第195話 おあいこ
◆◇◆◇◆ レーネルとナーエル ◆◇◆◇◆
「ナーエル……」
レーネルは森の奥で蹲っていたナーエルを発見した。
声に反応し振り返ったナーエルの目は赤くなっている。
その表情を見て、レーネルはさらなる罪悪感に包まれた。
「ナーエル、ごめん。怖がらせちゃって」
「レーネル……」
「でも、これはボクの本当の姿で……。いや、君に言いたいことはそういうことじゃない。そういうことを謝りたいんじゃない。もっと根本的なものなんだ」
「根本的なもの……」
「ボクはね、ナーエル。君を利用してしまったんだ」
「レーネルがわたしを……」
「うん。君がクモワースに脅されてやったことは薄々わかってた。でも、ボクはどうしても、あの先生と戦いたかった。君が不安と恐怖と、罪悪感に苛まれてる間も、ずっと……」
「わかってて。決闘を……?」
レーネルは頷く。
「最低だ、ボクは。それでも試合が始まる前までは君のことを考えていた。ボクの本当の力を見せれば、クモワースもナーエルに手を出さないと思ったから。でも、戦ってる最中から、もう君のことを忘れて、獣人変化まで使ってしまった。本当はね。父上にも止められていたんだ。先生の言うとおりなんだよ。けど、勝ちたくて。父上に褒められたくて。…………勝ちたかった。父上に認められたかった……」
いつの間にかレーネルは泣いていた。
ナーエルを引き留めるつもりが、正直に自分の中にある気持ちを話し始めると、もう止まらなくなった。きっとどこかで聞いてほしかったのだ。自分の抱えてる気持ちを誰かに。
けど、それは父上でも、家族でもない。親友のナーエルになど以ての外だった。
それでもレーネルが決心したのは、ルーシェルとの決闘を経て、1つの区切りがついたことと、リーリスの一言だった。
親友だからこそ打ち明けたくなったわけじゃない。
親友だからこそ聞いてほしかったのだ。
泣いてる獣人の女の子を、ナーエルはそっと抱きしめる。
平民の子どもが、『剣王』の娘と呼ばれる少女をまるで赤子をあやすかのように、その髪を撫でた。
「わたしの方こそごめんね、レーネル。わたしも一緒だよ。レーネルを利用してた。あなたの側にいれば、クモワースくんがいじめてこないから。……でも、勘違いしてた。それが自分の力だといつの間にか思ってた。クモワースくんにまた詰め寄られた時にわかった。……わたしは弱い平民の娘のままなんだって。だから、悪いのは――――」
「いや、ボクが悪い。君はクモワースに脅されてやっただけだろ」
「違う。わたしが弱いままの自分をそのままにしていたのが悪いんだよ」
「ボクが悪い」
「わたしが悪い!!」
いつの間にか顔を近づけて言い合いになっていた。
真っ黒な鼻のレーネル。
青い髪が印象的なナーエル。
レーネルの鼻に決闘で浴びたと思われる土がかかっているのを見て、ナーエルは笑い出した。
屈託のない笑顔を見て、レーネルも笑い出す。
「わたしたち何を言い合いしてたんだろ」
「本当は、どうでも良かったのかな」
「そうかもしれない。だから、おあいこ。ねっ?」
そう言って、ナーエルは自分の小指を差し出す。
それを見て、レーネルもまた小指を差し出し、ナーエルの小指を絡めた。
「レーネル、あのね」
「うん。何?」
「わたしはレーネルの本当の姿を見て、怖くはなかったよ。ただわたしのために真剣に戦ってくれているレーネルを見て、自分がしてしまったことが怖かっただけ」
「ナーエル……」
「だから、戦ってる時のレーネルは……」
とってもかっこよかったよ。
レーネルはピンと耳と尻尾を立てる。
顔を真っ赤にして照れていた。
「今、そういうこと言うかな」
「フフフ……」
ナーエルは微笑み、そしてレーネルも笑う。
幸せな空気が漂う中、絶望はすぐそこに現れる。
『ぐるるるる……』
どこからともかく獣の声が聞こえる。
レーネルが耳を立て、振り返った時、その魔獣はすでに2人の姿を補足し、近づいてきていた。
「ブルーバットベアー……」
それは世にも珍しい青い毛をした大きな熊だった。いや、熊というよりは様々な魔獣が掛け合わさったような姿というべきかもしれない。猛禽類のような鋭い爪が付いた手足に、竜種のような鱗が背中にびっしりと張り付いていた。
口を開ければ、鋭い牙が見え、赤黒い舌から濃い粘液のようなものが垂れている。
体格はナーエルとレーネルを合わせても、その上を行くほど大きい熊だった。
王都にある森とはいえ、魔獣が出ることは知っている。問題はそこではない。
「なんでAランクの魔獣がここに……」
森の奥に行こうが、ブルーバットベアーなんて珍種はいないはず。
迷い込んだにしては、あまりに身体が大きすぎる。
監視に立つ王国の兵士が見逃すわけがない。
「ナーエル、逃げて! 先生に報告を」
「レーネルはどうするの?」
「ボクが時間を稼ぐから」
レーネルはブルーバットベアの前に勇ましく立ちはだかる。
だが、その表情はすぐに苦悶の表情に変わってしまった。
「ぐっ!」
「レーネル??」
ルーシェルが言ったことは当たっていた。
獣人変化はレーネルの小さい身体に大きく負担を課していた。節々が悲鳴を上げ、ちょっと筋肉に力を入れると、激痛が走る。本当は立ってるのもやっとだった。
「レーネル! 身体が……」
「いいから! 早く!!」
『グラウッ!!』
ブルーバットベアは容赦しない。
2人に向かって突進してきた。
振り下ろした爪を、レーネルは渾身の力で止める。
「ナーエル! 逃げて!!」
ブルーバットベアの初撃を止めたレーネルだったが、次の瞬間には吹き飛ばされていた。木の幹に当たると、全身に激痛が走る。半ば意識を失う中、レーネルが見たのはブルーバットベアに襲われるナーエルだった。
恐怖に引きつる親友に、レーネルは必死になって手をかざす。
(これは罰か……。親友を利用した。いや、父上の信頼に応えなかった? ……もうそんなことはどうでもいい。神様でも、悪魔でもいい)
ナーエルを、助けて……。
【風槍】!!
意識を失いかける中で、レーネルは目を目覚ます。
ブルーバットベアがナーエルに襲いかかろうとした瞬間、風の槍が魔獣を貫いた。
それも1本だけでもはない。
無数にだ。
突然大ダメージを受けたブルーバットベアは動きを止めた。
白目を剥き、そのままドオッと音を立てて、森の地面に沈む。
本来消滅するはずの魔獣が消えないことにレーネルは気づいた。
今、それよりも彼女が気になるのは、Aランクの魔獣を一瞬にして倒してしまった人間のことだ。
「間一髪だったね。もう大丈夫だよ、レーネル」
声の方向に視線を向ける。
やや癖ッ毛の少年がレーネルを元気づけるように微笑んでいた。