第192話 それぞれの思惑……。
◆◇◆◇◆ ナーエル ◆◇◆◇◆
「大変なことになっちゃった」
ナーエル・オリスは貴族の子どもが多く通うジーマ初等学校にあって、珍しい平民の生徒だった。
父は魚の交易で財をなした商人で、貴族、果ては王宮内部にすら一目を置かれるほどの目利きを持つ元漁師。貧乏漁師から成り上がった父親は、子どもにきちんとした教育を受けさせたいということで、娘にジーマ初等学校を薦めた。
一方、ナーエルは社交的な父親とは裏腹に内向的な性格で、引っ込み事案。そんな性格と身分が災いしてか、ジーマ初等学校に入学して半年以上はろくに友達もできなかった。それどころか、クモワースのような生徒に「平民」と馬鹿にされる日々が続いていた。
だが、ナーエルのそんな真っ暗な学校生活に転機が訪れる。
レーネルだ。
獣人、さらには【剣王】の娘という肩書きを持つ彼女は、当然のことながら学校では目立つ存在だった。しかし成績は優秀でも寡黙で、人を寄せ付けない雰囲気のおかげで、ナーエル同様にレーネルもまた友達らしい友達がいない。でもレーネルの場合、そのことに対して意に介さない姿が、ナーエルにはどこか眩しく見えた。
そんな2人が出会ったのは、クモワースがナーエルをいじめている場面――――ではなく、中庭の花を世話する係に一緒になった時だ。
いつもは鋭いナイフのような雰囲気があるレーネルが、花を見て笑っている姿が印象的で、ついナーエルから声をかけたのがきっかけだった。
お互い学校に馴染めないということもあったからだろう。
思えばなんとなく名前の響きも似ている。
【剣王】の娘と平民の娘の付き合いは、こうして始まった。
レーネルと一緒にいることが多くなって、ナーエルへの「平民いじめ」はぴたりとなくなってしまった。別に狙ってやったわけじゃない。そういう副次的な効果をぬきにしても、ナーエルは純粋なレーネルのことが好きだったのだ。
でも、災いは忘れた頃にやってきた。
突如、クモワースに呼び出され、ルーシェル・グラン・レティヴィアにいじめられたと触れ回れ、と脅された。しばらくの間、レーネルという安全地帯にいたナーエルが、以前の恐怖を思い出すのは一瞬だった。
軽く小突かれただけで、ナーエルはクモワースの言うことを聞くことにした。
これがレーネルであれば、間違いなく断っていたかもしれない。どこからともかく現れた新任の小さな教師というのが、ナーエルが承諾するハードルを下げていた。
しかし、予想外だったのは、レーネルがそのルーシェルと決闘すると言いだしたことだ。
「こんなはずじゃなかったのに。レーネル大丈夫かな? 大丈夫だよね。レーネル、とても強いし。男の子にも負けないし」
「こんなところにいたのですね?」
誰もいない空き教室でうんうんと唸っていたナーエルの下に、聞いたことのないほど美しい声が聞こえた。
振り返れば、本から出てきた妖精かと思うほど、美しいエルフの少女が立っている。
少女は制服のスカートのつま先を広げて、軽く会釈した。
「リーリス・グラン・レティヴィアと申します」
「レティヴィア……。じゃあ、あなた」
「はい。ルーシェル・グラン・レティヴィアの家族ですわ。ナーエルさん、いえナーエル先輩と言えばいいのでしょうか?」
「な、何の用?」
「……それを決めるのは、たぶんあなたの方だと思います」
「え?」
「まずはあなたの知っていることを、わたくしにお話いただけませんか?」
威圧するわけでもない。
華美につくろうわけでもない。
ただリーリスは、自分がナーエルの敵ではないことを証明するように、柔らかく微笑むのだった。
◆◇◆◇◆ クモワース ◆◇◆◇◆
「あっはっはっはっはっ!」
ナーエルがその罪に押しつぶされそうになっている時、主犯であるクモワースは大笑いしていた。
ルーシェルについて悪い噂を流したのも、ナーエルの一件も、すべてクモワースが仕組んだことだ。
性格にいえば、父親のドラードの入れ知恵である。
「新米教師に、あのレーネルをぶつけてやった。ざまあみろだ!」
「うまくいきましたね、クモワース様」
「さすがクモワース様! ずる……じゃなかった賢いですねぇ」
取り巻きのアーラはクモワースの肩を揉み、シャイロは勝利のお祝いとばかりにグラスに林檎ジュースを注ぐ。
美酒ではないが、早速3人は戦果に酔っていた。
「あのレーネルは前から気に食わなかったんだ。汚らわしい獣人のくせに、親が【剣王】だからって威張りやがって」
「でも、クモワース様。レーネルの奴、ルーシェルに勝てますか?」
「森の実習では負けてましたよね」
アーラとシャイロは不安そうな声を上げる。
ところがクモワースは子どもとは思えないほど歪んだ笑みを浮かべた。
「ルーシェルが勝つだろうな。けどな、お前たち。考えてみろよ。自分の娘をこてんぱんにした子どもが公爵家の子息で、学校で特別待遇されてるって聞いたら」
「親がすっ飛んできますね」
「レーネルの親は誰だ、シャイロ?」
「え? えっと……。【剣王】です」
クモワースは満足げに頷き、足を組んだ。
「そうだ。大事な愛娘をきずものにされたら【剣王】は絶対仕返しにくる」
「きずものってどういう意味?」
「ううん」
取り巻きたちが話についていけない中で、クモワース1人だけが盛り上がっていた。
「いくらチビ教師が強いといっても、【剣王】に勝てないだろう。くっはっはっはっ!」
「さすがクモワース様です」
「あったまいい!」
「だろ? だろ!?」
調子に乗ったクモワースは並々と注がれた林檎ジュースを一気に呷る。
そしてむせるのだった。
◆◇◆◇◆ 次の日 ◆◇◆◇◆
いよいよ決闘が始まろうとしていた。
時間は放課後。王都の森の奥。他に人の気配はない。
いるのは、僕とレーネル、リーリス、ユラン、クモワースとその取り巻きの2人。そして少し離れた場所から、ナーエルが僕たち……というよりは、レーネルのことを心配して、見守っていた。
レーネルの手には木刀が握られている。
【剣王】だけあって、彼女は剣での決着を望んでいた。
それに僕も答える。
「というわけです」
「なるほど。やっぱりクモワースくんの仕業か」
「ルーシェル、この決闘今なら」
「やめないよ」
「え?」
「僕もそうだけど、多分レーネルはそれだけじゃないと思うから」
そして彼女の悩みを受け止められるのは、この世で僕しかいないと思うから……。
「時間だぞ、お前ら」
審判役のクモワースが手に持った懐中時計をしまう。
僕とレーネルは向かい合う。
お互い木刀の切っ先を向けた。
始め!!








