第266話 ブレウラントの胞子毒
教会でヴェリオさんと話した後、僕たちは村の中を見て回った。
しかし、遠目で見た山間の村という印象は拭えない。
そこに高い土木・農業の技術があるだけだ。
冬でも子どもたちは元気で、大人たちも狩猟や雪下野菜の発育具合を入念に確認したりと、労働に励んでいる。こう言うのは失礼だけど、王都から離れた田舎の村にしては賑やかな村だった。
それもヴェリオさん、引いては聖カリバルディア剣教のおかげなのだろう。
「…………」
「ルーシェル、どうしました?」
ぼうっと子どもが雪合戦しているのを見ていると、子ども用のマントにすっぽり身を包んだリーリスが話しかけてきた。
「悩みごとですか? わたくしで良ければお聞きしますよ」
「え? でも……」
「ちょうど大人たちがいませんし」
フレッティさんたちは、村のあちこちで村人に聞き込みをしている。
領地内の村でも、住民のお困りごとを聞いたりしていて、騎士団は調査に慣れているらしい。フレッティさんたちはあの手この手を使って、村人たちから情報を聞き出していた。
「それとも子どものわたくしでは役に立てませんか?」
「そ、そんなことないよ」
僕は慌てて手を振る。
リーリスは僕の反応を予見していたようだ。
少し得意げな顔で、「さあ。話して下さい」とばかりに僕に手のひらを向けた。
「僕、領主になっていいのかなって。……少なくともこの村の人たちは幸せそうに見える。けど、僕が領主になってしまったら、この人たちの幸せを奪うことになるかもしれない。そう考えたら……ね」
「わたくしはルーシェルが領主になったほうが、この人たちは幸せになれそうな気がしますよ」
リーリスに断言されて、僕は思わず面食らった。
普段のリーリスなら、まず僕の言うことに対して共感し、自分なりの意見を口にする。
それがまさか逆のことを言われるとは思ってもみなかった。
「どうして? 僕が300年生きているから? それとも人並み外れて強いから、とか?」
「いいえ」
リーリスは首を振った。
すると、どこか僕を励ますように笑う。
「ヴェリオさんは素晴らしいと思います。こんなにも村の人を生き生きさせている。……でもヴェリオさんが村人に尽くすのは、教義を広めるためです。少なくともわたくしにはそう聞こえました」
確かにそうだ。僕にもそう聞こえた。
「でも、ルーシェルは『この村の幸せのため』と言いました。わたくしなら教義を広めるためというヴェリオさんよりも、ルーシェルのように他人の幸せを考えられる人に領主になってほしいです」
リーリスの話を聞いて、クラヴィス父上のことが頭によぎった。
まさにクラヴィス父上こそ、リーリスのいう〝領民の幸せ〟のことを考えている。
だから、騎士団を各村に派遣し、生活に困ったことはないか確認したり、領地が危機となれば自分たちの身を切っても助けようとしている。
自分が地位にしがみつきたいわけでも、税を多く徴収しようとしたいわけでもない。
自分の名声を高めようとしているからでもない。
クラヴィス父上は常に〝領民の幸せ〟を考えているからなんだ。
「そうか」
「どうしました、ルーシェル?」
「ヴェリオさんから感じた違和感って、そういうことかもしれない。……ありがとう、リーリス」
「どういたしまして」
「どろぼー!!」
突如、畑のほうから叫び声が聞こえた。
僕とリーリスは同時に振り返る。
すると、数名の聖カリバルディア剣教騎士団に追われた子どもの姿があった。
子どもは小脇に自分の顔と同じぐらいの大きなキャベツを抱えていた。
なかなか素早く騎士団も手を焼いているようだ。
でも、子どもと大人の脚力の違いは明白だった。
しばらくして、あっさり騎士団に首根っこを押さえられる。
「このガキ! またやりやがった!」
「性懲りもなく。今ここで鞭打ちにしてやろうか」
団員の1人が腰に下げていた短い鞭を手に取る。
ひどい。いくら子どもだからって、鞭打ちなんて。
それも未遂なのに……。
「リーリスはここにいて」
「ルーシェル!」
僕はタンッと地を蹴り、現場に向かう。
