幕間 一夏の思い出⑥
「おっさん勇者は鍛冶屋でスローライフはじめました」4巻発売記念。
「クラボロスだ!」
現れた巨大蟹を見て、カルゴが叫んだ。
カルゴは勉強熱心で魔獣についても詳しい。
おそらく海や浜辺に出現する魔獣をあらかじめ調べていたのかもしれない。
「Bランクの魔獣だ。硬い甲羅に覆われていて物理攻撃が全然効かないって魔獣大全に載ってた」
「Bランクで物理攻撃が通じんって……。うちらじゃ無理や。ここは三十六計ケツまくって逃げるしかないで!」
カナリアの意見に皆が一致する。
たった1人を除いて……。
「ルーシェル?」
「頭取、どうしたんや?」
「ルーシェル、早く逃げましょう!」
「どうしたんだ、ルーシェル」
みんなが僕の名前を呼ぶ。
でも、リーリスたちには申し訳ないけど、僕にはまったくその声が聞こえていなかった。
何故なら…………。
おいしそう~~!!
クラボロスのことは、僕もクラヴィス父上の著書『魔獣大全』の知識から知っていた。
沿岸の潮間帯から海蝕洞などに棲む魔獣だ。溶岩のような赤い岩が付着した黒光りした殻が特徴で、両腕のハサミは人の身ほどの大きさがあり、大きな岩なら簡単に砕いてしまうぐらい力が強い。360度を見渡せる目は、周囲のほとんどを探知できる。
それはまるで絶対の要塞だ。
けれど、僕からすれば些細なことだ。
僕は300年近く魔獣を見てきた。
その勘が言っている。
あの甲羅の中に詰まった蟹味噌。
太い脚に詰まった身。
メスならば卵も詰まってるかもしれない。
間違いない。クラボロスはきっとおいしい食材になる。
「よし」
僕は包丁を抜こうとするけど、リーリスがそれを止めた。
「ルーシェル、ダメですよ。あまり本気になっちゃ」
おっと……。危なくいつも通り一撃でやっつけるところだった。
ナーエルの前ではブルーバットベアーを倒したことがあるからいいけど、カルゴやカナリアの前ではまだ力を見せたことがない。ナーエルにしても、ちょっと不思議な子どもぐらいの認識だろう。
ここで僕が本気になったら、さすがに友達をなくすかもしれない。
……かといって、ここで逃げるのは――――。
「2人ともなにごちゃごちゃ言うてんねん。逃げるで」
カナリアが僕とリーリスの手を引く。
仕方ない。ここは素直にカナリアの言うことを聞こう。
「キャッ!」
悲鳴を上げたのは、ナーエルだった。
逃げようとして、つまずいたのだ。
洞窟内の岩肌はゴツゴツしてる上に走りにくい。
加えて暗く、走って逃げるのはリスクがあった。
「ナーエル!」
叫んだのは、カルゴだ。
カルゴはナーエルのところに戻ると、腕を引っ張り、立ち上がらせる。
そこにクラボロスが迫った。
仕方ない。
【風弾】
風の塊がクラボロスに向かっていく。
初級の風属性魔法。もちろんこんな魔法では、クラボロスには通じない。
でも、僕には狙いがあった。
ガコッ!
音が鳴り、クラボロスの甲羅を支える脚に当たる。
正確に言えば、脚の関節部分だ。
すると、初級魔法にもかかわらず、クラボロスは脚が折れる。
身体を支えることができず、クラボロスはつんのめって、そのまま倒れてしまう。
「すご……」
「2人とも早く!!」
「いまのうちに!!」
僕とリーリスが声をかけると、カルゴがナーエルをおぶって走ってきた。
どうやらナーエルは足をくじいたらしい。
「あかん。これじゃあ、逃げるにも逃げられへんで」
「ごめんなさい。みんな」
いったん岩陰に隠れた後、ナーエルは申し訳なさそうに頭を垂れる。
「大丈夫だよ」
「頭取。さすがに無茶や。相手はBランクの魔獣やで」
「ふふ……。子どもでもBランクの魔獣を狩る方法があるって聞いたら、どうする?」
僕が不敵に笑うと、カナリア以下生徒会メンバーは思わず顔を見合わせた。
◆◇◆◇◆
ガシガシ……。
鎧を装備した騎士の足音に似た音が近づいてくる。
僕たちは岩陰に潜みながら、巨大蟹の接近を待つ。
手に持っていたのは、モルボルという植物系の魔獣の触手だ。それを縄状にして編み込んである。これなら巨大なマウンテンオークスだって持ち上げることができるだろう。
それだけモルボルの触手は耐久力が高いのだ。
その触手は僕たちとは反対方向にある岩に結んである。
「来たで来たで」
みんなが唾を飲んで緊張する中、カナリアだけは何か楽しそうだった。
糸目だからかな。この状態でも笑っているように見える。
なんか声も弾んでるし。
「落ち着いて、カナリア。僕の指示を待って」
カナリアを落ち着かせる。
僕は【竜眼】の千里眼機能を使って、クラボロスの位置を確認する。
狭い洞窟を一列で進んで、僕たちの方に迫っていた。
暗がりでも僕たちの位置がわかっているような動きだ。
鼻が利くのだろうか?
