第252話 絶望の中の祈り
僕たちはノックもせずに勢いよく扉を開ける。
踏み込んだのは、国王陛下の私室だっ。
何事かと衛兵が槍を構えたが、僕の横にいるロラン王子の顔を見て、すぐに切っ先を下げた。
唐突のロラン王子の帰還に病床の国王陛下と、典医や大臣たちが目を丸くする。
煤だらけの王子の顔を見て、大臣はひっくり返りそうになったのを典医が慌てて受け止めていた。
国王陛下の私室にいたほとんどの人が驚く中で、1人僕たちの顔を見て、笑った人がいる。
「遅かったな、ロラン」
ヴィクター王子だ。
側では薬医が書物を見ながら製剤の準備を始めていた。
ヴィクター王子はわざわざこちらにやってきて、ロラン王子の前に立ちはだかる。さらに胸をそびやかすと、小さな弟王子を見下ろした。
「私の勝ちだ、ロラン」
勝利を宣言する。
その言葉を聞いて、僕はギュッと拳を握りしめた。1度助けを請うように国王陛下の方を見つめる。陛下もこうなった事態をうっすらと察しているのだろう。何も言わず、ただロラン王子と同じ青い瞳を閉じた。
「これで次の国王陛下は私だ。まっ。といっても約束したのは、お前とセレナだけだがな。だが、陛下のご病気を私が治した実績は、どんな武勲よりも讃えられるべきだ。国民が知ればさぞ喜び、私の名前は王宮を超えて響くだろう」
「さて。それはどうかな……?」
「減らず口を……。せめて湯浴みぐらいして来たらどうなんだ。それともボロボロなりを見せて、陛下に恩情をもらうつもりだったのか?」
「急いでいただけさ。それよりも兄上。フェニックスの肝臓はあるのか?」
「急くな。もうすぐ薬医がフェニックスの肝臓から薬を作るところだ」
ヴィクター王子はテーブルに置かれた銀蓋を示す。
「確認したい。開けてくれ」
「はあ? 何を言って?」
「事は一刻を争います。ヴィクター王子」
「ルーシェル、時間がない。兄上、勝手に開けさせてもらうぞ」
「あっ……! 貴様!!」
ロラン王子は大柄なヴィクター王子の脇を駆け抜け、銀蓋に手を伸ばす。
しかし、その1歩手前でヴィクター王子の手で捕まえられた。
「貴様、何をする?」
「兄上こそ何をしている。離せ」
「離すものか。どうせ良からぬことを考えているのだろう」
「言ったろ。余は姉上や兄上のように権力争いに興味はない。だから、手を離してくれ」
「離すものか。まず理由を……」
「ルーシェル!」
ロラン王子は叫ぶ。
僕は王子を助けるわけでもなく、代わりに銀蓋を開けた。
そこには赤黒くなったフェニックスの肝臓が皿の上に横たわっていた。
「ルーシェル、どうだ?」
ロラン王子の質問に、僕は歯噛みする。
手に入れた時、ルビーのように赤かった身は見るも無惨に赤黒くなり、張りもなければ照りもない。触ってみると、僕の手を溶かさんばかりに燃えさかっていた肝臓は、すっかり冷め切っていた。
「ダメです。この肝臓は使えません」
「使…………な、なんだと! 出鱈目を言うな」
ロラン王子を突き飛ばし、ヴィクター王子は僕の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。
フェニックスの肝臓から離そうとしたけど、僕はピクリとも動かなかった。
一方、地面にペタンと座ったロラン王子は呆然と覇気のないフェニックスの肝臓を見つめる。
僕とロラン王子を交互に見ながら、ヴィクター王子の怒りは頂点に達した。
「恐れながら陛下。そのものたちが言っているのは、本当のことでございます」
口を開いたのは、フェニックスの肝臓から薬剤を作ろうとしてた薬医だ。
「このフェニックスの肝臓はすでに壊死の段階にあります。このまま薬にしたところで、陛下がお腹をお下しになられるだけです」
「ふざけるな。それをなんとかするのがお前たちだろう」
「できませんよ」
今度は薬医に掴みかかろうとするけど、僕が寸前で止めた。
