第191話 ルーシェル、決闘を申し込まれる
「いやああああああああ! ルーシェル・グラン・レティヴィアにいじめられるぅううううううううう!!」
ジーマ初等学校の中庭に、少女の悲鳴が響いた。
声を聞いて、生徒たちの視線が僕と、幼気な少女に集中する。
僕から見れば、突如横合いからぶつかられただけだ。
お互いの不注意を謝ってすむ状況なのだけど、今は違う。
噂のこともあってか、僕に良くない視線が向けられる。
それが全くの誤解であってもだ。
「あれって、確か平民の娘だろ」
「ああ。成り上がりの商人の」
「それが公爵家の息子に……」
「ひどい」
ひそひそ声があちこちから聞こえてくる。
どうやら、僕にぶつかった少女は平民の娘らしい。
公爵家の息子が平民の娘をいじめている。
学校では良くあることでも、僕の心はざわめく。
嫌な予感は当たった。
「おいおい。公爵家のご子息様が幼気な平民の娘をいじめてるぞ」
「く、クモワース」
そう。クモワースだ。
いつも通り取り巻きを従え、我が意を得たりとばかりに笑っている。ぴんと来た。どうやらこの茶番は彼によるものらしい。
ということは、この子もグルなんだろうか?
「クモワース……。君の悪戯かい? 今回は随分と姑息な手段をとってくれたね」
「おれは何もしてないぜ。ただ目撃しただけ。公爵家のご子息様が平民の子どもをてごめにしようとしているのをな」
「手籠めって……。君、意味をわかってて使っている?」
ちなみに僕は本の知識で知っている。
よく悪党が使う言葉だ。
「話を逸らすなよ、チビ教師。それにしても噂は本当だったとはな。もしかして他にも被害者がいるんじゃないのか?」
「ルーシェルは彼女をいじめてなんかいませんよ!」
ピシャリと言ったのは、横で聞いていたリーリスだ。
普段優しげな瞳は、今は吊り上げり、怒りを露わにしている。
その迫力に珍しくクモワースが戸惑っていた。というか、ちょっと顔が赤い?
「お、お前はなんだ?」
「リーリス・グラン・レティヴィアです」
「レティ……じゃあ、お前も」
「ここにいるルーシェルと一緒。レティヴィア公爵家の娘です」
「レティヴィア…………公爵……。一緒? お、お前、こんなかわい――――じゃない! こんな女と一緒に住んでるのか?」
なんか流れが変わったぞ。
クモワースの様子がおかしい。
最初出てきた時の勢いがない。それは僕だけじゃなく、後ろにいる取り巻きたちも気づいたらしい。そっちもなんだか、クモワースの様子に戸惑っている様子だった。
「ナーエル!!」
鞭を打つような声に僕だけじゃなく、周りにいる全員が思わず肩を竦めた。どうやら、ナーエルというのが僕にぶつかった少女の名前らしい。
目尻を吊り上げ、猪みたいに迫ってきたのはレーネルだった。
馬乗りになった僕を突き飛ばす。
すごい力だ。
「大丈夫、ナーエル? 怪我はない?」
「れ、レーネル?」
どうやら2人は知り合いらしい。
確かレーネルは伯爵家だったはず。
平民と伯爵家の子女なんて珍しい組み合わせだ。
「だ、大丈夫だよ」
「良かった」
心底ホッとした後、レーネルは立ち上がった。
耳と尻尾がぴんと立っている。当然視線も鋭い。
飢えた狼と対峙しているかのようだ。
「ナーエルに何をしたの?」
「僕は何も――――」
「その娘をいきなり押し倒したのさ」
調子が戻ったクモワースはヘラヘラと笑いながら、レーネルに言った。
「本当なの、クモワース。嘘だったら、あなたでも承知しないわ」
「え? ほ、ホントだって! お前らも見てたよな」
クモワースが同意を求めたのは、取り巻きだけじゃない。
周りの生徒もだった。
生徒たちは戸惑いながらも、頷く。
僕としては認めたくないけど、そういう風に見えたかもしれない。
ナーエルさんが頭をぶつけないようにしただけなんだけど。
流石に子どもにはわからないか。
「ナーエル、どうなの?」
「そ、その…………」
レーネルに詰問されて、ナーエルは一瞬逡巡する。
しばし僕とクモワース、そしてレーネルの順に見つめた後、黙って頷いた。
「決定ね」
「レーネルさん、ルーシェルはそんなこと……」
「リーリスさんだっけ? あなたは黙ってて。これはボクとこのケダモノの問題だから」
リーリスの制止を遮り、レーネルは懐に手を伸ばす。
