第163話 そして春はやってくる。
ミリオンスノウのステーキに加えて、僕が用意したのは、熟成ソース煮込みだ。
ソースは以前、煮込みハンバーグを作った時に使ったソースをベースにして煮込んである。魔草と魔樹の実を熟成させたソースだね。
まず塩、コショウ、小麦粉をまぶしたお肉に焼き目が付くぐらい強火で焼いて、その肉汁とバターで玉葱を炒める。
炒めた玉葱に先ほど焦げ目を付けたお肉を入れて、葡萄酒、水、コショウ、塩、そして僕が以前作った熟成ソースを入れて煮込んで概ね完成だ。
「聞くだけでうまそうだな」
フレッティさんはもう熟成ソース煮込みを食べたかのように、頬を緩める。
その横でリチルさんが、湯気から漂う香りを楽しんでいた。
「いい香り……」
「煮込みハンバーグを思い出すわねぇ」
「うむ。あれも絶品だったな」
クラヴィス父上とソフィーニ母上が想いに耽る。作ろうと思えば、ハンバーグもできないわけでじゃないんだけど、個人的にこの肉は煮込みで食べてほしいと僕は考えた。
一応、その理由もある。
カーゼルス伯爵とアプラスさんは、見慣れない色のソースがかかった料理に目を瞬かせていた。
カリム兄さんに促され、2人は恐る恐る口に入れる。
「おお!!」
「ううん!!」
2人は反射的に目を合わせる。視線でそれぞれの料理の感想を言いながら、咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。
うまい!!
仲良く声を揃えた。
「ルーシェル殿、これは本当に先ほどと同じミレニアムスノウのお肉なのですか?」
カーゼルス伯爵の質問に、僕は口元を緩めると、大きく頷いた。
「ええ。間違いなく、ミレニアムスノウのお肉ですよ」
僕は答えるけど、伯爵は全然信じられないらしい。しばし、ナイフとフォークをクワガタムシみたいに構えながら、皿の上の肉煮込みを睨んでいる。
「信じられない」
「ええ……。お肉はとっても軟らかい。さっきのステーキも十分軟らかかったけど」
「ああ。軟らかさの質が違う」
お肉をフォークで刺し、カーゼルス伯爵はしげしげと眺める。
横でアプラスさんがもう一口食べると、嬉しい悲鳴を上げた。
「不思議……! ステーキの時も溶けるって感じだったけど、こっちは解けるって感じ」
「ああ。噛んだ瞬間、肉の結び目が切れて、ほどけるような感触がある」
「そこから溢れてくるお肉や木の実の旨み……」
「微かに残った葡萄酒の酸味もあって、しつこさがなくさっぱりとしている」
カーゼルス伯爵とアプラスさんは、先ほどよりも入念に咀嚼する。
まるでそのおいしさを、2人して読み解いているかのようだった。
「ルーシェル、葡萄酒は大丈夫でしょうか?」
リーリスが質問する。
実は、味付けを手伝ってくれたのは、リーリスだったりする。
「大丈夫だよ。時間をかけて煮込んだからね。酒精は抜けているから安心して」
「なら、大丈夫ですね」
リーリスはスプーンでお肉をすくうと、お肉と一緒に食べる。
こちらも頬を膨らませていた。
ソフィーニ母上や、クラヴィス父上にも好評らしい。
「お肉もおいしいけど、この熟成ソースもいいわね。以前、ルーシェルが教えてくれた魔草や魔樹の木の実を熟成させたお出汁部分に長所があるのでしょうけど、あたくしはこのちょっぴり苦みがあるところが、肉汁の旨みとあってて好きよ」
「まろやかな舌ざわりもいいな。私も今回のソースが好きだ」
「ありがとうございます、母上、父上。ベースは母上が仰った例の熟成させたものなのですが、今回は少しだけ隠し味を追加しました」
「隠し味?」
「蜂蜜です」
「まあ! 蜂蜜!」
「最後に蜂蜜の甘さだけではない、コクととろみをプラスしてあります」
「なるほど。ただ苦いだけではないのか。これはもはや魔獣料理として感心できるもんではないな」
カーゼルス伯爵は腕を組んで頷いた。
そこにアプラスさんも同調する。
「ええ。料理としての完成度も高い。素晴らしいです、ルーシェルくん」
「レティヴィア家の料理人たちが凄いんです。本当に凄い人ばかりなんですから」
今回のミレニアムスノウの肉煮込みだって、ソジールさんやヤンソンさんの技術を見て思い付いたものだ。
ステーキの時も、リーリスからハーブをもらった。
この料理たちと、ここにいる人たちのお腹を満足させているのは、僕の技術や用意した魔獣の肉だけじゃない。
レティヴィア家で培ったものが、今目の前にいる人たちを幸福にしているんだ。
多分、ずっと山の中にいたら、僕は何も知らないまま、自分の料理に没頭していただろう。
300年という歴史は確かに長いかもしれない。