騎士の行進に似た音がいよいよ近づいてくる。
やがて僕たちの横を通り過ぎる――その瞬間だった。
「みんな! 引っ張れ!!」
僕は声を張り上げる。
触手を全力で引くと、ピンと張った。
見事クラボロスの脚に引っかかる。
脚がもつれると、そのままクラボロスは前傾し、皿を割ったような音を立てて倒れてしまった。
それだけに終わらない。
先頭のクラボロスが倒れてしまったがために、後続がつんのめって、次々と倒れた。
中には4本ある脚が折れて、動けなくなってしまったクラボロスがいたり、その動けなくなったクラボロスに脚を挟まれ脱出できない個体もいた。
クラボロスの弱点は大きな甲羅と、それを支える4本の脚だ。
前者は重く、後者は甲羅を支えられるギリギリの強度を保っていて、細い。
つまりバランスが悪く、関節部分に引っかかりを作ると、あっさりと躓いてしまうのだ。
古典的だけど意外と魔獣には通じる。
僕も山に捨てられた時は、こういう罠を使って魔獣たちを仕留めていた。
「よし! いまだみんな!!」
僕たちは立ち上がる。
手に持っていたのは、木をくりぬいて作った水鉄砲だ。
ナーエルを除くみんなで動けなくなったクラボロスに立ち向かう。
クラボロスの口や関節の隙間に水鉄砲を放った。
ごぼぼぼぼぼぼぼ……。
クラボロスは突然泡を吹き、次々と魔晶化していく。
水鉄砲の水は単なる水じゃない。聖水だ。
しかも僕が魔法やスキルを使って、聖水の威力を高めてある。
相手はBランクでも、これはAランクの魔獣だって裸足で逃げる代物だ。
Bランクの魔獣ともなれば、ひととまりもない。
それにクラボロスは強い海水依存の魔獣だと、クラヴィス父上の著書には書かれていた。つまり淡水に弱いのだ。
聖水は基本的に清らかな泉の水が使われる。
クラボロスにとっては2つの意味で通じてしまう。
といっても、全部が全部倒せるかといえば、そこまでうまくはいかない。
そこは僕がうまく立ち回って、クラボロスを魔晶化させた。
10、11、12……。
どうやらクラボロスは全部で15体ほどだったらしい。
そのすべてが討伐された。
「よっしゃ! うちらの勝ちや!」
「すごいすごい!」
「ふぅ……」
カナリアが両手を上げて喜べば、見学していたナーエルは手を叩く。
カルゴはホッとした様子で胸に手を置いた。
3者3様の姿に思わず吹き出す。
「いや~、まさか子どもがBクラスの魔獣を倒しちゃうなんてな」
カナリアは腰に手を当て、すっかり有頂天だ。
「みんな、よく頑張ったね」
「頭取のおかげやな。さすが魔獣博士や」
「みんなが協力してくれたおかげさ。それにカルゴもね」
クラボロスが淡水に弱いと指摘したのはカルゴだった。
海水依存種なんて難しい単語、しっかり勉強していないとできない。
そこに僕が聖水のアイディアを加えて、水鉄砲によるトドメを提言したんだ。
「カルゴ先輩、すごいです」
「カルゴ、ありがとう」
「すごいのはルーシェルだよ。ルーシェルが聖水を持っていなかったら」
「ううん。カルゴ、あの時ナーエルを助けてくれたでしょ」
「それは、その夢中で――――」
「だから、ありがとう。カルゴ」
カルゴはナーエルの方を見ながら、カッと顔を赤くする。
すぐにぷいっと顔を背けながら「こ、こちらこそ」と恐縮していた。
カルゴって物静かで、ちょっと何を考えているかわからない時はあるけど、後輩思いのいい先輩なんだな。
「こういうのも冒険の醍醐味やな」
「ぼくとしては2度とあってほしくないけどね」
カルゴはやれやれと首を振る。
僕はナーエルのくじいた足を回復させる。
「よっしゃ! 奥へ行くで! お宝はもう目の前や!!」
「「「「おー!」」」」
魔獣を倒した僕たちは、一際大きな声を洞窟に響かせるのだった。