幕間 一夏の思い出④
急な雨に降られ、僕たちは近くの林に逃げ込む。
雨脚は強まり、風も強くなってくる。海も荒れ、飛び散る飛沫が岸壁から少し離れたところでも見えた。こうなっては木の下で雨宿りしていても濡れてしまう。さっきまで汗ばむぐらいの気温も、ぐっと下がって、リーリスは二の腕をさすっていた。
「このままじゃ風邪を引いちゃうかも」
ナーエルがぽつりと漏らす。
すると、カナリアが何か探し始めた。
「あれや!」
指差す。ひと目見てわからなかったけど、目をこらすと大きな屋敷が見えた。
「よし。あそこで雨宿りしよう」
引率のカリム兄様が魔法で明かりを灯すと、先頭を歩き出す。
木の根に足を取られないように慎重に進んだけど、屋敷に到着した時にはみんなずぶ濡れだった。……といっても、海の中を泳いだおかげで、とっくにずぶ濡れだったけどね。
「カナリア、ここは?」
僕は屋敷を改めて見上げた。
かなり古い建物だ。最近では見かけない建築様式。
おそらく200年以上は経っているだろう。
外壁や屋根の一部が壊れているけど、定期的にはメンテナンスしているような痕があった。
「カンサイベーン侯爵家の旧館。今ではほとんど使ってない。たまに掃除ぐらいはしとるんやけどな」
カナリアはドアノブを回そうとする。
「あかん。鍵かかっとる。たぶん屋敷や」
屋敷とは、今のカンサイベーン侯爵家の屋敷のことを言ってるのだろう。
ここからカンサイベーン侯爵家は距離として近いけど、高い岩壁に設置された階段を上らなければならない。馬車が通る道もあるらしいけど、そっちから回るとかなり遠回りなのだ。
結論、距離は近くても、時間はかかる。
だから僕らも屋敷に戻らず、林の中で雨をしのいでいたんだ。
「カンサイベーン侯爵家の持ち物なら入っても大丈夫だよね」
「もちろんや。ゆくゆくはうちのもんになるんやし」
「それって、まだカナリアのものじゃないってことだよね」
僕は苦笑いで返した後、【解錠】の魔法を使う。
屋敷のドアはあっさりと開いた。
中に入ると、少し黴びた匂いがした。
ただ埃っぽいけど、中が荒れたお化け屋敷みたいになっているわけじゃない。
カナリアの言う通り、どうやら定期的に掃除はしているようだ。
屋敷の居間へと行くと、カリム兄様が暖炉に火を入れてくれた。
さらに得意の風魔法で熱気を、屋敷全体に送る。
優しい暖かさが冷えた身体には心地良かった。
「これでよし、と……。ルーシェル、僕はカンサイベーン家の本家に戻って、馬車を手配してもらうようにするよ。しばらく彼らを預けていいかい?」
「はい。カリム兄さんもお気をつけて」
僕が送り出すと、兄様は1度ニコリと笑う。
風魔法で飛翔し、屋敷の方向へと飛んでいった。
僕は【収納】からカラカラ草の葉を取り出す。
一見枯れた草花に見えるけど、これでも立派な魔草だ。
たった一枚の葉っぱで、小さな泉の水を吸い上げることができる。
レティヴィア家で使っている布地ほどフワフワはしていないけど、雨水を吸うにはちょうどいい魔草だ。
「頭取の【収納】には、なんでも入っとるんやな」
「なんでもってことはないけどね」
「どや? 将来、うちと商売せぇへんか? 頭取が7、うちは3ってとこでどや?」
「どやって言われても……」
その「7」とか「3」とか言われてもわからないよ。
しつこくカナリアは迫ってくるので、僕は話題を変えることにした。
「カンサイベーン侯爵家って、歴史があるんだね。この家、たぶん200年以上前に建てられてるでしょ?」
「ようわかったな。頭取は建築にも詳しいんかいな?」
「え? いや、たまたま当たっただけだよ」
さすがに300年前に生きてたからとは言えないよな。
カナリアとはもっと仲良くなってからだ。
「うちも詳しくは知らんけど、昔魔族との大戦争があった時でも、この屋敷だけは残ったんや。うちのご先祖様は普段から人のため、国のため、社会のために商売してきたからな。だから神様が屋敷だけは残してくれたんちゃうかって、オトンからよう聞かされたわ」
「へぇ……」
「やったら、頭取。この屋敷を探索してみんか?」
「ええ!!」
自分でも思っていた以上に声が出てしまった。
カナリアはつり目をいっそう細めて、笑う。
「そんなことしていいの?」
「頭取、この屋敷のこと興味あるんやろ?」
「そ、そうだけど……」
「幸いなことにここに持ち主の関係者がおるし、幸いなことにうちも興味あるし。大人なしに入れたのは初めてや。まだうちも入ったことない部屋とかあるしな。たとえば……」
