第152話 贖罪だけじゃない!
とてつもない轟音とともに、神殿から現れたのは、氷の大蛇だった。
黄金色に輝く目を細め、時折赤い舌を出して威嚇する。
その鱗は氷でできていて、まさに背筋が寒くなるほど美しく輝いていた。
精霊ということを加味しても、その巨大さには圧倒される。
まさに山そのものと相対しているかのようだった。
その氷の精霊に追いかけられながら逃げてきたカーゼルス伯爵は、アプラスさんを背にして剣を構える。
英雄譚の主人公がお姫様を庇うような姿に、リチルさんは目を輝かせるけど、事態はそう単純なものではなさそうだ。
「さあ、私は精霊人にしろ。氷の精霊よ」
カーゼルス伯爵から飛び出した言葉に、僕はもちろんカリム兄さんたちも驚いた。
冗談にすら聞こえる言葉だったけど、カーゼルス伯爵の表情を見れば、本気であることは一目瞭然だった。
何より氷の精霊が怒っている。
精霊に何をしたのか知らないけど、このままではカーゼルス伯爵もアプラスさんも危ないことだけはわかった。
「カーゼルス殿! これは一体!!」
「カリム殿! 心配無用だ」
「しかし、明らかに精霊が怒っている。説明をしてもらわなければ、僕も動けない」
「動かなくて結構。これでいいのです。私は精霊の怒りに触れた。そして、今まさに精霊人として己の身を差し出しているところです」
「な! そんな無茶な!」
「無茶は承知だ。だが、もはやこれしか方法はない。彼女を、アプラスを精霊として解放するためには!」
「しかし、それではカーゼルス殿の身が!」
「カリム殿……。あなたならわかるはずだ。そこにいるルーシェル少年を受け入れたあなたたちなら」
「え? 僕?」
いきなり自分の名前を出されて、僕は戸惑う。
「あなたたちは山に囚われたルーシェル君を助けた。一緒に行動してわかった。彼は普通のただ物知りな少年でないことを。おそらくその価値はアプラスと変わらぬものなのだろう」
カーゼルス伯爵……。
たった2日、行動をともにしただけで、僕の正体を見抜くなんて。
気を付けていたけど、すごい洞察力だ。
「クラヴィス殿と、私は違う。それでも、私も救いたい。クラヴィス殿がルーシェルくんを救ったように、私もまたアプラスを解放したい。たとえ、精霊の怒りに触れようとも、そしてこの身が人でなくなったとしても! 私はアプラスを解放する。彼女に人間らしい生活を取り戻してほしいと思っているからだ」
「カー……ゼルス……様……」
話を聞いて、一番衝撃を受けていたのは、アプラスさんのように見えた。
だが、その訴えも虚しく、氷の精霊は動く。
ゆっくりと鎌首をもたげると、口を開いた。
吐き出されたのは、真っ白な吹雪だ。
ユランのホワイトブレスもかくやという強烈な雪の飛礫が、カーゼルスさんとアプラスさんに襲いかかった。
ドンッ、という音が、お腹の底にまで響く。
瞬間、立ち上ったのは雪の柱だ。
それと同時に、赤い炎の柱もまた『氷魔の渓谷』に立ち上る。
自然現象では起こりえない強烈な吹雪から、カーゼルスさんとアプラスさんを守っていたのは、炎そして風だった。
2人の前に立ったのは、勇猛な2人の勇者だ。
「フレッティさん! カリム兄さん!」
フレッティさんはフレイムタンを振るい、カリム兄さんは風の精霊と協力して、吹雪を押しとどめている。
僕は精霊の途方もない力を知っている。
確かに2人とも精霊の力を使っているわけだけど、精霊そのものの受け止めることは簡単なことではない。
フレッティさんにしても、カリム兄さんにしても、魔力の総量が他と違う。それはおそらく魔獣料理によるものだろうけど。
事実、氷の精霊は驚いていた。
自分の力を契約者とはいえ、せき止められたのだ。
