幕間 ある夏の山の出来事①
☆★☆★ コミカライズ更新 ☆★☆★
1週間ずれて申し訳ないですが、ヤンマガWebにてコミカライズ最新話が更新されております。
最新話では、ロラン王子の奪回にルーシェルが本格的に動きます。
最新刊5巻も含めて、よろしくお願いします。
それはジーマ初等学校の夏休みが始まって、すぐのことだ。
僕はクラヴィス父上に許可をもらって、里帰りをすることにした。
とは言っても、トリスタン家に戻るわけじゃない。
今の僕にとって、故郷と言える場所はクラヴィス家とその領地、そして――。
僕が300年近く住んでいた山だ。
「なつかしいなあ」
麓から山の様子を窺う。
山もすっかり夏の装いだ。緑が青々と茂り、虫の声がやかましいと思う程聞こえてくる。
風が吹いた瞬間、一斉に揺れる木々の姿を見ると、大きな生物が蠢いているかのようだ。
山を出て、1年……。
なんかもう10年ぐらい離れていたような気がする。
いや、よく考えたら、カカオバチの巣を採取する時に1度戻ったっけ?
なつかしいと言えば、今の僕の恰好だ。
山で住んでいた時の装備をしてきた。
レティヴィア家の洋服はどれも綺麗だから、派手に汚すわけにはいかない。
それに僕はしばらくの間、山で過ごすつもりだ。
洗濯石鹸が香る洋服よりも、こっちの方がいい。
この山はほとんど人の手がついていない。
山道もなく、獣道があるぐらいだ。
僕は茂みを掻き分けながら、山を登っていく。
すると、あることに気づいた。
「ん? この香りって……」
僕の嗅覚は魔獣食のおかげで、獣並みに敏感だ。おかげで山の反対側にいる魔獣の種類や数、何時何分前ぐらいにどんな動物や魔獣が通ったかまでわかる。だから、今僕の鼻腔を付いた匂いの正体も、すぐに気づくことができた。
(珍しいなあ)
少し首を傾げることもあったけど、僕は山奥へと分け入る。
しばらくして懐かしい巨木が現れた。
「着いた……」
背負っていた背嚢を下ろす。
思わず涙が出そうになった。
変わっていない。そこは僕が200年ぐらい住んでいた住み処だった。
出て行ってから1年。
荒れているかといえば、そうではない。
外の炊事場も、中の住居スペースもなかなか整っている。
しかも炊事場は誰かに使われている形跡があった。
「誰だろう……?」
首を傾げていると、匂いが濃くなる。同時に殺気が膨れ上がった。
僕は咄嗟に回避する。すると、乾いた音を立てて、側のフライパンが跳ね上がった。
『シャアアアアアア!!』
鋭い声を上げたのは、小さなクアールだった。
小さな牙を光らせて威嚇しているが、髭がまだ短い。
おそらく幼体だ。
「かわいい。思い出すなあ」
小さなクアールとは裏腹に、僕は思わず笑みを浮かべてしまった。
「大丈夫だよ。警戒しないで。僕は――――」
慎重に手を伸ばす。
そうだ。何かご飯を上げたら喜ぶだろうか。
僕は【収納】の魔法を唱えると、異空間から食糧を取り出す。
昨日捌いたばかりの鶏肉だ。艶々したピンク色の肌に、手から伝わってくる軟らかな肉質。保存状態もかなりいいから、生でも食べられるほど新鮮だ。
小さなクアールは、差し出された鶏肉に反応する。
すっかり大人しくなると、特徴的な黒鼻を鶏肉に近づけた。
クリッとした黒い目が輝く。子どもでもこの鶏肉の良さはわかるらしい。
ぺろっと舐めると、ゴロゴロと声を上げた。何だか聞いてるこっちまで幸せな気持ちになる声だ。
小さなクアールは、ついに大きな口を開ける。
『ルーベル、何をやってるの?』
突然人の声が聞こえた。
声の方向に顔を上げると、1匹のクアールが木の枝に立って、こちらを見下ろしている。
成獣といかないまでも、かなり若いクアールだ。それも雌だろう。雄のクアールは銀毛を特徴としているのに対して、雌は同じ銀毛でも少し赤よりの色をしている。枝に立って、僕を見下ろす若いクアールも綺麗な桃色の羽毛をしていた。
ルーベル――といわれたクアールは、雌のクアールの姿を見て、慌てて僕から離れる。
タンッと地面を蹴ると、あっという間に雌のクアールがいるところまで上った。
(すごい身体能力だ……)
クアールの身体能力は元々高い。でも、それは成獣になってからの話だ。どちらもまだ幼体なのに、素早く移動したり、僕に気配を悟られなかったりと、かなり凄い。ただのクアールではないことは確かだった。
『あれ程、人から与えられた食べ物に手を出すなと言ったのに。この前、人に捕まったことをもう忘れたの?』
『ごめん。母ちゃん。……でも、あのお肉。すっごくおいしそうだった』
ゴクリと唾を飲む。
まだ鶏肉の匂いが忘れられないらしい。
ちなみに2匹とも人間の言葉を喋れるわけじゃない。
【知恵者】というスキルがあって、僕はその解説を受けながら聞いている。
言語の翻訳はもちろん、あらゆる知識を閲覧できる優れたスキル。
昔、シームルグという魔獣を食べた時に会得した。
『どうして、わたしたちの話を』
『ママ、こいつなんか変だよ』
あれ?