今まさに鞭打たれようとしていた子どもと騎士団の間に入った。
「そこまでです」
「なんだ、このガキは?」
「確か……。ここの領主になるとか言ってたガキじゃ」
「泥棒は罪です。でも、相手は子どもです。大人なら鞭を打つ前に、子どもが何故こんなことをしなければならないのかを考えるべきじゃないですか?」
僕が毅然と騎士団員を睨む。
しかし、彼らが怯むこともなければ、反省する様子もなかった。
むしろより深刻な顔で、僕を睨んだ。
「そんなことは簡単だ」
「え?」
「その子どもが悪魔に取り憑かれたからだ」
「そんな……」
僕が言葉を失うと、別の団員も言った。
「俺たちは子どもに取り憑いた悪魔を追い出そうとしているだけだ」
「そうだ。オレたちは子どもを救おうとしているだけだ」
「そんなの屁理屈でしょ」
僕が言うと、聖カリバルディア剣教騎士団たちの表情に怒りの色が露わになった。
「我が教義を侮辱するのか?」
「主神様に対する冒涜だぞ」
村中に聞こえるほどの声を喚き散らかし始めた。
何を言ってるんだ、この人たちは。
僕はそんなこと一言も言っていないのに。
この人たちは、ただ自分たちの行いを正当化したいがために、教義を持ち出しているだけじゃないか。
「どうやらお前に悪魔が憑いているようだな」
「悪魔憑きめ」
「この鞭でまとめて祓ってやろう」
団員の1人が鞭をピシリと鳴らした。
「そこまでだ」
振りかぶった鞭を持った手が突然止まる。
騎士の後ろに立っていたのは、フレッティさんだった。
魔剣を操り、【紅焔の騎士】という渾名を父上から賜ったフレッティさんは、その覇気とともに、鋭い視線を騎士に投げかける。
大型の魔獣だってたじろぎそうな強い視線に、聖カリバルディア剣教騎士団の団員は思わず息を呑んだ。
「仮にもお前たちは騎士だろう。子どもに手を出すなんて恥とは思わないのか?」
フレッティさんはさらに手に力を込める。
団員の骨が軋む音が、僕が立っているところまで聞こえた。
「離せ! 離して……くだ…………」
騎士はわめき散らすと、フレッティさんは手を離した。
慌てて聖カリバルディア剣教騎士団の団員たちは距離を取る。
フレッティさんの手形がついた手首を見ながら、団員は脂汗をかいていた。
僕のほうにやってきたフレッティさんは、団員たちの前に立って、こう言った。
「今日のところはこれぐらいで許してやる。だが、俺はともかく、この子を怒らせたらお前たちの主神の罰よりも怖い目にあうから覚悟しろ」
フレッティさん……。
それって脅しになってるのかな?
まあ、主神云々はともかく、僕が本気になったら手首の骨を折られるぐらいじゃすまないかもしれないけど……。
「くそっ! 覚えてろよ!」
「この村で我々に逆らったこと後悔させてやるぞ!」
お決まりの逃げ口上とともに、聖カリバルディア剣教騎士団の団員たちは逃げていった。
「さすが団長。役者が違いますね」
軽口を言ったのは、いつの間にか背後に立っていたリチルさんだった。
その後ろにはガーナーさんとリーリスが立っている。
おそらく騒ぎを聞きつけ、助けに来てくれたのだろう。
「ありがとうございます、フレッティさん」
「いや、こちらこそすまない。肝心な時に護衛ができなくて」
「結果的に守ってもらったので気にしてませんよ。それよりも」
僕はいまだにキャベツを抱えた子どもに向き直る。
おそらく僕よりも背丈が低く、当然幼い。
たぶん3歳か、4歳ぐらいだろう。
気になったのは恰好だ。
この村の人たちは基本的に身綺麗なのに、子どもは襤褸を着ていた。
血色も悪く、手足が細い。明らかな栄養不足だ。
「大丈夫?」
僕が声をかけるも、キャベツを取られると思ったのか、背中を向ける。
弱ったな。キャベツは村のものだし、畑に返してあげたいのだけど。
「そうだ」
僕は【収納】から領地へと発つ前に作っておいた保存食を取り出す。
さらに簡易調理台も設置して、食べやすいように切る。
そこにお手製のソースをかけて、一品完成した。
『鹿肉のコンフィ イチジクソースを添えて』完成!
