのは目が見えません。見えるのは、霊体や魂といったものだけです。ただ肉体と違って、霊体や魂に個々の差はありません。だから、たまに間違って死を与えてしまうこともあります」
「だいぶ迷惑な神様だな」
「【四旬の戒め】はその間違い意図的に起こす呪いです。一方、ヨミオクリの胞子も似たようなものです。胞子を食べると、偽の魂が体内で生まれて、死の神様はそっちに死を与えてしまうんですよ」
元々ヨミオクリの胞子には、ゴーストの一部として使われていたため、霊体や魂が入りやすい状態にあるのだ。そのため偽の霊体を作りやすいんだと、僕は考えているのだけど、はっきりしたことはわからない。
1つわかることは、ロフルのママ――マリースさんが元気になったということだ。
「ありがとうございます、皆さん」
「お兄ちゃんたち、お姉ちゃんたちありがとう!」
親子ともどもお礼を言う。
出会った時と比べると別人じゃないかって思うほど、元気になった2人を見て、僕もホッと胸を撫で下ろした。
「マリースさん、お礼――というわけではないのだが、少しこの村のことをお聞かせ願えないだろうか?」
「え? ええ。私でよければ、ぜひ」
「まず、何故あなたたちはこんな村はずれに住んでいるんですか?」
フレッティさんの質問は、早速親子の禁句に触れてしまったらしい。
さっきまで無邪気に喜んでいたマリースさんとロフルは同時に項垂れた。
「それは私たちが元々村の代表者のような立場だったからでしょう」
「マリースさんが、村の元村長?」
「正確には、亡くなった夫が……です」
マリースさんは僕たちの背後にある棚の上に視線を送る。
あまり物のない部屋の中に、一振りの剣が飾られていた。
入った時から気になっていたけど、どうやらロフルの父親の形見らしい。
「夫はこの領地に治める領主様に仕えておりました」
マリースさんの告白を聞いて、僕だけじゃなく、フレッティさんたちも声を出して驚く。
まさかこんなところで、前領主の関係者と出会うなんて。
「私たちは領主様が領地を手放す前に、この村に戻ってきました。この村は夫と私の生まれ故郷なんです」
村に戻ってみると、かなり荒れ果てていたという。
どうやら魔獣の襲撃を何度も受けたらしい。
マリースさんの旦那さんは、領主様の元で学んだ土木や魔獣除けなど技術を使って、魔獣に対して強い村を作ることにした。
さらに進んで魔獣狩りをして、村を守ってきたのだという。
(なるほど。村の家が堅牢に作られているのは、旦那さんのおかげなんだな)
僕は感心する。
一方で、話を聞いて、首を傾げずにはいられなかった。
この一帯は、僕やアルマが王になった時から、人間を襲わないように魔獣たちに言い聞かせてきた。人間が魔獣の縄張りに入ってきたならまだしも、村を襲うことなんて絶対にないはずだ。
頭の中で疑問符を浮かべながら、僕はマリースさんの話を静かに聞く。
「しかし、主人は去年ブレウラントに襲われて……」
なるほど。その時にマリースさんは胞子毒に冒されたのか。
村の精神的支柱を亡くした直後、聖カリバルディア剣教騎士団、そしてヴェリオ司祭がやってきた。魔獣に対抗する武力、マリースさんの旦那さんように村を豊かにする知力は、一瞬にして村の人たちを虜にした。
「領地はヴェリオ司祭に寄進された時も、村の人は喜んでいました。確かに村の魔獣対策が遅れたことは事実ですが、お亡くなりなられるまで必死に領民のことを考えておられました。夫が村に派遣したのも、領主様ですし」
決して何もしていなかったわけじゃない。
でも、ヴェリオ司祭の登場は村の現状にとっては、かなりセンセーショナルだったろう。
「そして私たちは村はずれに追い出され」
「そうでしたか。すみません。辛いことを思い出させてしまって」
「いえ。ところで――――」
「ねぇ。ママ。ティセルのママは、大丈夫?」
突然、ロフルが質問する。
ティセルというのは聞いたことがある。
そうだ。ヴェリオさんと一緒にいた、僕やリーリスと同い年ぐらいのシスターだ。
「そのティセルのママも寝たきりになってるんですか?」
「はい。まだ身体が動いている時に、何度か看病を」
もしかして、ティセルの母親にも呪いかかってるのかも……。
だとしたら、まずいな。
「マリースさんの前に呪いを受けていたなら危険です。急いだほうがいいかも。ロフル、ティセルの家に案内してくれないかな?」
「うん。いいよ」
ロフルは頷く。
「リチル。ガーナーとともに、リーリス様と一緒にここに残れ」
「わかりました」
「わかった」
外で待っていたガーナーさんも顔を出し、頷く。
フレッティさんの指示は的確だ。
この村はやはり何かおかしい。
マリースさんに護衛を残しておいたほうが安全だろう。
「ルーシェル、これを!」
リーリスは先ほど作ってくれた万能薬を僕に渡す。
「ルーシェル、気を付けてくださいね」
「ありがと、リーリス。息子さんをお借りします」
僕たちはティセルの家へと向かった。








