第221話 商言葉
僕の話を聞いて、家族は全員呆然としていた。クラヴィス父上は口を開け、ソフィーニ母上の顔は真っ青になっている。カリム兄様はやれやれと肩を竦め、ユランは「いつものことだ」というふうに腕を来無。
リーリスは「嘘」とばかりに口を覆っていた。
みんな、ちょっとオーバーなリアクションだ。
「どこかに出かけていたのは知っていたが、まさか『蛸』を取りに行っていたとは……」
「それで蛸は捕れたのかい?」
カリム兄様は興味津々だ。
蛸は魔獣ではないけど、クラヴィス父上と同じく学者の血が騒ぐのだろう。
そんな兄様を母上がたしなめる。
「カリム……! ルーシェル、怪我はしなかったの?」
「大丈夫ですよ。むしろ楽しかったです」
「楽しかった?」
「はい。南の方では一般的に蛸を食べていました。特に伝統的な漁法が面白くて、素焼きの壺を海底に沈めておくだけなんです。蛸は天敵の少ない岩場の隙間や海底にできた穴などを好みます。その習性を利用する素晴らしい漁法なんです」
件の屋台に向かいながら、僕は蛸壺漁の素晴らしさを説く。ソフィーニ母上をはじめ、家族みんなが物珍しそうに聞いていた。
この辺りというか、一般的に『蛸』は食べるどころか、恐ろしい生物だと思われている。中には巨大な蛸がいて、大きな船を沈めてしまうという言い伝えすらあるほどだ。
後で調べてわかったけれど、『蛸』を海神の化身と崇める国もあるらしい。
それだけ『蛸』は畏怖の象徴なのだろう。
それを捕るどころか、今から食べようとするなんて、僕の家族からすれば前代未聞の出来事なのだ。しかも、子どもが主催する祭りの屋台に出ているというから驚きだろう。
「おお! いい匂いがしてきたぞ」
初めに反応したのはユランだった。
屋台には様々な料理が並んでいるけど、まるでユランは蜜を探す蝶のようにユラユラと誘われていく。
家族と一緒に追いかけると、そこは件の屋台だった。
構えこそ一般的な屋台だが、目を引くのは見たことのない鉄板だろ。
そこには丸い凹みがいくつも並んでいた。
「これがルーシェルが言っていた屋台か」
「そうです、父上。これがたこ焼きの屋台ですよ」
「ふむ。話に聞いていたから何となく使い方はわかるが、鉄板にあらかじめ凹みを開けるとはな。しかし、型に流し込む方法もあったのではないか?」
クラヴィス父上がもっともな意見を言う。
すると反論は僕ではなく、店の奥から聞こえてきた。
「それは型を2つ使うたら、型の代金がもう1つかかるやろ? それにこのたこ焼きの作り方にもちゃんと理由があるんやで」
思わずギョッとするようなキツい訛りに、家族は型を2つ使わないこと以上に驚いていた。
訛りの主は僕より背の高い女の子だ。
2つお団子に結んだ黒い髪。健康的な褐色の肌。愛想のいい糸目をこちらに向けて、愛嬌を振りまいている。
その女の子に先に話しかけたのは、カリム兄様だった。
「ず、随分古い商言葉を知ってるんだね、君は」
「お兄さん、これが古い商言葉やって知ってるなんて、博識やね」
商言葉とは商人の間で使う言葉なのだそうで、今はあまり使われていない。それを操る女の子には驚きだけれど、知っているカリム兄様の知識量には驚きを禁じ得ない。
「それにかっこいいし。よっしゃ! たこ焼き1つおまけしたろ」
「それは有り難いけど……。僕はまだ食べるとは決めてないよ」
「そんなイケずなこと言わんといてください、お兄さん! わかった。ならたこ焼き2つでどうや?」
あくまでカリム兄様にたこ焼きを買ってほしいようだ。商魂たくましいな。
まあ、だから屋台を任せたんだけどね。
「ご紹介します。たこ焼きの屋台を任せているカナリア・ギル・カンサイベーンさんです」
「ああ。カンサイベーン侯爵のご令嬢か」
カンサイベーン侯爵家はミルデガード王国の南の地を統べる大貴族だ。北のレティヴィア家、中央のハウスタン家、そして南のカンサイベーン家と比べられるほど、力を持っている。ただ当主は王宮の権威にまったく興味を示さず、自ら大商会の頭取となって、ミルデガード王国の経済を支えている。
カナリアはその侯爵家のご令嬢だ。
「なんや頭取の家族かいな」
「頭取?」
カナリアが僕を「頭取」と呼ぶのを聞いて、ソフィーニ母上は首を傾げる。
「カナリア、その呼び方はやめてって言ったでしょ。家族が混乱するじゃないか?」
「ええやないですか? 頭取は頭取なんですから」
カナリアは悪びれることなく「頭取」を連発する。
後ろでクラヴィス父上と、カリム兄様がふき出していた。
「子ども祭なんておもろいイベントを考えついたのは、頭取やないですか? それにこのたこ焼きもめっちゃおもろい! 絶対売れまっせ!」
「それならロラン王子がいるじゃないか」
「王子は会頭でんな」
カナリアは屈託のない笑みを見せる。
どうやら説得は無駄のようだ。
「それでたこ焼きの売り上げはどうなんだい?」
「…………」
「カナリア?」
何故か急に黙り込んでしまった。
あれ? なんとなく察していたけど、もしかしてカナリアが落ち込むぐらい売り上げが悪いのだろうか?
「ルーシェル。カナリアさん、さっきからなんかこちらを見て目配せしてますけど?」
リーリスがカナリアの様子を見て、首を傾げている。ホントだ。なんか瞼を大きく開いたり、瞬いたり、あるいは口を動かしたりしている。
あ。なんか今察した。
まさかあの教えてもらった言葉を使えってことかな。
「も、もうかりまっか?」
「ボチボチでんなあ。……いやあ、やっと言えたわ。おおきに、頭取。学校に入ってからこのやり取りができんくて、口がモゾモゾしてたんや」
「そ、そう……。それよりボチボチってことは、結構売れてるの?」
「そりゃ爆売れって言いたいとこやけど」
「何個売れたの?」
次第にトーンダウンしていくカナリアの様子を見て、僕は恐る恐る尋ねた。
すると、カナリアは指一本立てる。
「1つしか売れてないの??」
「いや、1つも売れてない」
「だぁぁぁあ!」
思わず家族と一緒にずっこけてしまった。
あまり僕たち家族をからかわないでほしい。
今はもう昼だ。昼食代わりに屋台のご飯を食べようとしているお客も多い中、まだ1つも売れていないのは、さすがに予想外だった。
「おいしいんやけどなあ」
カナリアさんは冷め切ったたこ焼きを、パクリと一口食べる。
「元気出してよ。注文するからさ」
「おおきに! 頭取もサービスするさかい」
「その代わり、出来立てを頼むよ」
「まかしとき! 世界一おいしいたこ焼きを作ったるさかい。そこで待っときや!」
カナリアはねじり鉢巻きを締め、気合いを入れ直す。特製の生地を流し込むと、熱々の鉄板の上からふわりと湯気が上がった。
香ばしい匂いに期待がわき上がる。
ついにこの後、僕の家族はたこ焼きの全貌を見ることになるのだった。