第180話 ルーシェルの感動
僕を教室まで案内してくれたのは、ゾーラ伯爵夫人だった。
司祭長室では最初邪険にされていた僕だけど、今は違う。
態度が180度変わったのは、どうやらゾーラ伯爵夫人のお肌に理由があるらしい。
スライムで作ったスキンクリームを渡してからというもの、「ゾーラ司教長、最近変わりましたね」「お若く見えます」「何か秘密でも?」と若い教諭を中心に褒められたそうだ。
事実、ゾーラ伯爵夫人の肌つやは以前会った時よりも断然よくなっていた。艶と張りがあり、まさに玉のような肌になっていた。最近では、婿養子との旦那さんとも仲が良くなっているらしい(それを父上と母上に話したら、2人とも顔を赤くしながら笑っていたけど)。
いずれにしろ司教長がバックアップしてくれるのは、とても心強い。
ジーマ初等学校は自由な校風を売りにしながら、やっぱり封建的な部分がある。貴族の子息や令嬢はやはり階級に傘を着て、偉そうだし、どうやらそれが教師であっても態度を変えない子どももいるそうだ。
「そういう時、どうするんですか?」
「最悪の場合、ご父兄にご連絡を差し上げることになります。とはいえ、相手は貴族です。多額の寄付を寄進をされていると、こちらとしても強く出ることができないことが現状ですわ」
名門といえど、ジーマ初等学校は貴族の寄付によって運営されている。食堂でお腹いっぱい食べられるのも、そうした貴族の尽力のおかげだ。
どうしても爵位を見て、顔色を窺ってしまうのは致し方ないかもしれない。
複雑な事情を教えてくれたゾーラさんは最後には胸を張った。
「安心して。ルーシェルくんはあたくしが守ってみせるわ」
「あ、ありがとうございます」
いよいよ教室の前にやってくる。
まずゾーラさんが教室に入ろうとしたのを、僕は止めた。
教室のドアが少しだけ開いていて、そこに黒板消しが挟まっている。
それを見たゾーラ夫人は息を吐く。
「は~。ホント子どもってこういう悪戯が好きね。バレないと思っているのかしら」
「待ってください、ソーラ夫人」
「どうしたの、ルーシェルくん?」
「そのままにしていてもらえないですか?」
僕は真剣な顔でゾーラ夫人に頼む。
ただならぬ雰囲気を察してくれたらしく、「どうぞ」と譲ってくれる。
引き戸に手をかけ、開いた。当然、僕の頭に黒板消しが落ちてくる。
白いチョークの粉がついた黒板消しは頭に当たると、白い粉が舞い上がった。
僕の頭が真っ白になる。
「ルーシェルくん!」
ゾーラ夫人の顔が真っ青になっていく。
対する教室からはゲラゲラと笑い声が響いてきた。
如何にも貴族の息子という金髪の少年が、僕の真っ白な頭を指差して笑っている。
さて、僕はというと震えていた。
「おい。見ろ、あいつ泣いてるぞ」
「先生が泣いてていいんですか?」
「調子に乗ってるからだ」
悪童たちは悪びれることなく、罵詈雑言をぶつけてくる。
子どもたちの中には「かわいそう」と擁護する子どももいたけど、僕の醜態を見て笑っている生徒たちがほとんどだった。
「……やった。やったぁぁぁああああああああ!!」
「あ?」
「ルーシェル…………くん……?」
突然飛び上がった僕に、悪童たちもゾーラ夫人も目を点にする。
僕はと言うと、ピョンピョンと跳んで喜ぶ。
そう。僕は喜んでいたのだ。
「ルーシェルくん、どうしてそんなに喜んでいるの?」
「だって、夫人! これが学校の醍醐味じゃないですか?」
「え?」
「ジーマ初等学校に来て、なんか違うなって思ってたんです」
「ち、違うとは?」
「ここの生徒はとっても良い子ばかりなんですよ。特に僕の周りには、いい人ばかりで。でも、こうやって悪戯をしかけてくる子はいなかったんです」
まあ、尻尾で僕を本気で殴ってくる子が若干1名いるけど。
そういうイレギュラーは1つ置いておいて。
「だから、こうやって白い粉がついたわかりやすい罠に引っかかるのが夢だったんです」
300年前、僕はとんでもない親の元にいた。
その親の下で、学校にも行かず、真夜中まで修練と勉強の日々。
屋敷の前を馬車で走っていく学校の生徒たちを見送ることしか僕はできなかった。
羨ましかったのだろう。だから、僕は学校がどんなところか調べた。
隅から隅までだ。その文献というか、大衆読み物の1つに黒板消しを落とされる教師の話があったのだ。
今、その大衆読み物で見た世界に僕はいる。
ジーマ初等学校に来て、どこかピンとこないところがあったけど、今のでやっと学校に来たっていう実感が沸いたような気がする。
「なんだよ、それ」
「強がってんじゃないぞ」
「真っ白お化け」
おっと。さすがにチョークの粉を被ったままで教師をするわけにはいかないね。
僕は【収納】を使う。突然僕が魔法を使ったものだから、一時的にわっと教室が沸いた。その反応を無視して、僕は【収納】の中を漁る。拳4つ分ぐらいの大きさの綿を取り出し、僕の頭に乗せる。
取り出した物を見て、また悪童たちは笑った。
「あいつ、何をしてるんだ?」
「綿飴なんか取り出して、お腹でもすいたのか?」
「おいしそう……」
僕の突飛な行動にゾーラ夫人が声をかけてくる。
「ルーシェルくん、それは?」
「シャンプーグモです。これを頭に被ると、頭の皮脂やケジラミ、とにかく頭についた汚れをとってくれるんですよ。山で生活してる時は重宝しました」
「え? シャンプー……グモ……? それ、昆虫なの?」
「あ。すみません。これは僕が勝手に名付けた名前ですね。学名はクラウドスパイダーといいます。E級の魔獣ですね」
すると、教室は凍り付いた。
えええええええええええ!! 魔獣ぅぅぅぅううううううう!!!!
絶叫する。
皆が驚き慌てふためく中、おもむろに頭の上のクラウドスパイダーを取る。
すると、サラサラツヤツヤの髪が現れる。思わず見惚れる髪に、ゾーラ夫人も生徒たちも驚いていた。
肩についた粉を払い、僕は教壇に上る。
目を点にした生徒たちを見ながら、精一杯の笑顔を振りまいた。
「ルーシェル・グラン・レティヴィアです。今日からこのクラスの魔獣生物学を教えることにしました。若輩ものですが、よろしくお願いします」
僕は昨日練習した挨拶を、上級生たちの前で決めるのであった。