だが、その2人の登場に1番驚いていたのは、当のカーゼルス伯爵だった。
「お二人とも、何故……?」
「決まっています。あなたの気持ちがわかるからです!!」
フレッティさんは叫んだ。
「初めてルーシェルくんと会った時、彼は人のぬくもりすら知らない子だった。私が抱きしめただけで、彼は泣きました。魔獣の前では勇敢で、様々な知識で我々の度肝を抜かせてくれる少年が、たったそれだけのことで心が折れたのです」
「父はそれを聞いて、ルーシェルくんを救うことを誓いました。僕も同じ気持ちでした」
「それはルーシェルくんにとって見れば、迷惑なことだったのかもしれない。彼はそれまで何の不便もなく生きてこれたのだから」
「でも、父上は言いました」
『人との関わりなくして、それは果たして生きているということになるだろうか』
クラヴィス父上の言葉を引用しながら、カリム兄さんは続けた。
「その答えは、僕にはわかりません。何か正しいかなんて、おそらく父上もわかっていないでしょう。だからこそ、父上は、僕たちは、ルーシェルとともに人生を歩むことを決めた。ルーシェルの人生に、僕たちレティヴィア家の家族がかかわると決めたのです」
人の人生にかかわることは難しい。
僕のように置かれた立場において、何の不自由も感じていないなら当然だ。
今の生活が当たり前だと受け入れているならば、尚更かもしれない。
問題があることにすら気づかないだろう。
僕もそうだった。
クラヴィス父上や、フレッティさんとかかわることによって、自分の歪さをようやく知って、僕はレティヴィア家にお世話になることを決めた。
確かにアプラスさんの生き方は、精霊の花嫁として間違っていないかもしれない。
彼女は日々生き続け、魔女となるでもなく生き続けている。
それを壊そうとやってきたカーゼルス伯爵は、彼女にとって悪ではないにしても、単なる我が儘な人に見えるかもしれない。
でも、ずっと罪をあがない続けることが、贖罪じゃないはずだ。
精霊だからといって、ひと1人の人生を狂わせるなんて、やっぱり間違っている。
僕は歩いて行く。
氷の精霊に向かって。
「ルーシェルくん?」
「ルーシェル!」
氷の精霊が吐き出す猛吹雪の中を僕は逆走していく。
それどころか手を掲げて、僕は魔法を唱えた。
【魔力吸収】【冷気吸収】
精霊が吐き出す無尽蔵な魔力と冷気を食っていく。
僕は体内に取り込みながら、真っ直ぐ氷の精霊の元へと歩いて行った。
それまで吹き荒れていた吹雪が止む。
「信じられません。精霊様の力を吸い取るなんて」
「あれがルーシェルくんよ。覚えておいて、アプラスさん。あんな男の子でも、わたしたちの前で大泣きすることもあるのよ」
目を丸くするアプラスさんに、リチルさんが話しかける。
僕は氷の精霊の前に立つ。
すっかり力を奪われた氷の精霊は、未だに怒りを露わにしながら、僕を睨んでいた。
「君たち精霊のことはわかっているつもりだ。その怒りも理解できる。だけど、僕も、カーゼルス伯爵も、ここにいるみんな、アプラスさんに幸せになってほしいと思っている。君だって、1000年彼女のことを見てきたんだろう。なら、氷の精霊――君はどう思っているんだい?」
氷の精霊はしばし睨んだ後、僕をこう呼んだ。
「精霊の子よ……。我は…………」
我はわからぬ。
「わからないってどういうこと?」
「我にもわからぬ。何故、彼女は……」
氷の精霊は残念そうに呟く。
一体、精霊が何を言いたいのか、僕にも理解できなかった。
その意味を問うた時、異変は起こる。
「ぐおおおおおおおおおおおおお!!」
振り返ると、カーゼルスさんが悲鳴を上げていた。