見たことのない料理に、子どもは目を輝かせる。
本来なら警戒するのだろうけど、よっぽどお腹が空いているのだろう。
「これと交換ってことでどうかな?」
そう言うと、子どもはそっとキャベツを差し出す。
代わりに僕はお皿を差し出すと、ナイフとフォークを渡す前に鹿肉のコンフィを手で掴む。そのまま口に入れてしまった。
「慌てないで。ゆっくりお食べ」
子どもは僕に言われたとおりに口を動かす。
やがて目に力が戻り、顔に血の気が戻り始める。
心なしか顔がトロトロになってきた。
「お、おいしい……」
まるでその言葉を初めて口にしたように、子どもは言った。
すると、さらに二切れ、三切れ目と鹿肉のコンフィを食べていく。
いい食べっぷりだ。見てるこっちがお腹が空いてくる。
ぐぎゅ~。
僕の言葉が何か予言めいたものになってしまった。
振り返ると、レティヴィア騎士団の面々が物欲しそうに子どもの食べっぷりを見ている。
横のリーリスが苦笑していた。
そう言えば朝に食べたきり、教会で紅茶をご馳走になったくらいだ。
「昼食にしましょうか?」
僕が言うと、レティヴィア騎士団のみんなは顔を輝かせた。
人数分切り分け、皿を差し出す。
イチジクの甘い香りに包まれながら、「いただきます」と声を揃えた。
そして、パクッと口にする。
「うまい」
「おいしい!」
「…………!!」
フレッティさん、リチルさん、ガーナーさんが声を上げた。
リーリスもフォークを使って、上品に咀嚼する。
その顔が輝くのに、おそらく5秒もかかっていなかった。
「おいしいです。こんな鹿の肉初めて食べました」
「しっとりとして、肉がやわらかい。これが保存された肉なのか?」
「今回のお肉は焼いたわけでも、燻製や乾燥させたわけではありません。湯せんしたんです」
「湯せん? 湯せんっていうと、チョコレートを溶かす時に使う」
リチルさんは鍋を振るような動作をしてみせる。
「はい。鹿肉を数種類のハーブと橄欖油でマリネして、さらに湯せんするんです。低温で熱を入れることによって、肉の中の毒素を殺し、さらに水蒸気が肉質の変性を抑えるんです」
「なるほど。だから、肉がやわらかいのか」
「油に漬け込むことによって雑菌の繁殖も防げるということね」
フレッティさんとリチルさんは感心する。
ガーナーさんも気に入ったのか、ガツガツ食べていた。
僕と視線が合うと、ぐっと親指を立てる。
どうやら気に入ってくれたらしい。
「このソースも絶妙ですね。甘酸っぱくてコクがあって。淡白な鹿肉にピッタリですわ」
リーリスも絶賛だ。
みんなから幸せオーラが上がる。
それを見て、作って良かったと、少しホッとした。
ふと振り返ると、先ほどの子どもが一切れ残していた。
口に合わなかったのかな、と思い、質問すると意外な答えが返ってきた。
「ママに食べさせたいの。ダメ?」
「ダメじゃないよ。いい子だね」
僕は子どもの頭を撫でる。
「ママの料理はおいしいかい?」
「うん。……でも、最近寝たきりでなかなか作ってくれないんだ」
寝たきり? 何か病気でも患っているのだろうか。
「わかった。じゃあ、僕がママの代わりに料理を作ってあげるよ」
「ホント?」
子どもは目を輝かせる。
早速「こっちだよ」と言って、僕の手を引っ張った。








