第265話 村の少女
司祭と思えない引き締まった身体。
まるで英雄が降臨したかのような端整な顔立ち。
銀白の法衣に身を包み、腰に剣帯をしているものの、剣は提げていない。
代わりに首から、聖カリバルディア剣教の聖印が施された徽章を下げている。
年齢はフレッティさんと同い年ぐらいだろう。
清廉で貴族のような気品を感じるけど、深い紫色の瞳からは強い警戒心がうかがえる。
一方、その司祭にくっついた少女の反応はもっと顕著だった。
子ども用のトゥニカに、同じくサイズを小さくした剣帯。
やわらかそうなマロン色の髪を2つに分けて三つ編みにし、雪のように白い肌を外気に晒している。
こちらは僕やリーリスと年齢が一緒だろう。
僕たちのほうへ向けられた緑灰色の瞳には、恐怖が宿っていた。
「ヴェリオ司祭」
イグナーツは呻くように呟く。
すると、他の村人も気づき、やや頭を垂れて司祭に道を譲る。
中には司祭が出てきて、歓喜に表情を輝かせる村人たちもいた。
「これは何の騒ぎですか、イグナーツ」
「はっ……。実は――――」
イグナーツは騒動の経緯を語る。
相手側に寄った説明が多めだったけど、間違ってはいなかった。
「なるほど。そういうことですか?」
そう言って、ヴェリオ司祭は僕たちのほうに近づく。
レティヴィア騎士団は構えたけど、司祭は間合いの外で立ち止まり、深々と頭を下げた。
「失礼しました。この土地を与る聖カリバルディア剣教司祭ヴェリオ・カラムンドと申します」
「俺はレティヴィア騎士団団長フレッティ・ヘイムルドだ。そして、こちらの方は我が主のご子息ルーシェル・グラン・レティヴィア様だ」
フレッティさんは僕を紹介すると、ヴェリオ司祭は再び深々と頭を下げた。
「ミルデガード王国でも名高い公爵家の騎士団の方と、公爵様のご子息とは……。拙僧どもの騎士団が失礼いたしました」
どうやら、イグナーツよりヴェリオ司祭は話せるようだ。
「ご事情は承知しました。寒い中、公爵家の方に立ち話をさせるわけにはいきません。どうか我が教会へお越しください。ただなにぶん時季が時季ですので、満足なおもてなしはできませんが」
「構いません。我々も司祭とじっくり話し合いたいと思っておりましたので」
フレッティさんは僕に了解を取った後、ヴェリオ司祭の提案を承知する。
「では――――」
ヴェリオ司祭が踵を返した瞬間、すぐ動きが止まった。
少女が司祭を押しとどめたのだ。
その瞳は未だに僕たちのほうに向けられている。
よっぽどよそ者が怖いのだろうか。
それにしても、異常な怯え方のように僕には見えた。
「ティル、どうしました? ……ああ。そういうことですか?」
ティルと呼ばれた少女の視線から、ヴェリオ司祭は何かを察したらしい。
司祭は再び僕たちのほうに向き直って、こう言った。
「誠に申し訳ありませんが、その魔獣の子どもを村に入れるわけにはいきません」
「え? でも……」
「わかっております。魔獣を使役されているのでしょう?」
正確には違うんだけどなあ。
ヴェリオ司祭にはそう見えるのだろう。
「この子はティセルと申しまして、以前山で魔獣に襲われたことがあり、以来トラウマになっているらしく」
なるほど。そういうことか。
僕たちがヴェリオ司祭と会談をしている間、アルマは村の外に待たせておくことは簡単だ。でも、アルマもこの領地の住人と言える。それに僕の相棒だ。正直に言うと、僕の口から「ここで待ってて」というのは、どこか言い出しづらい。
『そういうことなら、ボクは村の外で待たせてもらうよ』
「アルマ……」
『遠慮することないぞ、ルーシェル。ここは人間の縄張りだ。ボクたちがボクたちの縄張りを荒らす者を排除するように、人間も人間でそうしているだけだろ』
「そうなんだけど」
アルマが言いたいことはわかる。
でも、なんか釈然としない気持ちはある。
こんな風に考える僕は何かおかしいのだろうか。
僕は考えている間に、アルマは僕の肩から降りる。
結局、アルマの意志に甘える形となり、僕たちはようやく村の中に入ることができた。
村にある教会へと向かう道すがら、僕は後ろを振り返る。
