第151話 涙の温度
◆◇◆◇◆ カーゼルス ◆◇◆◇◆
ルーシェルたちが神殿を出て行った後、カーゼルスはアプラスと2人っきりになる。
最初入った時に広いと感じていたが、こうして2人っきりになると改めてその広さを感じる。
ルーシェルたちが出ていって、数分。
カーゼルスも、アプラスもどちらとも声をかけることはしない。
両者とも言葉の探り合いしているかと思ったが、カーゼルスに限っては違った。
じっと見ていたのは、目の前の美女ではなく、神殿だ。
何か観察するように鋭い瞳を向けている。
それどころかアプラスから離れると、神殿の中で、何かをくまなく探し始めた。
「カーゼルス様?」
カーゼルスの奇行に、さすがにアプラスは声をかける。
戻ってきた伯爵は、彼女にまずこう話しかけた。
「ここに氷の精霊がいるのかね?」
「え? は、はい。……ただ神殿にいるというよりは、氷の精霊様は寒いところならば、どこにでもいらして、私たちを見守っています」
「私たちを見守っているか。こうして、私と君が向かいあっているのも、見ている訳だな」
「はい。間違いなく。……それがどうかしたのですか、カーゼルス様」
カーゼルスの様子のおかしさに気づきながら、アプラスは恐る恐る尋ねる。
すると、カーゼルスは言った。
「アプラス、私を信じてくれ」
「信じる? どういうことですか、カーゼルス様?」
アプラスの質問には答えず、何か大きな獣に対して、1歩間合いに踏み込むようにカーゼルスは叫んだ。
「氷の精霊よ! 私を精霊人にしろ」
「カーゼルス?」
「私がお前の花嫁になる」
「何を言っているのですか、カーゼルス様!」
「問題ないはずだ。精霊には性別などないのだからな」
「そういうことでは……」
「私が花嫁……いや、花婿となった暁には、1000年でも、2000年でもお前と添い遂げよう。だから、だから、アプラスを解放してほしい」
「カーゼルス様!」
「彼女を人間に戻してやってほしい。頼む!」
カーゼルスの切実な願いが、広い神殿にこだまする。
しかし、その希望に応える声は振ってこない。まさに無言こそが、精霊の答えだったのだ。
「カーゼルス様、何故?」
「決まっている!」
「――――ッ!」
「君はあまりに幼くして、精霊人となった。精霊からすべての知識を与えられ、君はなんでもできた。魔法も、勉学も、人となりに運動もできた。……でも、私には過程が見えなかった。君が培ってきた経験、努力という跡を感じることができなかったのだ。君の言葉はすべて、まるで薄氷のように薄っぺらく聞こえてしまう。それが、それが1番悲しかった」
10歳の時、カーゼルスの元にアプラスが家庭教師としてやってきた。
その知識、魔法の操作術は見事なもので、周囲は絶賛した。
カーゼルスがアプラスに対して尊崇の念を抱くのに、さほど時間はかからなかった。
でも、教師と生徒という立場の中で、深くかかわる中、カーゼルスはアプラスに対して、特別な違和感を感じてしまう。
アプラスは決して教え方が下手だったという意味ではない。むしろ洗練されていた。いや、洗練されすぎていた。すでに何か1つ極めたものを、右から左に渡すような言葉に、カーゼルスは唖然としたのだ。
そこに時々、変なところで躓いてしまうアプラスらしさがなかった。
「君が私の家庭教師だった時、私は好奇心で君が使っている私室に入ったことがある。今でも覚えているよ。ベッドと机しかないがらんとした部屋を……」
普通の家庭教師といえど、次に教えることの予習やテスト作りなどで、机の上が教科書や書類でいっぱいになるのが普通だ。
だが、アプラスにはそれがなかった。
そういう才能だと言われれば、それまでだが、カーゼルスはその時も違和感を感じた。だが、精霊の知識を手に入れたと聞いて、カーゼルスは得心した。
「君にとって、教科書など必要なかった。テストさえ必要としていなかった。何故なら君にはすべて必要なものが揃っているからだ」
単純にカーゼルスは哀れだと思った。
その時、たかだか10歳の少年である。
けれど、10歳だからこそ違和感に気づけた。
子どもの時分には、地位も名誉、お金も、知識もない。
持っていないからこそ、自分と同じ、自分を持っていないアプラスに気づけたのだ。
アプラスを救いたい。
そう。一念を胸に刻み込むうちに……。
「君を……好きになっていたのだ」
アプラスの顔がこの時、明確に赤くなる。
昨夜、暗がりの中では確認できなかった反応だ。
キュッと胸に手を置き、頬を赤く染めていた。
「だが、私は歳をとりすぎた。そして10歳の時とは違って、一定の地位を賜り、それなりに財をなした。私を愛してくれた女性も抱くことができた。もう十分だ。たった1つの心残り以外は」
カーゼルスは手を差し出す。
「君を救いたい。……そして精霊人ではなく、アプラス・アークブライトとして、余生を送ってほしい。君が1000年という長い時間でも手に入れることができなかった経験を、手にしてほしいのだ」
「……そ、そんなの。カーゼルス様のわがままではないのですか」
「ああ。そうだな。自分本位で、ただ君に押し付けているだけなのかもしれない。10歳の時、君をよく困らせていたように」
「はい……」
「だが、間違ってはいないと思う。……今の君の顔を見たら」
「えっ?」
何か水滴のようなものが、アプラスの頬を伝っていく。
天井から垂れてきた水滴かと思ったが違う。
それはとても熱く、かつ何度もその白い頬を伝い、地面に落ちていった。
そのアプラスの頬を撫でたのは、カーゼルスだ。
アプラスの涙を拭うと、カーゼルスはどこかホッとしような表情を浮かべていた。
「良かった。『氷の魔女』と言われている君だが、涙は温かいのだな」
「カーゼルス様……。私は――――」
「君は魔女でも、花嫁でも、精霊人でもない。我々と同じ人間だ。何も恐れることはない、アプラス」
だから、私を信じてほしい。
次の瞬間、カーゼルスは剣を抜いた。
その切っ先をアプラスの喉元に向ける。
すると、刀身に黒く禍々しい呪字が刻まれていることを、アプラスは発見した。
「まさか……。呪剣……」
名の通り、呪われた剣だ。
今はしっかりと封印されているようだが、たった一言術者が「開け」と命じれば、解放されるようになっている。
「カーゼルス様、まさか! あなたは!」
「君と別れてから、精霊人のことを調べさせてもらった。中に、君の生い立ちのように禁呪に触れ、精霊の怒りを買い、精霊人の罰を受けた花嫁もいると」
「だから、呪剣を……。ダメです! そんなことをすれば、本当に……」
「精霊人になるか? それでいい。君の代わりに精霊人になれるなら、それでいいのだ。さあ、氷の精霊よ。これで黙っていられなくなっただろう。姿を見せよ。……我に罰を下すがいい」
ゴゴゴゴゴゴッ!
まるでカーゼルスの言葉に応えるように、神殿の底から地鳴りが響いてくるのだった。
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