取り出したのは、真っ白な手袋ならぬ、ハンカチだ。
それをボクの方に投げつけた。
「これは?」
「あなたも貴族なら知ってるでしょ? 決闘の作法よ。本来は手袋を投げるんだけど。その代用」
「それは知ってる。本気なの、レーネル?」
「教師だからといって、気安くボクの名前を呼ばないで。爵位はそうでも、君はボクより年下で下級生なんだから」
「ご、ごめん」
本当は君よりずっと年上なんだけどな……。
「それで決闘を受けるの?」
「昔ならともかく受けないよ。それに僕たちは子どもだろ?」
「代役が必要というなら構わないよ。でも、多分ボクも君も必要ないと思うけど」
レーネルは本気で僕と決闘したいらしい。
そんなに彼女にとって、ナーエルという少女は大事な友達だったようだ。
「何をニヤニヤしてるの?」
「いや、その……授業では1人で孤独な君にも大事な友達がいたんだなって」
「舐めてるの、ボクを!」
レーネルは激昂する。
顔は真っ赤になっていた。
これは僕の推測だけど、彼女が顔を真っ赤にしているのは、きっと僕に対する怒りだけじゃないような気がする。なんというか、声に最初の頃の迫力がなかったというか。彼女自身も戸惑っているというか。
「答えなさい。決闘受けるの、受けないの?」
レーネルは視線で僕を突き刺してくる。
横を見ると、クモワースが笑っていた。
これが彼の望んだ展開なのかどうかわからないけど、本人にとってはさぞかし面白い事態なのだろう。
けれど、この状況は僕にとっても都合のいいことでもある。
「わかった。受けるよ、決闘」
「る、ルーシェル!」
「大丈夫だよ、リーリス。僕を信じて」
目で合図を送ったけど、心配性のリーリスの手はまだ少し震えていた。
「見事な意気込みだね、ルーシェル・グラン・レティヴィア」
「君が無理やりそうさせたじゃないか。それで君は何をかける?」
「何を?」
「何をとぼけているんだい、レーネル。決闘は誇りと、そして利益を賭けて戦うものだよ。ただ戦うだけなら喧嘩で決着をつければいい」
「喧嘩……。意外と好戦的なんだね、先生」
「君に先生って初めて言われたような気がするよ。それで?」
「2度とナーエルに近づかないこと。そして彼女を巻き込まないこと」
「わかった」
「ルーシェル、君はどうするの?」
「僕の言うことをなんでも1つ聞いてもらう。それでどうかな?」
「それでいい。今日の放課後。場所は王都にある慈しみの森の奥で」
王都には憩いの場としては、森林が存在する。
僕が住んでいた森よりもずっと小さいけど、森の奥に行けば野生動物や低レベルだけど魔獣もいる。だから人気はあまりない。
「うん。わかった。介添人はそうだな、クモワース。君に頼もう」
「おう! いいぜ! お前らの決闘、おれが見届けてやるよ」
クモワースは偉そうにふんぞり帰る。
すると、ちょうど昼休みの終了を告げる鐘が鳴った。
「今度は森の中で逃げ回らないでね、先生」
そう捨て台詞を残して、レーネルはナーエルと一緒にその場を後にする。それを追いかけるように、クモワースたちも悪態を吐きながら、中庭から校舎へと入っていった。
他の生徒たちも一斉に校舎の方に戻っていく。
中庭に残ったのは、僕とリーリスだけだ。
「いいのですか、ルーシェル。決闘なんて」
「大丈夫。僕が強いと言うことは、リーリスも知ってるでしょ?」
「はい。でも、レーネルさんは」
「この決闘はね。レーネルにとっても、僕にとっても大事なことなんだ」
「レーネルさんにとっても、ルーシェルにとっても? どう言うことですか?」
「決闘が終わったら教えてあげる。さあ、僕たちも行こう。教室に遅れてしまうよ」
僕はリーリスの手を引く。
「あ。そうだ。ありがとうね、リーリス」
「何がですか?」
「僕を庇ってくれて。周りは全員僕を疑ってたのに」
「当たり前です。さっきも言いました。ルーシェルはそんなことをする人じゃない。そんなことをするぐらいなら」
「するぐらいなら?」
「おいしい料理のことを考えているはずです」
リーリスは花のように笑う。
良かった。リーリスが学校にいて。
色んなことを学んだり、体験することも嬉しいけど。
僕の側で、僕を信じて大切にしてくれる人がいる。
それが何より、300年前実現できなかった学校生活を楽しむことができてる要因なのだと思う。








