第231話 秘めたる力
「あ。来た!」
一時避難場所であるジーマ初等学校の敷地内にある農園で、生徒の誘導を手伝っていた僕は、クモワースを担いだレーネルを見つける。側にはナーエルと、クモワースの取り巻きアーラとシャイロの姿もあった。随分と疲れた様子だけど、無事のようだ。
「ナーエル!」
駆け寄ったのは、カルゴさんだった。
幼馴染みのナーエルを随分心配していたらしく、農園の入口で待っていたのだ。
「カルゴ!」
「その……無事で良かった」
カルゴさんは少し泣きそうになりながら、ナーエルの無事を喜ぶ。
「ルーシェル、ボクたちで最後?」
「それが……」
僕は思わず言葉を詰まらせる。
実は講堂で劇をする予定だったチームがまだ戻ってきていない。
演劇をするチームには、リーリスとユランが含まれている。
その2人も戻ってきていなかった。
「ユランがいるから大丈夫だと思うけど」
「ちょっと心配だね。……ルーシェル、行ったら?」
「え? でも?」
僕は振り返る。
そこには逃げてきたたくさんの生徒や教員がいた。
数名レティヴィア騎士団がいるけど、戦力としてはまだ心許ない。
これ以上の増援の可能性は十分あるし、新手の戦力が出てくるということも捨てきれない。
そんなことを考えているうちに、ブルーバットベアーの群れが農園に向かってくるのが見えた。レティヴィア騎士団が対応する。でも戦況は一進一退だ。
「ここは僕が……」
魔法を使おうとした瞬間、僕よりも早く氷結系の魔法がブルーバットベアーに襲いかかった。振り返ると、アプラスさんだ。『精霊の花嫁』から離れても、元『氷の魔女』の魔力と知識は健在らしい。
アプラスさんはさらに吹雪を巻き起こし、ブルーバットベアーの動きを封じる。
チャンスを見逃さなかったのは、クライスさんだった。曲刀のように伸びた爪を伸ばして、鋼すら通さないブルーバットベアーの毛皮を切り裂く。騎士団、アプラスさん、クライスさんの活躍で一気に危機を脱した。
「ルーシェル、行くがよい」
呆然とする僕に、ロラン王子が声をかけた。
「いいんです、王子」
「かまわん。クライスと余でなんとかする」
王子が言い切ると、横でクライスさんは頭を下げた。
「私もいますよ」
アプラスさんが僕の頭に手を置く。
「本来、生徒を守るのは教師の務めですからね」
「ボクも頑張るよ、ルーシェル。だから、リーリスとユランを助けに行って」
最後にレーネルが両拳をぐっと握った。
「ありがとうございます、ロラン王子、クライスさん、アプラスさん。それとレーネルも。僕、行きますね」
「おう。行って来い」
ロラン王子は僕の背中を叩く。
【浮遊】の魔法で浮かび上がると、僕はあることに気づいた。
「そうだ。農園に念のため【結界】を張っておきますね」
僕は手をかざし、【結界】の魔法をかける。
白いヴェールのような【結界】が、農園全体を包んだ。
「じゃあ、行ってきます!」
そのまま猛スピードで僕は講堂に向かった。
ルーシェルを見送ったロラン王子は、おもむろに【結界】を叩く。すると金属のような硬質な音が返ってくる。ロラン王子は叩いた手を思わずプラプラと手を振った。そして農園全体を包んだ巨大な【結界】を見渡す。
「ルーシェルの奴、よっぽどテンパってたな。最初から【結界】を張っておけば良かったではないか? 奴もまだまだだな」
「王子、それがルーシェルくんの魅力だと思います」
「深い知識と、大きな力を持ちながら、その知能、精神性はまだ子どもということか。確かにそれがルーシェルの魅力なのだろうな」
ロラン王子はルーシェルが消えた校舎の方を見つめるのだった。
◆◇◆◇◆
「まったく……。倒しても倒しても出てきおるわ」
ユランは講堂に入り込んだブルーバットベアーをなぎ倒しながらため息を吐く。
その背後の壇上には演劇を行う生徒、さらに劇を見に集まっていた観客たちがいる。
劇が始まる前だったので観客も、集まっていた生徒の数も少ない。
しかし、ブルーバットベアーに唯一の出入り口をおさえられてしまい、身動きが取れなくなっていた。
演劇組にはさらに不運が重なる。
ブルーバットベアーに対抗するためのヴァンパイアキラーを半数の生徒が持っていなかったのだ。原因は演劇をするために、制服から衣装に着替えたことだった。半数の生徒がうっかり制服に入れたままにしてしまい、ヴァンパイアキラーを飲むことができなかったのである。加えて、ここには元々ヴァンパイアキラーを持っていなかった観客もいる。
加えて、ブルーバットベアーは暗い場所を好む。日陰を求めて、どんどん講堂にやってきている状態だった。