言葉を理解することができれば、仲良くなれると思ったんだけど。
逆に警戒させちゃった。弱ったなあ。
「なんだか、懐かしい匂いがするなって思ったら。君かい、ルーシェル」
クアールの鳴き声じゃない。
それは完璧な人の言葉だった。
ただ――違和感があるとすれば、どこか人を皮肉った調子であったことだ。
振り返ると、幼体のクアールが僕を見ていた。
短い髭に、クリッとした瞳――忘れもしない。僕の相棒だ。
「アルマ!」
僕たちはひしと抱き合う。
思わず涙が溢れた。
「アルマ、会いたかったよ」
「おいおい。よせよ、ルーシェル。痛いだろう。そもそも泣くほどのことかい? 割と最近会ったような気がするんだけど」
「ふふ……」
「なんだよ。気持ち悪いなあ」
「アルマの皮肉……。久しぶりに聞いたら、嬉しくて」
「な! ……て、訂正だ。ルーシェルは元から気持ち悪いけど、さらに気持ち悪くなったね」
アルマはやれやれと首を振る。
その顔は少し赤くなっていた。
アルマは文字通り、僕の相棒だ。
まだ僕が山に放り出されたばかりの時に拾って、それから一緒に行動していた。
実はアルマもドラゴングランドの肉を食べていて、こんな可愛い姿だけど300年近く生きている。僕と同じく魔獣を食べて、色々な魔法やスキルを覚えていった。
フレッティさんたちと出会う数ヶ月前。
アルマは結婚することになって、それから僕たちは別々に暮らしていたというわけだ。
それでも、アルマが僕の相棒であったことには変わりはない。
「まったく子どもの前だってのに」
「子どもの前って……。じゃあ、あの小さなクアールは……」
「そうだ。ボクと妻の子どもだよ。といっても、拾ったんだけどね」
なるほど。
いくらアルマが万能でも、成獣ではない身体で子どもを生むことはできなかったみたいだ。
「アルマと一緒だね」
「そうかな。少なくとも、ボクは君のように泣き虫じゃなかったよ」
「言ったな、ルーシェル」
「なんだい。久しぶりにやるかい」
僕とアルマは睨み合う。
顔を突き合わせ、火花を散らせた。
『こらこら。2人とも。感動の再会なんでしょ? いきなり喧嘩するもんじゃないよ』
間に入ったのは、アルマのお嫁さんだ。こうやって面と向かって話すのは今回が初めてだ。結婚するとだけ聞いていたけど、お嫁さんまでは紹介してもらっていない。照れくさかったのもあるのだろうけど、人間の僕を紹介することに抵抗があったのだと思う。
アルマのお嫁さんは木から下りてくる。
その後追うように、ルーベルもまた戻ってきた。
『初めまして、ルーシェル。わたしがアルマの妻トーイと言います』
『ルーベルです。初めまして』
頭を下げて、2人とも丁寧に挨拶する。
2匹の名前はアルマがつけたと、教えてくれた。
普通、魔獣同士で名前をつけることは滅多にないから、自己紹介されて僕もちょっと驚いてしまった。
「ルーシェルです。初めまして」
僕はそれぞれの前肢をとって、挨拶する。
『アルマから色々聞いています。大変でしたね』
「気遣いありがとう。……うん。でも、今は幸せだから。トリスタン家の経験がなければ、今の家族と会うこともなかったと思うんだ』
そうですか、とトーイさんは柔和な笑顔を向ける。
クアールだけど、なかなか感じのいい人だ。
どっかの誰かさんとは違って……。
「なんか言ったかい、ルーシェル」
「別に何も……」
「ま、それにしてもクラヴィス家でうまく言ってるみたいだな。人間の家で暮らすと聞いた時は、かなり驚いたけど」
「うん。今の父上も母上も、兄さんにもよくしてもらってる。家臣の人たちだって仲がいいよ」
「リーリスって女の子もか?」
「うん。とっても仲良し」
いつの間にか僕は近況を話し始める。
学校の話だったり、納涼祭で作ったお菓子の家、炊事場での修業……、話すことはたくさんあった。
一際驚いたのは……。
「まさかユランがクラヴィス家に住み着くなんてな」
「驚いたでしょ。僕も驚いたよ」
「あいつ……。まだルーシェルのことを……」
「アルマ、何か言った?」
すると、アルマは僕の額をペシリと叩いた。
「身体は子どもでも、お前は300年生きてるんだ。ちょっとは女の子の気持ちも考えてやれよ」
「え? はっ?」
「やっぱりまだルーシェルには早いか? いや、300年生きてるのか。遅すぎないか……」
アルマは肩を竦めると、話題を変えた。
「それより何しに来たんだ、ルーシェル」
「君の顔を見に来たんだよ。あと、ここの掃除もしようと思ってたんだけど。今はアルマが使ってるの?」
「ああ。ねぐらにさせてもらってる。ダメか?」
「ううん。逆に助かるよ。綺麗に使ってもらってるみたいだし」
「だろ? さすが相棒だろ?」
「うん。さすが僕の相棒だ」
僕とアルマは同時に笑う。
久しぶりに再会したけど、一瞬にして元の相棒の関係に戻ってしまった。
所帯を持ったことでアルマは変わったのかと、勝手に思ってた。
でも、それは僕の先入観がそう考えてしまったらしい。
「ルーシェル、久しぶりに料理を作ってよ。妻と息子にも食べさせてあげたい」
『食べたい! 食べたい!』
『是非いただきたいですわ』
ルーベルもトーイもキャンキャンと吠える。
僕はニヤリと笑った。
「そういうと思って、色々食材を用意してきたよ」
「じゃあ、今日は大宴会だね!」
アルマはピョンと跳びはねるのだった。