第162話 ミレニアムスノウステーキ
早速、ミレニアムスノウのステーキ作りに取りかかる。
すでに余分な水分やドリップは取り除いてある。
僕は塩を軽く振って、すぐに焼き始めた。
「ここのステーキの焼き方を覚えたな、小僧」
「はい。勉強になりました」
僕は今まで塩を振った後、浸透するまで焼かなかった。でも、レティヴィア家の炊事場では違っていて、塩を振った後、すぐに焼くのだ。
塩が浸透すると余計な水分が出て行ってしまうからである。
300年生きてきて、それなりに料理の研究をしてきても、まだまだ教わることがいっぱいある。
レティヴィア家の炊事場は僕にとって、最高の学舎なのだ。
マウンテンオークの時のように弱火でじっくりと火を入れ、何度かに分けて、肉を休ませていく。
そこに僕は追い油に、羊酪、ハーブ、胡椒、大蒜を入れて、香り付けしていった。
爽やかなハーブの香りが、鼻腔を通って空のお腹の中にたまっていく。さすがにそれでお腹いっぱいとはならない。むしろ余計にお腹が空いてきてしまった。食べるのが楽しみだ。
「リーリス、ハーブをありがとう。とってもいい香りだよ」
「お肉料理に合うハーブを、ソンホーに教えてもらって、育てていたんです。気に入ってもらえて嬉しいです」
リーリスは花のように笑う。
なるほど。ソンホーさんに教えてもらったのか。育てたリーリスも凄いけど、そういうハーブのことも知っているソンホーさんは凄いや。
平鍋の中で肉汁と、先ほど入れた羊酪と橄欖油が交じり合い、こちらも食欲が増しそうな香りが漂ってくる。
何よりミレニアムスノウの焼ける匂いも香ばしく、思わず唾を飲み込んでしまった。
「味付けはシンプルにしよう」
僕は【収納】から調味料を取り出す。
真っ黒な液体が入った瓶を見て、ヤンソンさんは眉根を顰めた。
「魚醤? それにしたって、液が濃いような」
「こっちは豆で作った醤油です。それもスタミナ豆で作った」
『スタミナ豆で作った醤油!!』
豆から魚醤のような独特の塩っぱさがある調味料が作れることは、以前話した。
これはスタミナ豆で作った醤油だ。
大豆で作る醤油とは違って、短時間でとても濃い味を出すことができる。
「お肉にはこの醤油が最適ですよ。お肉の旨みや脂に味が負けないので」
スタミナ豆で作った醤油に、橄欖油を入れ、さらに酸味をつけるために檸檬汁と檸檬の皮を擦ったものを入れる。最後にお肉を休ませていた時に出た肉汁を加えると、ソースの完成だ。
「そして、最後にお肉にしっかり焼き目を入れて……」
ミレニアムスノウのステーキの出来上がりだ。
◆◇◆◇◆
食堂に行くと、すでに用意は調っていた。
僕の今の家族、フレッティさん、リチルさん、そしてカーゼルス伯爵とアプラスさんが席についている。僕が料理を運んでくるのを待っていたらしい。
「待ちくたびれたよ、ルーシェル。もう少しでお腹と背中がくっつきそうだった」
カリム兄さんが珍しく表情を歪めて、辛抱たまらぬという感じでお腹を撫でていた。
お茶目なカリム兄さんの姿に、横で給仕を手伝ってくれたリーリスがクスリと笑う。
僕は給仕さんと手分けしながら、ミレニアムスノウのステーキがのった皿を配る。銀蓋に隠れていても、漂ってくる芳醇な香りと、ハーブの爽やかな香りはなかなか隠せるものはない。
「では、どうぞ。ミレニアムスノウのステーキをお召し上がりください」
一斉に銀蓋が開かれる。すでに鼻腔を刺激していた香りがより一層強くなり、食堂で渦を巻いた。
「おお!!」
「まあ、これが……!」
「ミレニアムスノウのお肉??」
「綺麗……」
「魔獣の肉とは思えませんな」
「食べるのが勿体ないぐらいだ」
十人十色――様々な反応を見せるけど、みな魔獣食と聞いても、顔を顰めたりはしない。
僕の家族はともかく、カーゼルス伯爵やアプラスさんにも好感触のようだ。