しばし僕とヴィクター王子は睨み合う。
「どういうことだ、小僧」
「フェニックスの肝臓の鮮度は極端に短いんです。専用の容器に入れないと、すぐに腐ってしまう」
「な、なんだと!」
ヴィクター王子から怒りの気配が引いていく。
僕はそれを証明するべく、フェニックスの肝臓をヴィクター王子の前に突き出した。
鼻を近づける前に、その腐臭に気づいたヴィクター王子は顔を顰めた。
「馬鹿な……」
「あなたのせいですよ、王子」
「なんだと! 言わせておけば」
「ルーシェルの言うとおりだ!」
ロラン王子が一喝する。
「フェニックスの肝臓の話が出てきた時、その取り扱いの方法まで兄上は知っておくべきだった! それならこんなことにはならなかった」
ロラン王子は国王陛下がいるベッドの前で膝を突き、ついにはお尻をつけて項垂れた。
ヴィクター王子は諦め切れず、薬医に迫ったけど、しかし誰にもどうにもすることができない。
「くそ! お前が悪いのだ。そういうことは先に言えば! いいか。国王陛下が、父上が死んだらお前のせいだからな、ロラン」
小さな王子を罵りながら、慌てた様子で出て行った。誰もその横柄な態度に口を出す人間はいない。むしろ呆れかえる人たちがほとんどだった。
誰も責任を負えない、負おうともしない。
唯一そこに強く責任を感じているのは、陛下の私室で蹲っているロラン王子だけだった。
「王子…………!」
痛々しい背中に僕は声をかけることすらできずにいると、静寂に包まれた中で1人動く人がいた。その人はゆっくりとベッドから下りると、裸足のまま近づき、ロラン王子の頭に手を置いた。
頭を上げずとも、王子はそれが誰の手かすぐにわかったのだろう。
「陛下……。いえ。父上、申し訳ありません」
「良い。そなたは良くやった。……ルーシェルくんもありがとう。君たちがフェニックスの肝臓を取ってきてくれたのだな」
「はい。ですが……」
「仕方ない。……これもまた天命なのだ。神が決めたことならば、余もまた受け入れなければならぬ」
「陛下……」
「何も言わずとも良い。子に恵まれ、国民にも恵まれた。これ以上望むものは余にはない。聞けば、ルーシェルくんは呪いとうまく付き合っていたというではないか。少々厄介だが…………たえ…………」
「父上?」
「陛下?」
国王陛下は突然胸を押さえながら苦しみ始める。
「うががががががが!!」
ついには叫び始めた。
まずい。発作だ。
「ルーシェル! これは……」
「落ち着いてください、王子」
そう。落ち着いて対処すればいい。たとえ治らずとも、僕はこの呪いと長い年月付き合ってきた。陛下も処置さえすれば、元に戻るはず。
僕は【収納】からスライム飴を取り出す。
「陛下、この飴を飲み込んでください」
激痛に苛まれながらも、陛下は飴を口にして水を飲み、飲み込む。だが、症状は一向に改善されない。それどころか悪くなる一方だ。
「ルーシェル、どういうことだ? あの飴でよくなるのでは?」
「そのはずです」
僕は今度は【天使の祈り】という回復魔法を使う。多少陛下の痛みを軽減できているようだけど、発作自体は続いている。おかしい。昔なら【天使の祈り】で発作自体は抑えられたはずなのに。
もしかして『竜牙の呪い』じゃない?
でも、症状は似ている。むしろ『竜牙の呪い』そのものが強くなっているように見える。呪いが勝手に強くなるなんてことはあるだろうか。
ついに陛下は痙攣を始める。口から泡を吹き、危険な状態になってきた。典医も慌てて、心臓マッサージを始めるけど、効果はない。
最中、ロラン王子は手を組んだ祈っていた。
「神様……。お願いだ。まだお父様を天国へ連れて行かないで。余はまだお父様に……、お父様に生きていてほしい。もっと頭を撫でて、褒めてほしいんだ。だから、神様。どうかどうか……」
頼む……!