アルマは村の入口にちょこんと座って、手を振っていた。
◆◇◆◇◆
「ほう。国の危機を命からがら伝え、結果的に国王を守る功績となったと……」
村の教会へと舞台を移した僕たちは、ここに至るまでのことを仔細に説明した。
場所は教会の中にある食堂だ。
周りの住居と同じく土と煉瓦を合わせた壁と、冷たい石床。
奥には炊事場と氷室があるぐらいで、小洒落たものは何もない。
聖霊教の中には、私腹を肥やした司祭が、金や宝石をちりばめた豪華な教会を作ることもままある。それと比べれば、実に簡素だった。
「ミルデガードで起こった騒動は、拙僧も耳にしております。まさかあの騒動において国王陛下を守られたのが、こんな小さな子どもとは……。あ、いや、失言でしたな。失礼しました、ルーシェル子爵閣下」
「いえ……」
信じられないのも無理はない。
フレッティさんの説明は、真実をかなりオブラートに包んだものだ。
僕の機転がたまたま当たり、たまたま国王陛下を守ることに繋がった。
ルーシェル・グラン・レティヴィアが、かつて【剣神】と呼ばれたヤールム・ハウ・トリスタンの息子で、300年生きる子どもであることを除いて説明するとなると、どうしても偶然や奇跡的といった言葉を持ち出さなければならない。
そもそも僕が300年生きていることのほうが、司祭には信じられないだろう。
「信じられませんか、ヴェリオ司祭」
「そんなことはありません。確かに話は荒唐無稽ですが、あなた方が嘘をつくなら、もっとらしい話をするでしょう」
一応、信じてくれたらしい。
ひとまず胸をなで下ろしたあと、フレッティさんはさらに込み入った話を始めた。
「話は元に戻るのだが、ヴェリオ司祭。申し訳ないが、ここから出て行ってくれないか。……いや、出て行かなくとも、この領地権がルーシェル様にあることを認めてほしい」
「僕はヴェリオ司祭や聖カリバルディア剣教の方々を排除しようとは考えていません」
フレッティさんの説明に、僕は一言添える。
ヴェリオ司祭はその事を喜ぶわけでもなく、いたずらっぽく笑った。
「ミルデガード王国の国教は、聖霊教なのにですか?」
「それは国が定めたことであって、必ずしも領主が守らなければならないというわけではありません。ただ僕は聖霊教の信徒であることは、ここで表明させていただきます」
「宗教の自由を認めると?」
「ご存知の通り、王国法には聖霊教以外の勧誘活動を禁じています。他にも聖霊教以外の宗教活動には制限が設けられているはずです。法律の範囲内であれば問題ありません」
「限定的な自由ですか。実に賢明な答えですね。なるほど。国王陛下が目をかける理由がわかる。まるで老練な賢者と喋っているようですね」
ヴェリオ司祭が僕に向けた視線を見て、思わず「うっ」と喉が詰まった。
少々子どもらしくなかったかもしれない。
でも、この程度はまだレティヴィア家に来て、習った範囲内だ。
怪しまれることはないだろう。
「それでどうだろうか、ヴェリオ司祭殿」
「あなた方の主張は理解しました。さらに我が聖カリバルディア剣教に対する配慮も有り難く思っています。しかし残念ですが、すべて拒否させていただきます」
ヴェリオ司祭はきっぱりとそう言い切った。
食堂に重い沈黙が落ちる。
気が付けば、外の空は赤く焼けていた。
山間の村の日の入りは早い。
すでに家の煙突からは、煙が上がっていた。
「理由を聞いてもいいですか?」
「イグナーツもお話しましたが、この土地は元領主の方から寄進されたものです。王国から奪ったわけでも、まして我々が元領主に何らかの外圧をかけて手に入れたものではない。あくまで元領主の善意によるものです。仮に我々がおいそれと手放せば、元領主の意志を踏みにじることになります」
そう長々と説明した後、さらにヴェリオ司祭は「2つ目に」と2本の指を立てて語った。
「たぶん、これもイグナーツが話したかと思いますが、我々があなた方の要請に従う理由がないということです。ミルデガード王家も、レティヴィア公爵家も、我々の主君でも上司でもない。拙僧たちが仕えるのは剣神カリバルディア、そして教皇様だけです」