早速、ナイフとフォークを使って、実食を始める。
すでに例のソースはお肉かけ、その上から黒胡椒を軽くまぶしてある。
『いただきます!』
気持ちいいぐらい声が揃う。
皆が一斉にステーキを口の中に運んだ。
食堂にしばし咀嚼音が響く。
カーゼルス伯爵もアプラスさんも、初めてのミレニアムスノウのステーキを慎重に食べている。
やがて神妙な表情は驚きに代わり、驚きは歓喜へと変わっていった。
『おいしいいいいいいいいいい!!』
カーゼルス伯爵とアプラスさんは絶叫する。
2人だけじゃない。家族も「んんんむふうううう!!」と笑顔を浮かべていた。
それでも1番驚いていたのは、カーゼルス伯爵だ。
「うまい……。とても魔獣の肉とは思えないおいしさだ」
「お肉がとても軟らかいですね、カーゼルス」
「ただ軟らかいだけじゃない。程よい弾力と、噛み応えがあって、上質な牛肉を食べているかのようだ」
「噛むと溢れてくる肉汁もいいですよ。ちょうどいいぐらいに甘くて……。こんなお肉食べたのは初めてですよ」
「かかっているソースもいい。肉汁に負けない塩っぱさと、独特のコク。これは魚醤ではないな」
「はい。柑橘系の酸味が爽やかな後味を演出してくれるのが、またお洒落です」
カーゼルス伯爵はもう一切れ肉を切る。
「この断面も本当に魔獣の肉とは思えない。焦げ目のついた外側のカリカリに対して、中心の身はほんのりと赤く、肉汁で輝いている」
「漂ってくるハーブの香りもいいですね」
アプラスさんの言葉に、リーリスは照れくさそうに頬を染めていた。
ともかく2人にも好評で良かった。
特にアプラスさんにはこれからも食べてもらわなければならないしね。
「アプラスさん、体調はどうですか?」
「おかげさまで、とっても元気になりました」
「本当か、アプラス」
「こんなにおいしい料理を作ってくれた小さな料理人の前で嘘なんてつけないわ、カーゼルス。こうやって胸に手を当てるとわかるの。強い魔力が身体の中で循環しているのを」
アプラスさんは胸に手を置き、循環する魔力の流れを感じ取ろうとする。
魔獣食はその効果に目が行きがちだけど、他の生物と比べても魔力を多く含んだ魔獣の肉は、魔力の摂取としてとても理想的なものだ。
魔力が溶けた液体である魔力回復液も、魔力を回復する手段だけど、それだけじゃなく高い栄養価を同時に摂取できるのも大きい。
直接魔力を飲むわけでもないから、薬で飲むよりも安全で、依存性も少ない。
何より食事としてみんなで食べる方が精神的にもいいしね。
問題は、魔晶石を潰さないように魔獣を食べるのが難しいってことだけど。
「ふう……。満足した…………と言いたいところだけど、ルーシェルのことだ。これだけじゃないんだろ」
「恐れながら、私ももうちょっと食べたいかもしれない」
カリム兄さんがニヤリと笑えば、フレッティさんも口元を拭いながら手を上げた。
……2人とも食いしん坊なんだから。
けれど、今回の影の功労者は間違いなくフレッティさんとカリム兄さんだ。
2人の労をなぎらうためにも、もう1品必要だよね。
「心配しなくても、用意してますよ」
『おお!』
2人だけじゃなく、クラヴィス父上も身を乗り出す。
どうやらみんな、もう1品ほしいようだ。
「では運んできてください」
レティヴィア家のメイドたちが荷車を引いてやってくる。
その上には大鍋があって、芳醇な香りを吐き出していた。
皿に盛り、皆の前に置く。
サイコロ状に切ったミレニアムスノウの肉に、濃厚なブラウンのソースがかかっていた。
「これはもしかして……」
「ハンバーグに使っていた」
「魔樹の実と魔草を熟成させたソースですね」
ブラウンのソースを見て、ピンと来たようだ。
「はい。ルーシェル特製ミレニアムスノウ肉の熟成ソース煮込みですよ」








