第203話 獣王の殺意
「勝負あり!」
フレッティさんの手が上がる。
聞こえてきたのは、大きな歓声だった。
「ルーシェルが勝った。勝ちました!」
「ふん。手こずったな、ルーシェル」
「すごい……。お父様に本当に勝つなんて」
「さすが我が――――」
「あなた、やったわ! ルーシェルが勝ったわよ」
「さすがルーシェルだね」
家族やレーネルはおろか、見守っていたレティヴィア騎士団までもが大きな声を上げる。逆にハウスタン家の騎士たちは、固まったまま現実に起こった出来事を受け止められない様子だった。
「閣下が負けるなんて。それも子どもに」
騎士団長も呆然と立ち尽くしている。
場内が異様な雰囲気に包まれる中、敗者であるアルヴィン閣下は口を開いた。
「トリスタン剣術だな……」
ポツリといった言葉に、僕は反応する。
「え?」
「隠さなくてもいい。レーネルから話を聞いて薄々気づいていた」
レーネルから話を聞いただけで、僕が学んでいたのがトリスタン剣術だと気づいたのか。でも、僕はレーネルの戦いではトリスタン剣術は…………あ! あの【牙喰剣】を防いだ時か。
「人の話を聞いただけでよくわかりましたね」
「確信はなかった。その時はただちょっと変な動きをする剣士だなとは思ったぐらいだ。……しかし、こうして間近にし、君の中に染みついたクセを見るうちに、昔俺の師匠に見せてもらったトリスタン剣術を思い出した」
「閣下の師匠……」
閣下の先生ということであれば、間違いなく父様と剣を合わしたことがあるはず。
「閣下の師匠は今どこに……?」
「亡くなったよ」
「それは……」
「戦場ではなかったが、その時に負った傷が元でね」
「相手は……」
「ヤールム・ハウ・トリスタン」
僕は息を飲んだ。
空気が反転し、戦勝ムードが一気に吹き飛ぶ。
その名前を意味するところは、僕も今の家族もよくわかっていた。
閣下の話は続いた。
「師匠は亡くなる間際、トリスタン流の剣術の筋を俺に教えて、そして天国へ旅立った。残念ながら、その知識を生かされることはなかったけどね。……その後、トリスタン剣術は忌まわしき邪剣術として禁術とされた。今でも使い手はほとんどいない。俺だって、君と戦うまで忘れていたぐらいだ」
アルヴィン閣下は膝を立てると、ゆっくりと立ち上がる。
戦っていた時はあまり感じなかったけど、こうして懐に入り、正面を見据えるとかなり高い。細いようで柔軟で粘り強い筋肉をしていることがわかる。
そのアルヴィン閣下は再び木刀を手にとって、切っ先を僕に向けた。それまで穏やかに話していたアルヴィン閣下から、靄のようなものが放たれる。その靄がわずかに僕の肌を撫でただけで、背中に怖気が走った。それは今まで感じたことのない明確な殺気に、一瞬僕は立ちすくむ。
「トリスタン剣術はヤールム・ハウ・トリスタンだけのものとも聞いた。俺が知る限り、後継者はいないはず。何故、君が使えるルーシェルくん。場合によって、俺は立場上君を拘束しなければならない」
「閣下、それは……」
反論しようとした直後、大きな背中が僕と閣下を遮る。一瞬、ヤールム父様に見えた背中の正体は、今の僕の父親クラヴィスのものだった。
寒々しい殺気にさらされた背中をソフィーニ母上が包み込み、小さく震えていた手をカリム兄様と、リーリスがその手で包んでくれる。
今、家族全員が僕を守ってくれていた。
『剣王』という世界最強の戦力を前にして。
「閣下、どうかお気をお鎮めください。これには事情があるのです」
「どのような事情かな? 場合によっては父親であるあなたも連行しなければならない。仮に……いや、あり得ないはずだが、その子どもが裏切り者のトリスタン家の縁のものであるならば、それを匿っていたあなたは罪人ということになる。これは明確な国家反逆罪ですよ、閣下」
「息子の潔白を証明するというならば、城でも地下牢でも参りましょう。ですが、まず私の話を聞いていただきたい」
クラヴィス父上は頑として、僕の前から引き下がろうとしてしない。
すごい。単純な腕っ節ならクラヴィス父上は強くない。アルヴィン閣下なら指1本で勝てるだろう。獅子を前にして、子羊が立っているようなものだ。
でも、その子羊は動かない。
それどこから獅子以上の迫力を持って、アルヴィン閣下を睨んでいた。
かといって、アルヴィン閣下も「はいそうですか」と引き下がることはできない。睨み合いが続く中、勇気を以て声を上げたのはレーネルだった。
「お父様、たとえルーシェルが忌まわしき剣術の使い手だとしても、僕はルーシェルが人を困らせるようなことをするとは思えません。お父様も気づいていらっしゃるのでしょう? もしルーシェルを本気で疑っているなら、先ほどの試合の時にやっているはずです」
「…………さすがは我が子だ。その通りだ」
ようやくアルヴィン閣下は木刀を捨てた。
同時に敵意、あるいは殺意といったものが一気に抜けていく。
確かにレーネルの言う通りだ。
僕のことを何か良くない者だと気づいているのであれば、先ほどの試合は絶好の機会だったはず。アルヴィン閣下はあれで本気ではなかった。僕は結局、閣下の『獣人変化』を見ていない。レーネルでは無理でも、アルヴィン閣下なら間違いなく『獣人変化』を制御できるはず。ただでさえ厄介な獣人の身体能力がさらに上がれば、さすがに僕でも太刀打ちできない。
「だが、事情を聞かせてもらいますぞ。風呂に入って、おいしい料理を食べながらな」
アルヴィン閣下は腹を撫でる。ちょうど「グース」と音が鳴った。
その音を聞いて、クラヴィス父上もようやく破顔する。
「是非食べていってください。我が家の料理人が腕によりをかけておりますので」
「それは楽しみだ」
ニヤリと笑うと、アルヴィン閣下は公爵家の湯殿に向かう。
最初はもっと大雑把な人なのかなと思ったけど、妙に鋭いところがあったり、公爵家の真ん中で殺意を振りまいたり、今も堂々とお風呂を借りようとしている。
狼というよりは、気まぐれな猫みたいな人だ。
「ルーシェル、ごめんね」
「レーネルが謝ることじゃないよ。それにどうやら僕が君に話しておかなければならないことのきっかけもなったしね」
「僕はルーシェルを信じるよ。ルーシェルは悪い人じゃない」
「ありがとう、レーネル。……えっと」
「何?」
「手を離してくれないかな」
「え?」
いつの間にかレーネルは僕の手を両手で包むように強く握っていた。
自然と動いたのだろう。本人もビックリして、慌てて手を離した。
「ご、ごめん」
「謝ることじゃないって。ところで、どうしてレーネルが耳と頬を赤くしてるの」
僕の疑問に、レーネルは「キュン」という謎の言葉を返すだけだった。
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