そう言って、指を上に向ける。
どうやらカナリアは屋敷の2階に行ってみたいらしい。
あまりいいことではないけど、気になるのは確かだ。
特にこの屋敷が、僕が生まれた頃にできたものなら尚更……。
「他のもんはどうや?」
「ルーシェルが行くなら」
そっとリーリスが手を上げた。
「いいの? リーリス」
割とこういう時は手を上げないと思ってた。
すると、リーリスは僕に耳打ちする。
「ルーシェルが生まれた時にできた建物なんでしょ?」
もしかしてリーリス、僕の背中を押すために参加してくれたのかな。
いや、たぶんきっとそうだ。
僕は「ありがとう」と礼を述べると、リーリスはニコリと笑った。
「ナーエルとカルゴはお留守番しとくんか?」
「ぼくも興味あるかな」
「か、カルゴまで。みんな行っちゃうの?」
その時だった。一瞬パッと辺りが青くなる。
次の瞬間、空を引き裂くような雷鳴が窓を震わせた。
『キャアアアアアアアアア!!』
悲鳴を上げたのは、ナーエルだけじゃない。
カナリアも、リーリスも頭を抱えて蹲った。
カルゴも尻餅をついて驚いている。
「びっくりしたわ~」
「今の近かったね。でも屋敷は大丈夫みたい」
「で? ナーエル、どうするんや?」
カナリアはニヤリと笑う。
すでにナーエルの答えがわかってるみたいに……。
◆◇◆◇◆
結果からいうと、屋敷の探索時間はそのほとんどが退屈極まるものだった。
僕たちが恐る恐る2階に向かう頃には雨脚も弱まり、雷雲はすっかり遠ざかってしまった。南海の太陽に目を細めるほどではないけど、屋敷は明るくなっていく。
さて、2階の様子はというと、これもまた空振りだった。
部屋の中はほとんど抜け殻で、床に積もった埃以外に見るところはない。
ただ僕はというと、少しノスタルジックな気分に浸っていた。
やはり僕の屋敷が作られた時と年代は同じらしく、そこかしこにトリスタン家で見た建築様式が見られる。階段の手すりに、特徴的な獅子の木彫りが彫られているのを見て、懐かしがっていると、カナリアに声をかけられた。
「頭取は建築オタクなんか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
言えない。昔住んでた屋敷にも同じものがあったなんて。
「結局、何もありませんね。珍しい本でもあればと思ったのですが」
どうやらカルゴは蔵書が目当てで探索ツアーに参加したらしい。
ちなみにナーエルはずっとカルゴの後ろにくっついて離れなかった。
「さて、それじゃあ。最後はあっこの部屋やね」
カナリアは奥の部屋に入る。
その部屋は他の部屋とは違って、壁紙に色が付いた紙が使われていた。
もうすっかり剥げているけど、名残がある。
色の感じから、おそらく子ども部屋だろう。
実際、他の部屋と比べても少し小さかった。
とはいえ、他の部屋同様に何もない。
「なんやここもスカかいな」
「これで終わり? 終わり?」
「ああ。終わったよ、ナーエル。そろそろカリムさんが来る頃だろう。1階に戻ろう」
カルゴがナーエルの手を引く。
僕とリーリスはその後を追おうとした時、ふと立ち止まった。
「ルーシェル?」
突然、立ち止まった僕を見て、リーリスは驚く。
僕は何も言わず、魔法で鉄の槍を作った。
ふと思い出したのだ。
こういう部屋にはたいがい隠し部屋が設置されていることを。
そうだ。僕の部屋にもあったんだ。
天井を見上げると、何かを引っかけておくような金具を見つける。
そこに槍を引っかけ、力いっぱい下へと降ろした。
ドスン!
大量の埃とともに現れたのは、階段だった。
僕たちは何か導かれるように階段の先へと向かう。
そこは屋根裏部屋になっていて、いくつか蔵書や古びたペンなどが置かれていた。
「すごいすごい! 頭取、これは大発見やで!」
「蔵書は割と最近のものみたいだけど」
僕は机の中を探る。
懐かしいなあ。僕が使っていた机にそっくりだ。
引き出しを開けると、入っていたのは小箱だった。
「なんや、この大げさな小箱は?」
「もしかして」
「宝箱……とか?」
思わずみんなと視線を合わせる。
小箱は鍵がかかっていたけど、屋敷の施錠と同じく【解錠】した。
僕の心臓はバクバクと音を鳴らしていた。
怖いというより、ワクワクする自分がいる。
「これは紙?」
小箱にあったのは、封をされた1枚の紙だった。
封を解き、開いてみると、地図だ。
地図には何かを示すようなマークが入っていた。
「もしかしてこれって……」
宝の地図?