第228話 空に開いた穴
「ナーエル、大丈夫?」
昏倒した男を確認した後、レーネルはすぐにナーエルに駆け寄る。
自ら囮を買って出たナーエルを心配そうに見つめた。
ナーエルは咳き込みながらも、笑顔を浮かべる。
「大丈夫だよ、レーネル」
「良かった」
ホッと胸を撫で下ろす。
「やっぱり囮作戦は危険だよ」
「ええ。でも、レーネルが助けてくれるって信じてたから」
「……!」
レーネルの顔がみるみる赤くなる。
身体がカチカチに固まっていたが、尻尾だけは嬉しそうに揺れていた。
それを見て、ナーエルはクスクスと笑う。
だが、2人にあまり時間は残されていなかった。
【移声】の魔法がかかった石から声が聞こえてくる。
『レーネル! ナーエル! 返事しろ? 大丈夫か?』
ロラン王子の声だ。レーネルは慌てて応答すると、魔導石越しにホッと胸を撫で下ろすのがわかった。
『それで爆弾は?』
尋ねられ、レーネルは爆弾が入った箱に近づく。
中身を覗くと、光を帯び始めていた。
「まずい。この爆弾、起動してるかも」
『嘘だろ!』
「どうしよう! どうやって止めたらいい?」
箱の中身は点火する魔導具と、火薬でいっぱいになっていた。さすがに獣人のレーネルでも持ち上げるのは難しい。それに動かしたら、何かの拍子で爆発するタイプもある――という話を、以前父から聞いていた。
「ふははははは!!」
笑ったのは、残っていた反獣人派の女だった。逃げたと思ったら、戻ってきたらしい。
光はさらに強くなり、今にも爆発しそうだ。
「我らの大願はもうすぐ終わる。死ね。レーネル・ギル・ハウスタン!!」
レーネルは走る。
反獣人派の女ではない。
ナーエルの方にだ。
こうなってはせめてナーエルだけでも守らなければ……。そう判断したレーネルはナーエルを脇に抱えて脱出しようとする。だが、箱いっぱいに詰まった火薬から見て、生半可な距離では難しい。たとえ1発でも近くの校舎が吹き飛ぶだろう。
その中で反獣人派の女は狂気的に笑う。
いよいよ光が周囲を包んだ時、ナーエルはレーネルを押し倒し地面に伏せた。
…………。
強烈な轟音が耳をつんざく――のを覚悟したレーネルだったが、いつまで経ってもそれはやってこない。代わりにレーネルの耳を押さえ付けたのは、荒れ狂う風だ。ふと顔を上げると、竜巻が裏庭で巻き起こり、例の爆弾が入った箱を風で閉じ込めていた。
その手前には、エルフの青年が立っている。
「あれは?」
まるで英雄叙事詩の一編を見ているかのような光景に、ナーエルは目を瞬かせる。彼女は知らなかったが、レーネルには面識があった。
「カリム様?」
「え? 誰ですか?」
「ルーシェルのお兄さんだよ」
「ルーシェルの??」
2人して事態を飲み込めず、呆然としているとカリムは風の魔法を操りながら、振り返った。
「大丈夫かい、2人とも」
「は、はい」
「大丈夫です」
「レーネルが走って行くのを見えてね。気になって後をつけたんだ。ところで、あれはなんなんだい?」
「ば、爆弾です」
レーネルの言葉を聞いて、カリムは首を傾げる。
「爆弾? それにしては大きすぎるな」
「ねえ。レーネル。なんで、あの爆弾は爆発しないの?」
「な、なんでだろう?」
カリムは風の壁の中に閉じ込めた箱を下ろす。
眩い光を放つが、爆弾はなかなか爆発しない。
「ブラフ? いや、違うな。爆薬に点火するなら、もっと単純な魔導具でいいはず」
カリムは後ろを振り返る。
反獣人派の女が固まっていた。
事情を聞こうと近づくが、女は固まったままだ。
その視線は空の向こうに向けられている。
「な、なんだ、あれは?」
怯えながら言葉を漏らす。
すると、カリムもレーネル、ナーエルも振り返った。
空に大きな穴が開いていた。
「まさか!?」
カリムは何かに気付き、魔法で箱の中身を粉々にする。しかし、すべては遅かった。
空に開いた穴から、明らかに異形の者の足が現れたからだ。
◆◇◆◇◆ ルーシェル ◆◇◆◇◆
空にできた穴は僕がいたトワイライトコンサート会場からも見えていた。穴からはさらに異形の者の足が現れると、その異常な毛深さを見て、僕はピンとくる。
「ブルーバットベアだ」
名前の通り、鋼鉄ような青い毛をした熊に似た魔獣だ。Aランクの魔獣で、かなり手強い。以前、王都の公園に現れたものと同じ魔獣だった。
あの時と違うのは、1匹だけじゃないということだ。空に開いた穴は1つや2つだけじゃない。無数――ざっと数えただけでも、100個以上はある。
「これは大規模召喚魔法だ」