第259話 王族の涙
デザートは全体的にも球形ながら、ゴツゴツとしていた。
まるで子どもが作る泥団子にも似ている。
しかし、よく見れば小さな鱗のような薄茶色の肌に、豪快な焦げ。
ふわりと立ち上る湯気は、熱々であることの証明だ。
蓋を開ける前から漂っていた香ばしい芳香はさらに強くなり、メイン料理を経て、お腹いっぱいになったはず、ギュッと収縮し、思わず産声のような声を上げてしまった。
「これは……!」
「まさか……!」
「まあ!」
「これが陛下の思い出の味?」
「こいつはどう見ても……」
「おお……」
クラヴィス父上、リーリス、ソフィーニ母上、カリム兄上に、ユラン。
最後にアウロ国王陛下が、現れた料理を見て、声を上げる。
すると、ロラン王子自ら、料理名を紹介した。
「お待たせしました、父上」
焼きおにぎりです。
そう。それは僕がよく使う銀米で作った焼きおにぎりだった。
丸めた熱々の銀米に、僕特製の味噌と醤油(第7話参照)を塗り、炭火で焼いている。
焦げ目は味噌が焦げたもので香ばしく、見た目の泥団子感を強くしていた。
見栄えをよくするなら三角に握るのが一般的だけど、あえて団子のように丸めてみたのだ。
僕の配慮がうまくいったらしい。
「おお。そうだ。このかぐわしい香りだ。間違いない」
国王陛下は焼きおにぎりに興奮していた。
早速、ナイフとフォークも使わず、手づかみで焼きおにぎりを頬張る。
「ぬおおおおおおおおおおおおお!!」
国王陛下は突然唸り上げた。
「うまい! カチカチの外の食感に対して、中はモチモチだ。塩っ気はちょうどよく独特の風味が、香ばしい匂いと一緒に口の中で渦を巻いておる」
どうやら、ご満足をいただけたようだ。
2つご用意した焼きおにぎりの1つをあッという間に平らげる。
もう1つに手を伸ばした時、国王陛下はふと我に返って尋ねた。
「ロランよ。何故、余の好物がわかった……。誰にも言ってないはずだが。そもそも余自身がこの料理のことを知らなかったというのに」
「それは――――」
「陛下、僕の方から説明をさせてください」
「うむ。言ってみるがよい」
陛下は王宮の料理人にも自分が食べた思い出の料理のことを、『泥団子に似た料理』と称していたらしい。味は覚えていないらしく、ただその見た目だけが脳裏に残っていたのだろう。
実際、ロラン王子が戯れでお作りになられた泥団子を口にしてしまったほどだ。
アウロ国王陛下の頭にさぞ深く刻まれているらしい。
さて、泥団子のような見た目の料理といえば、小麦と砂糖、油で作るカストリョーネやサータアンギーヤ、カイコウジャンなんかが思い付く。他にもトリュフを使ったチョコレートとかだ。でも、その手の料理はほとんど宮中の料理人がやっていた。
「けれど、僕たちも料理人たちもある先入観に囚われていました。それが『泥団子』=デザートだと思ってしまったことです。そこで僕たちはデザート、つまりスイーツ以外にも似たような見た目の料理を考えました」
「それが焼きおにぎりだった、というのか、ルーシェルよ」
「その通りです。父上」
国王陛下が味も、その料理のこともうまく説明できなかったのは仕方ないことだ。
銀米も、味噌も醤油も東側の料理で、小麦を主食とするミルデガード王国ではあまり馴染みがない。僕も【知恵者】さんの知識がなければ、作ることもなかったと思う。
これが『泥団子に似た料理』の正体。
そして、陛下が夢にまで見た好物の正体だ。
その陛下は僕の推理に返事はしなかった。
皿に残った最後の焼きおにぎりを手で持ち上げると、ゆっくりと味わう。
しばらくして、涙をこぼした。
「ち、父上! どうされたのですか?」
じっと国王陛下の表情を観察されていたロラン王子が慌てる。
近衛も、突然涙を流された国王陛下を見て、動揺した様子だった。
「いや、すまぬ。つい懐かしくてな。よもやこの味に再び出会えるとは思わなかった」
「陛下。良ければ、その焼きおにぎりにまつわるお話を聞かせてくれませんか?」
クラヴィス父上が促す。
でも、国王陛下はすぐに「うん」と頷かなかった。
ただ目を細め、窓外の方に視線を送る。
陛下の中で時間が巻き戻っていく。