結局、話は元に戻ってしまった。
ヴェリオ司祭は話せる人だと思ったが、言ってることは最初に出会ったイグナーツという騎士団長と変わらない。脅しているか、諭しているかの違いぐらいだ。
このままでは議論は平行線だ、と思った時、ピアノの音が聞こえてきた。
同時に歌声が教会に響いている。聖カリバルディア剣教の賛美歌だ。
昔、よく聞き、よく歌った歌だった。
「ヴェリオ司祭、教えてください」
「拙僧が答えられることなら」
「この村は、周辺の村と比べても、かなり高度な土木や農業の技術を感じます。これはヴェリオ司祭が教えたんですか? それとも騎士団の方々が?」
「はい。技術は拙僧が……。実際の工事は騎士団と村の方々が行いました」
「技術を教える代わりに、教義を村に広めているのですか?」
「そういう側面もありますが、実際拙僧から村人たちに教義を広めたことはありません。先ほど拙僧が言ったことと矛盾するかもしれませんが、ここミルデガード国内であることは重々承知しております。故に法に則り、勧誘は行っていません。あくまで、村人が自主的に剣神の教義に興味を示されているだけです。疑いは晴れましたかな、子爵閣下」
「いえ。疑ってはいませんよ」
ヴェリオ司祭が村人たちに慕われているのは、反応を見れば明らかだ。
仮にヴェリオ司祭たちが退去させることができたとしても、村人と司祭の絆を断ち切ることは難しいかもしれない。
「司祭様!」
僕が次に話すことを考えていると、先ほどのティセルという少女が食堂の中に入ってきた。
「お歌を歌いましょう」
「こら。ティル、お客様がいるんですよ」
「いいから! ほら」
「ですが……」
申し訳なさそうにこちらを見るヴェリオ司祭は、僕たちのほうを向く。
「お構いなく。行ってきてください」
「申し訳ない。わかった。わかったから押さないでくれ、ティル」
「早く早く!」
ティルというのは、多分ティセルの愛称か何かなのだろう。
そのティセルはヴェリオ司祭のお尻を押しながら、一刻も早く賛美歌が響く礼拝堂へと向かおうとする。すると、出て行く直後、ティセルは僕たちのほうを向いて、舌を出した。
そのまま何事もなかったかのように、食堂から出て行く。
「すっかり嫌われ者ですね、わたしたち」
「がっちり村人の心を掴んでいる感じだね」
小さな仕返しを見て、リチルさんとミルディさんはお手上げとばかりに肩をすくめた。
フレッティさんも同じ心境らしい。
ガリガリと頭を掻いて、対策を考えている。
一方、リーリスは顎に手を当てながら、首を傾げていた。
「どうして、聖カリバルディア剣教は流行らないんでしょう?」
「リーリス様、それはほとんどの国が聖霊教だからかと? どこの国も厳しく勧誘を取り締まっていますし」
「そもそも剣教を嫌ってる人が多いよね。あたしも嫌い」
ミルディさんは尻尾をくるりと回す。
実際、獣人のほとんどが聖カリバルディア剣教を嫌っている。
「でも、こういう風に民に寄り添えば、剣教に興味を持つ人が出てくるのは必然だと思うのです。実際、ここの村の人たちは教義に参加することに何の疑問を持っていないように感じます」
「確かにな」
「でも、どっちかというと、あの司祭様が人気ってところもあるような」
「リーリス、つまり何が言いたいの?」
「だから、もっと広まっていてもおかしくないのでは、と……」
「なるほど。広まらないのには、もっと他の理由があるということか」
フレッティさんはポンと膝を叩いた。
「聖カリバルディア剣教が起こした事件か……」
「パッとは思い浮かばないですね」
「なら、あたしが調べてくるよ。近くの大きな街に行けば、何かわかるかもしれないし」
「頼めるか、ミルディ」
「正直に言うと、この村はあたしには居心地が悪いんだよね。むしろ助かるかも」
「わかった。背中には気を付けろよ」
「了解です、団長」
ミルディさんは敬礼すると、風のように食堂から出て行った。
「我々は少し村を見て回ろう」
フレッティさんの意見に、一同は頷くのだった。
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