第222話 たこ焼き
「うむ。なんといい香りか」
鉄板から上ってくる香りを逃すまいと、ユランは鼻を近づける。鉄板は熱々なのに、まったく気にしていない様子だ。顔を近づけ過ぎて、そのまま鉄板ごと噛み付いてしまうのではと、僕はハラハラしながら見ていた。
他の家族も漂ってくる香りを吸い込んでいる。
森の中の新鮮な空気を取り込むみたいに、大きく胸を膨らましていた。
その中で唯一首を傾げていたのは、カリム兄様だ。
「ルーシェル、ここからどうやってあんな風に丸く出来上がるんだい?」
「それは見てからのお楽しみやで」
僕の代わりに屋台に立ったカナリアが、手早く具材を入れていく。具材の中にはあの蛸の足も入っていた。具材が増えると、さらに香りが複雑に絡み合う。
カナリアは「じゅうっ!」とおいしい音を立てて焼けていく生地をジッと見つめ、手に太い針がついた道具を用意する。まるで魚を狙う猫のように目を光らせた。
「ここや! ここで決めるんや!!」
突然、カナリアの糸目がカッと開いた。先ほどの針がついた道具の先をツッコむ。丸い凹みの縁をなぞるように生地と鉄板の間に隙間を作ると、そのまま手首を返してくるりと回す。すると、まるで化かされたみたいに狐色に染まった丸い生地が現れる。
「「「「「おお!!」」」」」
僕の家族は思わず歓声を上げた。
カナリアは次々と生地がひっくり返していく。
何度も見ているけれど、すごい手際だ。
カナリアに教えたのは僕だけど、すでにその技術は僕を超えている。
本人の集中力、何より商売に対する情熱が凄いのだ。
反対側も焼けると、これまた手慣れた動きでナーバという非常に硬い葉に折って作った葉の中に入れていく。ソースなどを刷毛で塗り、最後にお手製の爪楊枝を刺して、僕たちの前に差し出した。
「へい。お待ち。ジーマ子ども祭名物“たこ焼き”やで」
2枚のナーバの皿に6個ずつ、計12個のたこ焼きを1度に提供する。舟盛りされたたこ焼きを見て、僕の家族はちょっと驚いていた。
「改めて見ると、インパクトある見た目だな」
「あなた、ソースの上にかかっている青いものは何でしょうか? 海藻?」
「このソースも普通とは違いますね」
「はい。お兄様。生クリームとは違うようですが……」
「とにかく我に早く食べさせろ!」
口々に見た目の感想を言い合う(ユランはちょっと違うけど)。
やがて解説を求めて、家族が僕の方を向いた。
「えっと……。ソースは通常のウスターソースにトマトと醤油を加えたものです。そこにマヨ……じゃなかった、酢と卵黄、塩を混ぜたソースを」
「この青いのは何なのですか、ルーシェル」
ソフィーニ母上が尋ねる。
見慣れないものだから、ちょっと心配なのだろう。
「僕が行った南の部族が食べていたものです。サールといって、海辺にある海藻を素干しして乾燥させたものですよ。天然由来なので害はありません。部族の方は毎日食べてました。栄養価も高いのですが、1番は香りですね」
僕が説明すると、クラヴィス父上はさらに鼻を近づけた。すると、「おお!」と声を上げて、思わず仰け反った。
「海の香りがする!」
「本当だ。磯の香りだ」
「夏休みを思い出しますね」
「そやで。潮風を浴びると、めっちゃ気持ちがええんや。また南に来たら、うちが案内したる」
カナリアは南の出身だ。実は夏休みに僕たちはカナリアの家にお世話になり、海を案内してもらっていた。まあ、大侯爵の令嬢を案内役というのはちょっとおかしな気もするけれど。カナリアって貴族令嬢って感じがしないし、向こうもそういう素振りは一切見せないから、時々忘れてしまうんだよね。
「さあさあ。それよりも早く食べてくれへんか? たこ焼きは熱々1番おいしいんでっせ」
これまで香りと見た目を楽しんでいたけど、いよいよ実食に入る。クラヴィス父上がみんなと目で示しを合わせながら、ゆっくりとソースとサールがのったたこ焼きを口に近づけていく。
「あふあふ……」
熱々のたこ焼きを一気に頬張る。
ちょっと熱かったみたいで、少し難儀していたみたいだけど、父上をはじめみんなの顔がガラリと変わった。
口が熱さに慣れてくると、やがて咀嚼を食べ始める。相変わらずまだ何も喋れないようだけど、口の中で旨みがジュワッと染み出し、さらに小気味良い食感に当たったことだけは、表情から察せられた。
「うまい!」
クラヴィス父上はようやく言葉を、口の中に溜まった湯気と一緒に吐き出した。
「カリッと焼けた表面に、トロッと軟らかい中身の生地の食感が最高だ。ただの生地ではないな。おそらく何か塩とは違う塩み? いや旨みを感じる」
「生地の中に乾燥させた海草でとった出汁を入れてあります」
「出汁か! なるほど。しかし何より蛸だ。この弾力……。コリッとしながらスッと歯が入っていくと、食感がたまらない。じわりと口の中に旨みを感じる。魚とも、海草とも違うな。それもまたうまい」
クラヴィス父上はたった1個食べただけで、たこ焼きの虜になっていた。
「蛸だけじゃないわね。このサクッとした食感は何? それにこの赤いのはもしや?」
「ソフィーニ母上、よく気づきましたね。赤いのは紅ショウガです」
生姜に命の実の塩漬けと一緒に付け込んだものだ。生姜の辛さに塩っぱさが加わって、たこ焼きに絶妙なアクセントを入れている。生地と蛸だけだと味気ないので、入れてみたのだけど、母上の口にはあったみたいだ。
「サクッとした食感は、油かすです」
「油かす?」
「実際、揚げ物を作った時の油かすじゃありません。小麦粉、塩、水、卵を混ぜたものを油で揚げたものです。サクッと食感が欲しくて、中に入れてみました」
味と同じく、生地を焼いただけではいい食感は生まれない。それに入れないと綺麗な丸にならないのだ。たこ焼きの形を補強するためでもある。
「このソースも素晴らしい。たこ焼きと上手く調和しているね」
たこ焼きに合うソース作りは苦労したから、カリム兄さんの称賛は素直に嬉しい。蛸や青のりが野菜や果汁主体のウスターソースの味とうまく合わなくて、味の調整に随分と時間がかかった。ウスターソースに、醤油を加えるという手はソンホーさんから教えてもらったものだ。
醤油のコクがウスターソースの酸味をまろやかにし、蛸の旨みを潰さずに味わえる。
結果的にウスターソースが本来持つ複雑な味わいは、単調になりがちなたこ焼きにいい意味で味の幅を与えてくれていた。
何より、このたこ焼きの隠し味はなんといっても……。
「このクリーム色したものはなんですか、ルーシェル。とってもおいしいです!」
リーリスが珍しく声を上げて絶賛した。