でも、人ひとりが得られるものなんてどれだけ時間をかけようが些細なものだ。
「クラヴィス父上……」
「ん?」
「ありがとうございます。僕を救ってくれて」
「なんだ、突然……」
「理由はないです。ただ……そう突然言いたくなったのです」
「……よい。私もルーシェルがいてくれてよかった。寒い冬の日でも、こうして家族と笑顔で過ごすことができているのだからな」
クラヴィス父上の言葉に、皆が頷く。
その中で、アプラスさんだけが俯いていた。
「私も馴染めるでしょうか。ルーシェルくんのように……」
「慣れるとも」
クラヴィス父上は深く頷く。
すると、カーゼルス伯爵が震えるアプラスさんの手を取った。
「私は生涯この肉煮込みを忘れない」
「カーゼルス伯爵……?」
「この料理の温かさと同じくらい、温かい家庭を作りたい」
「カーゼルスったら……」
アプラスさんが頬を染める。
言ったカーゼルス伯爵も照れていた。
そんなホクホクのカップルを見て、リチルさんが眼鏡を曇らせる。
「もうそれ以上、熱くなってますよ」
ドッと笑いが食堂に巻き起こる。
最初は戸惑っていたカーゼルス伯爵とアプラスさんだけど、最後は笑っていた。
おいしく、そして心まで温まる食事会は、少し遅くなるまで続いた。
3週間後……。
カーゼルス伯爵とアプラスさんの結婚式が行われた。
貴族の結婚式としてはとても小規模で、近親者と領地の代表者だけで行われた。事情を知る僕とレティヴィア家の家族全員も招待された。
小規模で行われたのは、カーゼルス伯爵の前妻に配慮したからだ。それでも向こうの親族からは「気にしないでいい」と言われたようだけど、カーゼルス伯爵自身が固辞したという。
たぶん年齢的な部分もあったのだろう。
結婚式は地味だったけど、白いウェディングドレスを着たアプラスさんはとても幸せそうだった。常にカーゼルス伯爵と腕を組んで、仲睦まじい様子だった。
そんな2人を見て、ハンカチを噛んで涙を流していたリチルさんだ。
まるで母親? あるいは親戚のおばさんみたいに、アプラスさんの花嫁衣装を見て泣いている。
「カーゼルス伯爵、アプラスさ……伯爵夫人。ご結婚おめでとうございます! これは僕からのささやかなお礼です」
僕は用意した幕を引くと、大きなウェディングケーキが現れる。
「おお!」
「まあ……。素敵」
新郎新婦は目を輝かせた。
「これはルーシェルくんが作ったのかい?」
「ありがとう、ルーシェルくん」
「リーリスにも手伝ってもらいました。入刀した後、是非食べてみてください」
「君のことだ」
「きっとおいしんでしょうね」
2人は僕が作ったケーキにナイフを入刀する。
拍手が鳴り響き、お祝いの言葉が飛ぶ。
そしてお髭にクリームをつけながら、カーゼルス伯爵はアプラスさんに食べさせてもらっていた。
「はい。あーん、ですよ。カーゼルス」
「いや、アプラス。私はもう10歳ではないのだぞ」
カーゼルス伯爵の照れた顔が印象的な結婚式だった。
◆◇◆◇◆
あれ程、領地に甚大な被害を与えた雪が溶け始め、陽光が温かくなってくる。
今朝、庭を散歩していたら、新芽を見つけた。次の季節が来る息吹だ。
春になれば、いよいよレティヴィア家に来て、1年になる。
色々忘れられないことばかりだ。
さて暖かくなってきて、カーゼルス伯爵の結婚式ぐらいまで寝ていたユランがようやく起きてきた。
その前には、ミルディさんも目を覚まし、今は騎士団の仕事に追われている。
「ずるいぞ、ルーシェルばっかり! 我もミレニアムスノウのステーキが食べたい!」
「仕方ないだろ。君は冬眠中だったんだから」
「おのれ! これも氷の精霊せいだ。今度会ったらとっちめてやる!」
もし、氷の精霊は本気を出したら、また君は冬眠をしてると思うけどね。
気勢を吐くユランを見ながら、僕はため息を吐く。
いよいよ春という時になって、僕は父上に呼ばれた。
書斎に行くと、何か仕事をしている。
僕に気づき、顔を上げると、眼鏡を取った。
「お呼びでしょうか、父上」
「うむ。そこに座って、ルーシェル」
「はい」
書斎のソファにちょこんと座る。
クラヴィス父上も向かいのソファに腰を下ろした。
「レティヴィア家に来て、もうすぐ1年になる。屋敷の生活には慣れたか?」
「おかげさまで。皆さん、よくしてくれましたし。割とすぐに馴染めました」
「そうか。それは良かった。……ふむ。まあ、よかろう」
「父上……?」
クラヴィス父上は少し考えた後、僕にこう切り出した。
「単刀直入に言う……」
ルーシェル、学校に行くつもりはないか?