そんな長い間の後、陛下はようやく口を開いた。
「まだ余が王子だった頃の話だ」
アウロ国王陛下は若い頃、武勇に長けた王子だったらしい。
自ら騎士団を率いて、魔物の被害に震える民草を守る活動をしてきた。
でも、当時の国王――つまりアウロ国王陛下のお父上は、王族が戦地に赴くよりも、政治のことに興味関心を持って欲しいと思っていたそうだ。
そんな折、アウロ王子は魔獣の大集団を討伐するため、騎士団を率いて南に向かった。
討伐戦は熾烈を極め、ついにアウロ王子がいる本営にまで迫る。
王子は命こそ取られなかったが、騎士団は崩壊。バラバラに逃げるしかなかったという。
「その途中、偶然にも地図にない村を見つけてな。休憩を取らせてもらうことにした」
「もしや、焼きおにぎりはそこで?」
「今でも忘れられぬ。あの村で味わった焼きおにぎりの味を」
アウロ陛下の口元に、ようやく笑みが浮かぶ。
けれど、それは一瞬だった。
キュッと唇を結ぶと、再び昔のことを語り出す。
「村での休息後、余は1度撤退し、騎士団の再編に努めた。そして2度目の討伐戦でようやく魔獣の群れを倒すことができた。勝利したのは、あの村で英気を養い、すぐに2度目の討伐戦に移行できたからだと考え、余は再びあの村を訪れた」
しかし、村はもうなかった。
「撤退後、余は近隣の村々に護衛を置くことを命じた。だが、地図になかったあの村は護衛の対象とはならず、魔獣の群れの侵攻によって多くの命が奪われることになった。そして同時にあの料理が2度と食べられないと知った時、あの村民たちの暖かな気配りを感じることがこの先ないと思った時、余は耐えられず涙せずにはいられなかった」
国民を守ることは為政者として責務。
だからこそ、アウロ陛下は先頭になって戦った。
優れた武勇を手に入れようとした。
それでも守れない命、文化、人の心があると知った時、アウロ陛下の考えは変わった。
「政治というものに興味を持ったのはその時だ。武勇に優れるなら身体を鍛えれば誰でもできる。しかし、この国の政治を動かすことができるのは、我らミルデガード王族においていない、とな」
「父上、申し訳ありません」
「? 何故謝るのだ、ロランよ」
「私は父上の悲しい記憶を思い出させてしまいました」
「むしろ嬉しいのだ。あの時の味に会えて。そして、それを余の息子が作ってくれたことに……」
「父上……」
「そうなのであろう」
「え? はい。……その、ルーシェルに手伝ってはもらいましたが」
「そうか」
「いかがでしたか? 私が作った焼きおにぎりの味は?」
ロラン王子はギュッと拳を握る。
陛下が焼きおにぎりの評価を下すのに、おそらく5秒もなかったはず。
しかし、自分が作ったものの評価を、国王である自分の父上からもらうのだ。
たぶん、その5秒はどんな5秒よりも長く感じただろう。
「むろん。うまかったぞ」
アウロ国王陛下は穏やかに笑う。
その顔を見て、僕はホッとする。
そして、少しヤールム・ハウ・トリスタンのことを思い出した。
かくして料理会は終わった。
僕とロラン王子は、自ら荷車を引いて炊事場へと向かう。
王宮の中は静寂に満ちていて、廊下は燦々と降り注ぐ陽光に溢れていた。
僕たちは光を浴びながら、荷車を押す。
「陛下、喜んでいらっしゃいましたね」
「うん……」
「良かったですね、ロラン王子」
「うん……」
「殿下、今なら大丈夫です。人払いの結界を張りましたから」
「うん……」
そしてロラン王子は泣いた。
号泣し、嗚咽を上げた。
歓喜の涙だった。
小さいながらロラン王子は王位継承を狙う1人。
仮に王宮内で涙を見せれば、どんな理由があろうとも、後々噂されることになる。
涙を見せることほど、為政者として恥ずべきことはないからだ。
「ルーシェル」
「大丈夫です。僕は何も見てませんから」
「いや、そうではない。ありがとう。ルーシェルのおかげだ」
「何を言うのですか、ロラン王子。僕たちは友達です。王子はそう言ったんじゃありませんか?」
「ああ。そうだな」
ルーシェルと余は、最高の親友だ。
親愛の証を見せるようにグータッチをするのだった。