結果、演劇組はブルーバットベアーに襲撃され続けていた。
「我の真なる姿を見せれば、こやつらなど1発なのに」
「ダメです、ユラン。ホワイトドラゴンになったら、講堂ごと崩れてしまいます」
段々面倒くさくなったユランを、リーリスが引き留める。
ユランは唇を尖らせた。
「むぅ。ややこしいことだ」
「でも、講堂を崩すのはいい案かも」
「何か言ったか、リーリス」
「ユラン、講堂の壁に穴を開けて」
「む? いいのか?」
「あとでわたしも一緒に謝ります」
「よーし。任せよ」
ユランはぐるぐると肩を回すと、大きく振りかぶった。
爆発音に似た音にブルーバットベアーはおろか、生徒や観客たちが驚く。
次の瞬間、暗い講堂に差し込んだのは、明るい光だ。
急な光に、ブルーバットベアーの動きが止まる。
その時、発案者であるリーリスが見逃さなかった。
「みなさん、あの穴から逃げてください!」
大声を張りあげる。
久方ぶりに吸う新鮮な空気に気付き、生徒や観客は顔を上げた。
リーリスの言葉に従うと、一気になだれ込む。
その間もブルーバットベアーは襲いかかってくるのだが……。
「お前らの相手は我じゃ!!」
ユランがペロリと舌を舐める。
久しぶりに大っぴらに暴れるからだろう。
周囲が恐怖に顔を引きつらせる中、ユランだけは嬉しそうだった。
抑圧されていた感情を爆発させるように、迫ってくるブルーバットベアーたちを千切っては投げ、千切っては投げていく。
「みなさん、こっちです」
ユランが魔獣の相手をしている間にリーリスが、観客と生徒の誘導をする。
だが、外に出たところで危険であることは代わりない。
戦場の空気はリーリスたちを竦ませた。
「リーリス様!」
声を上げたのは、リチルだ。
側にはミルディもいる。
助かった、とリーリスは胸をなでおろした。
「こちらです」
「あたしたちについてきて」
ミルディが先導し、避難先になっている農園を目指す。
駆け足で走っていると、1人の女子生徒が転んだ。
演劇でヒロインのお姫様役を演じていた生徒だった。
それを見て、リーリスは逆走し、女子生徒を抱き起こす。
とった手は震えていた。
「大丈夫。赤い実は食べた?」
リーリスの質問に女子生徒は首を振る。
すると、リーリスは自分のポケットから赤い実を取り出す。
「これを食べて」
「大丈夫。さあ、立ってください」
リーリスは女子生徒と一緒に立ち上がる。
逃げようとした時、再び空が暗くなった。
ぽっかりと開いた穴からブルーバットベアーが落ちてくる。
ちょうどリーリスの前に轟音とともに立ちはだかった。
「「リーリス様!」」
ミルディとリチルが間に入ろうとしたけど、遅い。
ブルーバットベアーの凶爪が今まさにリーリスの頭に振り下ろされようとしていた。
すると、リーリスは奇妙な行動をとる。
あとで振り返っても、どうして自分がそんなことをしようと思ったのかわからない。
ただ側にいる女の子を守ろうとしただけなのだが、ついぞ理由が理解できなかった。
リーリスはブルーバットベアーの爪を止めようと、手を掲げたのだ。
ドンッ!
身が凍えるような轟音が鳴り響く。
ぺしゃんこになっていてもおかしくないのに、リーリスは生きていた。
それどころかブルーバットベアーの手を、小さな手で止めていたのだ。
「り、リーリス様」
「リーリス様、すごい?」
「これは一体? あっ――――」
リーリスに身に覚えがあった。
1年半以上、リーリスはルーシェルの魔獣食をいくつも食べてきた。
ルーシェルが言っていたが、魔獣食の中には自身の身体能力を上昇させたり、スキルを獲得したりするものがあるという。実際リーリスもいくつかスキルや魔法を獲得した。
ついにはブルーバットベアーの一撃を受け止めるだけの身体能力を、リーリスはこれまで食べた魔獣から獲得したのである。
「もしかしたら……」
リーリスは何か確証を得たのだろう。
さらにブルーバットベアーの腕をとる。
小さな手はグッと巨大な魔獣を持ち上げてしまった。
「り、リーリス様」
「あわわわわ……」
これにはリチルもミルディも驚く。
生徒や観客たちも目を丸くしていた。
リーリスはそのままブルーバットベアーを投げ飛ばす。
そのまま地面に叩きつけた。魔晶化には至らないものの、強烈な一撃にブルーバットベアーは目を回す。
「すごい、リーリス様」
「でも、いいのかしら」
「なんでいいじゃん」
「リーリス様は公爵令嬢なのよ、ミルディ」
「あっ!」
ミルディは耳と尻尾を立てて、相棒の話の真意を理解する。
「ふぅ」と額の汗を拭うリーリスを見つめるのだった。